仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

【2017.5.31_1400追記】「文章フィルタリング研究」案件の大学院の現場とその周辺の話~情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話 Part4~

<Part4の内容>

1.はじめに~本記事の内容~

本記事は、以下の3つの拙記事のPart4です。

【2017.5.28_1710更新】情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話 Part1~「文章フィルタリング研究」案件に関する私的メモ~ - 仲見満月の研究室

 

続・「文章フィルタリング研究」案件に関する私的メモ~情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話 Part2~ - 仲見満月の研究室

 

「予稿」と「「学会の全国大会」って、なんだ?」(Yahoo!ニュース個人):続々「文章フィルタリング研究」案件に関する私的メモ~情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話 Part3~ - 仲見満月の研究室

 

今回、「情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話」にシリーズ名を統一しました。というのは、もう少し広い範囲の話をしていくためです。

 

「文章フィルタリング研究」案件って何だろう?という方は、少し長めですが、Part3の冒頭「1.これまでのあらましと本記事の内容について」をお読みください。案件の経緯と現在の状態、および私がこの問題について「異文化コミュニティ同士のエンカウント」という切り口で、どういった話をしてきたのか、大まかな内容が把握できると思います。

 

さて、Part4では何を取り上げるかと言うと、「文章フィルタリング研究」そのものの研究、および研究が行われた大学院の現場や背景です。このあたりの事情を掘り下げ、Part3の最後に少し触れた、この研究PDF文書のファーストオーサーの院生を「保護する」ことについても、書かせて頂きます。

 

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2.案件の研究内容および工学系の情報学分野の現場と教育について

 2-1.この案件の研究はAIをどのような方向で活用できるものだったのか?

 そもそも、この案件の研究とは、どのようなものだったのか、振り返ってみましょう。

人工知能学会の全国大会(第31回)のサイト内にて、学会員外の一般の人でも見られる形で、発表報告のレジュメ=梗概と思われるPDFファイル「ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング」でした。

この発表の研究は、イラストや漫画、文章作品の投稿を中心とするSNSサービスpixivに公開された、BLを含む二次創作*1の小説でR-18指定ものについて、「青少年にとって有害な情報,特に猥褻な意味を持つ言葉は直接記述されず暗喩により表現」を含む文章を、ドメインごとに、人工知能機械学習をさせ、「表現の分類器を作り」、フィルタリングする手法の提案だったようです*2。この研究発表は、立命館大学の情報理工学部および大学院情報理工学研究科の学生と大学教員によって行われたとのことでした。

(【2017.5.28_1710更新】情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話 Part1~「文章フィルタリング研究」案件に関する私的メモ~ - 仲見満月の研究室)

 

拙記事のPart3までで引用した各論説文やニュース記事において、研究のタイトルや本文で使われた言葉や、研究対象について、問題として指摘されている点は、次の2つです。

 

  1.何が青少年にとって「有害」、「猥褻」だというのかは、研究PDFでは定義をされていなかったこと*3

  2.わざわざ会員制SNSであるpixivにおいてもR-18指定によって公開範囲を制限していた二次創作の私的な小説を、研究サンプルに使ったこと

 

研究を進めるには、研究発表で使うPDF文書では執筆者なりに、きちんと「何が青少年にとって「有害」、「猥褻」か」という定義をするなど、読者に向けて示さなければなりません。きちんと「宣言」をしなければ、研究を行い、提示された結果に対して妥当かどうか、第三者には判断することが困難だからです。

研究対象として使用された、pixivにおいてもR-18指定限定公開の二次創作小説については、引用させて頂いた論説文の中で、松谷さんは、

(さらに踏み込めば、研究対象となる小説をpixivではなく市販のものから探してくることも可能だったのではないか、とも思う。論文からは、pixivの投稿作品である必然がよくわからなかったからだ)。

立命館大学の研究者による「pixiv論文」の論点とは──“晒し上げ”批判はどれほど妥当なのか(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

と言われ、みわさんは、

そもそも、Amazonで販売されている同様の内容のKindleコンテンツなら、そういう問題は最初からなかったわけです。一般に公開あるいは市販しているコンテンツなら、引用も、引用のうえ研究の題材として使用することも、引用のうえdisることも問題になりません

「学会の全国大会」って、なんだ? - BL作品を題材とした人工知能研究が炎上した件から(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース

と仰っておられ、お二方とも、市販のコンテンツを研究対象として使えばよかったのではないか、と言う点を指摘なさっています。

 

市販の商業出版作品を使えばよかった、という点には、私も同意していました。それでは、逆に研究対象を「SNSへに限定公開したコンテンツ」としたこと自体には、PDF文書の研究は、どのような方向性での活用が考えらたのでしょうか。この点については、まず、コンテンツが検閲される危険性を、日比嘉高さんが次のように書かれています。

最後にいいたいのは、この立命館大の研究は、フィルタリングの自動化の研究ですよね?(読めていないので、間違っていたら、指摘してください)
これは、言い方を変えると、機械による自動検閲(につながる)装置の開発です。

「有害」な情報から未成年者を守るというような目的があるのはわかります。

しかし、検閲による情報の規制が、私たちの社会の風通しを悪くしたり、知りたいことを知れなくなったり、議論の分かれる問題について、その問題となる原因の資料そのものへのアクセスを遮断することにつながる、という自覚を、この手の研究開発をしている人々には持ってほしいと思います。

技術として可能性を追求するのはいいけれど、それを社会に適応したとき、社会の中で振るってしまう力、効果などについて、思いをいたしてほしい。

【pixiv論文】日本文学研究者が引用について語ってみる - 日比嘉高研究室

自動検閲AIがネットに常駐して、TwitterYoutubeFacebook等のコメントにアクセスし、あらかじめ機械学習で取得した「有害」なワードを検知し、それらのコメントを削除していく。そういった機能が実装されると、「言論の自由」は 狭まっていくおそれが考えられます。

 

一方、next49さんは日比さんの懸念に対し、逆転の発想で新たな活用法を提示されました。

フィルタリングをするためには、ある文書がある性質を満たすことをプログラムで識別しないといけない(今回の事例の場合は「性的表現」を含む文書かそうじゃないかを識別しようとしている)。この識別した上で、ある特定の性質を満たす文書を閲覧者に見せないようにするのがフィルタリングと呼ばれる技術。

一方で、5/24のTBSラジオ Session 22のメインセッション「ヘイトスピーチ対策法の成立から1年。その効果と影響、そして課題とは?」にて、パーソナリティの荻上チキ氏が、ネット上のヘイトスピーチを防ぐために、文書中のヘイトスピーチによく使われる言葉が含まれていたらメールを送る際やSNSに投稿する際に「それはヘイトスピーチになってしまいますが本当に送ってよいですか」という確認メッセージをだせばよいというような主旨の発言をしていた。

www.tbsradio.jp

このようなヘイトスピーチをしてしまうことを思いとどめる仕組みをつくるためには、その文書が「ヘイトスピーチになり得る文書」であるという性質を識別しないといけない。この識別した上で警告文を出すようにすると当該の仕組みを構築することができる。

検閲に使うフィルタリングとヘイトスピーチをしてしまうことを思いとどめる仕組みは、本質的に同じ文書の識別・分類技術を使っており、文書の識別・分類技術の精度を上げると、検閲およびヘイトスピーチ思いとどめ機能の性能が上がる。この二つの使い方は同じ技術の悪い使い方と良い使い方になっている。

技術についての「あるある」なのだけど、ある技術はある観点から見た良い使い方と悪い使い方の両方に使える場合が多い。自分が取り扱っている技術がある観点から見て、悪い使い方をすることができ、それによってある程度の被害が発生するということを考え、可能な限りそれを防ぐように取り組むのは技術者倫理の一つであり、技術者は技術者倫理を守るように努力しなければならない。

識別・分類技術:検閲に使うかヘイトスピーチの抑制に使うか - 発声練習) 

ソーシャルメディアに書き込み途中で、AIがヘイトスピーチに含まれるワードを感知し、「ヘイトスピーチに含まれやすいワードが投稿に含まれています。このまま、コメントを投稿してもよろしいでしょうか?」という忠告・警告のウィンドウメッセージが出るようにすれば、ヘイトスピーチ的な書き込みや投稿を間接的に抑制することはできるかもしれません。

 

next49さんが言われているように、技術は使う人次第で、ある視点から見て良い使い方と悪い使い方と、両面を持っているのでしょう。どのような使い方で、どのような影響がどの程度で出るのか。そのあたりは、技術者が見極め、被害が発生すると予想されれば、それを防ぐ努力をするのは、技術者倫理の一つというのは同意致します。

 

その技術者倫理というのは、実は私がこれまで指摘してきた案件に必要だと考えた参与調査的な研究倫理とは距離のあるもので、ほぼ別種のものと言えそうです。実際、大学・大学院の工学系の情報学分野で教育されるのは、主にビジネスな場での技術者倫理だということが、次に紹介する自称・工学部の大学4年生の「ますだ記事」です。

 

  2-2.「研究倫理なんて習ってねーよ」(Hatelabo::AnonymousDiarry)

anond.hatelabo.jp

 

長いですが、記録のためにも、転載させて頂きします。

2017-5-30

■研究倫理なんて習ってねーよ

当方、そこそこ規模の大きな私大の工学系4年生。研究室では一応機械学習めいたことをやっている。巷では某事件であれやこれやの議論が活発で、引用の仕方がまずいやら研究倫理上配慮に欠けるといった話を聞く。そこで、論文著者と同じような立場の学生として読んでいて思ったことがある。


『引用の仕方は習ったけど、研究倫理って勉強したこともないし、勉強する機会もなかったぞ?』


この問題は次の二つから発生してるんだと考える。


1,工学系の院生の意識ってそんなに高くない
研究室やサークルの先輩を見ていて、「研究者」になるいう意識があるのかな? という事がしばしばある。それも仕方がない話で、現状工学系の院って「学部卒だと文系と肩を並べて就活する羽目になるのが嫌だから、修士を取って開発職として拾ってもらうか」という意識で進んでいる人も少なくない。院進学が「研究者になる」という意識ではなく「単純に学歴アップのために進学する」ような感じだ。今回、社系の研究者がTwitterやブログなどで引用の仕方の問題点などを取り上げているが、そもそも社系の院って「研究者」になる気がない限り行かないところであって、その辺で「院進学」に対する意識の違いがあるんだろうなあとは思った。もちろん自分たちがやっていることが「研究」であることはよくわかっているのだが、「研究者」である意識はないのではないかな、と感じる。


2,研究倫理に関して大学講義で取り上げていない
そもそも大学は高校や中学じゃないので「必要なことなら『教えてもらってない』は通用しない」というのはよく分かる。しかしながら、理系院生の現状意識は前述の通りなので、それではすこし無理があるだろう。それより研究テーマに対しての学習で皆あっぷあっぷだ。「研究倫理」について取り上げる教育の場って学生実験の場が適当なんだろうが、理工系の学生実験は課題が与えられて延々実験して解くようなものが多いので、そもそも研究倫理とか以前に研究室に放り込まれるまで「実験の設計」というものをしたことがない学生が大半だ。文社系だと学部レベルでもフィールドワークや研究設計などを自分でやるから、おのずと調査対象に対する配慮などを通して「研究倫理」を学ぶことが多いのではないかと思う。ちなみに、技術士資格の絡みで「技術者倫理」という授業は開講されているのだが、聞きに行ったところ技術者として作ったものにどう責任を持つかという話で、研究の話ではなかったように記憶している。もっとさかのぼると高校時代にちろっと触れたような気もするが、それは「遺伝子組み換え技術に関する生命と研究倫理」であって、今回「データを持ってくるだけでも研究倫理が問われることもあるのか」と初めて気づいた次第だ。「研究室に入ってから指導教員に教えてもらえれば」という話もあるが、正直指導教員間にも学生指導の熱意や認識の差を感じざる終えないで、不安が残る。(今回の一件も、指導教員が発表前に気づけばこんなことになってなかったんだろうし)中高大と「正しい引用の仕方や図番の振り方、『コンピューター』と『コンピュータ』が混在しているようなレポートを書いてはいけない」「実験中に火事を起こしたり使った液体を外にばらまくな」とは習ったが、「研究によそのデータを用いて、それを処理するときの留意点」などは習っていないし、この問題が明らかになるまで自分も考えたことがないことであった。(これは自分の推測だが、論文著者も「データとして使ったなら引用元として示さなければ『ならない』」という意識があったのでないだろうか)


乱文ながらしがない私大の一大学生として思うところを書いた。ある種工学系って就職予備校だよなと。(この話題は本題からそれるが)そこの学生に自発的に研究倫理を学ばすのって無理があるような気がする。もっとも、倫理感なんて言うものは学ぶものではなく養うもので、「習ってねーよ」というものでもないかもしれない。しかし、学部か修士課程で社会に出ようと思っている人間にとって、「自分の名前がネットで悪評立っている」というはどう考えても就活に響くし、そういうリスクがあるのであれば学会発表もおちおち出来ない。そういうところでは工学系の研究者のみならず、これまで個々人の思想やプライバシーも含みうるデータをを取り扱って研究していた社系の研究者の知見を生かして、今回の件であれば人工知能学会の方でも指針を示してもらえると我々学生も安心して発表で出来るのではないだろうか。

(研究倫理なんて習ってねーよ http://anond.hatelabo.jp/20170530044702)

 

まず、言及したいのは、「1,工学系の院生の意識ってそんなに高くない」の段落にある、「現状工学系の院って「学部卒だと文系と肩を並べて就活する羽目になるのが嫌だから、修士を取って開発職として拾ってもらうか」という意識で進んでいる人も少なくない」という部分は、院生時代の同期で、文理総合学系大学院に進学した私の同期に工学部から進学してきた人が複数いたため、分かります。大学や理系の学部によっては、3~4年次に研究室配属となり、一度、卒論を書いて卒業はするけれど、人によっては学部から修士修了までの3~4年で一貫した課題を研究し、修士課程で就活を行い、修士論文を書いて大学院を出ていく、というのがカリキュラム上、ガチっと組まれている研究教育機関もあると聞いたことがありました。

 

Part3で紹介した日本建築学会の会員の人の話では、工学系の建築学科は修士課程修了で二級建築士の受験資格を得、二級合格したら建築事務所で所定の年数ほど実務経験を積み、条件が満たされたら、一級建築士の受験をして、合格すると一級建築士の資格が得られると言ってました。建築士に近いのが、医療系の薬学部です。薬剤師の資格試験を受験するには、学部を6年間行くか、学部4年+修士2年の教育課程を修めるか、といった法律上の規定があると聞いたことがあります。

 

工学系の情報学分野の教育の話に戻ると、がちっとカリキュラムが組まれているため、Part1で書いたように、文系の参与調査に関する授業を受講することができないと、私の知人のプログラマは言っていました。その上、「ますだ記事」の「2,研究倫理に関して大学講義で取り上げていない」にあるように、「研究倫理」は大学の授業でほぼやらないようです。

「研究倫理」について取り上げる教育の場って学生実験の場が適当なんだろうが、理工系の学生実験は課題が与えられて延々実験して解くようなものが多いので、そもそも研究倫理とか以前に研究室に放り込まれるまで「実験の設計」というものをしたことがない学生が大半だ。文社系だと学部レベルでもフィールドワークや研究設計などを自分でやるから、おのずと調査対象に対する配慮などを通して「研究倫理」を学ぶことが多いのではないかと思う。ちなみに、技術士資格の絡みで「技術者倫理」という授業は開講されているのだが、聞きに行ったところ技術者として作ったものにどう責任を持つかという話で、研究の話ではなかったように記憶している。 

研究倫理なんて習ってねーよ

重要なのは、文系だと学部の段階で参与調査の計画や作業を実践として、授業で取り組む機会があり、 「おのずと調査対象に対する配慮などを通して「研究倫理」を学ぶことが多いのではないか」という指摘です。「ますだ記事」の後述にあるように、技術士資格のコースでは、「技術者倫理」の授業を受けるようですが、「技術者として作ったものにどう責任を持つかという話で、研究の話ではなかった」ということ。この「技術者倫理」の内容は、SEらしきフォロワーさんに教えて頂いた放送大学の「新しい時代の技術者倫理('15)」によると、

(前略)技術を実践する「行為者」である技術者は社会に対して特別の責任を負っています。本科目では、技術者がその職務を遂行する上で、必要な新しい「倫理」について考察します。技術者が直面する可能性のある種々の倫理的問題を、具体的な事例を通して紹介します。また、それらの問題を分析し、倫理的に推論する方法について学びます。特に、技術者が重視すべき「価値」(安全など)を検討します。これらの学習を踏まえ、21世紀の技術者に求められる倫理的な資質・能力について考察します。

放送大学 授業科目案内 新しい時代の技術者倫理('15)

とありました。どうも、今回の案件で必要とされた、文系の参与調査的な方向での「研究倫理」とは、距離があるように思います。

 

「研究倫理」ではなく、「技術者倫理」を授業で扱うことは、ある種、仕方ないのかもしれません。「ますだ記事」の終盤には、「ある種工学系って就職予備校だよなと。(中略)そこの学生に自発的に研究倫理を学ばすのって無理があるような気がする」ととあり、大学や院の教育課程を終えたら、すぐ技術職員として就職するというカリキュラムが組まれているなら、 致し方ないでしょう。

 

今回の案件は、工学系の情報学分野のPDF執筆者の方々が「技術者」であり、「技術者倫理」は教育を受けてはいても、文系の参与調査的な「研究倫理」は修得していなかったのは、工学系の教育課程のカリキュラム上、しょうがなかったと捉えられます。このあたりのことについては、next49さんの言葉どおり、非技術者たちも新たな技術の社会への適用について、一緒に考えていくべきではないでしょうか。

ある技術を社会に適用したとき、社会の中で振るってしまう力、効果などについて考えるのは技術者の責任だとしても、それを実際に社会に適用するかどうかという点については、技術者だけでなく非技術者も一緒になって取り組むべきというのが、東日本大震災による福島第一原発事故後で注目を浴びたトランスサイエンス(この場合はトランステクノロジーというべきかも)の話だと思っている。

(識別・分類技術:検閲に使うかヘイトスピーチの抑制に使うか - 発声練習)

 

そして、この「研究倫理」というものは、Part2の「2.今回の研究テーマは情報学と文化人類学や社会学の境界に位置する」で示したように、文系のフィールドワーカーや学会等の関係者がするように、「もっとも、倫理感なんて言うものは学ぶものではなく養うもので、「習ってねーよ」というものでもないかもしれない」と、「ますだ記事」の筆者は言います。加えて、「今回の件であれば人工知能学会の方でも指針を示してもらえると我々学生も安心して発表で出来るのではないだろうか」とも、筆者の方は書いておられます。ですが、Part2の2.今回の研究テーマは情報学と文化人類学や社会学の境界に位置する」で、私は今回の案件のような実例は人工知能学会でも前例がほとんどなく、速やかな対応が難しいのではないかと推察しております。やはり、非技術者、かつ参与調査をとる研究者の人々も、共に考えていくべきだと思います。

 

 

3.続・オーサーである院生に対する配慮+連名教員2名について

もう一つ、考えないといけないのは、ファーストオーサーとなっていた、院生の「保護」に関することです。前回の第4項にて、院生のことについて、少し考えたことを書きました。

 

当事者のなかでは、ファーストオーサーになっていた院生が、この案件の中心にいるがゆえに、将来の様々な道が閉ざされないか、心配です。もし、PDF文書が公開のままであったら、より院生は注目され続け、非難にさらされていたかもしれません。院生を非難から守り、とりあえず、関係者同士だけで冷静な議論をするという見方をすれば、人工知能学会がPDF文書を一時的に非公開にしたことは、適切な判断だと思いました。

 

第2弾に論説文を引用させて頂いた松谷さん、それから、みわさんがご指摘されるように、今回の案件は、様々な領域の絡む問題と言えます。そのような意味で、直接の関係者以外の学術業界の人たちも話題にする必要はあるでしょう。

 

日本文学研究者の次のエントリ記事を拝読して、 議論のために、PDF文書を公開すべし、というお考えが窺えました:

hibi.hatenadiary.jp

 

しかし、研究ビギナーで修行中の身であり、PDF文書を執筆した院生の今後の研究活動や、就職活動のことを考慮して、その人の人生を潰さないよう、外野の人たちも配慮はすべきではないでしょうか。一度、非公開にした学会側の措置はしかるべきものであると私は思いました。院生が獲得した助成金をめぐる問題~人力検索はてなの質問から~ 院生の助成金申請書類の作成過程~院生獲得の助成金使用問題の補足~ 【2017.4.23_0220更新:目次】アカデミック・ハラスメント(アカハラ)に関する記事まとめ(外部記事含む) の中の記事で書いてきたように、人間関係がせまく、一種の「ムラ社会」である学術業界で、一度、トラブルに巻き込まれると、特に若年世代の人は職業研究者としての将来が閉ざされることがあると、よく聞きます。

 

「予稿」と「「学会の全国大会」って、なんだ?」(Yahoo!ニュース個人):続々「文章フィルタリング研究」案件に関する私的メモ~情報学の研究と文化人類学的な調査手続きに関する話 Part3~ - 仲見満月の研究室

 

更に、オーサーの院生のこれからの研究活動やが暗くなっていくことについて、「ますだ記事」の筆者も懸念されています。

学部か修士課程で社会に出ようと思っている人間にとって、「自分の名前がネットで悪評立っている」というはどう考えても就活に響くし、そういうリスクがあるのであれば学会発表もおちおち出来ない。

研究倫理なんて習ってねーよ

この案件では、この院生に続く、今後の人工知能研究者を育成していくためにも、適切な対応が求められるでしょう。

 

ところで、研究発表者として名を連ねている、セカンドオーサーの准教授とサードオーサーの助教の二人は、今回、どの程度、「文章フィルタリング研究」に関わっておられたのでしょうか。理工学系の学会発表の場合、ファーストオーサーがメインで実験や作業を行って、他の連名者はファーストオーサーの原稿や研究内容をチェックすることがあり、ネット上では大学教員である連名者がどれほど「文章フィルタリング研究」の内容を確認し、指導できていたか、疑問を持っている人もいるようです。

 

ここで、大学教員の多忙さについて、説明します。というのは、連名者の先生方は、研究発表経験の浅い院生が、「実績としては「それさえないのでは困る」程度の扱い」である「審査がなく、エントリーすれば発表できる学会全国大会での発表」の研究PDF文書について、どれほど時間を割いて指導をできたか、という見方ができるからです。

以前、私は大学教員が研究業務以外に、大学の運営や教育に関する業務も担い、激務に追われていることを、日本の大学は研究と教育を分離するべき話~「現役工学系教授からみた日本の大学の惨状」(Htelabo::AnonymousDiaryより)で書きました。極端な話、研究担当の職員と、試験監督等を含む教育担当の職員とに仕事を分離すべきということも示し、そのためには、日本の研究・教育行政の親玉である文科省を解体すべし、と、割とロックなことを叫んだことを覚えております。

 

連名者の先方の多忙さを調べるため、2017年前期の授業について、一週間に何コマ程度、授業を担当されているか、立命館大学 オンラインシラバスの「学外向け For Public」で検索し、調べました。その結果、単純に数えて、セカンドオーサーは週12の授業数、サードオーサーは週8の授業数でした。この授業の中には、2コマ続けて履修するタイプの授業もありますが、1つの授業を1.5時間と考えると、各々の授業だけの拘束時間だけで、セカンドオーサーは週18時間で平日一日あたり3.6時間、サードオーサーは週12時間で平日一日あたり2.4時間ほど、あることになります((もっとも、所属大学の文系学部と理系学部とで、1コマ当たり何時間何分かかるか、という数え方も異なる可能性があります。。授業の準備時間は、かかるときで一日あたり2時間はあると仮定すると、二人の平日一日あたりの合計拘束時間は、セカンドオーサーは5.6時間、サードオーサーは4.4時間と算出されました。これに、学部や研究科の会議、担当ゼミの学生指導、自身の研究活動に費やす時間が入ってきて、実際は更に忙しい毎日を送っておられるでしょう。

 

ファーストオーサーの院生の研究PDF文書をチェックは、計算したように連名のお二人が忙しいこと、それに加えて、Part2の「2ー2.工学系の情報学分野の背景からみたその研究メンバーや学会のこと」で書いたようなキャリアの環境で参与調査的な手続きや研究対象への配慮の必要性に気づけなかったこともあり、浅くなってしまった可能性は否定できません。

このあたりの責任は、二人の大学教員に直接あるというよりは、拙記事日本の大学は研究と教育を分離するべき話で扱った、日本の大学教員の多忙さにあると言ったほうがいいのではないでしょうか。 

 

 

 4.まとめ

以上、「文章フィルタリング研究」案件について、本記事ではこの研究そのものの活用の方向性と、それを生み出す工学系の教育で施されるのが「技術者倫理」であって、この案件のように必要と指摘されている参与調査的な「研究倫理」とは距離のあるものであったことを説明しました。その「研究倫理」は、経験で獲得していくものであり、研究の活用方向と合わせて、技術者は参与調査の研究者を含む非技術者と共に、今回のタイプの研究について考え、社会へ適用を目指すべきだとまとめました。

 

一方、研究PDF文書の「炎上」の中心に立たされている執筆者の院生には、将来の様々な道が閉ざさないためにも、配慮すべきだと考えました。そもそも、研究内容をチェックする役目だったと思われる連名の大学教員2名に、業務的な余裕があれば、PDF文書の提出までに細かなチェックと指導ができていた可能性はあります。

 

案件が今後、どのように決着するかは不明ですが、今後の人工知能研究者を育成していくため 、他の学生や研究者が委縮しないように直接的な関係者はめざし、関係者をとりまく周囲は、研究者の修行中である学生に大学教員が指導するに十分な時間がとれるよう、体制を整えていくべきだと考えました。

 

本記事は、ここでお終いです。読者の皆さま、お付き合い頂き、ありがとうとざいました。

 

 

5.「研究倫理教育がむしろ炎上を促進した可能性」(Hatelabo::AnonymousDiarry、2017.5.31_1400追記)

上記の研究倫理なんて習ってねーよの「ますだ記事」を読んだ、「人工知能の隣接分野の助教を昔やっていた」方の日記が、「ますだ」に出たのでリンクし、短いので記録目的で転載致します。

 

anond.hatelabo.jp

 

2017-05-31
■研究倫理教育がむしろ炎上を促進した可能性

http://anond.hatelabo.jp/20170530044702 
をよんだ。学部生が正直な感想を書いてくれて偉いな、と思う。


人工知能の隣接分野の助教を昔やっていたことがある人間だけど、研究倫理の授業はもちろん必要だと思う。そして、今は、たいていの大学で、大学教員は毎年研究倫理教育のミニテスト受けないと、最悪研究費執行を停止するかも、とおどかされる仕組みになっている。だから、例の炎上したところの先生も、ほぼ確実に、学内の研究倫理のミニテストや講習は受けているはず。


けれども、今回の件が研究倫理の授業・講習を受けていれば回避できたかというと、正直微妙だと思う。なぜなら、研究倫理教育の主眼は研究不正の抑止で、今回の炎上は明らかに研究不正とは関係ないから。特に、STAP細胞事件の後、どこでも研究倫理教育は研究不正に関する内容が多くなった。出典をしっかり書きなさい、も当然、その中に含まれる。URLやハンドルネームを記載したのも、研究倫理教育の影響があったのではないか。そう考えると、むしろ、研究倫理教育が炎上を促進する要素を作った可能性すらある。

 

後は、学生本人が研究倫理教育をどれだけ受けていても、指導教員がOKOKしたら、これはOKなのだろう、と思う学生が普通なのではないか。そこも考えると、研究倫理教育で今回の炎上が防げたとは、あまり自分には思えない。

研究倫理教育がむしろ炎上を促進した可能性

 

研究倫理の教育の方向性については、上に書いたように、工学系の学部のカリキュラムと「就職予備校」の工学部を踏まえると、「技術者倫理」は必須だけど、研究倫理のほうは現場でも本当に難しいと思います。昨今の研究倫理の教育の方向が、「STAP細胞事件の後、どこでも研究倫理教育は研究不正に関する内容が多くなった」として、「出典をしっかり書きなさい、も当然、その中に含まれる。URLやハンドルネームを記載したのも、研究倫理教育の影響があったのではないか」という点を指摘されているのは、もっともです。

 

今回の案件は、参与調査的な手続きと研究対象に対する配慮といった方向での研究倫理であると言えます。経験の浅い院生も、ずっと工学系の情報学分野で経歴を歩んできた連名者の先生方も、多忙な上、参与調査的な研究倫理の方向に気づかず、浅めのチェックでゴーサインを出してしまったのではないでしょうか。そなると、

学生本人が研究倫理教育をどれだけ受けていても、指導教員がOKOKしたら、これはOKなのだろう、と思う学生が普通なのではないか。そこも考えると、研究倫理教育で今回の炎上が防げたとは、あまり自分には思えな

い。

研究倫理教育がむしろ炎上を促進した可能性

というのは、当たっていると考えられますね。

*1:「これは既存のマンガやアニメなどの設定を用い、ファンが二次的な創作をした作品のことだ。それらのほとんどは、原作者の許諾を得ずに勝手に創っているものばかりだ。
二次創作は、オタク文化の根幹をなす表現活動だが、著作権法的にはグレーの状況にある」という:立命館大学の研究者による「pixiv論文」の論点とは──“晒し上げ”批判はどれほど妥当なのか(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

*2:jsai2017:2M2-OS-34a-1 ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング

*3:「学会の全国大会」って、なんだ? - BL作品を題材とした人工知能研究が炎上した件から(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュースの終盤では、みわよしこさんは「「もうちょっと価値判断を含まない用語を選んだ方が良かったんじゃないか」とは思います。「青少年に有害」と対象を限定しても、その「有害」という価値判断を論文の書き手が下して良いものなのかどうか、疑問は感じます。」と仰っています。

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