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仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

【2017.4.28_2325追記】死後の人文学者の蔵書問題~「桑原武夫蔵書 遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪」(毎日新聞より)から考える~

<本記事の目次>

1.はじめに

本日も様々なニュースが、私のところに届けられました。その中でも、人文学者の死後の蔵書を遺族や弟子等の周囲がどうしたらいいのか、私が考えさせられたのが、次のニュースでした:

mainichi.jp

 

このニュースについて、私が問題だと感じた点は、

 ①人文学者の死後、学術的価値の高い膨大な蔵書の保管維持方法

 ②寄贈を受けた自治体の図書館が膨大な蔵書を管理することの困難さ

の2点です。

 

本記事では、毎日新聞のニュース記事の内容と桑原武夫の紹介をし上で、上記2点について考えていきたいと思います。

 

2.「桑原武夫蔵書  遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪」の内容および桑原武夫と蔵書の問題

 2-1.ニュース記事の内容

一般の方には、「桑原武夫って、誰?」という人もおられると思います。恥ずかしながら、私も大学入学まで全く存じ上げなかった、偉大な人文学者でした。この毎日新聞のニュース記事に、桑原武夫の人物について詳しく、分かりやすく書いてあります。毎度となってきておりますが、少々長いけれど、記録のためにニュース記事を全文転載させて頂きます。

 

桑原武夫蔵書 遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪

毎日新聞2017年4月27日 15時00分(最終更新 4月27日 15時00分)

 フランス文学者で元京都大教授、桑原武夫さん(1904~88年)の遺族から寄贈された蔵書約1万冊を、京都市が2015年に無断で廃棄していたことが、遺族側関係者などへの取材で分かった。利用実績が少なかったことから「保管の必要はない」と判断したという。市教委は判断が誤りだったと認め、遺族に謝罪した。

f:id:nakami_midsuki:20170427193210j:plain

(*関連記事のリンク中略 by 仲見満月)

 

 京都大人文科学研究所長などを務めた桑原さんは「ルソー研究」などで人文学に共同研究の手法を取り入れ、哲学者の梅原猛さんや故・鶴見俊輔さん、文化人類学者の故・梅棹忠夫さん、フランス文学者の故・多田道太郎さんらを育てた。戦後日本の知識人に大きな影響を与え、87年に文化勲章を受章した。

 

 蔵書は、和漢洋の古典や文学、哲学、風俗など。学術的価値の高い一部は京都大などが保管しているが、市は名誉市民でもあった桑原さんの幅広い関心を物語る貴重なコレクションとして88年に寄贈を受けた。 

f:id:nakami_midsuki:20170427193248j:plain

 

 市教委が遺族に伝えた報告によると、蔵書は当初、市国際交流会館(同市左京区)に書斎を再現した「桑原武夫記念室」で保管していた。2008年に新しく完成した右京中央図書館(同市右京区)に記念室を移した際、蔵書については市立図書館全体の図書と重複が多かったため、正式な登録をせずに旧右京図書館(同区)で保管。翌年に向島図書館(同市伏見区)の倉庫に移した。

 

 その後、向島図書館も改修のため保管できなくなり、施設管理担当の職員が右京中央図書館の職員に相談。この際、蔵書に関する問い合わせが08年以降1件のみと活用されている状態でなかったことや「目録があれば対応できる」との判断から、遺族に相談せずに15年12月に廃棄した。

 

 今年2月に一般利用者からの問い合わせで判明。市教委は3月、「先生の活動のもととなった貴重な蔵書を職員の認識不足で廃棄してしまった。取り返しのつかないことになり申し訳ない」と遺族に謝罪したという。

 

 遺族の一人は「相談さえあれば他に受け入れ先を探せたかもしれない。『桑原武夫』という存在が忘れ去られたようで残念だ」と話している。

 

 京都市教委は27日、蔵書の廃棄を了解したとして右京中央図書館副館長だった生涯学習部担当部長(57)を減給6カ月(10分の1)の懲戒処分にしたと発表した。【榊原雅晴】

(桑原武夫蔵書:遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪 - 毎日新聞)

 

  2-2.桑原武夫について

京都の図書館で起きた蔵書破棄の報道について、「地域の重要人物から受けた蔵書を破棄してしまった」だけでは済まない、様々な問題をはらんでおります。その問題の重さとして、まずは蔵書の持ち主であった桑原武夫について、ニュース記事から分かる、簡単なプロフィールにまとめてみましょう(有名かつ大家の学者ということで、敬称なしとしました)。

 

 ●桑原武夫(1904~88年)

 フランス文学者で元京都大教授の人物。京都大人文科学研究所長などを務めた桑原さんは「ルソー研究」などで人文学に共同研究の手法を取り入れ、哲学者の梅原猛さんや故・鶴見俊輔さん、文化人類学者の故・梅棹忠夫さん、フランス文学者の故・多田道太郎さんらを育てた。戦後日本の知識人に大きな影響を与え、87年に文化勲章を受章。

 蔵書は、和漢洋の古典や文学、哲学、風俗など。学術的価値の高い一部は京都大などが保管しているが、市は名誉市民でもあった桑原さんの幅広い関心を物語る貴重なコレクションとして88年に寄贈を受けた。

(以上、桑原武夫蔵書:遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪 - 毎日新聞より再構成)

 

京都大学で教鞭をとり、京都大学人文科学研究所*1で所長を務めたということに加え、

など数々の功績によって、京都大学の中でも大家と呼ぶべき、偉大な人文学者と言ってもよい人物です。

間接的にですが、分野的に、私とは個人的に色々と気になる人物でもあります。第一に、桑原武夫の育てた梅棹忠夫は、太陽の塔の麓の国立民族学博物館の初代館長であり、アフリカの調査では現地の酒瓶ラベルを剥がし、スクラップブックに貼り付ける等、とにかく、記録魔な人物であったらしく、院生時代に指導教員が記録魔な私に梅棹忠夫のことを教えてくださいました。第二に、桑原武夫の父親で京都帝国大学教授の東洋史学者・桑原隲蔵(じつぞう)は、同時代の東洋史学者である「内藤湖南・狩野直喜とともに京都派東洋史学を確立し、清朝考証学の伝統と西洋の文献学的方法を総合し、中国史・東西交渉史に優れた業績を残した」人物でした桑原武夫は、この父親を通じて、同年代の様々な学者たちと交流し、京都学派の中心人物の一人になっていったようでした。第三に、院生時代の知り合いの先生が京都の大学に勤務時、東アジアのことを研究していらした時、ご自宅が桑原武夫とご近所さんであり、その先生に「君!研究するなら、朝鮮だけでなく、中国のこともしっかりやりなさい!」と近所で会った時に、言われたことがあったそうです。

 

そういう感じで、私個人にとっても、分野やエピソードである意味「身近」で、フランス文学者と言う枠にとどまらない偉大な人文学者だったわけです。また、各方面への影響力は桑原武夫 - Wikipediaをお読みいただけたら、分かっていただけるのではないかと思います。

 

 2-3.桑原武夫の蔵書と死後の人文学者の膨大な蔵書問題

もともと、桑原武夫福井県生まれの京都育ちであり、先のエピソードにもあるように京大に勤務し、京都市内に在住し、数々の功績から京都市の名誉市民であったと考えられます。日本の人文学の分野において、広範囲に仕事をされた学者であり、今回のニュース記事を読むと、桑原武夫の蔵書は「蔵書は、和漢洋の古典や文学、哲学、風俗など。学術的価値の高い一部は京都大などが保管して」たが、「市は名誉市民でもあった桑原さんの幅広い関心を物語る貴重なコレクションとして88年に寄贈を受けた」とのことです。

 

ニュース記事の写真画像2枚目の目録を見て頂くと分かりますが、遺族から寄贈された蔵書目録の一部だけで、かなり分厚いことが窺えます。父親東洋史学者で、子の桑原武夫も人文学者ということで、おそらく、遺族のもとには二人分の膨大な蔵書が遺されたと推測できます。今回、無断廃棄されたと分かったのは1万冊です。

 

 

人文学研究者の重要な研究道具が、文献。もっといえば、本・書籍の類いであり、同じタイトルの本であっても、バージョンの違いによる本文の文章内容の移動、掲載されている挿絵や画像の質の違いによって、その違い自体の研究のために、同じ本を何冊も所持していることがあります。外国文学や海外の先行研究の本を収集している場合は、洋書や漢籍等、それから古い時代の本をたくさん所持しているケースがあります。これは、社会学系の研究者にも同じことが言えます。つまり、文系研究者の蔵書は、凄まじい数の本によって成り立っているのです。

 

現在、私も直面しているのですが、文系研究者の膨大になりがちな蔵書は、現代日本の狭小な住宅事情と相性が悪く、どの文系研究者も頭を悩ませている問題。自家製本のすすめと「学術書」~グルースティックによるコピー論文の製本を通じて~ - 仲見満月の研究室ではコピーを製本するだけでなく、学術図書の「自炊」で苦労した話 - 仲見満月の研究室のように、分厚い学術図書をスキャンし、外付けHDDに保存したり、本ではなく学術機関リポジトリと論考PDF管理の話 - 仲見満月の研究室のように論文記事単位でPDFだけで保存したり、色々と工夫はしています。が、それだけは蔵書のとる物理的なスペースは減りません。

 

私の遠い親戚に当たる某大学の経済学部教授は、一軒家に住んでおり、大量の蔵書の重さで一階の床板を盛大に抜いてしまった人でした。その事件を知っていた私の親もまた「本の虫」であり、実家の改修時、大量の本の重さに耐えられる木材で床と本棚を造ってしまう人たちでした。そういうわけで、これらの蔵書を管理を目的もあって、私は図書館司書課程の授業を受講していました。

 

 

話をもとに戻しましょう。桑原武夫本人が生前に管理目的で、目録を作成したのかもしれません。しかし、特に人文学を専攻せず、管理のスキルのない遺族であれば、人文学者の膨大な蔵書は、狭小な住宅の多い現代日本の個人宅では、蔵書目録があったとしても、スペースの問題で保管維持が困難だと考えられます。学術的価値の高い蔵書であり、社会に広く役立てて欲しいものの、遺族の故人宅では管理が難しい。何せ、廃棄された分だけで1万冊であり、小さな公立図書館ほどの量です。そのような事情もあって、桑原武夫の蔵書の一部を京大など、別の一部を「市は名誉市民でもあった桑原さんの幅広い関心を物語る貴重なコレクションとして」88年に京都市に寄贈し、それぞれに管理を任せたのかもしれません。

 

 

 3.自治体の図書館で人文学者の膨大な蔵書を管理・維持する困難さ

さて、この項では私が問題と感じた、②寄贈を受けた自治体の図書館が膨大な蔵書を管理することの困難さについて、桑原武夫の遺族から寄贈を受けた京都市の例を通じて、考えたいと思います。

 

 3-1.京都市の自治体図書館について~市立図書館がない理由~

実は、京都市政令都市、いや市町村としては珍しく、厳密には市立図書館は存在しません。4月27日のツイートしたように、

仲見満月 👻経歴「真っ白」博士‏ @naka3_3dsuki

少し調べたのですが、京都市には市立図書館がありません。すべて、京都市○○図書館です。市民の寄付で財団等が作られ、その団体に京都市から予算が出る形で、京都市図書館は運営されています。 / “桑原武夫蔵書:遺族に無断で1万冊廃棄 京…” https://t.co/SxwF9EUibo

ということです。京都市図書館の概要 - 京都市図書館のページでご確認頂くと分かりますが、例えば「京都市中央図書館」はあっても「京都市立図書館」はありません。なぜ、自治体立図書館がないかというと、先の「京都市図書館の概要」のメニュー→「京都市図書館の歩み」のPDFを見ると、戦前から京都市には市の図書館の前身となる施設「京都市社会教育会館」での図書の貸出サービスはあったものの、市立図書館は設立されていません。その理由は、院生時代の図書館学の先生によると、京都市内には京都府立図書館京都府立総合資料館等の比較的大きな図書館施設があり、京都市で市立図書館を設置する必要を感じなかったからでは?ということが指摘されていました。

 

院生時代の図書館学の先生の指摘の真偽は不明ですが、京都市の市民には市の図書館を求めていた人がいたようで、「京都市図書館の歩み」のPDFの昭和52年2月22日、

富田保治氏が図書館建設資金1億円を寄付される
(以後55年8月27日までに5回にわたり総額4億円を寄付される)

「京都市図書館の歩み」のPDF

という京都市の実業家の行動を受け、

 昭和52年3月12日に「京都市社会教育総合センター図書館基金条例制定施行」

→昭和56年2月6日:「京都市教育委員会事務局内に京都市社会教育総合センター・京都市中央図書館開設準備室設置」

→昭和56年3月16日:「財団法人京都市社会教育振興財団設立」

→昭和56年4月1日:「京都市図書館条例施行中央図書館設置」

→昭和56年4月13日:「中央図書館開館」

の流れで京都市内の地域ごとに市図書館が設立され、オープンしていきました。京都市各図書館を運営しているのは財団法人京都市社会教育振興財団」であり、過去に私がグループワークで調べた時の京都市の行政資料(京都市各図書館に所蔵)では、この財団に京都市から予算が渡され、その予算で市図書館が運営されていることが分かりました。

 

私の推測ですが、京都市図書館の職員は「財団法人京都市社会教育振興財団」の職員であり、京都市の職員そのものとして採用されてはおらず、この財団のほうで別途に図書館職員を雇用していたのではないでしょうか。 

 

 3-2.桑原武夫の蔵書破棄はどうして起こったのか? 

京都市図書館が桑原武夫の蔵書を破棄してしまったのは、いくつかの原因が考えられます。遺族から寄贈された蔵書の行先の経緯を見ていくと、次のようになっています。

  • 蔵書は当初、市国際交流会館(同市左京区)の「桑原武夫記念室」で保管
  • 2008年、新しく完成した右京中央図書館(同市右京区)に記念室を移した際蔵書については市立図書館全体の図書と重複が多かったため、正式な登録をせずに旧右京図書館(同区)で保管
  • 翌(2009)年、向島図書館(同市伏見区)の倉庫に移動
  • その後、向島図書館も改修のため保管できなくなり、施設管理担当の職員が右京中央図書館の職員に相談。この際、蔵書に関する問い合わせが08年以降1件のみと活用されている状態でなかったことや「目録があれば対応できる」との判断から、遺族に相談せずに2015年12月に廃棄

(桑原武夫蔵書:遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪 - 毎日新聞より再構成、下線部は仲見満月が引いた)

 

経緯を見ると、蔵書にとって運が悪かったのは、記念室の移動後、市図書館の蔵書として正式に目録登録がされずに記録上の管理を外れてしまったことに加え、2000年代の後半から2010年代前半にかけて、京都市各図書館が閉館・改修となり、蔵書をまとめて保管する場所が確保できなくなってしまったことだと思われます。

 

記念室の移動後、市図書館の蔵書として正式に目録登録がされなかったのは、京都市図書館が全体として、2008年の時点で蔵書できる許容量を超えてしまっていたのではないでしょうか。私は京都市各図書館を使ったことがあるのですが、お世話になったこともあり、学術書を寄贈しようと連絡した際、図書館の蔵書と重なる場合、京都市図書館が受け取っても処分されることがあるというお返事を頂いたことがありました。つまり、現在の京都市図書館の全体で蔵書のキャパシティを超えてしまっている可能性があったのです。これは、京都大学をはじめ、日本全国の多くの大学図書館についても同じことが言えるでしょう。

 

学術的価値のある桑原武夫の蔵書であったとしても、既に市図書館の蔵書とその多くが重複していれば、市図書館の目録への登録が見送られたとしても、不思議ではありません。京都市は、2016年12月の全国自治体「財政健全化ランキング」ワースト10 | ZUU onlineによると、9位にランクインする状態とも言われ、「財団法人京都市社会教育振興財団」へ出資する予算も限られていたのでしょうか。指定管理者制度により、「市民に安価で効率的なサービスを提供する目的で、公立図書館が図書館業務専門の会社等を通じて」、この財団に派遣された非正規の図書館職員が多忙で、桑原武夫の蔵書をまとめて目録登録する余裕がなかったのでしょうか。真相はわかりませんが、少なくとも、市図書館に受けれようとした時、既にある図書館の本と重複があったため、正式な目録登録を見送られて記録上の管理が難しくなったと言えます。

 

 

更なる追い打ちは、京都市各図書館が閉館・改修となり、蔵書をまとめて保管する場所が確保できなくなってしまったことです。先に指摘した蔵書のキャパシティを広げるためにも、京都各図書館の閉館・改修は行われたと思われ、そこに正式な目録登録をされていない桑原武夫の蔵書がたらい回しにされた結果、「蔵書に関する問い合わせが08年以降1件のみと活用されている状態でなかったこと」もあって、遺族に相談せず、2015年の年末に廃棄されてしまったと考えられます。「市民に安価で効率的なサービスを提供することが目的となっているところの多い昨今の公共図書館では、利用数が少なかったり、問い合わせがなかったりする蔵書は、「市民には必要とされない蔵書」として相談の上、破棄されたとしても仕方がない面はあります。

 

桑原武夫が線を引き、書き込みをしたという本があり、人文学者たちにとって、いかに学術的な価値のある蔵書であっても、問い合わせが数年に一度であれば、多くの京都市民に取っては必要のない本の塊と判断されても、しょうがないんです。研究者の端くれとして、平常は所蔵しておき、必要な時に取り出して使う図書館にあった本は、効率性を重視し、蔵書であふれかえっている今の日本の公共図書館では、非常に保管・管理・維持が難しい状態になっていると言えるでしょう。このことは、京都市だけの問題ではないのです。

 

桑原武夫の蔵書が1万冊ほど廃棄された京都市のケース以外にも、石川県穴水町の町立図書館が民俗学の研究者の男性から寄贈された本2179冊のうちの1873冊を破棄したケース:

www.j-cast.com

や、宮崎県木内町が町民から寄託・寄贈された歴史・民俗史料などを最大で700点以上無断廃棄した事例があります:

www.the-miyanichi.co.jp

これらのケースは、その価値を知っている職員がいなかったことや、寄贈者と明確な取り決めをしていなかった点に原因があったと言えるでしょう。しかし、私は、専門職員がいたとしても、自治体の公共図書館に余裕がなく、市民の利用の頻度が低くければ、廃棄を決定されても仕方ないと思います。それほどまでに、今の日本の図書館には余裕がないのです。

 

 

4.人文学者の死後の蔵書はどうすべきか~結びに替えて~

今回の京都市図書館が桑原武夫の蔵書を、遺族に無断で廃棄してしまった事は、残念ではありますが、結果的にどうしようもなかったと私は思います。事前に遺族に対して相談していれば、遺族が引き取れていたかもしれませんが、多忙な財団の図書館職員は、速やかな決断を迫られていたのかもしれません。また、相談されたとしても、遺族のほうで1万冊もの蔵書をどうするのか、途方に暮れてしまっていたかもしれません。遺族が蔵書を引き取っても、また別の団体に保管や管理をお願いしていた可能性は否定できません。

 

 

桑原武夫の蔵書廃棄の件を踏まえて、人文学者の膨大な死後の蔵書を保管・管理・維持するには、我々はどうしたらよいのでしょうか。

 

まず、最低限しておくべきは、生前の持ち主が全部の蔵書を目録に起こしておくことです。どこかに寄贈する際、全体の本のデータを把握できれば、寄贈される側も管理がしやすくなります。

 

次にしておくべきは、できたら生前に持ち主が信頼のできる大学や研究機関等、または団体に、寄贈および管理の取り決めをしておくことです。もし、受け入れ側に余裕がなければ、重複分の蔵書の処分を許容する覚悟も必要かもしれません。

桑原武夫の蔵書の一部は、出身大学であり、勤務していた京大が一部を引き受けました。私の身近な某東洋学者は、退職前に蔵書目録を自分で作成し、勤務先の研究機関の図書館に取り決めをして、寄贈されました。その学者先生は桑原武夫ほどの方ではありませんが、私が知っている限り、高い業績をお持ちであり、その価値を認めた研究機関は受け入れを決めたそうです。別の東洋学者の場合、死後に著作集や蔵書目録の出版や作成が続くことが分かっていたらしく、育てていた後継者の学者と勤務先の大学が事業を引き受けて、完成させました。今はその大学の図書館に、著作集全巻を含む「○○先生文庫」というコレクションがあり、申請すれば閲覧できるようです。

 

三つめは、蔵書の引き受け先がない場合、弟子や勤務先、所属学会等の人たちに連絡して、分けて持っていってもらうことでしょうか。故人の業績と蔵書の学術的価値を理解してくれる方々に、遺族が頼んで連絡を広く回してもらい、取りに来てもらう。もしくは、送料を送り手か受け手が負担して、引き取ってもらう。

 

 以上の3つの方法が、私の現時点で考え得る方法です。

 

 

今回の蔵書破棄問題について、もう一つ、私が懸念しているのは、 自治体に専門職員がいたとしても、自治体の公共図書館に余裕がなく、市民の利用の頻度が低くければ、廃棄を決定されてしまうことがあるという点です。上述のとおり、日本各地の大学図書館でも同じような状態になっていて、下手すると、在野で研究しようとした時、分野やテーマによっては引っ越して蔵書のある図書館のある地域に住まないと、研究ができなくなる恐れがあるんです。特に、本が重要な研究道具である文系分野では、図書館に余裕がなくなる状態が進行すると、職業研究者でも、在野研究者でも、自分で本を持っていないと研究ができなくなる危険があります。

 

桑原武夫の蔵書廃棄は、今日の人文学者にとって様々な問題をはらんでいることを述べてきました。この件を通じて、より広い範囲の問題について、読者の皆様に考えて頂けたら、幸いです。

 

 

5.関連するtogetterまとめ(2017.4.28_2325追記)

桑原武夫蔵書の無断廃棄について、togetterまとめを見つけましたので、リンクを貼っておきます:

togetter.com

 

 

6.続編のお知らせ

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

 

<関連記事>

naka3-3dsuki.hatenablog.com

naka3-3dsuki.hatenablog.com

*1:映画「君の名は。」ヒロイン・宮水 三葉の父親・俊樹(旧姓・溝口)が結婚前、民俗学者として所属していたK大学の研究機関のモデルだと思われる場所。詳しくは、こちら:

 

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