仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

【2017.9.10_1330追記】江戸後期に最先端の「青」を生み出したドイツの錬金術師~「若冲の青」を再現 豚レバーで世界初の人工顔料(日経新聞 from 日経サイエンス、2017.10)~

<本記事の内容>

1.はじめに

「18世紀の江戸、裕福な商家の問屋出身だった」、「朝鮮通信使の宿泊する相国寺の僧侶と親しく、その影響か、朝鮮王朝時代の絵師のユーモラスな虎と、同時代に似た画風で可愛らしゅう見える虎を描いている」、「アラフォーの頃、同年代の末弟に家督を譲って、自分は早々に隠居して、昆虫や動物など生物の絵ばかり描いていた」、「実は、京都の町年寄として、錦市場の再開をめぐって、積極的に介入しており、それなりに仕事関係の案件でも動き回っていたがことが、昭和初期に判明した」…。

 

以上が、近代に近づいた江戸期の京都で、絵師をしていた伊藤若冲に関する知識です。だいたい、学部時代以前から続いていた「伊藤若冲ブーム」により、展覧会が日本各地で開催され、出かけた特別展で私が聞きかじったり、伊藤若冲 - Wikipediaのページで閲覧したり、その程度の知識しか、私はビジネスを仕切りつつ、リアルなようでいて、時にユーモラスな画風の絵師だった、この男については知りません。

 

近現代の日本の絵師では、幽霊画などで有名な河鍋暁斎と並んで、気にしていたのが、この伊藤若冲でした。はてなポータルを今週末、眺めていたところ、その気にしていた片方の絵師の使用顔料を再現してみようではないか、というオンラインニュースが話題となっておりました:
www.nikkei.c

 

実はその数日前、Twitterで「日経サイエンスの小特集には、伊藤若冲の昆虫絵画の作品についても、専門家の対談記事があるらしいよ」とツイートした方がおりました。前者の顔料は美術史×化学、後者は美術史×昆虫学!面白いではないか、ぜひ読もうと、杖をついて痛む脚を引きずり、書店へ行って、日経サイエンスの10月号を買ってきました:

 

 

件の「「若冲の青」を再現する」特集は下の扉ページ、左下の魚のルリハタのプルシアンブルーという色について、人工的に再現しようという試みでした: 

f:id:nakami_midsuki:20170909205348j:plain

(画像:『日経サイエンス』2017年10月号、p.55) 

何やら難しい構造モデルの画像つきで、 内容がスムーズに頭に入ってこない内容でした。そこで、本記事では、「「若冲の青」を再現する」日経サイエンスの記事について、紹介した先の日経新聞のオンラインニュースを通じて、「若冲の青」は一体、何を材料にどうやって再現されたのか、迫ってみたいと思います。

 

 

2.「若冲の青」を再現 豚レバーで世界初の人工顔料(日経新聞 from 日経サイエンス、2017年10月号)の内容

 2-1.その色は錬金術師の工房で生まれた

いつもどおり、さっそく、内容を引っぱってきて、読みましょう。

 

日経サイエンス

若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから
2017/9/8 6:30

 自然界の動植物を緻密な表現で描き出した江戸時代の絵師、伊藤若冲は、当時日本に入ってきた西洋の新しい顔料「プルシアンブルー」を、いち早く日本の絵画に用いたことでも知られる。代表作「動植綵絵(さいえ)」の大修理の際に行われた科学調査から、1766年に描かれたとみられる「群魚図」のルリハタの図にプルシアンブルーが使われていることが明らかになり、注目を集めた。プルシアンブルーは世界初の人工顔料で、18世紀初め、ある錬金術師の工房で偶然に生まれた。日経サイエンスでは今回、そのプロセスを再現し、実際に若冲のルリハタを描いてみた。

(「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから :日本経済新聞)

伊藤若冲は、当時としては「西洋の新しい顔料「プルシアンブルー」を、いち早く日本の絵画に用いたことでも知られる」絵師だったようです。「科学調査から、1766年に描かれたとみられる「群魚図」のルリハタの図にプルシアンブルーが使われていることが」分かりました、と。

 

このプルシアンブルー、世界で最初の人工顔料で、経緯を見ると「18世紀初め、ある錬金術師の工房で偶然に生まれた」とあります。錬金術師が工房で作業していたと聞くと、私は、18世紀にドイツのザクセン選帝侯・アウグスト2世に錬金術師として招いた人物で、マイセンの城郭に閉じ込められて、白磁製法の研究をさせられた、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを思い出します。

 

もしかして、プルシアンブルーも錬金術師という、今でいう科学者たちの犠牲のもと、作りだされた人工顔料ではないのだろうか。ベドガーに対する感傷に浸りながら、日経新聞の続きを読みましょう。

 

 プルシアンブルーが誕生したのは、プロイセン(現在のドイツ)の首都ベルリンだ。錬金術師で神学者、医師でもあったヨハン・ディッペルが、動物の骨や角、血液にアルカリを加えて熱して分解し「ディッペル油」を作っていた。

 

 彼の工房にいた染料・顔料業者のヨハン・ディースバッハはある日、カイガラムシから取った赤い色素から顔料を作ろうとした。だが作業に必要なアルカリが切れており、ディッペルに動物油の製作に使った後のアルカリを借りた。これを硫酸鉄とともに色素に加えると、突然、鮮やかなブルーが現れた。

 

 一体何が起きたのか、当時の2人にはわからなかったろう。現代の化学の知見に照らすと、動物原料の中にあった窒素と炭素が容器の鉄などと反応して鉄のシアン化物が生成し、さらに複数の反応が重なってプルシアンブルーが生じたと考えられる。

(「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから :日本経済新聞)

 

この青は英語名であり、「プルシアン」=「プロイセンの」と言う意味を持っているようです。プロイセンの首都ベルリンで、兼業することの多い錬金術師・ヨハン・ディッペルの工房で偶然、生まれました。その製法は、現在振り返ると、こんな感じでしょうか。

  1. 工房で「動物の骨や角、血液にアルカリを加えて熱して分解し「ディッペル油」を」作る。
  2. ディッペルの工房の染料・顔料業者のヨハン・ディースバッハが、「ある日、カイガラムシから取った赤い色素から顔料を作ろうと」したが、アルカリ切れが起こっていた。
  3. ディースバッハが、ディッペルに動物油の製作に使った後のアルカリを借りた。
  4. 動物油の製作に使った後のアルカリを、硫酸鉄とともに色素に加えると、突然、鮮やかなブルーが現れた。

 

ここで私は、彼らがベドガーのような状態で、青い顔料を作り出してしまったのではないかと、少し心配になり、二人のことをネット検索しました。すると、紺青 - Wikipedia

の「歴史」のところに、二人の名前が出てきました。

1704年にベルリンにおいて錬金術師ヨハン・ディッペル(ドイツ語版)のもとで顔料の製造を行っていたヨハン・ディースバッハ(ドイツ語版)によって偶然発見されたとされている(ディッペル・ディースバッハ法)。当時の欧州には比較的安価な青色顔料「アズライト」がイタリア・ヴェネツィアを通して輸入されていたが、イタリアより北のドイツなどの国には届いておらず、紺青は高価なアフガニスタン産のラピスラズリ製顔料「ウルトラマリン」(フェルメールレンブラントの時代までは主要な顔料だった)をすぐに駆逐し、陶磁器に彩色するためにも広く使用されるようになった。その後、彼の弟子によってパリでも製造されるようになったが、製造方法は秘密とされていた。

紺青 - Wikipedia

2人の経歴に関するページをメチャクチャな日本語に翻訳し、ざっくりと読みましたが、ベドガーのように閉じ込められてはいなかったものの、それなりに波乱万丈な人生だったようです。 

 

2人についてネット検索して、分かったことは、どうやら「プルシアンブルー」のに日本語名が、「紺青」(こんじょう)と呼ばれるということでした。確かに、紺青 - Wikipediaの冒頭にある顔料としての紺青生製法は、

紺青(こんじょう)とは、鉄のシアノ錯体に過剰量の鉄イオンを加えることで、濃青色の沈殿として得られる顔料である。 

紺青 - Wikipedia

と書かれていました。この出来上がり方は、日経新聞にあったプルシアンブルーが生成された仕組みについて、

現代の化学の知見に照らすと、動物原料の中にあった窒素と炭素が容器の鉄などと反応して鉄のシアン化物が生成し、さらに複数の反応が重なってプルシアンブルーが生じたと考えられる。

(「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから :日本経済新聞)

と解説。私は化学のことはよく分かりはしませんが、2人のドイツ人が生み出したときも、現代の解説でも、鉄のシアン化物に何らかの形で反応がおこり、鉄イオンが加わる形で「プルシアンブルー」ができたということは理解できます。

 

 2-2.プルシアンブルーを再現する 

さて、200年ほど前のベルリンで生まれたこの顔料。現代の日本では、どうやって再現するんでしょうか。「「若冲」の青を再現する」掲載の『日経サイエンス』編集部では、こんな実験をやったそうですよ。

 

  編集部では今回、化学が専門の田中陵二群馬大学非常勤准教授の協力を得て、この過程を再現した。動物原料には、スーパーで買った豚のレバーを用いた。実験の過程で、赤いレバーは加熱により黒くなり、さらに黄色、白と変化して、最後に濃いプルシアンブルーになった。これをにかわと混ぜて絵の具にし、画家の浅野信二氏にルリハタを描いてもらった(写真)。

(「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから :日本経済新聞)

f:id:nakami_midsuki:20170909185445j:plain (写真:『日経サイエンス』2017年10月号、p.59)

 

今回の本誌の再現実験では、豚のレバーから炭素と窒素を採取するところから、開始されています。本誌のp.58~59では、レバーをすりつぶすし、プロシアンブルーの顔料が出来上がって、画家の浅野さんが伊藤若冲のルリハタを描く様子まで、写真付きで載っています。

 

なお、実験チームの方々は、『日経サイエンス』2017年10月号の本紙に掲載されている、次のお二方です。

f:id:nakami_midsuki:20170909190318j:plain

 (写真:『日経サイエンス』2017年10月号、p.59)

 

 2-3.プルシアンブルーと江戸後期の日本

オンラインニュースの終盤、プルシアンブルーが日本に入って来た経緯と、伊藤若冲のことについて、書かれている部分を見てみましょう。

 プルシアンブルーがオランダから長崎に伝えられたのは18世紀半ばだ。以前は平賀源内が1770年代前半に描いた「西洋婦人図」が、日本の絵画の中では最も早い使用例とみられていた。本草学者で蘭学者、外国通だった源内が、いち早くプルシアンブルーを入手し、西洋画に用いたのは想像に難くない。一方、若冲は西洋の技法にも素材にもあまり縁がない。にもかかわらず、源内の5年以上も前にプルシアンブルーを使っていた。

 

 若冲は「色に執着した画家」だったと、調査チームの太田彩・宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官は話す。質のいい絵の具をふんだんに使い、様々な技法を駆使して、色の表現を追求した。西洋からきた稀少な絵の具を、是非とも使ってみたかったのかもしれない。

(実験の詳細は発売中の日経サイエンス10月号に掲載)

(「若冲の青」を再現 18世紀の製法、豚レバーから :日本経済新聞)

やはり、新しいものと縁の深い平賀源内さん、「1770年代前半に描いた「西洋婦人図」が、日本の絵画の中では最も早い使用例とみられていた」。一方の若冲は、技法にも素材にも縁がなかったものの、調査チームの太田彩・宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官は、「若冲は「色に執着した画家」だった」と話しているそうです。

 

確かに、冒頭にエピソードとして出した虎の絵は、暖色がカラフルに使われています。!それに、題名は忘れましたが、四角い升目をひとつひとつ着色して並べ、ゾウが描かれるなどした絵画は、どこかの特別展で私は見たことがあり、そこには非常に繊細な色の感覚を持つ描き手の面影が感じられたものでした。

 

 

3.最後に 

以上、日経サイエンスの今年の10月号に掲載された、伊藤若冲の使った「プルシアンブルー」の再現記事について、大まかに紹介された日経新聞のオンラインニュースを中心に、取り上げてみました。

 

化学がさっぱりな私は、再現実験よりも、プルシアンブルーの顔料が作られた経緯の物語に惹きつけられるところがありました。そこには、宗教職や医療職と錬金術師が職業的に不可分だった時代背景があって、そこに「染料技術者」や「化学技術者」という職業はありませんでしたから、仕方なかったのかもしれません。当時から「錬金術師はうさんくさい!詐欺師だ」と見られていた一方、鮮やかなプルシアンブルーを生み出し、その顔料はオランダ経由で開国前の日本に伝えられ、京都の絵師がルリハタを描くのに使われました。

 

約200年後、その絵師が大きく評価されるようになると、「群魚図」のルリハタに科学的な注目がなされ、使われた顔料の再現実験がなされる運びとなりました。当時は、職のイメージ伴う、胡散臭いと戦いながら、兼業もして、必死に顔料の開発をしていたディッペルや、染色屋のディースバッハたち。今となっては、名も知れない「職人」たちのチャレンジがなければ、鮮やかな人工顔料は生まれず、現代の我々の生活を豊かにする色彩は、非常に乏しいものになっていたかもしれません。

 

そのような文脈において、18世紀ドイツの錬金術師たちの努力は、今の異国の私たちの生活を支えるものとなっているのではないでしょうか。ある青の顔料の製造の歴史を知ることで、今回、私は200年ほど前のドイツの名もなき大勢の錬金術師や「職人」たちの存在に、感動をせずにはいられませんでした。

 

どんな些細な道具にも、そこには誕生や製造に関わった歴史的物語がある。そう考えて、『日経サイエンス』2017年10月号の伊藤若冲特集をじっくり読もうと、思いました。

 

 

4.余談:現代の「錬金術師」である化学系の職業研究者の処遇(2017.9.10_1330追記)

錬金術師が胡散臭かった。といえば今回、再現実験に協力なさった「現代の錬金術師」と言ってもいい、「化学が専門の田中陵二群馬大学非常勤准教授」。肩書の「非常勤准教授」自体が、18世紀の当時の人々が抱いていたであろう、錬金術師の胡散臭いイメージに重なってくるようで、ちょっと哀しい感じがしました…。田中さんについて、調べると

www.php.co.jp

というところに、ご経歴が出てきました。あちこちの民間や財団の研究所、大学を渡り歩いたような、流動研究員のようなご経歴をお持ちのようです。

 

再現実験にご協力なさった田中さん。18世紀ドイツの錬金術師たちのように、いろいろとツッコミは受けているようですが、逞しく研究業界を生き抜いておられます。そう思って、ご著書のまずまずの評価のものに対して、購入リンクを貼らせて頂こう。そう思った執筆管理人でした。

 

 

(2017.9.10_1330追記)

昨夜から現在にかけて、田中さんご本人(と名乗る方)から、当記事に関する、ご連絡を頂きました。補足のようなコメントを頂きまして、

 ・ツッコミの件は、いろいろ相手の都合で、他の関連するネット上の記録が消えていること…だから、仲見はツッコミまとめのページを鵜呑みにしないことにしました

 ・兼任しているらしき研究所のほうで、PI(研究室やプロジェクトの主宰者)やってるし、好きなことを色んな媒体で書かせてもらってるから、「ちょっと哀しい」感じはしないことに

とのことでした。

 

少なくとも、ご本人は近世の錬金術誌のような、ベドガーのように城に閉じ込められて研究させられたり、ディッぺルのように職のイメージから来るネガティブな反応と戦ったり、 ということはなさそうです。

また、理系であっても、就職(ましてPIとして)するのが大変らしい日本にあって、お好きなことを書いてお仕事をされているとのこと。ちょっと、ほっこりしました。

 

 

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