大学院での生活と留学生たちの日本語の思い出~東アジア地域の場合~
思い出シリーズ。
院生時代は、部局のせいか、時代の波か、そこらへんは分かりませんが、学内でも留学生が比較的多いところにいました。日常的には、東アジア各地の出身学生と顔を合わせていた感じです。「旧暦で端午の節句、東アジアの七夕等 - 仲見満月の研究室」で書きましたように、「そろそろ、旧暦で単語の節句だな」とか、「今年は釈迦の誕生日を祝う花祭り、いつだったっけ?」とか、気にしていたような気がします。
様々な文化の交差点みたいなところにいましたが、大学院があるのは日本国内です。基本的にはどの先生も日本語で授業をされ、研究室や講座の雑務をするにも日本語で連絡をやり取りしていました。 今回は、そんな東アジア地域の留学生たちとの日本語の思い出を書いてみたいと思います。
さて、大学院で留学生たちと生活すると、言語の系統ごとに使う日本語にも特徴が出てくることがあります。私が接していたことの多い東アジアからの留学生だと、
- 中華圏からの留学生:話す日本語の「~のもの」に当たる助詞の「の」が不思議なところに出現、声調が出る、「つ」の発音が「とぅ」にならない人がいる
-
韓国から、また朝鮮族の留学生:論文の一文がやたら長い(韓国でのアカデミアでの傾向の名残?)、慣れるまで「つ」が「とぅ」の発音の人が多い
といったイメージです。
あとは、個人差が大きいものだと、
- 返事する時の「うん」と「はい」の使い分け
- 日本語を話す時の一人称について、男性は聞き手の人との関係によって、「わたし」以外に、「僕」、「俺」が出現することがある、
といったあたり、気づきがありました。返事する時、一人称の人称代名詞の使い方は、敬語の語彙と関わりがあるように感じられました。朝鮮・韓国語の方が、中国語(普通話)より、敬語の語彙が多い傾向にあるためか、これらの言葉については、日本語ネイティブに近い使い方をマスターするのが速いのは、韓国人や朝鮮族の留学生が多いイメージです。
面白かったのは、日本にお勤めの韓国人の先生、部局の先輩の男性達の一人称が、日本語で話す時の性格とある程度、一致、あるいは近いところです。例えば、自分の大学の教授を部下の大学教員が学外の先生に紹介する時、無理に日本語に訳せば「こちらが、うちの教授様です」というように、身内の上司にも敬称を付けるといった、絶対敬語的な表現をドラマでも見かけるのが、私の韓国語のイメージです。
そのため、韓国人で私より目上の男性の先生や先輩は、私と話す時、一人称として「俺」が日本語での会話に皆さん出てきそうなものだと思っていました。しかし、実際はそうならず、「私」の人も、「僕」の人も、「俺」の人もいて、不思議な感じでした。さすがに、ボス先生の前で「俺」を使う方はおられませんでしたが、誰の前でも「私」、もしくは「僕」の一人称が維持された方はいらっしゃったように記憶しています。
日本語の練度が高いのと、私と親しい人では、中華圏の男性陣にも、一人称が「俺」になっている人がいたように思います。ちなみに、中国語(大陸共通語の”普通話”)にも、敬語表現的な語彙は存在していまして、「あなた」を指す言葉では、
- ”你”(一般的な「あなた」)
- ”您”(「あなた様」に近いニュアンス?)
とか、人数を尋ねる時の助数詞が変化して、
- ”几个人?(「何人ですか?」)
- ”几位?”(「何名様ですか?」)
という違いがあります。中国語を大学で勉強していた時に聞いた話では、方言やスラングには、日本語の「僕」や「俺」に相当する言葉もあるとのことでした。
なお、私個人では「日本語は会話で通じりゃいい派で、話し言葉は注意しない」という方針でおりました。「うん」と「はい」の使い分けについて、日本語学科の学生さんに違いを言いかけた時はありましたが、日本の学会発表でも、特に気にされていない時があり、その時から、話すぶんにはうるさく言わなくなったようです。
ですが、けっこう、書き言葉はうるさかった、かもしれません。特に、日本のジャーナルに日本語で論文を投稿するのは、キャリアがかかってます。一応、意味の通る日本語になるよう、ネイティブ日本人がチェックしてました。私だけだと心もとないため、複数人の日本人院生で確認します。
細かいところでは、調査先に出すメールの日本語を直していたことが、私はありました。それで、海外の大学の日本学科の方が私に送ってくださったメールを読む際は、練度を気にする時もあったと思います。失礼なことを言えば、
「おお、練度の高い日本語でご依頼のメールを送ってくださった!めっちゃ、頑張って書かれたんだろうな。あちらにも、きちんと日本語チェックをできるネイティブの方がいらっしゃったのかも」
と、返事を書く手に、やる気と緊張が出てました。
これは、自分が海外の方に英語や中国語でメール書く時を思い浮かべ、実際に数日をかけることもあったため、です。英語にしても、それよりマシだと思っている中国語にしても、語彙は限られています。そのまま書いてしまえば、意味は通じるけれど、非常に幼稚なメールを送ってしまうことになるので、「どの四字熟語を、どういう時に使うべきか?」とか、「今回の依頼メールは、このテンプレートを使って大丈夫なのか?」とテキストを読みながら書いてネイティブ中華圏の方にダメ出しをくらうとか…。あるんです、実際に。
ところで、ここに書いたのは文化人類学的な興味として、前半は「母語や親しんだ言語の影響が、何か、日本語の使い方に影響しているようで、面白いなぁ」という学術的な感覚の話です。後半は、書き言葉は少しでも意味が通るように注意していたな、という振り返りでした。
以上、簡単ではありますが、院生時代の留学生と日本語に関する思い出でした。
余談ですが、冒頭の東アジアの年中行事や暦の話は、次のテーマ目次にまとめました:
今月18日には、中国と日本で活動する中国人声優の方による、中国のアニメやドラマの吹き替え事情、誕生日を祝うのは新暦か、旧暦か、といった文化について、紹介されたエッセイ漫画が発売されました。ぜひ、読まれてみて下さい:
教えて 劉老師! 2カ国語声優の日常 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
おしまい。
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