仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

「保健室」が大学・大学院に必要な理由~孤立する学生を包み込む「大学の保健室」(Yahoo!ニュース 特集より)~

<今回の内容>

0.はじめに

2月19日のお昼前、日課でTwitterを眺めていたところ、偶然にも次のページへのリンクツイートが流れてきました。

news.yahoo.co.jp 

 

リンク先に飛び、その内容を読むうち、小中高から続く学校教育機関との繋がりから、現在の大学・大学院研究教育機関について、心身の健康状態を支える施設や組織の自分なりの考えを整理したいと思い、連続ツイートをしました。以下に、今回のYahoo!ニュース特集ページの内容をはさみつつ、ツイートをまとめておきます。

 

f:id:nakami_midsuki:20170221011219j:plain

 

1.「孤立する学生を包み込む「大学の保健室」」についての私のツイートまとめ

 1-1.どうして保健室を設置できたのか?

今回のYahoo!ニュース 特集の舞台「東京・渋谷区にある帝京短期大学」は、「男女の学生約1100人が学ぶ都心のキャンパス」ということで、学生数は小規模。短大で学生数が小規模ということに加え、「養護教諭経験者として初めて同短大に着任した」という宍戸洲美教授(72)が「担当する学生の相談に乗るうち、「心身の相談を受けてくれる先生だ」という噂が学内に広まった」という、教員の専門性に保健室の設置背景があると考えられます。つまり、小回りがきき、学生のニーズに気がついて対応できる教職員がいたから、保健室が置けた特殊な条件がそろった結果だとも思われます。

(以上の「」内は、孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより引用)

 

規模の大きな大学・大学院については、そのキャンパス全体の学生に対して、「カウンセリングルーム」や相談窓口を置くのではなく、学部や研究科といった部局単位に保健室に該当することにより、学生の細かな健康やメンタルヘルスに対するニーズに応えられるのではないか?と考えたのが、最初のツイートでした。

(以下、引用元を示していない引用部はすべて、2月19日正午前後より開始した仲見満月のツイート。一部の誤字・脱字を訂正しました)

 

高校の非常勤講師として、生徒のケア面から教科指導した経験から、また私自身が地獄のような中学生活を成長期に送った者として、大学には相談窓口より保健室を置くのが適切。

 

「廊下に面したドアは開け放たれ、学生や教職員は誰でも気軽に立ち寄れる」ように、保健室を部局単位で設置すれば、

@YahooNewsTopics 次の読書投稿に書いた、心身が弱り、一人暮しで周囲からは音信不通状態で、大学に来れなくなっていた学生の把握が可能。➡「アカハラ」からどう身を守る?学生・院生のためのメンタルヘルス対策 https://t.co/65v0m81teQ 

だと考えました。なお、具体策については、上記ツイートのリンク先 「アカハラ」からどう身を守る?学生・院生のためのメンタルヘルス対策 – メンヘラ.jpの中で、特に「3-3.大学に行けなくなってしまったら~U先輩のこと~」、「3-3.音信不通の人を待っていた身としての気づき」のところを指しています。 

 

 1-2.保健室にやって来る学生とは、心に傷を負い「孤立した」人たち

@YahooNewsTopics 組織面で従来の研究機関の性格の強い大学・大学院では、「心の相談窓口」だと、はっきり言って、アカハラや成長期に得た心の傷で、うまく人間関係を築けなくなり、心身の弱った学生を専門の医療的な機関に繋ぐのにも、役にたないと思う。

学部や研究科といった部局単位では、既にいくつかの大規模な大学・大学院だと、先輩学部生・院生が下の学年の学生の相談員になり、ケアにあたる相談窓口を置いているところもあります。正直、教職員ほど権限のない先輩学生を相談員に置いて、緊急対応が必要な相談者の学生に当たったら、どうするんだ?と私は考えていました。

 

@YahooNewsTopics 学校教育のことはさておき。大学に入学する年齢になっても、保健室が必要なの?それって、甘えなんじゃない?というご意見、確かにあります。先のYahoo!ニュース特集のページにも、そういう見方はありました。

 

じゃあ、家庭で虐待受けたり、小中高の成長期に、いじめ・いじり・からかい、構内暴力等の環境下で、安定した人間関係により、他者を信頼することを「身に付けられなかった」まま、成人年齢に達したりした学生は? 

 SOSを訴える場所を知らなかったり、そもそも他者に助けを求めても裏切られるかもと人間不信でいたり、他者に助けてもらうほどの価値がないと自己否定感の強かったり、そうして苦しんで大学に何とか通っている学部生は?そして、院生は?

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」」では、家で父親に怒鳴られ、怯えて帰宅できなくなっていた「夜の大学を徘徊している」学生、性的虐待を受けたりして、心に傷を負ったと考えられる「突然赤ちゃん返りして泣き出した」学生が、宍戸先生の口から語られました。 「彼らは虐待のような「言葉にできない苦しさ」をどうしていいかわからず、家庭以外でも対人関係をうまく築けないまま、孤立していた」そうです。

(「」内は、孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより引用

 

@YahooNewsTopics 放っておかれたまま、成人した学生はいませんか?私は自覚があったので、何とかケアしてもらえそうなところに、行きました。教職課程をとったことの理由のひとつは、自分ケアする場所を知りたかったからなんです。その知識は、現場に出たとき、役に立ちました。

今回のYahoo!ニュース 特集の孤立した学生たちは、苦しんでケアを受けられず、放置されたまま、身体だけ成人してしまったんじゃないでしょうか?

 

最後にひとつ。成長期の心の傷をケアしないままの人は、心身の耐久力が、そこが健康な成長の仕方をした人よりも、かなり低いんじゃないかと。そして、大学の研究室で上の立場の人から怒鳴られ、嫌がらせをされても、たぶん、受けたほうはアカハラだと気がつかないまま、心身を一段と衰弱させていくんじゃないかと。気がついても、「自分なんか、しょせん、嫌がらせ受けても当然という、価値のない人間だ」と自己否定感から、救済を諦め、SOSを発しない学生もいるのでは?

ある程度、心身が「健全な成長」をしていないと自己肯定感は持てないと思いますし、自己肯定感が少ない人の中には、

 ・食事をとらない

 ・身体を不衛生な状態におく

  (入浴しない・歯を磨かない等)

 ・ケガや病気をしても適切な治療をしない

  (治療を受けようとしない)

といった、自分を大切にせず*1、不健康にしてしまいがちな人もいると思われます。このような、生命維持の「放棄」に近づく行為も、頭髪を抜きまくる行為(抜毛)やリストカット、暴飲暴食といった目に見える「自傷行為」と同種のものに思われます。

 

Yahoo!ニュース編集部の取材した学生たちのように、心に傷を負い、孤立化した学生たちの身体的な健康のケアという意味でも、保健室は重要だと考えました。

 

 1-3.保健室でのケアは「孤立した学生」の人生を変えられる可能性を持つ

教育学外の私の推測で申し上げています。私は教育学や社会学を専門としてはいませんので、このあたりの研究教育機関の学生の心身のケア分野に関する先行研究があれば、読みたいので教えてください。もし、先に申し上げたような、心の傷を持ったまま成人した学生のケアを放っておくと、様々な社会問題を助長することになるかもしれませんよ。

 

下線部について、教育学・社会学のどちらの分野の論文でもありませんが、私立大学連盟の広報誌と思われる『大学時報』のバックナンバー「大学時報 第371号 」に、大学という研究教育機関に「保健室」に該当する施設の実情を伝える特集を見つけました。

小特集 保健室のいま

大学における保健室・学校医機能とその課題 川村 孝
女子大学におけるウェルネス・センターの役割 井上則子
これからの保健室~多岐にわたる役割~ 清水 芳

(大学時報 第371号 | 日本私立大学連盟より引用)

 

川村孝(((公社)全国大学保健管理協会 代表理事京都大学環境安全保健機構附属健康科学センター長、京都大学総括産業医))「 大学における保健室・学校医機能とその課題」によれば、

 メンタルヘルスの問題は大学生になって顕在化することが多い。親元を離れたり授業が選択制であったりして、自己決定の余地が大ききなる一方、積極的に世話を焼かれなくなるからである。自殺者も、前協議会*2の休・退学者調査に応じた国立大学の学部学生38万人において、年70件(男子54件、女子16件程度、学生1万人あたり年1.8件)、大学院生15万人において年20件(男子17件、女子3件、学生1万人あたり年1.4件)ほど発生する。大学にカウンセラーや精神科医を配置する所以である。

(川村孝「 大学における保健室・学校医機能とその課題」p.64~65(『大学時報』 第371号 、日本私立大学連盟より引用)

と、大学生になって精神的な健康状態の問題が顕在化する事実を指摘し、自殺者の数を挙げ、その対処のため、大学にカウンセラーや精神科医が配置されていることを述べています。川村氏の指摘から、帝京短期大学の保健室にやって来る「孤立する学生」たちは、 小中高時代にも増して「積極的に世話を焼かれなくなる」大学において、保健室に来なければ、ますます、心身が弱っていたかもしれません。そして、この事実は一部で指摘されてきた若年世代の自殺問題とも繋がってきます。

 

現在の大学に設置されている健康管理施設は、川村氏が解説するように、部局の整理統合により、大学・大学院の組織全体を担当する大きな機構やユニットになっているところが増えているそうです*3精神科医のいる学内の診療所とカウンセリングルームが分かれていて、どちらに行ったらよいか戸惑った経験のある私にとては、こういった健康管理施設に対して、敷居が高くなっているように感じました。気軽さを求めるなら、帝京短期大学のように、精神科医臨床心理士などの専門家に行く前に、ワンクッションとなる保健室と養護教員を置くほうが適切だと考えました(本記事の終盤で詳述します)。ツイートに戻ります。

 

@naka3_3dsuki 先のYahoo!ニュースのインタビューを受けた女子学生ユカさんの弟は、大学中退をしました。「通っていた大学で相談窓口がわからず足が遠のき、大学に勧められるまま中退した。自信を失い、いまも定職に就けずにいるという。」と。

こうしたことを背景とする若年世代の貧困化、そして先の心に傷を負った人が被害を受けても助けを求めない(もとめられない)ことで発生するアカハラの温床発生。長くなりましたが、気がついたので、連投ツイートをしました。

 

ユカさんは、

幼い頃から父親に暴力を振るわれ、同居する祖父母には、同級生と遊ぶことを禁止されるなど抑圧されていた。学校でもいじめられ、中学高校時代の居場所は出会い系サイトだけだった。だが高校2年生の頃にレイプされ、今度はリストカットをやめられなくなった。祖母には、みっともないと眉をひそめられるばかり。カウンセリングを受けたこともあったが、「警察の事情聴取と一緒で最初から順を追って話さないといけないし、時間がくれば打ち切られて、反射板に向かって話しているようだった」

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより引用

という。安心して悩みや苦しみを相談できる人と場所に行けず、今から10年前、帝京短期大学の保健室に来て、ユカさんは初めて心を開くことができました。保健室の富山先生には、病院に同行してもらって落ち着き、「無事に卒業して社会へ巣立つことができ、リストカットもやめられた」そうです。

 

同じ家庭環境で育ったと思われるユカさんの弟が、もし、保健室のようなところを入口にして、大学の相談窓口にうまく繋がれていれば、ひょっとしたら、大学を中退せず、自身をもって定職に就けていたかもしれません。Yahoo!ニュース編集部は、

文部科学省が2014年に発表した調査によると、大学・短大・高等専門学校の中退者数は、7万9311人。全学生の2.65%にあたる。中退の理由は様々だが、適切な支援があれば結果が変わっていた学生もいることだろう。

ユカさんは、「私は保健室があって救われた」と実感をこめて言う。

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

 と書いています。

 

 1-4.保健室を大学・大学院に置くべき理由

ここからは、小中高の保健室および養護教員と、大学・大学院の「心の相談室」やカウンセリングルームを含む健康管理施設との違いを、分けて説明します。その上で、保健室を大学・大学院にも置くべき理由を述べます。

 

@naka3_3dsuki 補足:

(その1)学校教育機関の小中高に置かれる保健室(および養護教員)と、研究機関である大学・大学院の「心の相談室」やカウンセリングルーム・窓口は、成り立ちから「似て非なる存在」。

(その2)後者の各種の相談室は、「健全な成長発達」した成人の学生を、対象としている模様。つまり、相手を精神的にも成熟した人間関係の築ける大人であることを、前提として作られた制度だと。でも、Yahoo!ニュース特集の記事を読むと、(その3)利用側の学生は、成長期に虐待や自己否定を受け続け、成熟した人間関係を築ける精神的な成長ができていないんです。

だから、心のケアをするという視点では、現在の大学・大学院には、各種相談室ではなく、保健室を置くべきだと私は考えました。そういう観点から取り組むと、大学にも保健室を置くことで、様々な社会問題の改善に(少しは)方向が向きそうだと思いませんか?

 

  その1.小中高の保健室および養護教員と大学・大学院の健康管理施設との違い

まず、大きな違いは、養護教員を置く義務・努力に法的な根拠があるか、否か。だいぶYahoo!ニュース特集の記事を戻ると、

ただ、養護教諭は、小中学校では学校教育法により原則として必置と定められているが(高校は努力義務)、大学では法的根拠がない。

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

という点に、大きな違いがあります。そもそも、養護教員というのは次のような職業です。

養護教諭とは、養護教諭免許を取得した教員のこと。明治時代の学校看護婦にルーツがあるが、1941年に教員となって看護婦免許に関係しない養成課程ができ、戦後の47年に養護教諭という現在の名称になった。応急処置レベルを超えた医療行為はできないが、医学や看護の知識・技能を持ち、子どもの健康問題に日常的に対処する。海外にもいるスクールカウンセラーやスクールナースがそれぞれ心と体に特化しているのに対し、養護教諭はあらゆる心身の健康問題を通してケアと教育を施し、子どもが自立できるよう支える日本独自の専門職だ。

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

つまり、日本の小中高には「あらゆる心身の健康問題を通してケアと教育を施し、子どもが自立できるよう支える日本独自の専門職」の養護教員がいて、その人たちは、児童生徒の心身にかかわるすべての世話と教育を促し、自立に結びつける働きをしているということ。その養護教員が置かれる学校内の場所が、保健室と一般的に呼ばれているのでしょう。

 

一方、保健室にいる養護教員の配置について、「大学では法的根拠がない」。ここから、孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースの内容に後半に移ります。「養護教諭の実践を研究してきた」藤田和也・一橋大学名誉教授によれば、保健室に相当する大学の施設は、

「保健センター」「保健管理センター」といった名称で、医師や看護師、保健師などのスタッフを置いている。「保健室」という名称を使う大学もあるが、ほぼ医療的なニーズに応えるもので、養護教諭のいる保健室とは根本的に異なる。

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

とのことです。「学生への精神衛生対策が叫ばれるようになった」1970年代、大学の「保健センター」等の医療的なニーズに応える、いわゆる健康管理施設のスタッフだった藤田氏によれば、早い話、大学生にとってこうした施設は、気軽に行きにくいところだったそうです。藤田氏曰く、

「ただ、ちょっと調子が悪い程度で病気じゃないという認識の学生にとっては、医師と向き合うことは難しい。それに、学生自身が自分の問題を明確に自覚していないかぎり、用のない者は入ってはいけないという空間では、相談の場として機能しにくい。

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

ということを感じていました。この1970年代以降というのは、養護教諭が時間をかけて保健室に「「開放性」と「受容性」」を獲得してきた時代であり、Yahoo!ニュースは、「「フラッと行ける」開放性と「ホッとできる」受容性を兼ね備えた場所は、貴重な存在だ。」と指摘している。

 

  その2.大学・大学院の健康管理施設の特質とは?

先の川村孝大学における保健室・学校医機能とその課題」によると、大学保健の特質の一つに、「②大学院を含む大学生の保健管理業務は、小・中・高等学校を想定した学校保健安全法の枠組みには収まらな」いということが挙げられる。一方、「③教育機関であるため、保健サービスにおいても学生を育てるという使命があること」が特質に挙がっている。

(以上、「」内の特質は川村孝「 大学における保健室・学校医機能とその課題」p.64(『大学時報』 第371号 、日本私立大学連盟より引用

 

川村氏の上げる大学保険の特質をもとに推測すると、大学生に対する保険管理業務は、小中高を想定した特定の法律の枠組みを超えて保健サービスを行い、学生を育てる使命を帯びているということになります。健康保健管理施設が学生に提供するのは、保健サービス。そのサービスを受けるには、その1の内容を踏まえて考えると、学生自身が自分の心の具合や体調をジャッジし、学内に複数ある施設のうち、どの診療所やカウンセリングルームといった、判断能力のある「健全な成長発達」した学生を前提としてると推察できます。

 

こういった大学・大学院の健康管理施設は、小中高のような保健室を設置した帝京短期大学に比べて、現在の学生のニーズから少し距離のある実態を持っているのではないでしょうか。

 

  その3.大学・大学院に現在の学生のニーズがあるから保健室が必要

本記事の最初のほうで私も書きましたが、Yahoo!ニュースの今回の取材で「藤田さんは「小中高のような保健室がある帝京短大のような大学は極めてレアケース。そもそも、養護教諭の存在を認識している大学がどれだけあるか」と話す。」と藤田氏の見方を紹介し、また藤田氏が保健室について、「それぞれの大学で、学生のニーズにあった機関のあり方を考えることが必要でしょう」」と述べたことを載せています。

 

10年間、帝京短期大学の保健室で学生の相談にのり、その経験から保健室が「実感として必要だと思います」と即答した養護教員の富山先生は、学生たちの現状に対し、次のように言いました。

「昔の子どもは地域や仲間に支えられていたし、何より最後は親が拠りどころになったけど、今は逆に、親が非常に緊張する相手という子も多いです。孤立感や自己否定感を持ったそうした若者に、昔と変わらない若者像を当てはめて同じレベルを要求するのは無理がある。そこに大人や社会が気づくべきです」

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

 

続けてYahoo!ニュースは、2015年度に児童相談所児童虐待相談として対応した件数が、2005年度の約3倍の10万3286件に増加したデータを挙げ、

周囲に気づいてもらえないまま大学生年齢に達してしまう被害者がいることも、想像に難くない。
ただ、もし家庭での支えが不十分であっても、保健室のように代わりとなる支えがあれば、成長は可能だというのが富山先生の実感だ。

孤立する学生を包み込む「大学の保健室」 - Yahoo!ニュースより)

と、児童虐待を受けて精神的に不十分な発達を抱え、身体だけ成熟していった人たちに対し、家庭に代わる場所として、保健室の必要性を訴えています。

 

繰り返しますが、精神的に「健全な成長発達」ができず、身体だけ成人に達した学生は、成熟した人間関係を築くのが困難です。序盤の様々な問題を抱え、保健室を訪れた帝京短期大学の学生たちは、家庭の外でうまく対人関係を築けず、孤立していました。傷ついた学生たちに対し、こうした手厚いサポートは「甘やかし」ではないと私は思います。今回紹介された保健室による支援は、孤立した学生たちが成長期に獲得できずに通り過ぎてしまった、精神的に「健全な成長発達」を補い、自立を促す方向の支援として必要なものだと言えるでしょう。

 

 

2.まとめ

結論については、1ー4で書いてしまいましたが、大切なことなので二度、申し上げます。帝京短期大学の保健室を実例として、成長期に家庭や学校等で虐待やいじめを受け、精神的に不十分な発達のまま、大学生になってしまい、対人関係がうまく築けず、孤立した学生のサポートを見てきました。現在の大学・大学院の健康管理施設は、全学に対する保健サービスの方向に向いており、また医療サービスを念頭において医師や看護師を配置した診療所や、臨床心理士のいるカウンセリングルーム等の複数の施設があり、気軽に利用したいという学生のニーズに合っていないと考えられます。

 

こうした大学・大学院の健康管理施設の現状は学生側には利用しずらいというデメリットがあります。学生が気軽に利用でき、かつ、心に傷を負い、人間関係がうまく築けない学生を支援するという観点から、今回の帝京短期大学のような保健室を他大学・大学院にも設置する必要がある。私はそのように考えました。

 

孤立し、傷ついた学生たちに、大学・大学院で気軽に立ち寄れる保健室を利用してもらうことで、彼らを支え自身を獲得させ、自立できるように促すことができるでしょう。一人一人に適切な支援を行い、心のケアを行うことは、ひいては学生自身が自分を健康に保てるようになり、安定した対人関係を築けるようになれれば、社会人として巣立ち、それが貧困化を防ぐことにも繋がるのではないでしょうか。また、研究の現場では、アカハラを受けたら、声を挙げ、適切な手続きを踏んで対処していける研究者を育てることもできると考えれらます。つまり、社会問題を少しは改善の方向に向けられるのではないか、ということです。

 

以上の文脈において、私は保健室が大学・大学院にも必要であると主張いたしました。

*1:「風呂に入るのがめんどくさい」は自分を大切にできていないサイン – メンヘラ.jp参照。

*2:国立大学法人保健管理施設協議会を指す。

*3:川村孝「 大学における保健室・学校医機能とその課題」p.63(『大学時報』 第371号 、日本私立大学連盟

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