仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

続・大学院に行きたいと思ったらやるべき「初歩」のこと~「研究者、諦めました」(Hatelabo::AnonymousDiarry)について~

<泣いてしまった「ますだ記事」のこと>

1.はじめに

今回の記事は、久々に「大学院に行きたいと思ったら~(す)べき」シリーズの続きです。その中でも、次の「初歩のこと」:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

の続編になります。

 

大学院に行きたいと思ったらやるべき「初歩」のこと~文系大学院の志望者向け~ - 仲見満月の研究室では、文系の学部3年次の学生に向けて、「1.まず勉強をしたいだけなのか見極めよう」のところで、

大学生、ここでは四年制大学の学部生の中で、2~3年次からゼミに所属し、定期的に調べ物をして発表していると、たいてい一人くらいは、「ゼミの課題で調べものして人前でプレゼンした後、みんなと議論して新しいことを発見するのが楽しい!」と感じる学生がいます。

 

調べ物というのは、新しい知識を吸収する手段=学習や勉強の一種です。ここまでの作業によって、新しいことを知ること=「お勉強」に喜びを感じ、満足する人は、その先の「議論して新しいことを発見する」(分野によっては文献分析、実験もある)という作業を延々と繰り返し、新しいことを発見して結論を出すという「研究」は、続かないと思います。(中略)

 

自分の経験、先輩や後輩、先達の先生方を鑑みると、「お勉強」で得た知識を土台にして、自分がどうしても気になり、探究したい「問題」=研究テーマを設定をできるか、否か。研究テーマ設定をするために、限られた大学4年間でリサーチし、しっかり努力できるか。

 

大学院に行きたいと思ったら、まず、すべきことは、

 ①単に自分が「勉強」したいだけなのか?

 ②「問題」を設定して「勉強」で得た知識をベースに、新たな発見を提示するところまで挑戦したいのか?

そのどちらなのか、できるだけ、大学の学部3年次までに見極めることです。

大学院に行きたいと思ったらやるべき「初歩」のこと~文系大学院の志望者向け~ - 仲見満月の研究室

ということを示しました。その目安となる第一歩が、上に挙げた①と②ですが、その二つをクリアした後、研究テーマを大まかに設定してくと同時に、大学院に行ってみようと考え、具体的に研究室訪問などを実行に移したとします。そのなかで、「自分は大学院には行ってみたいけれど、果たして職業研究者の道を進みたいのか?」と疑問を持ち始める人もいるでしょう。

 

今回は、研究室を訪問するなかで、大学院までは行こうと思ったけれど、自分が研究者に向いていないと決断を下した、自称・理系学部生の次の「ますが記事」を読んで、大学教員や企業の研究職員などのアカデミックポストにいる職業研究者の道を彼が諦めたと仮定した上で、どの時点で将来の進路としての研究者を諦めるべきか、少し、考えてみようと思いました:

anond.hatelabo.jp

 

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2.「研究者、諦めました」(Hatelabo::AnonymousDiarry)を読む

 2-1.研究者を志した「ますだ記事」の筆者

さっそく、「ますだ記事」を読んでいきましょう。

 

2017-06-08

■研究者、諦めました 

 

研究者になりたかった。

 

昔から探求心旺盛で、虫眼鏡を持って空き地を歩いたり、図鑑を端から端まで読んだりして、気づいたら研究者が夢になっていた。
中学校に上がって嫌がらせにあっても、(自分には夢がある、こいつらに潰されていい人間じゃない)と思うことでなんとか耐えしのいでいたし、高校時代には特に興味のある研究分野を見つけ、その研究をやってる研究室を探したり、その研究室の教授の本を読んだりもしていた。
そして大学受験、第一志望には落ちたものの大学院でそこに行けばいいと割り切って、後期で受かった大学に入学し、希望の分野とは少し違う分野の研究室に入った。


『この分野を研究する第一人者になる』という夢が若き私を支え続けていたのは確かだった。

 

研究者、諦めました

 

最初のほうを読むと、虫眼鏡をもって空き地を歩くとか、図鑑を橋から端まで読むとか、動植物に興味を抱き、そのことが物事を調べ続ける職業としての「研究者」を志すきっかけになっていたように思われます。

 

中学生になっていじめを受けながらも「研究者になる夢」を支えに、いじめを耐えしのいだり、高校生になってからは興味を持った分野の研究室を探し、またそこの先生の本を読んだといった記述があります。10代の成長期には既に特定の分野で研究を続ける人生を希望に持っていたところは、何となく、「この先生がいるから、この大学で学びたい」と夢を持っていた私と重なるところを感じました。

 

大学受験でいちばん入りたかったところは不合格になったものの、大学院でそこに忌めばいいと割り切ってしまった筆者は、「すごい、そこまで前向きに考え、希望とは少し違う分野の研究室に入ったとしても、その分野のナンバーワンの研究者を目指して前進していこうとするんだ」と感心しました。主観的には夢一直線、客観的には視野が狭くて「君、もう少し、その研究分野の周りは見えているかい?」と私が先輩だったら、声をかけたくなる一途さです。

 

 2-2.研究室訪問で「私研究者向いてない」と感じた筆者

続きを読んでいきましょう。

そして3年の終わり、いくつか希望の研究室を訪問した。
ある教授とお話させていただいた時、「君の問題意識はどこにあるの?」と聞かれ、はじめて気づいた。

 

私、研究者向いてない。

 

自身は典型的なENTP気質。
新たな知見を得ることが好きで他人と議論することを望むけれど、飽きっぽくて一つの物事を突きつめる前に他の者に手を出してしまう。
もちろん高校生の時からこの研究テーマがやりたいと思ってたので、その分野に対する知識はそこそこある。
けれども研究者になるためには、更にその問題に対してどうアプローチしていくかまで考えないと論文なぞ書けない。書けるわけがない。
私は漠然と研究室内でできる範囲の研究をしようと考えていたけれど、そもそもその研究分野にこういったアプローチがしたい!そしたら新規性がある!って言えないとこの研究室に行く意味など、いやそもそも研究をする意味などない。
それすら持たずなんとなくこの分野のなにかをやれたらいいと思う程度の人間が真っ当な研究者になれるだろうか。

 

気づくのが遅い。

研究者、諦めました

 

さて、筆者が受験しようと考えて、学部生の3年の終わりに研究室訪問をして、「私、研究者向いてない」ことを感じます。

 

筆者の自己分析によると、「自身は典型的なENTP気質」。ENTPが分からなかったので、ネット検索で調べたところ、ENTP - Wikipediaによれば、ある心理学者たちによる人間のある診断による分類型の一つで、” inventor”、つまり「発明者」や新しい物事を発見するタイプの人間だそうです。

 

筆者は、研究者の道を志す時点で、しっかり学び、新しい知見を見出すところまでは、できると思われます。続きの自己分析を読むと、

新たな知見を得ることが好きで他人と議論することを望むけれど、飽きっぽくて一つの物事を突きつめる前に他の者に手を出してしまう。(中略)

 

けれども研究者になるためには、更にその問題に対してどうアプローチしていくかまで考えないと論文なぞ書けない。書けるわけがない。

研究者、諦めました

他人と議論を好きなところは、クリアです。それにしても、す、すごい!学部の3年次の終わりの時期に、論文を書くためのコツの一つを言語化するまでに、把握している。

 

ただね、続きの部分に関しては、「そこまで、自分で早合点しなくても、よかったんじゃない」かと:

私は漠然と研究室内でできる範囲の研究をしようと考えていたけれど、そもそもその研究分野にこういったアプローチがしたい!そしたら新規性がある!って言えないとこの研究室に行く意味など、いやそもそも研究をする意味などない。
それすら持たずなんとなくこの分野のなにかをやれたらいいと思う程度の人間が真っ当な研究者になれるだろうか。

研究者、諦めました

私の場合、私が辿り着いた最適なストレス解消法「無心ウォーキング」 – メンヘラ.jp

「1.はじめに~自己紹介と私がストレスに振り回された経験~」で書いたように、研究分野の変化で「1年目、自分の研究の方向性」を「見失いました」。

 

私、どうするんだよ…。と悩みに悩んだ私は、就活っぽいことをしながら、迷惑な行動に出ました。とにかく、修士課程に入ったからには、テーマを設定し直して、修士論文を書こうよ、と指導教員の先生に励まれるも、「どうしたらいいんですかー(泣)」とパニックになる始末。不安でしょうがないので、東洋学の研究会に出てみたりして、卒論と近いテーマの研究者の方にアドバイスを求めまくり、推薦された中国の古典籍を読んで、表とか画像とかを集めて、自分の評価では、卒論以下の修論を提出しました(通して下さった先生方には、感謝です)。

その後、諸事情あって私は博士課程に進み、修士論文のテーマを力技で(主に指導教員の先生や周囲の方々の気づきによって)グレードアップされたような博士論文を書きました。

 

こうした中で、中国の古典籍(もちろん、漢文や古い時代の中国の話し言葉)を読んだのは私ですが、アプローチ方法を一緒に考えてくださったのは、むしろ、指導教員の先生、院ゼミの先輩方、同期、学会・研究会でコメント下さった皆さま方々でした。

加えて、私みたいに卒論まで書けても、テーマ自体を研究分野の世界の変化で「新規性がない」状態になり、まったく新たなテーマに変えざるを得ないことだってあるんです。

 

今回の「ますだ記事」の筆者の方に、分野はだいぶ違うだろうけれど、アドバイスすると、学部3年生の段階で「そもそもその研究分野にこういったアプローチがしたい!そしたら新規性がある!って言えない」としても、従来のアプローチ法がその分野の世界の変化次第で、「新規性がなくなる」ってことは、十分あり得るから、そこは学部生の時から気にしても仕方ありません。

 

それでも、周りにピーピー泣きついて、空回りや不義理をしながらも、協力してもらって手を動かしていると(筆者の分野だと実験や観察かな?)、新しいアプローチ法が見えてくることだって、理系ではあるかもしれません。

 

そして、順序が前後しますが、「飽きっぽくて一つの物事を突きつめる前に他の者に手を出してしまう」ところも、研究を進めていく上で意外なところで役に立つ知識が手に入ることもあって、マイナスなことばかりではないでしょう。ただし、メインの研究分野とかけ離れすぎたところをつついていると、急いでレターを出さないといけない時期は、効率が悪いこともあるらしいので、そこは気をつけたほうがいいと思います。

 

それすら持たずなんとなくこの分野のなにかをやれたらいいと思う程度の人間が真っ当な研究者になれるだろうか」については、各分野の最前線で業績を上げている職業研究者の中には、一般社会から見たら、数学者、それは「数系」究極の学問の追究者?!~ヨッピー「数学者は変人ばかり」って本当? 天才数学者・千葉逸人先生に聞いてきた」(アイエンジニア)より~ - 仲見満月の研究室のような「ヘンテコ」な方も多いです。千葉先生も、ご経歴を覗うと、途中で学歴上、所属分野を変わっておられるようですので、そこらへんは気にしなくもいいと思いました。

 

そういうわけで、筆者の方の自覚に対し、「あなたは、むしろ、いろいろと気づくのが早かったし、早合点しちゃったかもしれませんよ」という感想を持ちました。

 

 2-3.訪問した研究室に受験を辞めるお知らせをした筆者

研究室訪問後、駅のホームで泣きじゃくった。訪問後しばらくして、訪問先の研究室に受験しない旨のメールを出した。
ある研究室の方には「とても残念です…」とお返事をいただいてまた泣きそうになった。私もあなたと研究したかった。

研究者、諦めました

これを読んで、私は泣いてしまいました。涙がポロポロ出てきましたよ、筆者さん。訪問した先の研究室の方は、心から筆者さんと研究がしたかったんではないでしょうか…。

 

いかん、自分の院受験前後1年間をいろいろと思い出してしまった…。

 

 2-4.現在の「研究室に内部進学して、院で就活することに決めた」筆者

ここでは、一気に最後まで読んでいきます。

 

外部院進を考えていた私は就活などしていなかったため、現在所属する研究室に内部進学して、院で就活することに決めた。
そもそも今いる分野の方が就職は確実にいいだろう…それに学部から院まで同分野にいた方が、日本では専門性が高いとみなされて内定をもらいやすい。
ただ、これまで研究者になるという夢のようななにかを軸に生きていた私にとっては、アイデンティティの損失というべきだろうか、物事に対する選択基準を一つ失った気分である。
一応技術職志望だけど、もう自分に研究は無理だと気づくとそこから離れたい気もしてきて、院卒文系就職もありだな…とか考えている。
自分の軸がないとこんなに不安定なんだな…って20過ぎて気づく自分の愚かさよ。

 

自分に適性がないことにもっと早く気づきたかった…そしたら学部で就職したかもしれないのに…。
でも中途半端に就活してしまったら、それはそれで院行けばよかったかなって後悔してたのかもしれない。こんな軟弱者のことだし。

研究者、諦めました

 

筆者が、外部院進を諦めたことに対して、もったいなかったかどうかは、私には判断できません。 ただ、訪問先の研究室の方々が楽しみにしてくれるような人材であったと邪推すると、筆者は外部院進をチャレンジしてみてから、修士卒で研究職で民間企業に行く道もあったのではないかと。

 

なお、「そもそも今いる分野の方が就職は確実にいいだろう…それに学部から院まで同分野にいた方が、日本では専門性が高いとみなされて内定をもらいやすい」というのは、就職活動で挑む業界や業種、企業や役所にもよりにけりだと思われます。「研究者、諦めました」で、アイデンティティを失って、「一応技術職志望だけど、もう自分に研究は無理だと気づくとそこから離れたい気もしてきて、院卒文系就職もありだな…とか考えている」そうなので、自分のいた分野で手に入れた知識やスキルが転用できる技術職以外の職で内定ゲットを目指すのもありでしょう。

 

自分の軸がないとこんなに不安定なんだな…って20過ぎて気づく自分の愚かさよ」は、私の場合、「修士課程の一年目で、研究テーマという名の軸が折れてしまうと、あんなに不安定なんだな…って20代半ばで気づく自分の打たれ弱さよ」です。

 

最後の部分の

自分に適性がないことにもっと早く気づきたかった…そしたら学部で就職したかもしれないのに…。
でも中途半端に就活してしまったら、それはそれで院行けばよかったかなって後悔してたのかもしれない。こんな軟弱者のことだし。

研究者、諦めました

は、「お勉強」をするためではなく、研究者を目指して情熱に燃えて院受験の準備をする20過ぎの院志望者には、実は誰もが抱える葛藤じゃないでしょうか。何回か本ブログで書いていますが、私もどのタイミングで就職するか、悩みに悩んで、いろんな選択肢を検討したことがありました。

 

 

3.「ますだ記事」と読んで考えたこと~院志望者が研究者を諦めるタイミングについて~

今回の「ますだ記事」の筆者の葛藤や憧れの研究室のある大学院受験を辞退した姿は、今の大学院生、それから、かつて大学院生だった人々の割とたくさんと重なるところがあるのではないでしょうか。少なくとも、私は読んでいて、込み上げるものがたくさんあって、2-3では泣いてしました。

 

全体を通じて、失礼ですが、研究に対して「新規性を失ったアプローチ方法は、(時に周囲の力を借りながら)試行錯誤で次のアプローチ方法を見出す」ところに、筆者は早合点をして気が付けなかったのではないかと思いました。そうは言っても、トライ&エラーを続けたからといって、必ずしも、筆者がその分野の第一人者になれるような業績を上げられるかどうかは、分かりません。もし、第一人者になれたとしても、現在の日本の研究業界を考えると、果たして、安定した任期なしの研究職を手に入れ、その地位が安泰かは、私には読めない世界です。

 

さて、筆者は内部院進を決め、おそらく修士卒で筆者は就職しようとプランを述べています。技術職に進んだとしても、それ例外に進んだとしても、幼少のころから持っていたある意味一途なガッツを筆者が発揮し、幸せに人生を進めることを私は願っています。

 

万が一、社会人になってから、「あの時、(たとえ茨の道でも)研究者を目指しておけばよかったな…」と、筆者が振り返って、悔やむことがあるかもしれません。遠回りになるかもしれませんが、その時は再度、情報をしっかりと集めて、もう一度、志望していた研究室訪問ができればお願いして訪れ、院受験の準備をしてもよいと思います。

 

もし、筆者の方やそれに近い方々が本記事を読まれ、再チャレンジをされる気が起こりましたら、次の記事が参考になるでしょう。最後にリンクを置いて、今回は失礼致します:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

 

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