仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

【 #ツイキャス 講談録】『村田エフェンディ滞土録』とその周辺の話:作品の概説編

<今回の内容>

0.ツイキャスの録画ラジオを文字に書き起こし

今週、ニュースを中心にした記事で、久しぶりに研究と関連したテーマで書きたいな、と思いました。以前、ツイキャスで朗読シリーズで扱い、その書評の録画ラジオを文字に起こしました:

twitcasting.tv

30分間、一冊の本について語り続けて、音声認識で書き起こしてみたら、7000字台でした。2回に分け、補足情報を入れると、ちょうど、はてなブログの記事として読みやすい4000字くらいの長さかな、と判断して掲載することに致しました。

 

語りのテキスト化ということで、読みにくい箇所が多いかと存じますが、いつものオピニオンタイプの記事の半分以下の長さです。どうぞ、お付き合い頂けましたら、幸いです。 

 

f:id:nakami_midsuki:20170915174555j:plain

  (以下、2017.6.19の録画ラジオの書き起こし)=================

 

 

1.はじめに

ラジオ配信で、ここ最近ずっと朗読していた『村田エフェンディ滞土録』について、ちょっと話をしたいなと思って、ライブ配信をしております。

 

プッシュ通知を送信して、ライブ開始を知らせようとして、ちょっと準備しています。

 

はい送信しました。どのくらいの人が、聞いてくださるか分からないんですけど、ちょっとコメントのほうから、ちょっと切り替えて、選びました。

 

(こちら↓)

naka3-3dsuki.hatenablog.com

っていう(メインブログの)記事がありまして、これ私のツイキャスの「ライブ」メニューの「コミュ」を開けて頂くと、それでちょっと、今ライブの方から飛んでいきました。

 

この記事は、私が非常勤講師をしていた時、イスラムに関する近現代史のあたりを単元でやていてい、「高校生が読んで、世の中のことがわかるように説明するにはどういう本を使ったら、よいのか」ということを考えました。それで、選んだ本の第二冊目に、(『村田エフェンディ滞土録』を)入れました。実は、結構この『村田エフェンディ滞土録』って言うのは、私が選んだ、人生における文章で書かれた小説、本、ノンフィクションの中でも結構上位に入る本です。

 

 

 

2.『村田エフェンディ滞土録』について

 2-1.物語の概要

本書はどんな内容かって言うと、舞台は、(ツイキャス録画の本書の朗読)シリーズの第一章に出てきます。1899年、トルコの首都イスタンブール。作中では、スタンブールって呼ばれたり、君府って呼ばれたり、コンスタンティノープルって呼ばれたりしてます。一方で、トルコ皇帝は、トルコ語で言うところ、またはイスラムの君主や領主、支配者かな?といった存在を指す「スルタン」と言う人がいるんですけれども、日本語で訳されると「皇帝」がですね。

 

このトルコの皇帝の招きで、留学中の日本人の村田君。で、学者に対する対する尊称などという意味で、エフェンディって呼ばれてましたね。この村田エフェンディは、ギリシャ人ののディミィトリス、それからドイツ人のオットーといった学者仲間たちと一緒に、イギリス人のディクソン夫人がやってる下宿で、議論にに明け暮れるましたで。また、下宿のムスリム使用人のムハンマドや、そのムハンマドが拾ったオウムの叫び声に閉口したりとかね。口を閉じて呆れちゃったり、(思考が)止まったりとかしながら(暮らしていました)。

 

それから、異国の神様たちがお守りに憑依したりとか、遺跡から遺物が色々出てきたりするんですね。あのアナトリアのほうとか、サロニカとかも、行ってきたりとか、ディミィトリスがしています。その関係で、ちょっと神々同士の騒動でとばっちりを受けたりして、まー、色々あって大変だったりするんですけど、村田君はそれなりに楽しい日々を過ごしていました。

 

そう言う楽しい日常の中で、やっぱり青年トルコ青の革命だったかな?起こる様な気配が、どんどん、どんどん作品の中で出てきます。そして、村田君に突然の帰国命令が下ります。緊張、緊迫するバルカン情勢ですね。今で言うと、ギリシャが一番南にありますけど、その北マケドニアとか、ボスニア・ヘルツェゴビナ、旧ユーゴスラビアあたりが、バルカン半島に当たりますね。北の方に行くとブルガリアルーマニアとかもありますけど、そのあたが、緊迫した状態になって第一次世界対戦が始まってきます。



仲良くやっていた下宿の人たちも、運命が引き裂かれて行きます。敵国、味方の国ってなって、裂かれていきます。

 

 2-2.物語の魅力的な登場人物や時代背景

  ①ディミィトリス

下宿の中でも、ディミィトリスがね、けっこう美しいと言われてるんですが、古代のギリシャ人哲学者の言葉からね色々と名言を出して、それが結構作品の中で輝いていると言うか、村田の心に突き刺さるような形で使われているのが印象的でしたで。

 

  ②日本人の山田氏

この高校世界史の教科書が出てこない、日本とトルコの関係なんですけど、(本書の)第一章のところで出てきた、エルトゥールル号(の遭難事件がありました)。トルコの皇帝から日本に(訪日するという軍艦が)ミッションを持って来ていたんですけど、それが今の和歌山県の沖の方で座礁しました。それを日本の地元の人たちが必死に助け、看病しました。そこからち、ょっと日本とトルコの近代の外交の道が開けてきました。

 

あと、両国を繋ぐ山田氏ですね。さっき(朗読したところ)の第5章の「アジの塩焼き」のところで出てきた、山田氏なんですけど、この人があのエルトゥールル号のあの艦隊で沈没しちゃった後に、「なんかトルコ(の艦隊)が大変なことに、大変なことになっている。亡くなった人がたくさんいる」って言うのを(どこかで)聞いたんでしょね。この山田って言う人にはモデルがいる様で、モデルになった人が募金を日本で集めた後、トルコに行くんですよ。単身で。

 

トルコ語も、まだまだわかんない。明治(時代)から、ちょうど大正(時代)に引っかかる頃だったと思います。山田何とか、モデルになった人物の下の名前は覚えてないですけど、その人物が、当時トルコに行って、トルコ語を勉強したり(します)。お話がだんだん進むにつれて、小説の中の山田氏が何をしてるかって言うと、「貿易からね、ちょっと経済的なつながりから日本とトルコの関係をつなげて行こう」って言うことで、貿易をするんです。実際にモデルになった山田氏の方も、貿易でやってたのかもしれないですけど、元々商売屋さんの出身の人だったようで(す)。多分、あの小説の中で貿易を始めて、「日本とトルコで交流していきましょうや」って行動してた、あの小説の中の山田氏の設定に引き継がれてるのかなっていうように、思いました。

 

山田氏のモデルになった方は、結構すごい人で、あの近代のトルコ軍の仕官学校があるんですけれど、そこでも自分もトルコ語を勉強しながら、日本語の教えてたんだったかな。よく覚えていないんですけれど(モデルになった人も)、とにかくその学校に勤めて、語学の教師もやってたと思うんです。そこで、後になって、トルコ革命が起こったり、トルコがどんどん第一次世界対戦で負けたりするんですけれども、結局、最終的に、大きいドンとトルコ共和国ができます。その初代大統領・ケマルアタチュルクって言う人がいるんです。そのケマルアタチュルクさんを士官学校で教えていたという意味で、非常に山田氏は(スゴイ存在です)。今でも親日だって言われたトルコって言われて、今だいぶトルコの国としての日本に対するイメージは、だいぶ変わってるみたいなんです。けれども、(話の横に置いておいて)その(歴史の)中でも、山田氏っていう存在を知っている人は、結構、見方が違うのかなって思っています。ハイ。




3.関連作品『家守奇譚』と『村田エフェンディ滞土録』の関係

今回シリーズで、ずっと読んで朗読している 『 村田エフェンディ滞土録』は、実はシリーズになってます。村田エフェンディには、日本にいた時からの友達がいて、その人が京都の大学にちょっと縁がある(伝手のある)人がいるそうです。その辺で、『家守綺譚』のシリーズが刊行されていますね。

 

家守綺譚 (新潮文庫)

 

その『家守綺譚』で、名前の通り、家に住んでいると家のメンテナンスをするしたり、郵便物を受け取ったりする(お話です)。(『家守奇譚』の主人公の)亡くなった友人のお父さんお願いで、家のお守をしている綿貫征四郎って人がいるんです。その人が、トルコにわたって留学してた村田君から手紙を受け取ったりして、「日本で今こういうことが起こっているよ」って言うことを喋りつつ、その綿貫さんが暮らしているお家の方でも、ちょっと変わった事が起きていたりしています。

 

怪奇現象と言うか、(本の)名前の通り、『家守奇譚』は伝奇小説ですね。「伝える」(の漢字)に、「奇妙」の「奇」。(2文字目は、)ごんべんに、右側の方は、「西」って書いて「早い」って書いてあるのかなぁ。物語とか、異種婚姻譚と、シリーズが刊行されていて、こちらもちょっと読んでいくと、近代日本の文士に憧れた綿貫さんが家のお守をしながら、どういうことをしていたのかなってのが分かって、面白いと思います。

(*ここで一旦、語りを停止)

 

(以下、再び、2017.9.15の追記)=======================

 

 

4.山田氏のモデル・山田寅次郎について

語っていた登場人物の山田氏のことについて、あまりに曖昧なことを言っていたと見直し、調べ直しました。彼のことは、関わったエルトゥールル号遭難事件 - Wikipediaの記事を読むと、モデルになったと思われるのが濃厚な、山田寅次郎にという項目が出てきました。

山田寅次郎
茶道宗徧流の跡取り、山田寅次郎もこの事件に衝撃を受けた日本人のひとりであった。彼は日本国内で民間から『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年に、集まった義捐金を携えて自らオスマン帝国の首都・イスタンブールに渡った。


山田が民間人ながら義捐金を持ってやってきたことが知られるや、彼は熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。このとき、皇帝の要請でトルコに留まることを決意した山田は、イスタンブールに貿易商店を開き、士官学校で少壮の士官に日本語や日本のことを教え、政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した。彼が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には、後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされる。

(エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia)

どうやら、茶道の一流派の跡取りだった模様。商売屋じゃないじゃん、と考えていたら、そういえば、茶道の創始者千利休は商人でした。そういえば、作中の山田氏も、自分は茶道の家元であり、貿易を始めた際、在土日本人の村田君に「茶道を始めた人だって、経済活動をしていたから、自分も貿易を始めるのだ」というような、ことを言っていた気がします。そういうわけで、実在の山田寅次郎も、「茶道の家元は元をたどると、茶道の創始者が商人だったから、あながち、私の発言もズレてない」くらいに、寛容に受け止めて頂けるとありがたいです。

 

「『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年に、集まった義捐金を携えて自らオスマン帝国の首都・イスタンブールに渡った」というのは、真実だったようです。ここは、本当にすごい行動力を発揮した人です。当時のトルコのスルタンをも、感動させたようであり、イスタンブールで貿易昇天始めるわ、士官学校で若い生徒に日本語や日本文化を教えるわ、「政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した」と無双っぷりを発揮していました。

 

後のケマル・アタチュルクについて、士官学校時代に教えていたことも本当のようです。また、日本とトルコを行き来している間、実業家として日本でも経済活動を行ったり、弟子たちの懇願で茶道の家元襲名をしたり、せわしない半生を送ったようです。ちなみに、wikipediaの独立したページでは、茶道で襲名した山田宗有 - Wikipediaとして、名前が出てきます。ここのwikipediaページには、戦後の1948年、「寅次郎は三島製紙(現・日本製紙パピリア)の会長を辞任して実業界から離れ、以後は茶道に専念、90歳で没した」そうで、波乱万丈な人生だったようです。

 

 

5.次回予告

本記事では、主に作品の概要と舞台となった近代トルコ、特に日本とトルコを繋いだ山田寅次郎について、掘り下げた内容でお送りしました。

 

次回は、「どうして、本書が思い入れのある本なのか?」とか、「歴史学や考古学から見た本書について、どう考えているのか?」など、より重い話を掲載する予定です。

 

ここまでで、5400字台となりました。一旦、おしまいにしますね。

 

*次回へ続く↓

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

 

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