仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

【2017.9.6_2155_人物関係図修正】カルピスと三島海雲記念財団の学術研究活動助成制度~田中淳夫「カルピスの日に思い出す、二人の「カルピスの父」(Yahoo!ニュース)ほか~

<「初恋」と夏のカルピスと人文科学部門のある研究助成制度>

1.はじめに~カルピスのあれこれ~

幼保、小中高まで、夏休みに突入しているこの頃、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。やっと、医療機関に行けた私は、診療を受けることができました。食事後、薬によって、四肢の痛みが徐々に引いてきております。

 

その帰り、立ち寄ったスーパーで水分補給のため、買ったのが、カルピスウォーター。スッキリした味で、おいしかったです。

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(画像:執筆者の撮影)

 

そういえば遠い昔、小学校低学年の夏休みは、たしか下のボトルか瓶に入ったカルピスの原液(希釈液)を水で薄めたものをグラスに入れ、夏休みの宿題をやっている横に祖母や母親が出してくれ、それを飲みながら、ワークブックや読書感想文を書いていた気がします。思い返せば、カルピスを飲みたいがために、夏休みの宿題をしていたんでしょうね。

ちなみに、カルピスウォーターの発売は1991年で*1、私が小学生の頃は片田舎の小学生が飲めるほど、 普及はしていませんでした。それよりも、カルピスソーダのほうが普及が早かったように思います。おぼろげな私の記憶では、小説家のどなたかのエッセイに「カルピスウォーターは大発明だ」と書かれていたように思います。原液を薄める手間が省かれた状態のカルピスを買って、ペットボトルで飲めるというのが画期的であったと。そういった内容だったと思います。

 

どの小説家の方の言葉かは覚えておりません。近い内容を覚えていらっしゃる方がいたら、こっそり、教えて下さい。

 

さて、カルピス、カルピスウォーターを開発し、製造しているカルピス株式会社ですが、この会社には前身の会社も含め、「カルピスの父」と言われ、そして創業者というべき人物が二人、いました。仏僧ながら、戦前、中国大陸にわたり、商いをしていた三島海雲、北京でで出会った縁で三島の事業を土倉一族がバックアップすることになりました。そのなかで、カルピスと最も距離が近かったのが一人・土倉龍次郎です。そのあたりの歴史と、事情を簡潔にまとめたニュース記事がありましたので、今回、ご紹介します:

news.yahoo.co.jp

 

今回、カルピスを取り上げる目的は、他にあります。実は三島海雲が晩年、自分の名を冠した財団を設立し、初期の事業で縁のあった東洋の研究者たちを支援していた関係か、その財団には研究助成金の制度「学術研究奨励金(助成) - 三島海雲記念財団

があり、2部門ある自然科学部門、もう一つの人文科学部門は「助成分野」が、

アジア地域を対象とし、史学・哲学・文学を中心とする人文社会科学分野における学術研究(但し、日本を中心とする研究は除く)

個人研究奨励金 - 三島海雲記念財団

という規定になっております。

 

本記事では、「カルピスの父」である三島海雲とその製造会社をバックアップした土倉龍次郎の「物語」をニュース記事で読んだ後、三島海雲記念財団の学術研究奨励金につ 

 いて紹介させて頂きます。

 

 

2.田中淳夫「カルピスの日に思い出す、二人の「カルピスの父」( Yahoo!ニュース-個人)の紹介(2017.9.6_2155に人物関係図を修正)

そもそも、私がなぜカルピスに関するこのニュース記事にたどり着いたかと言うと、7月7日が七夕の日であると同時に、1919(大正8)年カルピスが発売された日であり、七夕の前後、私の目にTwitterで共有されたニュース記事が流れてきたからです。つまり、私にはこの7月に蔵出しをしておきたい話題でした。

 

そのあたりは、ニュースの冒頭に書いてあります。では、内容を見ていきましょう。

 

カルピスの日に思い出す、二人の「カルピスの父」

田中淳夫 | 森林ジャーナリスト
7/7(金) 20:06

7月7日は七夕だけでなく、カルピスの日、なんだそうである。

カルピスはカルピス株式会社が製造する乳酸菌飲料であることは知ってのとおり。長く「初恋の味」のキャッチフレーズで有名だった(今も使っているのか?)。
その最初の発売日が、1919年7月7日だった。だから7月7日はカルピスの日なのだ。ちなみにデザインの水玉模様も天の川を表わしているとかいないとか。

 

 カルピスを発明したのは、三島海雲。だから「カルピスの父」と言えば三島なのである。彼の人生は波瀾万丈で面白い。ちゃんとした評伝があれば読んでみたいものだが、ここでは彼の陰で事業を支えた、もう一人の「カルピスの父」がいたという話に触れたい。

カルピスの日に思い出す、二人の「カルピスの父」(田中淳夫) - 個人 - Yahoo!ニュース

青春の甘酸っぱい恋を想起させるCMの演出は、カルピスウォーターの演出にありますが、その原点は、カルピスのキャッチフレーズが「長く「初恋の味」」であったこととも関係がありそうです。そして、カルピスのイメージが夏、特に7月と切ってもきれないのが、販売促進の面で、「デザインの水玉模様も天の川を表わしている」という説から、窺えます。

だからこそ、7月中に本記事を書いておきたいのが、私の個人的な事情でした。さて、「カルピスの父」の一人・三島海雲が中国大陸にいた頃の話に移りましょう。ちょっと、話が長くなります。

 

 三島は、もともと寺に生れて仏教を学んでいたが、宗教者には向いていないと悟ったのか、1902年に中国大陸に渡って事業を企てた。


 そして北京で出会い意気投合したのが、土倉五郎である。そしてその兄の土倉四郎。二人は、吉野の山林王と言われた土倉庄三郎の4男と5男だった。庄三郎は明治時代をリードした林業家で、その財で多くの政治家を支援するほか各地に植林を広めたり学校に援助などしたが、子息の多くは外国を夢見ていた。


 三島は、この二人と内モンゴルで馬を買い集めて日本陸軍に売りつける商売を行っていた。元手は土倉家が出したようだ。


 だが、辛亥革命で一文なしとなり、帰国した三島の思いついた次の事業が、内モンゴルで味わった乳製品、今で言えばヨーグルトだった。それを真似て商品化したものの、量産に失敗して挫折。

 

 そこで頼ったのは、土倉家の次男・龍次郎だった。彼は台湾で1万ヘクタールの山を租借して林業を行うほか、樟脳生産や水力発電計画など多くの事業に取り組んできたが、すべてを売り払って帰国後はカーネーション栽培に打ち込んでいた。だから「カーネーションの父」と呼ばれる人物だ。

 

 龍次郎は、三島がラクトー株式会社を設立するのを応援し、自らも監査役に入っている。(社長には、資金を出した龍次郎の元部下・津下紋太郎が就任。)
まず乳酸菌入りキャラメルなども出したが上手くいかなかった。そこで次に取り組んだのが脱脂乳からつくった飲料だった。この新たな乳酸菌飲料を龍次郎は試飲して太鼓判を押した。そこで大々的に生産し、宣伝を繰り広げて売り出したのである。これが今に続くカルピスだ。

 つまり、土倉家の面々、とくに龍次郎がいなかったら、カルピスは世に出なかったかもしれないのだ。

 

カルピスの日に思い出す、二人の「カルピスの父」(田中淳夫) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

三島海雲が出会った土倉家の人々の関係が分かりづらいため、仲見の得意技である人物関係図を作ってみました。 

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(画像:三島海雲と土倉一族の関係図、仲見満月による作成、その他の参考:三島海雲 - Wikipedia)

 

 改めて、関係図に起こしてみると、父親の庄三郎の奈良吉野での林業を皮切りに、土倉一族は、様々な事業を各々でしていんだろうと思われます。そのなかで、最初に五郎、次に四郎が出会い、辛亥革命で三島が帰国した後に頼ったのは、次男の龍次郎でした。龍次郎は当時、日本統治下の台湾で様々な事業を展開していましたが、それらを売り払った後は、カーネーションに専念したとはいえ、頼って来た三島のラクトー株式会社の設立と送り込む人選、そしてカルピスの開発・販売の流れを見ますに、どうも台湾時代までに培った経営手腕を使って、三島をフルにバックアップした印象を受けます。

 

ニュース記事の筆者・田中淳夫さんは森林ジャーナリストということで、得意な分野の林業をやっていた土倉庄三郎の方面から書き出したのかもしれませんが、それが現在の日本の夏によく飲まれている乳酸菌飲料のカルピスと結びつけるとは!私もこのような記事を書いてみたいものです。

 

ニュースの続きに戻りましょう。

 

 ところで龍次郎の長男・冨士雄は、1970年からカルピス株式会社(ラクトー株式会社の後身)の社長に就任している。彼は業績を大きく伸ばした一方で、文化活動にも熱心だった。たとえば当時スポンサードを務めていたテレビアニメ「フランダースの犬」の脚本をチェックして演出や音楽まで指示を出していたことで有名である。


 ほかにも三島と関わり、事業を応援した土倉家の人々は何人もいる。三島自身が「土倉家は私の恩人である」と幾度となく語っている。

 ちなみに今年7月19日は、土倉庄三郎の没後100年に当たる。今宵の七夕は、そんなカルピス誕生秘話を肴にビールでも飲むか。……だって、手元にカルピスがないから

(笑)。

カルピスの日に思い出す、二人の「カルピスの父」(田中淳夫) - 個人 - Yahoo!ニュース

1970年、社長に就任した龍次郎の長男・冨士雄の文化活動に対し、土倉家に恩義を感じていた三島海雲のほうは、文化活動について、どのようなことをしたのか。

 

三島海雲 - Wikipediaの「思想」を読むと、そこには仏教の濃い影響があると共に、最後に、

また<カルピス文化叢書>で東洋史学者の 矢野仁一・小島祐馬・桑原隲蔵・羽田亨を講演録を再刊するなど東洋文化興隆に晩年力を入れた。

三島海雲 - Wikipedia

とありました。Amazonで「カルピス文化叢書」のキーワードで検索すると、書影は出てきませんが、確かに上記の東洋史学者たちの著書が結果として表示されました。

 

恩人に当たる土倉家の人々と出会い、カルピスを生み出すきっかけとなった乳酸品を三島が見つけた土地である中国大陸、そしてアジア。次の第3項では、三島が晩年に設立した三島海雲記念財団に対する彼の思いと、学術研究奨励金のことを紹介します。

 

 

3.三島海雲記念財団とその学術研究奨励金の話

三島は晩年、自分の名前を冠した財団を設立します。それが「三島海雲記念財団」です。彼が財団を設立した経緯、および財団に対する思いは、次のようなものでした。

 

全財産を投じた三島海雲記念財団


常に「国利民福」を目指してきた海雲は、1962(昭和37)年12月、全財産を投じて「三島海雲記念財団」を設立しました。財団設立に際して、海雲は、『私が今日あるのは、それは私の先輩、友人、知己、さらには国民大衆の方々の「カルピス」に対する惜しみないご声援によるところのものであると思った。したがって私の得られた財物は、ひとり三島海雲の私するものではない。あげて社会にお返しすべきものである。そして、お返しする方法として、財団を設立することが望ましいとした』とあります。


そこで、自然科学のみでなく、それを支える良識すなわち人文科学の分野の研究を含めて助成し、これらの研究成果を応用して人類の福祉に寄与することを設立の趣旨としました。


そして海雲は、自らを「一粒の麦」にたとえました。「私欲を忘れて公益に資する大乗精神の普及にあり、広野にまかれた一粒の麦になりたい」-それが、海雲の財団設立に託す思いでした。

(カルピス®の生みの親 三島海雲|カルピス®の想いと歩み|CALPIS)

 

大企業の創業者が社会への「恩返し」として、財団を設立し、社会事業を支援するよう願うことがあります。三島の場合、それは後世の研究者たちに対する学術活動を助成する制度の財団について、「自然科学のみでなく、それを支える良識すなわち人文科学の分野の研究を含めて助成し、これらの研究成果を応用して人類の福祉に寄与することを設立の趣旨」としました。

 

研究助成の制度は、設立趣旨のとおり、下記の2部門があります。

1.自然科学部門:食の科学に関する学術活動

2.人文科学部門:アジア地域を対象とし、哲学、史学、文学を中心とする人文社会科学分野における学術活動

学術活動支援(助成) - 三島海雲記念財団

 

そして、助成制度は、 「学術研究奨励金(助成)」と「学術活動支援(助成)」の2つに分かれています。

 

 3-1.学術研究奨励金(助成)

具体的な学術研究活動助成制度には、まず、冒頭で触れた「学術研究奨励金(助成)」があり、上記の助成分野の各基準は、

自然科学部門 食の科学に関する学術研究
       上記「食の科学」に関する学術とは、食品素材、製造・加工・調理、発酵・微生物利用、栄養・嗜好・生理機能、食の安全、疾病予防等に係る研究


人文科学部門 アジア地域を対象とし、史学・哲学・文学を中心とする人文社会科学分野における学術研究(但し、日本を中心とする研究は除く)

共同研究奨励金 - 三島海雲記念財団) 

と明記されています。奨励金は、以下のように個人研究と共同研究の2つが対象とされています。

 

  1.個人研究奨励金…個人研究を対象とし、応募する研究者個人に対する助成金

  (共同研究者のあることを妨げない)で、年令制限ない。若手研究者及び女性研究者の積極的応募を期待したもの。

  金額:一件当たり100万円(件数52件程度(両部門計)、総額5,200万円)

  応募資格は

①日本在住の研究者(国籍は問いません)、及び海外在住の日本人研究者
②大学院博士課程<後期>在籍者(及びそれに相当する大学院生)

(個人研究奨励金 - 三島海雲記念財団)

 

 2.共同研究奨励金 …「複数の研究機関又は異なる部局の研究者が、共通の課題について、共同して行う研究を対象とし、共同研究グループに対する助成金」。

金額一件当たり 200~500万円
件数3~5件程度(両部門計) 総額1,500万円程度

(共同研究奨励金 - 三島海雲記念財団)

 応募資格は、

①共同研究の代表研究者
代表研究者は国内の大学・研究機関に所属していること。共同研究者は国籍、所属研究機関の所在地を問わず。
②共同研究者の1名は、代表研究者と異なる外部研究機関あるいは部局に所属していること。 

共同研究奨励金 - 三島海雲記念財団

です。いずれも募集期間は、毎年1月中旬から2月下旬で、電子申請の方法がとられているようです。 

 

ちなみに、平成29年度の個人研究奨励金の人文科学部門の採択された全17件中、私がピンポイントで面白いと思ったものは、「妖怪の登場する縁起説話の研究―日韓の文化比較の視点から」(朴 美暻、京都大学大学院文学研究科、非常勤講師)、「中国西部客家の実態化を巡る人類学的研究―アイデンティティの変容とその技法の解明― 」(星野 麗子、総合研究大学院大学文化科学研究科、博士課程)*2の2つでした。また、同年度の共同研究奨励金の同部門では、「イスラエル国テル・レヘシュ新出土初期シナゴーグの考古学的・宗教史学的研究」(長谷川修一、立教大学大学院キリスト教学研究科/文学部 准教授)が採択されていました*3

 

個人研究にしても、共同研究にしても、応募者もしくは応募の代表者は、日本国内外のいずれかの研究機関に所属していることが、実質的な採択基準となっているようです。個人研究で採択された方の中には、非常勤講師というフリーランスの立場に見られやすいものの、非常勤講師として教えに行っている大学を所属先として申請し、助成を得た人もいらっしゃいました。

 

 3-2. 学術活動支援(助成)

こちらは、「本事業は、大学、研究機関、学会などが主催する学術活動に対して支援」されるもので、単発の国際シンポジウムや、単発の学術会議等が支援の対象となっていそうです。助成対象を詳しくみると、先の2部門に関する学術活動で、

クローズドな活動でなく外部/新たな参加者を認めるもの

なお、下記の学術活動は原則として対象外とします。

(1)国内で開催される学術集会の定例的な年会や季会
(2)当該年度に既に当財団が採択した助成金と同一の学術活動

学術活動支援(助成) - 三島海雲記念財団

といった、定期的な全国大会のような学会の催事は対象外となっていると思われます。

 

応募資格者は、「学術活動の責任者又は主催者」、助成内容としては、「1件に原則として50万円程度を、各期1件程度を助成」すると明記されています。募集期間は、年度内で2回あるようです。

 

 3-3.小結

以上、財団のサイトを読んで、2つの「学術研究活動助成制度」を紹介しました。前者の学術研究奨励金(助成)」の個人研究のほうは、様々な大学の非常勤講師をしている不安定な身分の研究者であっても、非常勤に行っている大学を所属先として申請することで、研究が助成対象として採択されることがあるのが、専業非常勤として働く若年世代の研究者には救いになるかもしれません。あと、個人研究に100万円は、人文科学部門の個人研究にとって、高額な本を買う必要がある人にとって、大きな助けとなるでしょう。

一方の共同研究のほうは、代表になる人にきちんとした研究機関に所属先がなければ応募できず、専業非常勤の若手同士で共同研究の応募は難しそうです。安定した雇用形態の准教授や教授のポストにある先生を研究代表者にして、応募するなら可能かもしれません。

 

「学術活動支援(助成)」のほうは、例えば少し特殊なテーマの国際シンポジウムを企画して行う場合、主催者の側に駆け出しの若手研究者が複数いた場合、論文を書かせて集め、シンポジウムのパンフレットや冊子、論文集として印刷・発行するお金に使えたとします。業績の少なかった若手研究者にとっては、国際的な学術イベントの場での経験、そして経歴が増えることは、今後のキャリアにとって、大いにプラスとなるのではないでしょうか。

 

 

4.最後に

今回は、七夕の日はカルピスが発売された日であり、カルピス誕生の経緯とその背景には、三島海雲、彼のビジネスパートナーであった土倉一族の特に土倉龍次郎の存在が大きかったことを、ニュース記事を通じてお伝えしました。その次に、メインとなる三島海雲記念財団の学術研究活動助成制度には、自然科学と人文科学の部門があって、特に人文科学の部門は、三島自身が財団設立時に強い思い入れを持っていたことを述べました。そして、各助成制度のシステムや助成金の応募資格、助成される金額を紹介しました。

 

私が特に注目したのは、三島海雲記念財団の「学術研究奨励金(助成)」の「個人研究奨励金」の人文科学部門で、個人だけで100万円も助成金がもらえるということで、年々、大学図書館の図書購入費用が減らされている大学に通う院生やっ研究職員にとっては、自分で本が買えるお金が得られるのは有り難いです。また、海外調査の必要な研究テーマの人にとっても、使えるお金が増えることで、今まで行けなかった場所に調査に行けるとか、研究の幅が広がりそうです。

また、非常勤講師であっても、教えに行っている大学を所属先を指定して応募すれば、採択される可能性があるというのは、専業非常勤講師の若手研究者にとっては、大きな希望となのではないでしょうか。

 

実は、私と周辺の人たちにとって、人文科学部門の東洋学分野は、応募できる助成金制度がテーマや分野ごとにまちまちで、微妙に申請することが限られてしまったことがありがちでした。なので、特定の宗教や美術史、国や狭い地域に限定されず、フィールドがアジアであり、「史学・哲学・文学を中心とする人文社会科学分野における学術研究(但し、日本を中心とする研究は除く)」という緩めの研究テーマの採択基準は、境界分野で研究論文を書く者たちにとっては、「三島さん、ありがとう、ありがとう!」と、涙を流しながら感謝したいところです。

 

今回ばかりは、カルピスとそのメーカーの創業者の方に、感謝せずにはいられません。院生時代、私も応募しようとしましたが、大きなテーマの文章を分割し、投稿論文を2本に纏め直すのに精いっぱいで、「学術研究奨励金(助成)」の「個人研究奨励金」の人文科学部門の書類を作成する余裕はありませんでした。

 

また、次のガクシンの特別研究員:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

の該当者の方の三島海雲記念財団の助成金制度への応募については、ガクシンのほうで既定の緩和があったそうです。詳細は、三島海雲記念財団ホームページの「お知らせ」一覧をご覧ください。

 

ひとつ、気を付けるべきことは、研究者の研究資金の使い方に対する「締め付け」:後編~大学教員の場合と民間の助成金が下りたケースetc~ - 仲見満月の研究室の「6.民間の助成財団への申請で助成金が下りた場合」で書いたように、

助成団体からの研究資金を所属先に移管して、そこから物品購入を行う時に気を付けることは、次のルールです。


移管先の大学の研究費使用のローカルなルール>民間の助成団体の助成金規則など
         


例えば、助成金を申請した研究プロジェクトを手伝う院生やアルバイトの人に、飲み物やお菓子を買って、そのお金を助成金から計上して出したいと、申請者の大学教員が考えたとします。助成団体の規則上、OKだったとしても、移管先の大学で禁止されていれば、飲食物を助成金では買えません。

研究者の研究資金の使い方に対する「締め付け」:後編~大学教員の場合と民間の助成金が下りたケースetc~ - 仲見満月の研究室

 といった「締め付け」があります。三島海雲記念財団の助成金についても適用されるでしょうから、採択された方は十分、お気をつけください。

 

このほか、サントリー文化財団をはじめ、人文・社会学系分野の研究助成制度を設けている団体はあるので、調べたられたら順次、ここで取り上げていきたいです。

 

長くなりましたが、最後の最後に、三島海雲とカルピスに関する本を挙げて、本記事を閉めさせて頂きます。 

 

 

 

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