仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

成立過程が歴代王朝の正史・明清の国家的編纂事業に似た「中国版Wikipedia」"Chinese Encyclopedia"計画(engadget日本版より)

<長い中国の歴史と"Chinese Encyclopedia"計画の繋がりについて>

1.はじめに

2017年の”黄金周”の後半初日3日、私は二度の中国訪問体験を中心にして、次の記事を書きました:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

書く過程で、中国の近況を調べていたところ、中華人民共和国政府が「2万人もの人員を投入」して、中国政府公式のオンライン百科事典を構築させるらしい、というjapanese.engadget.comのニュース記事に遭遇。ざっと読んで、ツイートしました: 

仲見満月 👻経歴「真っ白」博士‏ @naka3_3dsuki
成立過程が歴代王朝の正史を彷彿とさせます:
中国政府、中国版Wikipedia構築のため2万人を雇用へ。2018年公開に向け30万以上の項目を掲載 - Engadget 日本版

japanese.engadget.com

 

ツイートしたところ、思った以上に反応がありました。現在、中国史自体は私の専門ではありませんが、自宅の本をあさって再読したところ、ちょっとニュース記事について書けそうな感じ。今回の中国政府の"Chinese Encyclopedia"は、中国歴代王朝の正史の成立過程、それから明の『永楽大典』や清の『四庫全書』等の国家的編纂事業と人の使い方・編纂と同時期に情報統制が行われたこと(特に清朝)が似ているように思い、ちょっと頑張って書いてみることにしました。

 

f:id:nakami_midsuki:20170504170324j:plain

 (イメージ画像:漢文)

 

 

2.「中国政府、中国版Wikipedia構築のため2万人を雇用へ。」について

 2-1.ニュース記事の内容

コメントをする前に、先のニュース記事の内容を見ていこうと思います。短い記事ですので、全文を転載させて頂きますこと、ごめん下さい。

 

中国政府、中国版Wikipedia構築のため2万人を雇用へ。2018年公開に向け30万以上の項目を掲載

「文化の万里の長城」は真実を記すか

Munenori Taniguchi 15 時間前 in Internet

 

中国政府が、独自のオンライン百科事典サイト"Chinese Encyclopedia"を構築するため、およそ2万人もの人員を投入する計画だとSouth China Morning Postが報じています。サイトのオープンは2018年の予定。


中国にはすでに百度(バイドゥ)や奇虎360(Qihoo 360)らが独自に百科事典サイトを運営していますが、これらはWikipediaに比べて小規模なものでしかありません。ただ、その理由としては中国政府による検閲が厳しく、結果として大幅にエントリーが間引きされるという事情もあるようです。

 

その中国政府がわざわざ人海戦術で作ろうとしている新しいオンライン百科事典サイトは、100以上の細かい分野を網羅するために2万人の執筆者と数千人の学者を起用しているとのこと。

 

Wikipediaに肩を並べるのでなく、追い越すことが最終的な目標だ」と鼻息も荒いプロジェクトリーダーYang Muzhi氏は、オンライン百科事典が中国の科学技術開発促進と歴史遺産などの記録が社会主義のコアな価値促進に寄与すると説明します。

 

中国には約7億2000万人ものインターネットユーザーがいるとされます。しかし皮肉にもその人達は社会主義に置ける厳しい検閲によって自由なインターネットへのアクセスを制限されている状態です。

 

2015年、中国の烏鎮(ウーチェン)で開催された世界インターネット会議(World Internet Conference)では、中国は世界最先端の検閲技術を駆使していることを公言し、習近平国家主席は政府によるインターネット検閲を正当化するスピーチを展開しました。

 

そんな中国政府が作るオンライン百科事典にどれだけ人員を投入したところで、できあがってくるのは国のために都合が良い内容を集めたものになりそうなことは容易に想像できるところ。見込みは薄いものの、それが人々に少しでも「正しい知識」を与えるものになることを願うばかりです。

(中国政府、中国版Wikipedia構築のため2万人を雇用へ。2018年公開に向け30万以上の項目を掲載 - Engadget 日本版)

 

 2-2."Chinese Encyclopedia"計画と歴正史の成立過程および明清の国家的編纂事業の類似点

まず、今回のニュース記事を読んでいてツッコミを入れたかったのは、「"Chinese Encyclopedia"を構築するため、およそ2万人もの人員を投入する計画」という点です。明らかに、中国の歴代王朝によって行われた「正史」の複数人による官僚による編纂≒官修、多数の学者を起用して編纂させた明の『永楽大典』や清の『四庫全書』の編纂過程と重なります。ちなみに、『永楽大典』に動員された学者が2169人ということで、"Chinese Encyclopedia"に投入される人員の約10分の1というところに、不思議なものを感じました。

 

 2-2-1.中国史の王朝交代における正史編纂の意義と"Chinese Encyclopedia"の関係

司馬遷の『史記』に始まり、後には歴代王朝のオフィシャルな歴史書となっていった「正史」は、『漢書』以降は『三国志』までは一人の人物による編纂≒私撰だったものが、後に滅亡した王朝に関する正史を後代の王朝が編纂することが制度化されると、膨大な情報を扱うようになり、結果、王朝が「史館」や「史局」といった部署を設け、複数人の官僚を置いて正史を編纂させる官修のシステムが整えられていきました

 

各正史の巻数や著者・成立年代、および編纂システムについて話は、次の本に詳しく書かれています:

 

 

 

正史をつくる事業は、時代を経る中で、次代の王朝が自分の政権の正統性を示すため、一種の装置としての目的を帯びていきました。それは、「易姓革命」をもとにした王朝交代と深い関係にあります。孟子の唱えたとされる「易姓革命」の理論は、拙記事の現代史を知るための「擬人化」世界史漫画~ゆげ塾『ゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史』:中国編~ で紹介した書籍p.58あたりの非常にざっくりした説明では、

地上の支配者である天の子(=天子)は天の代行者にすぎず

天の意思に基づいて支配しているはずの世の中が乱れているということは 

すなわち天の意思に反しているということである。

 

そうなった場合

 

天子は自ら進んで位を譲る(=禅譲

または

武力をもって倒してもよい(=放伐

 

※天子≒皇帝

 

ゆげ塾『ゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史』飛鳥新社、 2015年、p.58あたり) 

というものです。この理論によって、現君主が民にとって悪い人物であれば、その君主は「天命」に反しているとして、 その君主を農民である民が倒し、自分が新しい君主となってもよい、という考えに繋がりました。そういうわけで、中国では何世代にもわたって王朝が交替し、次の王朝には正史によって自分の政権の正統性を示し、別の勢力に倒されないように権威づける必要があった、というような説明が『ゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史』p.59~63にありました。

 

この王朝(や政権)交代の中において、現在の共産党の中国政府自身も含まれている自覚、および共産党も次の政権に倒される恐れを抱いているからなのか、それとも現政権は自らを権威づける必要性が王朝交代の積み重ねとして中国文化に浸透しているのか、そのあたりは不明です。少なくとも、正史の成立過程と背景を踏まえると、ニュース記事にある、

Wikipediaに肩を並べるのでなく、追い越すことが最終的な目標だ」と鼻息も荒いプロジェクトリーダーYang Muzhi氏は、オンライン百科事典が中国の科学技術開発促進と歴史遺産などの記録が社会主義のコアな価値促進に寄与すると説明します。

中国政府、中国版Wikipedia構築のため2万人を雇用へ。2018年公開に向け30万以上の項目を掲載 - Engadget 日本版

というポイントは、共産党の中国政府が自分の政権の正統性を示す事業の一つとして、今回の"Chinese Encyclopedia"計画を推進する意思を持っていると言えそうです。

 

  2-2-2.明清の国家的編纂事業と"Chinese Encyclopedia"計画の関係

さて、次に明の『永楽大典』や清の『四庫全書』等の国家的編纂事業とChinese Encyclopedia"計画の関係を見ていきましょう。これらの事業が似ている点は、

  1. 編纂されるものがある考えのもとに行われていること
  2. 編纂と同時期に情報統制が行われたこと(前者は特に清朝

の2点です。

 

元朝の滅亡後、14世紀後半に建てられた明、満州族が成立させ、後に中国文化を重視した政策を積極的に行うようになった清。この両王朝では、王朝側によって膨大な人員と資金が注ぎ込まれ、国家的編纂事業が行われました。このあたりのことついて、一般の方向けに簡潔な文章で書かれた次の本を読んで、話をさせて頂きます:

『詳説 世界史研究』によると、明の初代皇帝・洪武帝は「朱子学を官学として儒教主義による国家体制の確立に努め」ました(p.247)。その思想的基盤の上に、第三代皇帝・永楽帝は、資金と人員を使って編纂事業を行います。その代表的な『永楽大典』は、「古今の膨大な文献を分類・編纂した類書(多くの書物から類似の事項を集めて分類し、まとめた百科事典形式の書物、『デジタル大辞泉』より)であり、2169人もの学者が投入され、出来たのは全2万2877巻*1さらに永楽帝は、「従来の朱子学の学説を集大成した『四書大全』『五経大全』『性理大全』をも編纂させました。これら図書の編纂事業は、官学とされた朱子学に対して、

教育の普及や類書・辞典などがさかんにつくられる基となったが、その一方で、朱子学の解釈が統一され、また科挙試験の拠りどころとして使用されたところから、思想が固定化され、新たな学説の発展がみられなくなった。

(『詳説 世界史研究』p.247)

という形の影響を与えました。つまり、明の国家的編纂事業は、官学の朱子学をベースに行われました。そして、編纂事業の結果、「思想が固定化され、新たな学説の発展がみられなくなった」ことから、何やら、次の清の情報統制につながるような指摘がされています。

 

明の編纂事業を踏まえると、"Chinese Encyclopedia"はニュース記事によって「社会主義」の思想と関係が深く、その「価値促進に寄与」する狙いがあると報道されており、結果的に物事の捉え方を固定化する結果を迎えそうだと、私は邪推しております。

 

 

さて、次の清では、康熙・雍正・乾隆の皇帝三代の間、「豊かな財力を背景に学芸を奨励して漢人学者を優遇し、大規模な編纂事業」が実施されました。『詳説 世界史研究』p.260を参考にすると、次のように整理できます。

  • 『明史』(332巻、康熙帝時代に始まり、完成は乾隆帝時代)
  • 康煕字典』(42巻)
  • 『佩文韻府』(106巻)
  • 『古今図書集成』(古今の文献から関係事項を取り出して分類した類書、1万巻)
  • 『四庫全書』(全3463種類、7万9582巻、乾隆帝時代に1773年から10年を費やして、古今の書物を全国から集め、経・史・子・集の四部(四庫)に分類編集した一大類書)
  • 『五体清文鑑』(満州・漢・蒙(モンゴル)・蔵(チベット)・回(トルコ)の各言語を対比させた辞書)

特に、乾隆帝の時代に『四庫全書』は、2010年代以降の東洋学でも色々と使用される漢籍になっています。

 

こうした清の国家的編纂事業には、

  • 学者を編纂事業に没頭させて政治的な目をそらさせること
  • 中国内に残る異民族を敵視する反清的図書を検閲・没収する

といった意味が含まれていたとされます。『四庫全書』編纂時には、「530種・1万3800巻余りが禁書として焼却された」り、「文字の獄」として時の皇帝や朝廷に対する批判的な著述箇所があった場合には処罰される「筆禍事件」がこの皇帝三代の時に多く起こっていたり、厳しい思想・言論統制が行われていました*2

 

現在の中国は、多民族を領域に抱えながら政治的にいろいろと四苦八苦していますが、そのベースは清代に満漢をはじめ数億の多民族を擁したことにあったと言えるでしょう。言語や習慣といった文化の異なる民族がいれば、領域内で対立があり、反乱が起こるわけで、清が安定した支配のために厳しい思想・言論統制をせざるを得なかったことは、想像に難くありません。

 

清の国家的編纂事業が、思想・言論統制(今でいう情報統制)とセットで行われた背景は、次のように考えられます。例えば、膨大な情報量を誇る『四庫全書』のような類書の編纂過程で、清の政権にとって危険となる書物や考えを取り除き、清の支配に都合のよい考えを世の中に広めていく作業を推し進める意図が私には感じられました。

 

膨大な情報量を扱う類書の編纂と同時に、時の政権にとって危険となる情報を取り除き、支配者にとって都合のよい考えを広める作業を行う事業。今回の "Chinese Encyclopedia"計画において報道されている範囲での共通点は、

  • 中国政府が作ろうとしているのは、新しいオンライン百科事典サイトは、100以上の細かい分野を網羅するもの
  • 百度(バイドゥ)や奇虎360(Qihoo 360)らが独自に百科事典サイトが、中国政府による検閲が厳しく、結果として大幅にエントリーが間引きされるという事情

中国政府、中国版Wikipedia構築のため2万人を雇用へ。2018年公開に向け30万以上の項目を掲載 - Engadget 日本版

の2点に加え、ニュース記事の指摘するように、「できあがってくるのは国のために都合が良い内容を集めたものになりそうなことは容易に想像できるところ」です。

 

 

3.まとめ

以上、長々と見てきましたように、今回の 中国政府による「中国版ikipedia」"Chinese Encyclopedia"計画とは、

  • 歴代王朝の正史の成立過程や背景との関係から検討すると、現政権が自分たちの正統性を示し、政権を倒されないため
  • 膨大な情報量を扱う類書の編纂と同時に、時の政権にとって危険となる情報を取り除き、支配者にとって都合のよい考えを広める作業を行うため

の2つの目的があると考えられるでしょう。そこには、

  • 易姓革命」をもとにした王朝交代
  • 多民族をその領域に抱えながら安定した支配を行う必要性

 の中国の歴史な背景が垣間見えます。

 

中国政府による"Chinese Encyclopedia"計画は、「国のために都合が良い内容を集めたものになりそう」ではありますが、日本と同様に、食いっぱぐれている研究者が中華人民共和国にも多数存在する(私の知人・友人も含む)と聞くこの時代。この事業に投入される2万人には、せめて生計の足しになるだけの給与が支払われますように、と複雑な思いを私は抱きました。

(おことわりしておきますが、私は"Chinese Encyclopedia"計画には賛成、反対のどちらの立場でもありません

 

ここで、本記事の本編は一旦、おしまいです。長くお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

4. 余談:その後『清史』編纂はどうなった?

 今回の"Chinese Encyclopedia"で正史のことを調べていて、ツイートしたのが

仲見満月 👻経歴「真っ白」博士‏ @naka3_3dsuki 
ついでに言うと、「清朝の正史は2010年代半ばの完成予定だったらしいけど、まだ完成しないの?中華民国のほうは、完成させちゃったんですけど」という、ぼやきつきです。

 というものです。

 

実は、清の正史だけ「清史稿」という形のまま、長い間、編纂が中途半端にストップしていたらしいのです。清史稿 - Wikipediaによれば、辛亥革命後、孫文から中華民国大総統の地位を譲らせた袁世凱は、

中華帝国の)皇帝即位への思惑を含めて清史館を設立して、清朝の遺臣である趙爾巽を館長に任命、柯劭忞らが編纂主任となり、「清史」の編纂を開始した。約100人余りが編纂に参加した。

清史稿 - Wikipedia

そうですが、財政難と袁世凱死後の政治的混乱から編纂作業は遅れに遅れつつも、1927年に脱稿を迎え、「清史稿」として1928年に出版されました(関内本)。『「正史」はいかに書かれてきたか』によれば、「その後度々改定を加えてこれまでのところ、何種類かの異本があり」(同書p.134)、全体は本紀25巻、志142巻、表53巻、列伝316巻の計536巻という存在感をもつようです。ちなみに、この「清史稿」の中華書局版のペーパーバックは、大学図書館で何度か見かけましたが、巻数に圧倒されます。

 

編纂中は、東アジア近代の動乱の時期にありつつ、

清朝の遺老たちが、清朝滅亡後まもなく取り組んだということもあって、その書物としてのスタイル、叙述の仕方は、従来の伝統的な正史のやり方を忠実に踏襲していて何ら変わることがない。

「正史」はいかに書かれてきたか』p.134)

方法で編まれたそうです。

 

中国の正史は、時の王朝が正統性を装置として編纂されていました。しかし、近現代においては、それぞれ大陸には中華人民共和国、台湾には中華民国が「成立したこと」で、伝統中国における枠組みの中での正史を編纂する意味合いは、薄れたと言えるでしょう。そういうわけで、『清史』になるはずだった「清史稿」は、「正史に類する」ものではありながら、正史になる機会を時代背景によって失ってしまった、のではないでしょうか。

 

ここまでが「正史」はいかに書かれてきたか』ほか、私の周囲の中国史研究者の方々がお持ちの「清史稿」に対する理解だと、私は考えています。

 

どういうわけか、現代の中国と台湾それぞれで『清史』編纂が行われているようです。中華民国では、長い政治的経緯を経て、「辛亥革命50周年にあたる1961年」に「清史稿」の関内本改定が命じられ、予定通りの1961年に刊行されたとのこと。巻の構成や特徴については、清史稿 - Wikipedia「正史」はいかに書かれてきたか』の「清史稿と洪秀全」(同書p.133~142)をご参照ください。

一方の中国のほうは、清史稿 - Wikipediaの「清史(中華人民共和国)」によれば、次のような事情で刊行が延びているとのことでした。

編纂過程

文化大革命の混乱などで3度棚上げになったが、その後4度目にして編纂に着手した。2002年、戴逸を主任とした国家清史編纂委員会を立ち上げ、2003年、10年以内の完成を目指すと表明した。編纂は新世紀(21世紀)の一大国家プロジェクトと位置付けられており、経費は全て政府の出資となる。従来の正史と違い、共産党政権の基本理念であるマルクス・レーニン主義毛沢東思想、鄧小平理論、三個代表主義に基づく編纂となる。


2004年に2013年の完成を予定とする計画が改めて発表され、目録も公開された。主任の戴逸によると、2012年中に95%が完成したが、新史料発見が相次ぎ、また内容に万全を期すため、決定稿は2015年の完成になる見込みだという。2013年12月17日、中国人民大学の式典で『清史』初稿が完成したことが発表された。しかし完成は、やはり3年後(2016年)になるという。2016年1月1日には、『人民日報』で改めて初稿の完成が報じられた。しかし刊行は遅れており、2017年には、上級機関への引渡し予定を2018年とした。

清史稿 - Wikipedia

新世紀(21世紀)の一大国家プロジェクト」として政府が出資し、社会主義という考えに基づいた編纂のところまで、ある意味、伝統中国の枠組みにおける正史のスタイルを引き継いでいます。こちらも、続報を待ちたいです。

 

ところで、中国の王朝交代のセオリーでは、正史を編纂した王朝は、次の王朝に倒されるもの。王朝じゃないけど、政権が倒される危機感は台湾と中国の各政権には、あるんでしょうか?おそらく、王朝による支配ではないため、どちらの政権も気にしていないとは考えられます(台湾の国民党政権は、途中で別の政権に交代しましたが)。

 

以上、"Chinese Encyclopedia"計画に関する余談でした。

*1:その副本は、清へ受け継がれて『四庫全書』の編纂に利用されるも、流失。清末のアロー戦争時には、英仏連合軍が北京侵攻時、『永楽大典』を雨でぬかるんだ路上に敷き詰めたという逸話があります(『詳説 世界史研究』p.247)。

*2:この思想・言論統制下、政治議論を必要としない古典研究の考証学が栄え、近代東アジアにおける東洋学のもとになる動きが清の時代にありましたが、詳細は『詳説 世界史研究』p.260をご覧ください。

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