仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

「学術論文の文法」(Hatelabo::AnonymousDiaryより)に関するメモ書き

今週半ばに、こちらと「灰だらけ書庫」での執筆エネルギーの使い果たしか、寝っ転がり、出不精になっておりました。もうしばらく、この状態が続きそうです。

 

そういうわけで、今回は下の「ますだ」エントリで読んだ内容をもとに、論文執筆に関する備忘録的なことを書くだけに致します。

 


学術論文の文法

 

先にお断りしておきますと、この「ますだ」エントリ記事をアーカイブ化、いわば保存しておく意味で、今回はたくさん、元のエントリから引用致します。どうか、ご了承ください。
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1.エントリ者の物書き行為に対する印象

まず、このエントリを読んで感じたのは、エントリ者は、様々なタイプの文章の書き方がある程度、できていたということ。「短編小説」や「エッセイ」で賞をもらっていたほどで、ご本人の言うことを信じるなら、エントリ者は物書きに自信をそこそこ、持っていても不思議ではないと考えられます。

 

実際、次の段落では、

何て言ったって、いくつか賞ももらったし、研究室先生雑誌(学術誌じゃなくて業界専門誌みたいな月刊雑誌)に寄稿するときわたし校正してあげたりしているし、

文章を組み立てることが人より多少は得意だと思っている。

(学術論文の文法より)

 

と書いておられます。院生はともかく、後述のように、卒論を改稿して投稿論文を出そうとしているような、 素質のある学生だと見込まれないと、あまり、大学教員のほうも、上記のように自分の雑誌原稿の校正を頼んだりはしないでしょう。単なる人手でない限り、校正を頼まれるのは院生が大体です(そして無給のことが多い作業)。

 

そんなエントリ者が戸惑い、格闘しているのが、

学術論文わたしがいままで培ってきた叙述法とはかなり違う文法の元に成り立っていた。

(学術論文の文法より)

 というもの。ちなみに、エントリのタイトルは「学術論文の文法」となっていますが、語順や品詞の修飾関係など、英文法のような言語学的な文法というより、書式や句読点の使い方とか、後述の文体も含めた「学術論文の叙述作法」という意味での「文法」を指していると思われます。

 

以下、ここてはエントリ者の内容から「学術論文の文法」を、より私が的確だと考えた「学術論文の叙述作法」という言い方を使わせて頂きます。ちなみに、こうやって新しい造語的な言葉を使用する際、定義と背景を断ることが、「学術論文の叙述作法」のひとつにあります。

 

 

2.エントリ者の理系分野の「学術論文の叙述作法」

さて、卒論をマイナーチェンジして、学会誌に出そうと「目論んでいる」エントリ者。初稿が、添削に使われた青い文字だらけで返却されて、少し凹んでいる様子。それほど、エントリ者の書いてきた各種文章の叙述法と、卒論の理系分野の「学術論文の叙述作法」はかけ離れていたということです。

 

その理系「学術論文の叙述作法」とは、次のようなもの。

並列のときは(たとえば「赤と青と緑にそれぞれ色付けられた~」とか)英語に倣って「赤、青、および緑に色付けされた~」みたいな書き方を一律でしなきゃいけない。これはだいぶ慣れたけど、いつもそのときそのときで一番読みやすそうな、より語感のいい書き方を心がけてきたわたしにとっては抵抗感が大きいものだった。「赤、青、緑に~」はもちろんだめだし「赤と青、そして緑~」もグレーゾーン

「だった」「~で、」も「であった」「~であり、」とかに統一。一文の長さはできるだけ短く。

筆者を示す主語ほとんど登場させず、「我々はデータを~~に従って分析した」みたいなことを言うときには「データは~~に従って分析された」とかいう書き方になる。

英語的な表現が多くて、読みやすさの点で言うとあんまり読みやすくない。でも、できるだけ筆者の言いたいことをできるだけそのまま読み手解釈してもらうという意味ではこういう統一された文法が便利なのかもしれない。

(学術論文の文法より)

 

事物を並列する時の叙述の規則、主語を登場させない書き方(特に筆者を主語としない傾向)、英語的な表現というのは、まさに理系の実験結果をもとにした「学術論文の叙述作法」だという印象を受けました。ちなみに、文系寄りと本ブログで言ってきた地学の分野も、フィールド調査をもとにした学術論文では、このような叙述をするようです。

 

そして、徹底的に排除するのは、筆者の感情的な言葉であり、主張するのは、結果として得られた新たな知見です。どうでしょう、かなり無駄がない「学術論文の叙述作法」でしょう?

 

 

3.まとめ

理系の「学術論文の叙述作法」は、感情的な言葉を極力排除し、新たな知見を主張するのは、だいたい、共通する作法のようです。ただし、細かな作法は、私がはてブコメントにも 書きましたように、「理系と一口に言っても、化学式や実験のプロセスと結果を簡潔に書く分野、地層の成り立ちを書く際の地学の書き方で」異なります。色の表現をどう入れるとか、ですかね?

 

それから、「文化的な事象を扱う建築や医療人類学での書き方、かなり違うと思います。」と私は、自分のはてブコメントで書きました。文化的な事象は、どうしても人間の感情的な要素の入ってくるもの。それでも、感情的な言葉を極力除こうと努力しなければなりません。じゃあ、 どうするのか?

 

論文で書く対象の事象、それが思想的なものであれば、その思想を唱えた人間の言葉を定義した上で、論文内でキーワードとして使っていきます。

 

このあたりの文化的な事象を扱う「学術論文の作法」は、人文(科)学の学術論文の書き方のところで、詳しく書きたいと考えています。

 

ちなみに、エントリ者はこの理系「学術論文の叙述作法」に対して、戸惑いながらも、書ける文章の幅を広げ、成長していこうという意気込みを書いて、エントリ記事を締めておられました。

 

このメモ書きも、このあたりで終わりです。    

 

 

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