仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

科学研究費のざっくりした仲見の理解による大枠と出版助成部門の話

<本記事の内容>

1.はじめに~主に科研費の仲見の理解による大枠の話~

昨日あたりから、科学研究費(科研費)の仕様や報告について、何かと話題になっております:

togetter.com

一般の方には、科研費の支給のされ方、使った報告のし方など、仕組みが複雑で分かりづらいことがあると思いますので、上記のtogetterまとめを読んで頂きたいと思います。ここでは、大枠のシステムをお話し致します。

 

まず、科研費にはいくつかの部門があります。例えば、研究資金を支給する部門では、大学教員や弟子に当たる学生たち、学外の研究者を巻き込んで研究計画のアイディアを練り、申請書類を書いて、大学を通じて然るべきところに提出。研究代表者は、ほぼ大学教員でなければ、手続きがスムーズにいかないと聞いたことがあります。応募する枠は若手研究者向けとか、何とか基盤とか、何種類かあるようですが、毎年、何とか受かっている人もいれば、5年連続で落ち続けている先生もいるようです。

 

研究資金をどう使っているのか、上記まとめの冒頭のほうで出てきます。例えば、研究プロジェクトの様々な用途やアルバイトに対する謝金を出す、といった話では、

 ②国が大学に交付する予算から、見積額に応じて大学が大学教員に支給するケース

 (実際は国→日本学術振興会→大学→申請者の大学教員)

 ③見積・納品・請求の書類を大学の担当部署に出し、手続きで大学→業者に支払ってもらうケース

などがあります。そのプロセスでは、ケースバイケースですが「事前に、何時から何時まで、研究プロジェクトでラボでどんな業務にあたるのか、シフト表を出しなさい」という大学もあります。事前に大学事務に提出したシフト表と、月末あたりに別で出す勤務簿を照らして、規定の範囲内で出勤しているかなど確認され、謝金が大学から支払われることがあります。

 

信頼できる会計管理ができるところ。つまり、大学や研究所等の機関の会計部署に、国が日本学術振興会(学振、ガクシン)を通じて間接的に予算を交付した後、申請者に資金が支給されるシステムです。上記togetterにもあるように、国のお金を使うわけで、不正防止、あるいは透明性が高い仕組みになっているようです、一応。要は、科研費とは、札束と小銭の現金が申請者の研究者にポンと渡されて、「さあ、自己管理で好きに使いなさい!」という類のものではないのです。それ故、「研究者が自分で資金管理することを認めていない」ため、せっかく審査が通っても、所属機関がなくなったり、諸事情でクビになったりすると、科研費が使えないことがあります。また、大学で非常勤講師をしている若年世代の研究者は、科研費の申請自体が難しいようです。

民間の助成金を受ける場合は、この限りではありませんが、私がいた大学院では、学内の会計担当部署へ「預ける」ことが義務化されていました。

 

そういうわけで、科研費は、決して「国から研究者へ渡すお小遣い」でもありません。また、大学教員の給与や報酬とは別物ですから、所得として扱われることはないようです。チェック体制、テーマ選定といった諸々の細かな問題の詳細については、上記リンクのtogetterまとめをご覧下さい。

 

最近は科研費に限らず、締め付けが厳しいため、大学の研究費に関する業務の担当職員と大学教員の間で、いろいろと信頼関係に響いてくるケースを身近に聞いていたこともあります:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

さて、科研費には様々な資金を支給する部門とともに、研究成果である論文集や翻訳書を出す時に資金面で助ける出版助成部門があります。先の研究資金の部門に比べて、あまり知られていないようですので、私が関わっていた範囲でのお話を今回、させて頂きます。

 

f:id:nakami_midsuki:20180306145355j:plain

 

 

2.科学研究費・出版助成部門の話~仲見満月とその周辺の話~

 2-1.概要

この出版助成部門については、大学教員だけでなく、研究室の院生を複数働かせて、行われました。仕事は、必要な書類作成、数百ページに及ぶ書籍の見本誌の準備、索引の準備といった、高度かつチームワークが必要なもので、それはそれは、嫌になってくる瞬間が何度もめぐってきたように思います。

 

詳細は、以前、寄稿した記事に詳しく書きました。そちらを引用しながら、説明していきたいと思います:

menhera.jp

 

 2-2.増えていく学術図書の雑務とその特殊な出版事情

最初は私が修士課程の院生の時でした。科学の歴史に関する学術書を出そうと、ボス先生が講座教員のまとめた原稿を持ってきて、ひたすら、みんなで校正するというものでした。その作業が長引き、自分の修論、博士課程に入ってからは進まない自分の研究と、増えた他の「研究図書や研究会の論文集」の作業が加わってきます。

ボス先生から振ってくる作業をY先輩が上手に割り振り、私たちに指示を与えて下さったおかげで、私は最初の校正やサンプルづくりのコピーの作業を続けていられました。短期的なゴールが見えていたからです。

 

そのうち、出版助成金を申請しようという時期がやってきます。研究図書や論文集は、研究業界特有の事情があって少部数高価格になりがちなため、出すには出版社にも経済的な負担が大きいんです。そこで、国の科学研究費の出版助成部門や、各大学内の助成金制度などに申請して、出版に必要な資金を助成金でサポートするシステムを利用します。

(大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係 - メンヘラ.jp)

商業的には売れにくく、「少部数高価格になりがちなため、出すには出版社にも経済的な負担が大きい」というのは、同人活動を再開してから、似たような感じです。同人誌を出す活動は、院生時代から変わってはいませんが、個人のペースで可能なため、気持ちが楽ではあります。

 

ときどき、クラウドファンディングで博士論文の出版サポートを求めるプロジェクを目にします。社会学者の打越さんの『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』を書く! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)のプロジェクトもそうですが、出版社が見つかっただけで、研究に関する本が出版できないことには、「少部数高価格になりがち」な事情が絡んでいるのです*1

 

それに輪をかけて面倒なのが、出版助成金を申請するにしても、研究の信頼性のためか、まずは「科学研究費の出版助成部門へ応募」することになります。

第一候補は、科学研究費の出版助成部門への応募。通れば、かなり本にハクがつくらしく、一冊につき最低2回はチャレンジするようになりました。国の制度ということで、競争率が高く、落ち続けました。出版予定の本自体に関する作業だけでなく、出版助成金申請書の作成にも、教職員から院生まで駆り出され始めました。

(大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係 - メンヘラ.jp)

科研費の出版助成部門の応募書類は、私が大学院にいた頃は毎年、部局内の提出締切が10月末、国の外郭機関への提出締切が11月末でした。私が博士課程1年の時、隣の染田先生のところからボス先生の研究会論文集で応募、ボス先生のところから講座教員の絡む学会関係の本で応募しましたが、2冊とも落ちました。どちらも、「早急に出版すべきテーマではない」という理由が付けられ、我々の手元にサンプルが戻って来たのを覚えています。次年度には、科学の歴史に関する学術書のチャレンジが始まりました。チャレンジする半年前、索引を作らなければならず、エクセルが苦手な私は留学生の先輩に教わりながら、作業していたと思います。

 

 2-3.教えてもらえない短期の作業予定と「抵抗」

自分の研究がうまく進まなくなっていた私は、一応、強制ではないはずの出版物の作業が何とかなってくれ!と思うようになります。指導教員に注意されましたが、「それなら、出版チャレンジを最初からしないで下さい。せめて、ボス先生を止めてください」と心の中でつぶやきました。

助成金に落ちる度、申請理由書のリライト作業はエンドレス化。本の出版作業の区切りや最終ゴールがどこなのか、私には分からなくなり、あの時は非常に苦しかったです。

 

ADHDの傾向を含む私は、短期的で明確なゴールを目の前に示されないと、作業のパフォーマンスが落ち、やる気が低下するという自覚がありました。

 

助成金申請の作業が始まってからは、せめて最終ゴールが見えれば、自分で短期的な期限を決めて仕事をこなせると考えました。そこで最終ゴールを統括役のY先輩に聞きましたが、分からず、ボス先生に「教えてください」と直訴したものの、教えてもらえませんでした。

 

こうして、本に関する雑務が私にとって、負担になっていったのです。

(大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係 - メンヘラ.jp)

そう、特性のせいもあって、エンドレス化していくと、私はパフォーマンスが下がっていくのです*2。申請理由書は毎年、違うことを書いても落ちました。科学の歴史の本は「緊急性がない」と言われ、泣きたくなった記憶があります。この本、今も出版されたという話を聞きませんが、どうなったんでしょうかね…。

 

その傍らで、査読でリジェクトを食らったり、アセプトされたけど書き直したり、自分の投稿論文の書き直しをしていた博士課程3年目の頃、「事件」は起こります。

先輩方は作業をずっと続けられていて、研究室において下っ端の私は口で「作業をやめたいです」と言えませんでした。そんなある日、「出版部門、落ちました」の一報を持ってきた常勤講師の先生が研究室を訪問。研究室の全員が集まっている室内で、私はゴチーン!と自分の席のスチール製本棚の柱に一発頭突き。

 

言葉で言えない私は「もう、自分はその仕事、できません!」と行動で示したのです。研究室のメンバーは無言になり、さすがに何か察したボス先生は、常勤講師の先生に対して、院生にこれ以上、仕事をふらないように指示を出されたようです。これ以降、最終ゴールが見えなくなるような雑務は、以前ほどは降ってこなくなりました。

(大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係 - メンヘラ.jp)

この頭突きで、 追加作業はぐっと減りました。自分の投稿論文のスケジュールを考えられるくらいには、心にゆとりが生まれました。少なくとも、

日付が変わった直後に自転車で川沿いの道を入っていた帰宅途中、「ああ、このまま、ガードレールに当たって川に落ちて溺れたら、明日はとりあえず、編集の仕事をしなくていいんだな」と

(ブラック研究室が準備する人材への指摘と私の体験~日野瑛太郎 「ブラック研究室という闇」(『脱社畜ブログ』より)~ - 仲見満月の研究室)

考えることはなくなっていたと思います*3

 

とにかく、私が関わってしまった科学研究費の出版助成部門の応募では、院生が「こき使われ」ていたという印象が強かったです。おまけに、学外のボス先生の後輩先生のラボの院生たちも関わっていたらしく、出版された本のクレジットを見た時、泣きたくなったのを思い出しました…。ときどき、チームのご飯代や食費の一部を先生方が出して下さいましたが、会計処理の関係か、その大学院の既定が面倒だったのか、分かりませんが、先生個人個人が背広の内側から財布を出して払っていた様子から、たぶん、「ポケットマネー」から出ていたんんでしょう。

 

 

3.最後に

結局、2冊の本は染田先生の名前で申請したのは、出版社が「苦しい思いをして」出すことになり、ボス先生の名前で応募したほうは別の財団の出版助成が通って、次年度、次々年度に無事、出版されました。でも、正直なところ、胸をなで下ろせません。

 

科研費の研究資金の部門にしても、出版助成部門にしても、苦労して、みんなで申請書類を書いたのに、必ずしも通るわけではありません。競争率が高いでしょうから、書類作成にかける時間や巻き込まれる人の心労を考えれば、むしろ効率が悪いように思います。通ったら通ったで、使い勝手が悪いシステムのように感じます。不正使用を防ぐため、制度上、仕方ないのかもしれませんし、また、分野ごとに通りやすい・通りにくいの差があるなら、突き詰めると運になってきそうな話です。

 

院生時代に私が抱いたのは、「科研費は通っても、果たして割に合うのだろうか」という疑問でした。研究室や大学教員にもよるでしょうが、出版助成部門に関する書類作成や、見本誌をつくった作業については、首を傾げざるを得ません。

 

たまに会う同期に当時の他の研究室に話を聞くと、私が院生時代にいた研究室ほど、雑務の多いところは別の講座にはなかったようですが、分野に関係なく、ネット上ではポツポツ、目にします。決して、雑務の多いラボが珍しいわけではないようですが、もし、科学研究費を申請する機会のある方は、巻き込まれる他の先生や、院生のことについてご一考頂けたら、と思います。

 

あと、科研費だけでなく、助成金を通すための申請書類の実例データベースがあれば、研究費を申請する研究者の負担は軽くなるんでしょうか?昨今の大学教員の多忙問題や、ハラスメント問題に間接的な影響を与えるお金の問題だと、私は考えております。このあたりは、科研費について、詳しく調べて、また書きたいです。

 

おしまい。

 

 

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