仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

【'17.11.21_2205更新:イベント報告】「同人誌メディアの批評的可能性」in 神戸大学

<ご報告です>

 1.はじめに

週明けは、親戚の方の観光案内やら、家の何やらで、更新が遅くなってしまいましたが、19日に神戸大学であった「同人誌メディアの批評的可能性」のイベント報告をさせて頂きたいと思います:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

アイキャッチ画像は、神戸空港のものです。ワークショップ中、写真を取り損ねてしまった。ですが、今回のイベントが「神戸から発信する」という狙いで開催されたと、何名かの方が仰っておられたので、「神戸から羽ばたく」というイメージで、神戸空港アイキャッチ画像を使わせて頂きます。どうか、ご寛恕下さい*1

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2.イベントの流れと内容

 2-1.開始前のこと

何とか、交通機関を乗り継いで、神戸大学文学部のA棟にたどり着き、物販コーナーで司会者の梶尾先生、『夜航』編集長の中村さん、登壇者の方々や発行誌の関係者の方々に挨拶をさせて頂きました。その後、弊ブログがもとの同人誌2種類を置かせて頂いているうちに、開催の時間となって会場に入りました。

 

ここで、もう一度、今回のワークショップで登壇され、お話をされた方々やイベントの流れを確かめるため、チラシ画像をアップさせて頂きます。

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 2-2.登壇者の方々のお話(敬称略)

  その0.司会者の梶尾文武あいさつ

神戸大学文学部で、国文学の梶尾先生より、ご挨拶がありました。色々とアカデミックの査読のお話をされ、また批評誌が東京中心ということに、何か思われるところがあったようなことを仰いました。そういった細かな経緯があってか、「神戸に引きずり出して」批評同人誌を出しておられる方々とワークショップを企画されたそうです。

 

ひととおりのお話をされたあと、登壇者の方々がお話をされる流れとなりました。全部、お話を拾いきれなかったため、印象深かった部分について、特に書かせて頂くことに致します。

 

  その1.佐久間義貴(『ヱクリヲ』編集長):「批評同人誌はオルタナティブたりうるか」

まず、批評同人誌はブームだったのか、というテーマが興味深かったです。佐久間さん曰く、文学フリマ東京における評論や批評のブース(コミティアコミケのスぺース相当)に充てられた広さの変化から、文芸とその他に比べて、評論や批評のブース全体の広さは、縮小されている印象を受けられたようです。そのため、一部の批評同人誌がブームなのではないか?と私は感想を持ちました。

 

次に、佐久間さんが編集長の批評誌『ヱクリヲ』について、商業誌の売り上げに左右されない、また商業誌では取り上げられてこなかったテーマに焦点を当て、誌面を作っていくことをモットーにされているお話をされました。そのなかでは、商業誌に抗うのではなく、音楽やマンガと言った新たな切り口を用意して、クリティークをしていっているとのことでした。No.6では、デザイン方面の特集を組んだそうですが、なかなか、批評誌では取り上げられたことのなかった分野だったそうです:

ヱクリヲ vol.6 特集Ⅰ : ジャームッシュ、映画の奏でる音楽 特集Ⅱ : デザインが思考する/デザインを思考する – ecrit-o

 

また、紙同人誌とともに、Webサイトを開設。若手で、あまり知られていない書き手にも場所を提供するようにしたり、批評に興味がなかった人にも目を向けてもらったり、様々な試みをされているようです:

ecrito.fever.jp

 

  その2.立尾真士「解釈とセキュリティ」(『G-W-G』同人)

立尾さんによりますと、編集されている同人誌『G-W-G(minus)』は、創刊号を今年5月にお出しになったばかりで、現在、第2号の準備中の状況だそうですが、立尾さんは、「場」があることは大切だと思って、このイベントに参加を決められたとのこと。

 

レジュメに沿ってお話をされた中で、印象的だったことをいくつか、書かせて頂きますと、まず、立尾さんにとって同人誌をつくること=「場」をつくることだったことがありました。立尾さんは院生時代、思想書などを読むクローズドな読書会をしてこられたそうです。読書界を十年ほどやってきたことで、何か既存の批評や研究に対する行動ではなく、自分たちの「場」をつくろうといことで、『G-W-G(minus)』の同人をなさったと仰いました。

 

4人いらっしゃった登壇者のなかでも、立尾さんは、『G-W-G(minus)』の発刊を例に、同人誌を出す際のお金に関わる切実なお話について、何とか関わっている人たちが食べていけるというラインを引いた上で、出し続けるこいとをしたいと言われました。それは、既存の世界に対して「うって出る」のではなく、続けるということのほうを重視されていることが伝わってくるトーンの内容でした。そのあたりの線引きが、限界という名の「セキュリティ」とも繋がってくるようです。

 

中盤になってから、同人誌名の説明がありました。ちなみに『G-W-G(minus)』は、「ゲー、ヴェー、ゲー(ミーナス)」と発音するとのこと。立尾さんによると、その意味とは、

・余剰価値を生成する資本の運動「G-W-G’」と、そこに不可避的に付随する負債(「G(minus)」)

・「労働(者)」という負債

・資本による形式的包摂から実質的包摂へ、という前提

 (立尾さんの配布レジュメより)

 といったものを含んでいるそうです。創刊号特集は、「資本主義と文学」ということでした。立尾さんは、「資本主義」と「文学」の間にある「と」の部分を問うような、特集を目指されたとのこと。

 

創刊号の販売は、第24回文学フリマ東京や、同人の所属学会での販売、Twitterを通じた通信販売が主でした。自分たちの「場」である同人誌をつくることに関わった人々が、それを「売る」ことに対して、どんな形で資本の力学が働いているのか、立尾さんは自覚的になれるということにが見出されたようです。その見出されたところに、立尾さんは、「同人誌メディアの」のひとつの可能性を秘めていると考えていらっさるようです。

 

次のお話で、少し、驚いたのは、「4.解釈とセキュリティ」のところで、立尾さんの記憶では、『G-W-G(minus)』ではページ数を可能な限り、限定しないというような話があったということです。資本主義の思想的なお話は、申し訳ないのですが、私はよくわかりませんでした。しかし、同人誌を出すという行為が関わっている人たちの生の生活、ある意味でお資本主義に乗っかっているというのは、立尾さんがレジュメに書かれたり、お話をされたりした通りだというのは理解できました。そのなかで、私が考えたのは、生きていけるレベルで、書ける紙幅が決まるということは、それに自覚的になる、ならないで批評の可能性は変わって来そうである、ということです。

 

  その3.綿野恵太「必敗的抒情に抗して」(『子午線』同人)

『atプラス』にも携わっておられたという、綿野さんが関わっておられるのが、A5サイズより少し大きめの批評同人誌『子午線』です*2

 

綿野さんは、A4の紙に2枚分のレジュメを配布され、最初のほうには、『子午線』の創刊経緯、その時のメンバー、扱ったテーマなどを載せておられました。続きには、同人誌と批評の大まかな流れを書いておられました。例えば、2000年代の批評家として、東浩紀が自主出版・流通プロジェク「波状言論」を2000年に設立したことや、2002年創刊で、その後の座談会で幾度か「同人も解散?」と思われた批評誌『重力』、吉本の変遷など、お話になる内容をかいつまんで、書かれておられました。

 

前半のお話の内容に対し、レジュメの大部分を占める「・引用集」では、吉本隆明ほか、浅学な私が知らないけれど、批評の世界では知られていると思われる方々の文章を引用されておられました。発表では、その引用集の文章を読まれながら、『ユリイカ』が批評誌からサブカル誌へと変化したり、関わっておられた『atプラス』が休刊したりする出来事をはさみながら、自らの関わって来られた批評同人誌の世界のお話を展開なさいました。

 

お話をお聞きしているなかで、

  • 「マスコミ」に対して、生まれたのがミニコミ誌の「ミニコミ」という言葉であること
  • 吉本隆明の雑誌を「継承」するつもりだった批評家たちが作った個人誌が、出来ては消えていったこと

など、批評同人誌と距離の近い世界のことを知りました。現代日本の批評同人誌の歴史について、たいへん勉強になりました。

 

  その4.中村徳仁「水を差す批評、そしてすべての「祭り」は過ぎ去ったという感覚」

最後の登壇者は、『夜航』編集長の中村さん。配布されたレジュメをもとに、『夜航』を作ろうとしたきっかけのひとつに、様々な「不機嫌」の存在があって、それを共有することを最初のほうで、お話されました。その「不機嫌」のもとの一つに、出身学部の国際文化学部が合併され、なくなってしまったという出来事が大きかったようです。

 

そのためか、当日、紙媒体で私が購入した『夜航』No.1~2のどちらも、特集Ⅰが「「国際文化学部」とは何だったのか」というものでした。折しも、2010年代に文理総合系の大学院で院生をしていた私には、全国の大学で旧教養部の流れをくむ学部や大学院の部局が合併、解体・改組をされるという動きが現在進行形であり、ボス先生たちもどうにか止めようと学会などで話し合いをしていたそうです。

 

「不機嫌」ではありませんが、私が今までに開設しては閉鎖し、本ブログの開設に至った原動力には、日本の院生や院卒者、研究者に対する世間や社会(制度)、国、既存の学会や研究会といったアカデミアの枠組やシステム等に対する「怒り」が核になっていました。投稿論文は、できるだけ感情を抑えて書いていた私ですが、ブログでは、抑えながらも感情を出すようにはしています。登壇者の中村さんに、他の同人の団体さんと一緒にご紹介頂いた時、「ブログも批評の手段」と言葉を補っていただけたことは、舌足らずで自分がブログでやっていることを説明しづらかった私には、大変助かることでした。

 

ところで、中村さんは『夜航』第3号の特集その2で「神戸から都市を再定義する(神戸学)」を予定されていると仰り、また、その動きは本来は大学の中から出てくるべきと言われました。ふと、私の頭には「地方創生」という言葉がよぎり、次いで大学院による「まちづくり」といった研究で自治体と繋がる具体的な動きが院生時代の身近にあったことを思い出したのです。そのあたり、都市史学会で研究されてきたことも、関係がありそうです。 

 

後半の「「開かれた港」としての同人誌メディア?」のところで、私が気になったのが、「同人誌のホモソーシャル性」が挙げられている点でした。この点は、最後の座談会の最初のほうの批評誌やミニコミ誌、ZINEの存在とも関わってくることなので、自分なりに座談会で出てきたお話と合わせて、まとめさせて頂きます。

 

 2-3.座談会

15分の休憩をはさんで、司会者の梶尾先生による『神戸大学総合雑誌 展望』の紹介から、登壇者の方々の座談会が最後のセッションとして始まりました。

 

座談会の最初のほうで、『ユリイカ』のサブカル誌化、『美術手帖』が殆ど美術の批評における言葉が出てこない、といった指摘が出てきました。こういった企業による雑誌に対し、同人誌のほうは、次の本が今月の頭に刊行されたことが知らされました。が、やはり、日本のミニコミ誌やリトルプレスなど、自主制作や自主出版の本を網羅はできていないとのことです:

 

座談会の後半では、聴衆からの質問に登壇者の方々が答えて下さるコーナーがありました。時間を引き延ばしてしまい、大変申し訳なかったのですが、私も「本の装丁デザインと文章の巧みさや硬さとのバランス」について、それぞれの本がどのようなコンセプトをお持ちなのか、質問させて頂きました。お答えをまとめると、

  • 『ヱクリヲ』さん:(執筆者でもある)福田さんが外装のグラフィックデザインから、本の中のフォントバランスまで、設計をなさっている
  • 『G-W-G』さん:立尾さん曰く、外注先とデザインを見ながら、詰めていく感じ
  • 『子午線』さん:A5より大きめの判型は、掲載した詩が映えるように考慮している
  • 『夜航』さん:地元の神戸で出していることを意識して、自分たちで撮った神戸の写真を使った

という四誌四様のお答えを頂きました。お時間がない中で、お答え下さいまして、お礼申し上げます。

 

閉会後、会場と物販コーナーを行き来しつつ、簡単に挨拶をして回らせて頂きました。また、弊誌2種をお手に取って頂いた皆さま、ありがとうございました。お買い上げ頂いた方々には、お楽しみ頂けたら幸いです。

 

13時半スタート、延長で17時45分くらいまでの4時間15分のイベントでしたが、こんな面白い同人誌の世界があるのかと、大変、有意義で濃厚な時間で楽しかったです。登壇者の皆さま、司会者の方、会場にお越しの皆さま、お疲れさまでした。

 

 

3.個人的な余談~ 批評「同人誌のホモソーシャル性」の問題について~

さて、座談会の最初に、ZINEに同人誌、ミニコミ、リトルプレスに関する本が出てきたので、先の中村さんが提起した「同人誌のホモソーシャル性」の問題について、私の気が付いたことを書かせて頂きます。実は、批評ジャンルと言っていいのか、わかりませんが、ここ数年の間にシリーズで次のような本が働き盛りの女性達の手による同人誌をもとに、商業出版されました:

 

同人サークルは、「劇団雌猫」。商業版のAmazonの商品概要欄によると、

これは「浪費」ではなく、「愛」です。

 

2016年末に発行された文芸同人誌『悪友』。

 

現代のオタク女性たちが、どのようにお金を使い、対象に愛を注いでいるのかを赤裸々に綴ったこの本は、Twitterを中心に話題になりました。

 

そんな話題の同人誌が、この度書籍化!

 

アイドル、俳優、声優、同人誌、舞台、コスメ、ホスト…などなど、何かに熱い「愛」を注ぐ女性たちの匿名エッセイはもちろん、「トクサツガガガ」の丹羽庭先生による描き下ろしコミックエッセイや、アイドル好きが高じてアイドルの振付師になったタレント/振付師の竹中夏海先生へのインタビューなど、新たに内容を増補し、更に深く、多角的な「愛」の形を表現しています。

 

また、2000人を対象に採ったアンケートでは、衝撃の真実が発覚!?貯金額や手取り、クレジットカードが止まった話…などなど、なかなか人におおっぴらには言いづらい、オタク女性たちの真実の姿が描かれています。

 

「あ~この気持ち、分かる分かる!」と頷きたいあなたも、「最近の若いもんはどんな風にお金を使ってるんだ…?」と興味本位なあなたも、是非、お手にとってみてください。

(https://www.amazon.co.jp/dp/4091792340/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_d4.eAbXRSYN6B)

という、女性ファッション雑誌にありそうな、「あなたがお金を最も使うジャンルは?」といった、批評というよりは、読者のターゲットと思われる女性の共感方向に針を振りまくった企画の本だと思いませんか。特に概要欄の「「あ~この気持ち、分かる分かる!」と頷きたいあなた」という語句に、共感したい心理を持つ女性に向けていると思いませんか。

 

著者サークル「劇団雌猫」の方々の次のインタビューを見ると↓

www.excite.co.jp

 

もとの同人誌は、『悪友』というタイトルで実質第3号まで出されていることが分かります↓

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この同人誌『悪女』に限らず、アート系や旅行記、絵本、小説などのいわゆるおしゃれなイメージの同人誌の一種?のZINE、それから同人誌『悪女』やエッセイなど、女子会的な文化が鍵になりそうです。ホモソーシャル的な批評誌と、すみ分けをしているのではないかと考えました。

 

このすみ分けというのは、 例えば「カメラ女子」やスイーツデコなど、クリエイター的な活動を趣味にしている女性たちが、インスタグラムやフェイスブックツイッターなどのSNSのコミュニティで繋がり、作品を発表したり、本をつくって作品を販売したりして、ある意味、「いいね」という共感で繋がる世界があることです。その「共感で繋がる女子会的な世界」とホモソーシャルの批評誌は、すみ分けをしているような状態にあるのでは?と。そのように、ざっくりと思い浮かびました。そして、文学フリマコミティアコミケなどでは同じ「島」にならないまま来て、偶然か、意図的かはわかりませんが、お互いのジャンルに踏み込まないことで、認知し合わないまま、現在まで来ている。

 

もちろん、今回のワークショップの批評同人誌には、女性の執筆者の方々がいらっしゃることも存じております。同人誌作成に関わっているすべての女性が、共感方向のコミュニケーションを求めて、執筆活動や創作活動をしているわけではありません。実際はそうではない方が大半かもしれません。

また、男性の同人作家の方にも、評論・情報系のジャンルで旅行記やアート性の高いZINEを同人誌即売会で販売している方が大勢、おられます。また、同人誌やZINEの誌面の写真は、Facebookやインスタグラムにアップされていたものだったり、意図する・せずに関係なく、共感方向のコミュニケーションをもたらすSNSを使っている方も、たくさん、いらっしゃるでしょう。

 

現段階では、最後の「批評同人誌のホモソーシャル的な世界」と「共感方向のコミュニケーションに意識の向いた女子会的な同人誌の世界」のすみ分けができている、という考えは、私個人の妄想、あるいは大いなる邪推だとは思います。ですが、そういった見方もありますよ、ということで、本記事の締めくくりとして、置かせて頂きました。

 

おしまい。

 

 

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*2:詳細は、こちら:雑誌 子午線 アーカイブ | 書肆 子午線

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