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仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

「先」に「生」まれて逝ってしまう人たち

今回は、人生の長い時間の中で、おそらく、誰もが経験するだろう「死」のお話。

 

 

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10年近い私の学生生活(学部から大学院の博士課程まで)の中で、訃報を幾たびもお聞きしました。お世話になっていた中高時代の恩師、そして、学部時代に受講させていただいていた先生方が次々にご逝去されていきました。

 

身近な先生が急逝された際は、バタバタと研究室の人たちが動き、様々な学会や学術機関に訃報を届け、連絡を手紙や電話やメールで回し、途中だった諸々の書類仕事を片づけていったそう。一カ月以上経って、やっと落ち着く。そんなときもあるそうです。

 

ある時、ゼミ室で机を挟み、私がPC打ちながら「20代も後半になると、そろそろ、こちらが『見送る』時期になって来るんですかね?」と言うと、

 

「『先』に『生』まれると書いて、『先生』っていうじゃないか・・・」

 

と、先輩の一人が返答なさいました。

  

ああ、人と関わりを持って生きていくって、周囲の人の「死」を知って経験していくことでもあるのか、と考えた瞬間でした。

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