仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

日本語におけるジェンダー的な背景を探る  ~平田オリザ『わかりあえないことから』~

どうも、連日、長々とした記事を書いている、ここの管理人の仲見満月です。コミュニケーションについて、私は話す・聞く、書く・読む。このどれについても、日ごろから難しく感じています。
 
家族に共通の知人を交えて遊びに行くとき、その場によって人の呼び方が変化する。やり取りのある研究室に、指導教員と一緒に行き、合同ゼミをすると時に指導教員を呼び捨てにしていいのか?など、日本語は用法が難しい!
 
 
そういうことを考え続けていた時、思い出したのが次の本です。分かり合えないことを前提とした上で、どうやってコミュニケーションをとっていくのか?教育現場での演劇を通じて、筆者があれこれ、考えた一冊です。
 
 
(以下、2014年6月末ごろに記録)
 

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本のサブタイトルは「コミュニケーション能力とは何か」。劇作家・演出家の平田オリザが、学校や大学での演劇授業の実習を通して知った生徒や学生たちから日本が現在抱える「コミュニケーション」問題を指摘した本。少し、解決案も提示してくれています。

そしてブログの主旨として、あんまりここには書くべきではないのです。が、どうしても、タイミングとして書かないと話ができないので、書きます。

この本に書いてあるコミュニケーション問題は、先日の都議会のヤジの件で思い出しました。

著者は本書の中で、日本語の使われてきたジェンダーとその文化的背景の問題を取り上げるにあたり、女性看護師と患者である中年男性の会社員のエピソードを挙げていました。会社員の患者は入院した際に、若い女性の看護師から、子ども扱いされたと言っ怒り出すケースがあるそうです。

続く118頁にある文章の「日本語の2000年あまりの歴史の中で、女性が男性に命令したり指示したりする関係は、母親が子どもに指示する関係以外にはなかった。」という指摘は、ある意味、的確かと。

すぐ後で著者が指摘しているように、法律や制度を変え、日本の女性の社会進出は随分と進んできた。とはいえ、言葉は、なかなか社会の変化に追いつかない。私は、こうした言葉の持つ背景的な性差のようなものが、都議会のヤジの件にも潜んでいるのでは?と思いました。


もう1つ:阪大の鷲田 清一総長(注:2016年7月の現在は京都市立芸術大学学長)は大学の取り組みだけでなく、個人としてもオモロイ方らしい、と分かる本です


(読了日:2012~2013年のいつか)
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