仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

大学院に行きたいと思ったら知るべき「初歩」のこと~大学院の進学システムと就活~

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 今回の記事は、大学院への入学やその準備のことについて、やるべき「初歩」のことを書いた下のお話と繋がってきます。

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

むしろ、大学院在学中の就活、その後の人生設計(あるいは計画)をする上で、経済的な問題とも絡んでくる話なので、人によっては非常に重要になってくるテーマだと思います。

 

より具体的に言えば、自己紹介パート2で「大学院の各課程の在籍可能年数やシステムについては、また別の記事で詳しく書きたい」と言っていたとおり、ここでは主に修士課程(博士前期課程)と博士課程(博士後期課程)の2課程に分かれている、現在の研究大学院の教育システムを、長~く説明します。

(最近の記事、どれも冗長な上、長くて申し訳ないです…)

 

もっと言えば、このブログを読む最も基礎的な知識といも言えます。それでは、本編に入りましょう。

 

 

学部・修士課程・博士課程の進学の流れと構造

日本の大学について大まかに言えば、四年制大学では、学生は学部(大学により異なり「学群」等あり)に入学し、所属します。例えば文学部なら文学や史学等、経済学部なら財政学や金融システム等、主に各学部の学問分野のことを4年間で学び、卒業する仕組みになっています(下の図参照)。

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(図の出典:

このブログでは、事前に特別な断りがない場合、「大学生」と言うと、この四年制大学の学部に所属する学生(=学部生)を指し、それより上の教育課程である大学院に所属する学生を「大学院生」、略して「院生」と呼びます。 

また、院生については、次に出てくる修士課程の院生を「修士生」、博士課程の院生を「博士生」というように、略して呼ぶことに致します。

(ちなみに、「博士生」という呼び方は、実際に中国で使われている呼称です。)

 

続けて、大学院の教育課程の構成の話をします。

 

大学院は細かく修士課程(別称マスターコース、博士前期課程、2年制)、博士課程(ドクターコース、博士後期課程、3年制)の2つの課程に分かれています。大学院には、四年制大学の文学部の上に文学研究科、理学部の上に理学研究科というふうに、学部の上に相当する専門科として「研究科」(「学府」や「研究部」等の呼び方もあり)が設置されています。ちなみに、修士2年生だと「M2」、博士3年だと「D3」というふうに、それぞれ、マスターの「M」、ドクターの「D」の頭文字に学年の数字を添えて、各教育課程の学年を表す習慣があります。

 

現在では、「五年博士課程一貫コース」として、最初から5年間の教育システムが設定されているところがあり、上の図で言うと、修士課程と博士課程の間に院試(入学試験)がないところもあります(筑波大学大学院の人文社会科学研究科、生命環境科学研究科、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科等)。

 

 また、特定の学部を下に置かない独立研究科も存在します(東京大学大学院新領域創成科学研究科神戸大学大学院国際協力研究科等)

 

このように、大学院の教育システムは多様化してきています。

 

 

大学・大学院生の在籍可能年数と文系院生の「博士課程満期取得退学」

 

大学・大学院生の在籍可能年数 と学位

基本的に、学部生は4年間のうちに卒業論文を書いて学士号、修士課程は2年間で修士論文を書いて修士号、博士課程は3年間の間にジャーナルの審査を通過して掲載された査読論文をまとめて博士論文として書いて博士号を取得します。上記「〇〇号」は、一般的にはまとめて「学位」と呼ばれるもので、特定の教育課程をおさめた結果を示す資格です。

 

上の図には、学部なら「最大8年」というように、主な各教育課程の一般的な在籍可能な年数が示されています。妻財の在籍可能年数は、各課程の基本在学年数の2倍の年数が想定されています。例えば留学、病気やケガ、実家や親族の介護等の理由や事情で休学したり、大学・大学院に出てこれなくなって留年したりしても、復帰後に在籍して授業に出席し、卒論の提出や卒業試験合格等の特定要件を満たせば、学部なら「卒業」、大学院なら「修了」できる制度となっています。

 

 俗に、「卒業論文は参加賞、修士論文は努力賞」と呼ばれるように、各教育課程の卒業・修了要件の最低水準に達していれば、卒業・修了さできると言う噂がありました(あくまで、噂です)。そのくらい、修士号までは最低限努力して書けば、学位が取得できるという世の中になってきているようです。

 

ただし、大学院博士課程だけは例外です。卒論は参加賞、修論は努力賞というのに対し、「博士論文はスタート免許」。つまり、博士論文を書いて取得した博士号は、研究者として歩き始めるための最低限必要な資格という位置づけなのです。博士論文をまとめるには、基本的に各分野の審査つきジャーナルに投稿し、審査に合格して査読が通り、掲載が決定した「査読論文」を一定数(分野や研究室、先生の基準によって数はさまざま)持っておいて、それを元に筋が通る構成にリライトして、一冊の本に仕上げます。

 

文系院生の博士号取得と「博士課程満期取得退学」 

この「査読論文」を得る、いわゆる投稿論文を査読に通過させるのは、至難の技。特に、人文科学系のジャーナルは分野大手クラスの学会発行のものでも、年一回発行のところが目立つ上、文系学問は論文一本書くのにかかる時間が理系に比較して長くなりがちです。すなわり、最低一年に一本の査読論文を通し、計3本で博士論文をまとめ、審査に通過して博士号を取得するというのが、現在の私の周りの人文科学系博士課程の人たちの共通目標でした。

 

しかし、大抵、年一本ずつ査読論文を通すのは、できないことのほうが多い。コメントを付けて、リジェクト(掲載不可)を受け、リライトして投稿しても再度リジェクト。これを繰り返すことのほうが、少なくないでしょう。だから、院生は年一回発行のジャーナルだけでなく、もっと発行ペースの多いジャーナルに投稿していくことになります。投稿論文の審査にも時間がかかるので、それを見越して研究していたら、博士課程の最大在籍可能年数の6年間は、あっという間に来ます。

 

この6年間を終えて博士号が取れなかった人は、「博士課程を修了するのに必要な授業単位は全部取りました」という手続きを取り、「博士課程満期(もしくは単位)取得退学」という肩書を得て、博士課程を「退学」します(つまり、ここから先の彼らの呼び名がオーバードクター)。この手続きから3年以内に博士論文を書き、審査を得て合格すると「課程博士」、3年を過ぎて審査に合格すると「論文博士」というように、違う呼び方の博士号を得ることになります。

 

その昔、今から40年前くらいに文系博士生だった人たちは、「博士論文とは、人生の研究を集大成する業績である」と考え、数十年かけて論文を書きため、ある程度まとまったら本にまとめて審査に通し、「論文博士」になる人が一般的でした。

 だから、今でも、各大学の文系学部の教授には修士号を持つ先生方がおられます。そして、これから「論文博士」になろうと審査を待っている(かもしれない)先生方も、けっこうな数、いらっしゃるのです。

 

それから後、2016年の現在まで、理系分野の慣習に合わせ、文系分野も研究成果をもっとスピードアップして量産しましょう!という考えがアカデミアを席巻するようになり、文系大学院でも一年一本は最低査読を通して、基本在籍年数の3年で博士号を取りましょう!時間がかかっても、できるだけ「課程博士」になれるよう、頑張りましょう!という考えが主流となりつつあります。

 

そして学問的な特性上、文系、とくに人文科学系の学問では、研究成果を上げるのに時間がかかり、それに寄り添う形で時間をかけて博士号を取得する制度や慣習が出来上がっていました。そういう事情があって、大学院や研究機関で一般的に「学位」というと、最も上位に位置し、かつ取得が困難な「博士号」を指すようになったのです。

 

就職しやすい教育課程とタイミング

以上のように、文系分野では、十数年前には「人生の研究成果を集大成した博士論文」によって得ていた博士号(論文博士)が、世の中の学問の流れが変わって「研究者として早いペースで研究成果を上げる能力を示す、研究者のスタート免許」の博士号(課程博士)というように、博士号の持つ意味が大きく変わってしまいました。

 

おまけに、国の政策や少子化等、さまざまな原因が重なって、この30年間で大学や研究機関へのポストが劇的になくなってゆき、博士課程の院生、博士号のないオーバードクター、博士号持ちの「ノラ博士」たちの就職先が減っていきました。

彼らは、生活費や学費を稼ぐため、非常勤講師をしたり、様々なアルバイトを掛け持ちしたりつつ、研究を続け、数少ない研究職を目指して熾烈な競争をするようになったのです。中には、ケガや病気で働くができず、研究どころか、日々の食事にも事欠くようになってくる人も出てきていると言われています。 

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これがいわゆる「高学歴ワーキングプア問題」です。水月昭道氏が数々の著書で分析なさり、その実態が一時期マスコミに取り上げられ、話題となったのは、2000年代の後半からだったか思います。それ以降、大学院の実態を知ったのか、それに加えて少子化の影響もあるのか、大学院進学者数は減少。大学の教員や院生も、こうした苦しい現状を分かっているので、学部生が進学の相談をしてきても、以前ほど積極的に入学をすすめることはなくなっているらしいです。

(*詳しいデータ等は、最後に参考文献を挙げるので、ご参照ください。

また、大学院の入学者が減って、人出が足りないアカデミア世界の問題はこちらを参照のこと)

 

そういった苦しい状況を知った上で、「それなら、割り切って修士課程までは研究をやって、その後は社会に出て働こう」と決断して入学して、修士課程修了後は就職していく人もいます。文理総合系大学院時代の人で、身近な例をあげましょう。

 

私の後輩で、ある人は進学後、研究と公務員試験をの受験勉強を両立させ、M2の秋に内定をもらい、その冬に修士論文を提出。彼女は公聴会修士論文をもとに、審査員の先生方をうならせる発表を行い、立派な成績で社会へ出て行きました。また、ある後輩は、先輩の紹介で研究テーマに近い仕事のアルバイトを始め、業務で培ったノウハウをフィールドワークに応用してデータを収集・分析して修士論文を書きました。その後、彼はアルバイト先の会社にそのまま正社員で就職し、今もそこで働いているそうです。

 

上に挙げた2人は、私と同じように人文科学系分野の出身でした。このように、文系のテーマや分野に近い研究をしている人には、大学院修士課程まで行って好きな研究をしつつ、就職先を得、修士論文を出して社会へ出ていく人がいます。そして、世の中の流れなのか、文系の研究をしてる修士生にも、2000年代後あたりからは民間企業では業種にもよりますが、採用枠を広げているところが増えてきているそうです。

 

そういうわけで、もし、大学院に行きたいと思い、その後に就職したいと考えるのなら、特に民間就職では修士課程で修了するのがベターだと思われます。国家公務員や地方公務員、それから公立の中高教員についても、年齢制限を考えると、現実的な面で修士課程修了が就職するのに適しているでしょう。

(ちなみに、分野にもよるものの、理系院生は修士課程修了後に就職するのが一般的な模様)

 

もちろん、ひとくくりに「文系」とっても、大学院を出た後の就職状況は細かな分野によって千差万別なところもあります。こういった詳しい就職状況については、下の記事のように、個別に記事を立て紹介していく予定です。

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すみません、今回も長くなってしまいました。ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

 

〈参考文献〉

 ・森博嗣『大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル』(中公新書ラクレ195)中央公論新社、2005年。

東京図書編集部編『大学院受験白書 文系編 24人の合格体験記』東京図書、2007年

水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書322)光文社、2007年

同上『アカデミア・サバイバル 「高学歴ワーキングプア」から抜け出す』(中公新書ラクレ329)中央公論新社、2009年

アカリク『大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル』亜紀書房、2010年

内田麻理香『理系のお姉さんは苦手ですか? 理系な女性の10人の理系人生カタログ』技術評論社、2011年

岡崎匡史『文系 大学院生サバイバル 』(ディスカヴァー携書)  ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年

  *みんな古めで、申し訳ありません。また時間がとれたら、レビューしたいです。

このほかにも、2014年以降に出された本に大学院のことを扱った本が出されているので引き続き、探します。

 

もし、「こういう本があるよ」とか、「うちの分野では事情が違う」といった情報、ご意見・ご感想等がありましたら、本記事のコメント、およびブログの右サイドメニューにあるTwitterボタンやメールフォームを通じて、投稿していただけると助かります。

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