’18年2~5月初めの京大の立て看板をめぐる問題に関する動き
<今回の内容>
1.はじめに
本記事は、こちらの記事の続編にあたります:
上記のその後、様々な動きがありましたので、本記事でお伝え致します。
2.立て看板をめぐる問題の2018年2月以降の動向
2-1.2月の公開シンポ、大学側との交渉、4~5月初めの規制等に関すること
まず、2月の下の公開シンポジウム:
を経て、4月末日あたりから今日あたりまで、立て看板のほうに動きがありました。上記の公開シンポジウムの団体のサイトを読んで、大学側が対話に応じない件に関しましては、「シンポジウム「立て看・吉田寮問題から京大の学内管理強化を考える」とその周辺について思うこと - 仲見満月の研究室」の「3.大学当局の「矛盾」について思うこと」に自分なりに把握している範囲で、情報と考えとまとめました。より執行部に直接的に「交渉」をすることに近い方法としては、合わせて同記事の「4.最後に」をご覧頂けましたら、幸いです。
対話に応じないことに関しては、以前、私の知っている京大生の方に聞いたお話があります。吉田寮問題に関して、話し合いをスムーズにするためか、大学のほうは、交渉側を1つの団体に絞って話し合いをしたい、という希望を出していたようです。その後、私の知人とは異なるTwitterユーザーの方で、「吉田寮の中の人」や京大の元学生さんの方に伺ったり、知人の言った内容をお話したり、しました。その時の感じでは、吉田寮問題の起こる前、別の京大の寮の人たちが存続を話し合うため、「一丸となって」交渉したようですが、どうやら大学側に「骨抜き」状態にされ、存続できなかったとのこと、です。
今回の立て看板の存続についても、可能性として、大学側から見れば、看板存続側の団体が複数あって、交渉に応じられない、といった背景があったのかもしれません。もっとも、一つの団体にしらたしたで、再び「骨抜き」にされかねない恐れはありますが…。
ここ数日の動向につきましては、以下のオンラインニュースを中心に、簡単ではありますが、追っていました:
上の京都新聞のオンライン記事には、
山極総長は3月の記者会見で「今回は特に強く文書で指導があった。学生の表現への思いは強いだろうが、われわれは市内の公的機関。何も対応しないということはできない」と強調した。
と現総長の発言によると、どうも京都市の「文書指導」による「圧力」が、かなりあって、対応せざるを得なかった、ということが表向きは窺えます。「シンポジウム「立て看・吉田寮問題から京大の学内管理強化を考える」とその周辺について思うこと - 仲見満月の研究室」で取り上げました、公開シンポジウムの主催の方々によると、現在の「山極壽一京大総長は2018年の新年の抱負で「対話を根幹とした自由の学風」を謳っています」(サイト「おもしろくも変人でもない京大」参照)だったそうです。京都市による「文書指導」と、山極現総長のスタンスを合わせると、表向きは「対話を重視したいけど、京都市の圧力があって、対応せざるを得なかった」というふうに、総長の姿勢は、今回の立て看板の撤去問題は解釈できなくもないです。
ほか、私が先の知人や「吉田寮の中の人」たちに聞いていた話では、話し合いに応じるには交渉団体を1つに指定する、という条件について、立て看板存続側の方々が応じられないという、難しい事情があったと邪推しております。現に、公開シンポジウムの主催団体に加え、上の京都新聞の伝えるところでは「学生有志は「立て看規制を考える集まり」準備会を立ち上げ、署名活動を続けている」と、また別の団体ができたようです。団体を1つにすればしたで、上手に交渉できる技術がなければ、大学側による「骨抜き」の恐れがあります。できるとすれば、立て看板の存続を求める団体の側で「同盟」を結ぶ形で、連合のような、より大きい組織で、大学側と交渉する方法があるのではないでしょうか。
もっとも、京都新聞が伝える、立て看板の「学内まで規制強化」に関しては、京都市の「文書指導」による「圧力」を理由に、思い切って管理してしまおう、という大学側の意図は見えなくもないです。通行人の安全が確保できれば、立て看板はあってもよい、という今の考えの私からすれば、「吉田寮問題には川添副学長」というように、立て看板の規制を担当する副学長、もしくは責任者が別でいて、主導しているように邪推しております。実際、どこまでこの問題に山極現総長が関わっているかはわかりませんが、副学長に関しては、
京大の元教員の方に聞いたお話では、大学の運営に関わっている副学長は、実のところ、10人近い人数だそうです。その上に大学組織トップの総長がいるらしく、副学長には研究現場からたたき上げの大学教員もいれば、付属研究所の主任クラスから副学長になられる研究者もいて、考え方も「十人十色」のことがあり、担当している部門も人それぞれのようです。
という事情があるようです。立て看板問題を解決するには、担当の副学長なり、責任者なりが誰であるか、あたりをつけて、どういった意図があるのか、交渉の余地は見出せるか、など存続派の方々は考えてみられるのでは?と思います。
2-2.立て看板に代わる「垂れ幕」のこと
ちなみに、立て看板のをめぐる攻防について、産経WESTのオンライン記事が伝える反応では、
一方、通り掛かった工学部1年の男子学生(18)は「立て看板はあってもなくても構わない」と冷ややかな様子。通院のため約20年前から毎月付近を通るという大阪府高槻市の男性(87)は「名誉ある大学だから、ルールは守ったほうがいい」と話した。
といったものがありました。この工学部1年の男子学生と、大阪府高槻市の男性の様子から、私が考えたのは、「告知や訴えることがあり、大学側がきちんとルールを提示して、それを守るとすれば、別に今までの立て看板のスタイルに拘らなくてもよいのでは?」ということです。立て看板は、人間より高いものが少なくなく、木枠と布で出来ているとはいえ、きちんと固定されていても、強い風(例えば台風レベル)で吹き飛ばされたら、建物が損壊したり、人間が死傷したりするような被害が出ないとは言い切れません。
実際、本日のTwitterで見かけた毎日新聞のオンラインニュース:
では、
(前略)
教員と学生らで作る「自由と平和のための京大有志の会」はこの日午後3時すぎ、東大路通り沿いにある西部講堂前の広場の立木に、縦1.8メートル、横1.2メートルの垂れ幕を掲げた。2015年に発足の同会の声明「生命は、誰かの持ち駒ではない」という文言の英訳が書かれている。
という新たな「垂れ幕」という手段をとる人たちが現れました。 京大側の規定や、京都市の条例に、「垂れ幕」が触れるか、どうかについて、「メンバーで京大大学院教育学研究科の駒込武教授は「垂れ幕は京大の規定にはなく、京都市の条例にも抵触しない」と説明」されたそうです。
新たな「垂れ幕」に関する大学側の反応は、朝日新聞デジタルによると、「大学広報課はこの垂れ幕が規定に違反するのかどうか「すぐには回答できない」としている」とのこと。立て看板の代替手段としては、一時しのぎにはなっているようです。私としては、立て看板が強風で飛んだ場合より被害は小さくないかもしれませんが、安全については「垂れ幕」も十分、考慮して、しっかり設置して頂ければよいと思っております。
3.むすび
以上、少々長くなりましたが、執筆管理人より、京大の立て看板をめぐるもんだいについて、補足させて頂きました。
京大の立て看板をめぐる問題につきましては、めまぐるしい動きが続くと思われますが、ここで一区切り、させて頂きたく思います。
おしまい。