仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

東アジア地域と文字の性別にまつわるイメージ~(平)仮名、ハングル、それから漢字について~

<文字のイメージ、各地の女性の名前について>

1.はじめに

昨夜、フォロワーさんと話をしいた時、いろいろと気づいたのが本記事のタイトルになっています。その方のお話では、中華圏の人と話していた時に「日本で、漢字は男性的で、平仮名は女性的というイメージなのは、何故?」と尋ねられたそうです。

 

今回は、その疑問に答えるにあたって、東アジアにおける文字に対する性別の負わされてきたイメージも含めて、軽めに掘り下げる回です。はじまり、はじまり~!

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2.東アジア地域と文字の性別にまつわるイメージ

 2-1.日本の(平)仮名

そもそも、日本において、

  • 漢字:男性的
  • (平)仮名:女性的

というイメージであるのは、中高までの国語や社会の教科教育の範囲で、私が考えていることは、色々とはしょり、簡潔にまとめれば「漢字を中国大陸から輸入し、使い始めた当時の日本の為政者に、男性が多かったから」という理由です。

(片仮名については、僧侶が漢字の文献で意味を取るのに、使っていた記号由来の説がありますが、今回、片仮名に関するこのあたりの話は割愛)

 

時代が下って平安時代、日本の独特な情緒やそこの人たちの心情を詠むのに、表現的に使いやすい文字が必要とされたのか、漢字をもとにする流れで、(平)仮名が生み出されました。(平)仮名が生まれて以降の平安期、為政者を輩出する層の男性は仮名を使って和歌を書くけど、漢詩も作っています。一方、同じ身分層の女性、少し下級に入るかもしれませんが、紫式部清少納言の残したとされる文章には、「女が漢字を読めたり、漢学の教養があっても、よく思わない人もたくさん、いるんだよね…」といったことを吐露する部分があって、当時の貴族社会の使う文字の種類に対する性別的なものが窺える、という話を聞いたことがあります。

 

紫式部清少納言より前、仮名による表現(いわゆる「女性仮託」)によって、『土佐日記』が書かれました。著者は男性の紀貫之であり、この作品は、Wikipediaによると、

延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけての時期、貫之は土佐国国司として赴任していた。その任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を、書き手を女性に仮託し、ほとんどを仮名で日記風に綴った作品である。57首の和歌を含む内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである。諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を多く用いていることも特筆される。

土佐日記 - Wikipedia

というものです。書き手は国司の一団にいる女性と「設定」し、その内容は虚構を交えたものとのこと。『土佐日記』が出る前、日記とは男性が漢字で書くものでしたが、この作品の登場により、以後は仮名による表現、特に紫式部清少納言らによる女流文学が発達したとされています。

この「仮名による表現、特に女流文学が発達したこと」が、(平)仮名は女性的な文字である、という後世の日本における文字イメージに作用したのではないでしょうか。

 

仮名については近代に50音の文字が指定されるまで、今のひとつの仮名の音に相当する文字は、複数ありました。習字で和歌を臨書した方なら、変体仮名という言葉を聞いこたこと、あるかと思いますが、あの変体仮名から現在の「あいうえお…」の50文字選出されました。現在より仮名の数が多かったのは、一説に前近代の日本語は現在のそれよりも発音が複雑で、それを表現するのに仮名もたくさんあったのはないか、という話を聞いたことがあります。

 

「漢字は男性的で、(平)仮名は女性的」というイメージは、どうも、下の名前を付けることにも影響しているようです。現在の日本では、私の知る範囲で、女性には仮名、特に平仮名で付けらえた名前の人をときどき、見かけます。

 

  2-2.朝鮮王朝の「訓民正音」とハングル

朝鮮半島については、朝鮮王朝の世宗王の時代に、現在のハングルのもとになった「訓民正音」が作られました。上層階級が使っていた漢字は複雑であり、民が使いやすいよう、作り出されたのが「訓民正音」だそうです。なお、朝鮮王朝では、上層階級の両班の男性が政治を行い、歴史書の『朝鮮王朝実録』は漢字で書かれました。両班の男性は漢詩を詠む文化を持ち、稀に「訓民正音」の文字で歌を書く人もいたようですが、文学作品の多くは漢字を使って書かれていたようです。一方、両班の女性の漢字識字率や、「訓民正音」の浸透度は不明です。私が旅行で訪れたソウルの国立中央博物館には、朝鮮王朝時代に公主が身内にあてた手紙がのこっていましたが、果たして、それがどの程度の身分階層に、どの種類の文字を使って読み書きできる人がどの程度に存在したのかは、分かりません。

 

ところで、知り合いの朝鮮近代史の先生の話では、その文字が庶民レベルで使われるようになったのは、日本統治下の朝鮮でした。その先生や韓国人の先輩が朝鮮近代史の新聞や公文書を日本語に訳し、ネイティブチェックを私がすると、一文が長く、頭が痛くなりました。同じ時代の日本語も、新聞や公文書はそんな感じで「何で読みにくいねん!」と韓国人の先輩と悩んでいたら、先の先生曰く、書き言葉も一般の人が理解しやすい今の形に整っていく過程があって、それは近代から現代に当たる頃ということです。ちなみに、近代のハングルも300文字くらいあって、それが現在の100文字台に整理されていったのが、近代から現代に当たる頃とのことでした。

 

名前に関しては、現在の日本で女性に仮名の名前の人がいるように、韓国でもハングルの名前を持つ人を見かけます。よく見かける名前は、漢字で表現できない「純韓国語」(スンハングッマル、日本の大和言葉に相当するらしい)の単語で、(天)空を意味する”하늘”(ハヌル)があります。この名前の女優では、キム・ハヌルさんがよく知られているようです。

 

 2-3.中国の漢字

さて、漢字を日本や朝鮮ほか、周辺地域に輸出した中国は、どうだったのでしょうか?甲骨文字にまつわる話については、「【'18.6.15_1740ごろ全体更新】「【読書→読了メモ】佐藤信弥『 #中国古代史研究の最前線 』」目次とその周辺の話 」に出した範囲では、どうも、為政者は男性が多かったように私は考えています。

 

『中国古代史研究の最前線』で扱う時代を少し下り、後漢には父で歴史家の班彪、獄死した兄の班固の業を引き継ぎ、正史『漢書』を完成させた妹の班昭のように、才で名を馳せた女性もいます。ですが、前近代中国の場合、科挙対策ができる母親が育つような、よほど教育熱心な家の層出身とかでない限り、まず、女性に文字を教えるということは少なかったと考えられます。後宮にいる后妃でも、文字を読める人は大変少ないか、いなかったようです。中国文学者の小松謙先生のご著書には、絵入り本が後宮で読まれていた話がありました。そこに、女性の識字率の低さが窺える一節があったように思います*1

 

中国の古典小説の登場人物を挙げて、前近代中国の女性の識字の話を少し、致します。

明代後期に成立した『金瓶梅』では、大商人の西門慶が抱える5~6人いる妻妾のうち、文字を読み、大まかですが意味が分かるレベルだと、メインヒロインで第五夫人の潘金蓮がいます。例えば、西門家の跡継ぎに着せる服を見た時、書かれていた文字を理解していたような描写があった記憶が私にはあります。彼女の母親によれば、兄弟姉妹のなかで最も聡明だった潘金蓮は、女学という塾のようなところに通わせてもらっていました。妻妾の中で出身階層が最も上(軍人系)の妻の呉月娘は、文字が(あまり)読めていないような描写が出てきたと思います。 

 

金瓶梅』より時代が下り、清朝乾隆帝の時代に成立した『紅楼夢』は、貴族の賈氏一族が物語の舞台になっています。優雅に見える上層階級の人々の生活の没落が背景として設定され、ストーリーは、この一族の貴公子・賈宝玉(かほうぎょく)に、彼の従姉妹2人を加えた三角関係を軸として展開します。恋愛は精神的な面に重きが置かれ、情緒の描写は洗練を極めることから、この作品は中国文学史上、最高傑作とされています。

繊細なプライドの高い美少女の林黛玉(りんたいぎょく)と、良妻賢母タイプの薛宝釵(せつほうさ)を主なヒロインとし、賈氏一族に連なる同年代の少女たち、侍女らが登場。彼女達は一族の庭園内で賈宝玉を囲んで詩を詠みあうシーンがあります。一族は皇帝と姻戚関係にあることと、一族の男子が科挙の受験勉強に励むことが窺えることから、上層階級のに入るとはいえ、賈氏は女性が詩を詠むレベルには教育を施す習慣がある、と私は推測しました。例えば、最初のほうで、林黛玉に父親が家庭教師を付ける一節があります。

 

以上のような話から、前近代の中国では、家の方針や個人の能力にもよるでしょうが、上層階級出身者でも、よほど女性にも教育するようなところの家の出身者でないと、女性は文字が読めなかったと思われます。

 

ところで、漢字という文字自体、意味が複雑なものや、画数の多いものがあることは言わずもがな、覚えるにも高い力を要する性質の文字でしょう。日本の仮名、朝鮮の「訓民正音」のように、漢字をもとにしてはいるが、漢字よりも特定の人集団が心情を表現しやすく、また習得しやすいといった文字は、中国の周辺では歴史的に数多く、生み出されています。前近代には、ベトナムの「字喃」(チュノム)、西夏の「西夏文字」をはじめ、その例は枚挙にいとまいがありません。

その一方で、漢字を輸出した側に当たる中国の中心では、唐の武后が制定した即天文字を除き、こういった流れで新たな種類の文字を生み出すような動きは、起きにくかったようです。そのあたり、輸出できるレベルの文明の誕生した中国たる所以なのかもしれません。

 

女性の名前についても、興味深い傾向が前近代から現在まで、中国、それから中華圏出身者にあります。ある傾向では、同じ音の漢字を繰り返し、愛らしい響きの名前を女性に付ける習慣があります。歴史的には、北宋徽宗皇帝お気に入りの妓女・李師師がこれに該当します。現在、中華圏の女性には同じ音の漢字を繰り返す名前を持つ人物としては、文革期を舞台にした次の本:

 

睡蓮の教室 (新潮クレスト・ブックス)

 の著者がそうだったと思います。ルル・ワンは、アルファベット表記が”Lulu Wang”で、下の名前のLuluの中国語の漢字はそれぞれ違いますが、発音を表す拼音のアルファベット表記にすると、同じ音になる文字の組み合わせだったと記憶しています。

 

そのほか、 

の族譜から名前を分析した研究は、女児も男児と同じく、漢字の名前を持っていた者がいたことを伝えています。また、父系が重視され、歴史的に男児が好まれることの多いという中国ですが、女児の名前には親のかけた期待、慈しみ、それから愛情を読み取れるケースがあったと、著者は指摘していました。

 

 

3.最後に

ということで、今回は東アジア地域の文字と性別にまつわるイメージについて、軽く掘り下げてみました。ところどころ、 私が個人的な解釈をて圧縮し過ぎた話があると思いますので、気になるところは読者各自でお調べ頂けたら、幸いです。

 

最後に、漢字をもとにした西夏文字について、おすすめの漫画『シュトヘル』を紹介します。舞台は、ユーラシアで勢いを増していたモンゴル。チンギス・ハーンが、密かに西夏文字をその力で消さんと動くなか、西夏人の養母が伝えたその文字を記した「玉音同」を守り、後世に伝えようと育ったツォグ族を離れた少年ユルールと、その旅に同行する西夏人の女戦士シュトヘル(画像の赤髪の人物)、現代日本から処刑後のシュトヘルの身体に宿った男子高校生スドーが、文字で歴史を繋ぐために様々な敵と戦う物語です。正史のあり方、人々が文字を生み出して使う意義や思いについて、深く考えさせられます。全14巻。

 

 シュトヘル 14 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

 おしまい。

 

 

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*1:うろ覚えではありますが、次の本に書かれていたはず:

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