仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

元理系院生・山下彩香の生き方~フィリピンから少数民族の伝統文化を発信~

0.はじめに

前回の伊能まゆみさんの記事に続く、元院生の行き方・第2弾。今回は、学部・大学院と理系分野に在籍していたけれど、出会いがあって、フィリピンの山岳地域から現地の文化をアクセサリー製作や音楽を通じて、発信する生き方を選んだ山下彩香さんのお話です。

 

山下さんを知るきっかけとなったのは、やはり、下のなでしこ漫画でした↓

 

ヤマザキマリ『ヤマザキマリのアジアで花咲け! なでしこたち2 』

(MF comic essay)、メディアファクトリー、2013年

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(以下、なでしこ漫画と呼称。山下彩香さんは右から2番目の横笛を吹いている人)

 

なでしこ漫画に加えて、山下さんのことを調べていて、新たに見つけた下のインタビュー記事①と②、それから山下さんが手がけるジュエリーブランドのEDAYAのスタッフ紹介ページ③を参考にしつつ、彼女のこれまでと活動について、紹介していきます。

 

www.nadeshiko-voice.com

 

an-life.jp

 

③:EDAYA : Our team

 

この記事の読者の方にポイントとして、頭の隅に置いておいていただきたいことがあります。それは、山下さんがもともと、理系学部・理系大学院にいたけれど、技術職にも研究職にも進まなかったこと。そして、自分でフィリピンの山をめぐり、現地の人たちとコンタクトし、話をして伝統文化を掘り起こしてそれをビジネスに結び付け、資金を得て、持続的に少数民族の芸能や生活文化を発信していくシステムを作って、発展させようとしているとことです。

 

それでは、山下さんの紹介をしてゆきましょう。

1.山下彩香さんの経歴

上にリンクを貼った①と③の記事をもとに、なでしこ漫画の情報も加えて、山下さんの経歴を簡単にまとめてみました。

 

現職: ジュエリーブランドのEDAYAディレクタ―&デザイナー。

 

〈略歴〉

◆1985年、福岡県生まれ。神奈川県横浜育ち。

◆高校時代にロータリー財団奨学生としてカナダに1年間ほど留学。

東京大学農学部に入学し、国際開発農学を専攻。

東京大学大学院医学系研究科に進学し、人類生態学(国際保健学専攻)を専攻。

◆2010年、NPO「S.T.E.P.22」主催の奨学金プログラムに合格し、フィリピンへ。

 カリンガ族の伝統的竹工芸家であり、音楽家エドガー・バナサンさんと出会う。

 山下さんは、小規模金採鉱者の労働環境を調査するため、1年近く滞在。

◆2012年、東京大学大学院医学系研究科(修士課程)を修了。

 同年7月、「EDAYA ARTS CORDILLERA CORPORATION」(カリンガ族の伝統楽器と、楽器や暮らしにまつわるモチーフを取り入れたアクセサリーの製作・販売をはじめとし、様々な活動を展開する現地法人)を設立。

 

 

2.フィリピンとの出会いとEDAYA設立まで

 学部時代まで

上の略歴を見たら分かりますように、山下さんは高校生の時、カナダに一年ほど留学していました。②の記事によると、この留学以前には、

自分にしかできないこと」にこだわりがあり、将来は戦場のカメラマンや国境なき医師団のような、第一線で働く仕事をしたいと思っていましたし、何に対してもやるなら一番を目指したいという思いがありました。

という気持ちがあったそうです。そして、受験期間中に読んだ本から、認知心理学を学びたいと思うようになったそうです。そうして、一浪して東京大学の理科Ⅱ類に進学しました。進学後は、認知心理学が自分が思っていたものと違うと感じ、やる気を失う。3年生で学部を選択する時期には、「将来海外の最前線で働く仕事につながりそうな、農学部国際開発農学に進むことに」したそうです。

 

実は山下さん、同じころ、英語劇を行う劇団「MP(モデルプロダクション)2008」に参加。衣装等の係として、1年間ほど活動したことで、「人の心を動かすということ」に関して、

チームで1つのものを作った時のエネルギーはとてつもないものであること、本気で思いを込めたものであれば相手に伝わるということ、そして自分はポジティブなことを表現する芸術が好きだということでした。

という気づきを彼女は得たのです。こういった自分の変化に対し、学部時に研究していた「土」よりも、より「人」と接することを求めて、山下さんは、医学系研究科人類生態学に進みます。

 

ちなみに、学部選択の時、文系と理系のどちらでも自分の可能性を平等に分析して、進路をとるのが良いと思いつつ、農学部を選択したのは「理系に進学したプライド」があったからだそうです。

それに対して、劇団を通じて気がついた「人の心を動かすということ」について、気がついたことを実践する芸術活動は、文化を通じた人に影響を与える活動であることから人文科学系の分野に入るのではないか、と私は思いました。

 

 フィリピンとの出会い

大学院に進学した春、将来のことを考え、進路をいくつかピックアップするも、どれも「自分でないとできなことではない」と、決めあぐねていた山下さん。「そこで、海外でなにかやりたいことがある人を応援している、「S.T.E.P.22」という団体に入り、そこに所属している社会人からの手助けをもらいながら、半年間ひたすら自分を見つめなおす時間に充て」ました。ここでの活動を通じて、マイノリティーの個人をエンパワーして「ありのままの自分を発信していける社会にしたいと」考えるようになります。

 

ある時、彼女は「ブラジル発祥の『被抑圧者の演劇』という、抑圧された人々の力を演劇を用いて発信していくという手法がフィリピンの劇団でも使われていることを知ります。S.T.E.P.22の奨学生として夏休みに2週間のプログラムに参加し」、フィリピンの山奥で演劇を通して先住民への環境教育を行っている日本人に会いに行った山下さん

(ちなみに「マイノリティと芸術」というテーマで活動)。その劇の音楽は、全て北ルソン山岳先住民族の伝統的な「竹で作られた楽器」で演奏されており、その響きに魅了されてしまいました。音楽を全て一人で奏でていたのが、その後、EDAYAの活動で大切なビジネスパートナーとなるカリンガ族のバナサンさんでした

 

バナサンさんは、楽器作りや音楽活動では食べて行けないため、鉱山で働いていると話し、山下さんの希望に応じ、鉱山の見学をさせてくれました。大学院の修士課程で「土とそこにまつわる人と文化のようなことをフィールドワーク的に研究していた」彼女は、日本に帰国してからもフィリピンでの体験に課題意識を抱き、どうにかしないといけないと感じたそうです。そこで、研究者への道も念頭に置いた上で、山下さんはフィリピンに再び渡航して、鉱山を研究することにします。

 

  修士課程での研究とEDAYAの設立

修士論文を書くテーマを選び、フィリピンの現地で調査をしていくと、山下さんには、色々な関係性も見えきたそう。実は、第一印象で感じたほど鉱山で働くのは劣悪ではないものの、「それでもチャンスは少ないと感じましたね」と感じたようです。

 

山下さんが感じたことは、自分は研究をして、一方的に現地の人から情報を色々もらっているの。その分、何かお返しのことができないかと、感じるようになりましたそこで、バナサンさんに相談し、「彼は伝統の楽器だったら作ることができる」と聞き、「そこから、楽器と楽器や地域の伝統文化にインスピレーションを受けたジュエリーの製作販売の構想が生まれました」。

 

そして大学院の修士課程修了後、「就職でも進学でもなく」、山下さんはフィリピンに渡り、少数民族無形文化に着想を得たジュエリーや楽器を扱うブランドEDAYAを立ち上げ、起業します。工房では現地の竹を材料に使い、デザインには現地の暮らしに因んだ背景等を組み込んだジュエリーを製作し、日本のショップやインターネットで販売を行いました。

 

「なでしこ漫画」によると、会社設立から1年でネットでの注文は徐々に増えてゆき、2013年には月に10万円も売り上げるようになります。そして、山下さんは17ヘクタール(東京ドーム4個分もの広さらしい)もの山を買いました。作品の材料に使う良質な竹が採れるこの山は、もともと、カリンガ族の長老の山でしたが、山下さんたちの活動に共感した長老が格安で山を譲ってくれたんだそうです。

ジュエリー製作・販売のほか、山下さんたちは、現地における無形文化の調査や教育活動も同時に展開し、地域を活性化する取り組みとして、フィリピンと日本の地域同士の交流会等もしています。 

 

 

3.山下さんが専攻していた人類生態学って何?

ここまで、山下さんが歩んできた人生を駆け足で見てきました。途中で話題に出さなかったことがあり、「 山下さんが修士課程で専攻していた人類生態学って、どういう学問なんだろう?」と疑問に思った読者の方々がおられると思います。少し、人類生態学にフォーカスしてみましょう。

 

山下さんは、東京大学大学院医学系研究科前期課程に入学し、人類生態学を研究します。おそらく、山下さんがいたのは、下の部局だと思われます。

東京大学大学院 医学系研究科 人類生態学教室

 

上のリンクによる生態学とは、次のような学問領域だそうです。

人類生態学は,
文字通り人間の生態について研究する学問分野です。人間の生態の中でも,我々は現代に生きる様々な集団の生態について,人口・栄養・環境 を切り口として研究を進めています。 すなわち,「生物集団が環境をいかに利用して食物 を獲得し,世代を重ねていくか」という広く生態学一般に共通の課題と, 「人間活動が環境(地球を含めて)に及ぼすインパクトと,インパクトを受けた環境から人間自身がうける影響」という人間の生態に特有な課 題という2つの軸にそったテ ーマに取り組み,こうした研究を通じて,人口問題・食糧問題・ 環境問題の解決の土台となる人間集団とその活動に関する基礎的情報を提供することをめざしています.

つまり、その土地の食べもの、生活している環境の状態、労働場所などを調査して、現地の人々がどういう風に生きており、集団を維持して世代を重ねているのか、という学問といえるでしょう。さらに、上の人類生態学教室のリンク先の記事を見てみましょう。

実際の研究は,
フィールドワークとラボワークの両方が実施されており,両者をまたいだテーマも少なくありません. フィールドワークは主としてアジア・オセアニアの農村地域で展開しており,生業-環境汚染-健康の関連,開発と人々の栄養・健康・生業と の関連などに着目した研究を行っています.ラボワークとしては,環境を汚染する化学物質の小児 (胎児期を含む)への影響(発達神経行動毒性)について,感受性要因に着目した研究を行っています.フィールドワークで得られた様々な試 料の分析もラボワークの重要な仕事です.いずれのアプローチにおいても,生物集団と環境との関係は常に動的であり, また多面的であることを忘れないのが人類生態学の研究における基本姿勢と考えています.

 ふむふむ。フィールドワーク先で調べて来た結果である試料をラボに持ち帰り、分析をすることにより、「生業-環境汚染-健康の関連,開発と人々の栄養・健康・生業と の関連などに着目した研究を行って」いると。「環境を汚染する化学物質の小児への影響」をみる研究も、行われていると。

 

先の山下さんが修士課程で取り組んでいた、 フィリピンの鉱山をテーマとした研究では、おそらく、鉱山労働者の方々の健康状態を調べたり、その労働者とその家族の人たちの食べるものを聞いたりして、調査を重ねたのだと思われます。学部でやっていた「土」と鉱山とはテーマとしては結びつけやすかったと思われます。

 

また、伊能まゆみさんの記事で書いたように、農業は現地の歴史や社会のバックグラウンドとともにあり、そこで調査をするには文化的な部分を知った上で、現地の人々とコミュニケーションを重ねていくことが重要です。これは、鉱山と労働者の人々を調査していた山下さんについても同じでしょう。彼女の場合、研究テーマよりも先にあったのが、「マイノリティーと芸術」というテーマであり、その活動の中でカリンガ族の伝統楽器と音楽に出会いました。おそらく、先に現地の文化と出会い、人の心に関心のあった山下さんとしては、後のEDAYAに繋がる現地の歴史や社会のバックグラウンドに関する仕事のほうが魅力的だったのだと思います。

 

人類生態学は、上の引用部分にあるように、人の集団が暮らす環境を調査する側面があり、その人々の健康調査を行う際、その土地の化学物質の試料採取や分析といった、科学的な「理系」の手法がとられます。しかし、人類の暮らしにおける健康において、例えば、ある民族集団においては、病を抱えた者に祈りや呪術を施す術者と、薬草を煎じて病人に処方する医術者は、健康状態を向上させる同一の役目持つというように、文化的な部分と科学的な背景を一つの職業として成り立たせていることがあります。

 

つまり、人類生態学は人類を研究対象にしているので、理系学問でありながら文系の側面も合わせ持った学問領域なのだと考えられるのです。早い話、人類生態学だろうと、文系学問の文化人類学だろうと、アプローチが理系か文系かというところを除けば、対象を人類にしている面では同じなんですよね。ここが、長く劇団活動をしており、芸術的センスを磨いていた山下さんの持っているセンスや能力と、繋がってきたとも言えるでしょう。

(そういうわけか、理系の理学部や農学部、それぞれの分野の大学院で○○人類学、人類○○学をやっていた人は、後に文化人類学等の文系の○○人類学に転向している人も多いです)

 

おそらく、劇団活動で芸術を通じて知った、人の心を動かすことに気が付いた山下さんにとって、文系の側面を持った人類生態学を専攻し、研究でフィリピンの現地の人々のもとで滞在できたことは、 現在のEDAYAでの活動に少なからずプラスになっていると思われます。

 

4.まとめ

EDAYAを設立した山下さんの目標は、「ものづくりと無形文化の継承。この二つをつなぐ持続可能なビジネスモデルを提案していくこと」。更に、EDAYAでは「村人の収入にもつなげ、村人の都会への流出や、伝統文化が途絶えるのを防ぎたい」とも考えています(以上、なでしこ漫画より)。

 

こうして精力的な活動をしてきた山下さんですが、①のインタビューによると、就職せずにフィリピンでの活動を始めることに、少なからず、不安を抱いていたそうで、以下のように感じていたそうです。

不安はかなりあります。大学院まで卒業して、それなりに将来の選択肢がある中で、それを蹴ってやるわけですからね。妹が月給20万円もらっているのに、もしかしたら自分は0円かもしれない…と想像するとめちゃめちゃ怖いですよ(笑)。

 ご本人が書いていらっしゃるように、こうした文化をビジネスにして稼ぐというのは、非常に厳しいものです(そして、それは文系大学院に進むのも、同じ)。所属していた理系大学院の人類生態学から、就職を考えれば、いろいろと生かす道も選択肢としてあったでしょう。上の山下さんの返答から、彼女がいかに将来のことを考えていたかが、うかがえます。

 

それでも、山下さんがフィリピンでの活動を続けたのは、①によると

やっぱり挑戦したいんだと思います。「やらないで後悔したくない」というよりも、「やった先にあるものを見てみたい」というポジティブな理由ですよね。大学院まで出て、就職しないで自分のやりたいことをやる、というのはいわゆるレールから外れた生き方かもしれないけど、自分に正直になって生きるというのが私にとっては幸せなんじゃないかな。

という挑戦への意欲と、自分に正直に生きたいという気持ちがあったからなんでしょう。

執筆者が思うに、山下さんがこういう気持ちを持つだけでなかったのです。実際に「ものづくりと無形文化の継承。この二つをつなぐ持続可能なビジネスモデルを提案していくこと」という目標を少しずつ、現実にできていけているのは、断続的な演劇活動を通じた芸術的なセンスから得た文化をビジネスにする能力(どういったデザインのジュエリーなら客が買ってくれるのか、等に気づくこと)。それから人類生態学修士課程で専攻し、「土とそこにまつわる人と文化のようなこと」をやっていたことに由来すると考えられます。

(あと、農学部時代にやった「土」に関する研究も、購入した山で採れる竹の管理や加工方法、ジュエリーに使う材料の素材選択に生かされているのかもしれません)

 

 

以上、今回は、日本人女性が元理系院生ながらも、長い芸術活動で養った(と思われる文系の)センスや能力で、フィリピンでのものづくりと無形文化の継承を目指し、ビジネスとして成り立たせる活動をしている、ということをお伝え致しました。

 

大変長い文章を最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。

 

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