仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

文化論の視点で #借金玉『 #発達障害 の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』を読む('18.12.23、16時台にnote出張編のリンク追加)

<「内なる異邦人」の発見?!>

5.ライフハック編までのお話~はしがき~

研究業界に推定・少なからずいる「発達障害っぽい」人たちが、就職・転職により業界の外部の人たちと「新たな社会生活」をしていくにはどうしたらよいのか?本記事は、ここの執筆管理人である仲見満月がそうしたことを考え、読んだ次の本↓

 

(以下、本書または『すごい仕事術』と呼称) について、文化論の視点から読み解いてくのを目的とした書評記事です。

 

本記事シリーズの第1弾に当たるのは、こちらの記事です:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

研究者向けのライフハック本として本書を読み、私なりにアレンジしたり、研究室での実際の生活をもとに補足したりして、レビューしました。前回(ライフハック編)の冒頭目次を見て頂くと、『すごい仕事術』の内容校正が大まかに分かるようにまとめています。また、著者の経歴やこの本の目指すところ、そもそも発達障害とはどんなものであるのか?といった基本情報を前回の頭で触れています。知りたい方は、ライフハック編の第1項をお読みください。

 

さて、今回は予告どおり、文化論の視点から本書を読み解いてく回です。取り上げるのは、以下の3つの章。

  • 第2章 全ての会社は「部族」である【人間関係】
  • 第4章 厄介な友、「薬・酒」とどう付き合うか【依存】
  • 第5章 僕が「うつの底」から抜け出した方法【生存】

 

著者の借金玉さんは作家を目指されていたせいか、それとも営業の仕事で鍛えたのか、観察眼が鋭く、現代社会を生きづらい発達障害者であるご自身が生き抜く方法を編み出すなかで、職場の人集団の構造やそれにともなう行事を分析・考察されています。しかも、文章のあちこちに、自身に馴染みのあるゲーム(主にスーパーマリオマリオカート)や未確認生物(ビッグフット)のネタを織り込んでいて、読者の心をつかめる書き方。

 

こうした分析・考察は、主に人文・社会学系に該当する分野で研究をしていた私には、非常に興味をひかれる視点がみえました。今回は、文化論の視点で『すごい仕事術』の本をレビューしていきたいと思います。

 

なお、本記事は前回と同程度の長さです。まずは、上の目次をご覧になった上で、気になる部分だけお読み頂き、次に関連のあるコンテンツにジャンプしていくことで、読み進めて下されば、幸いです。

 

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(画像:ピカーン!イラスト - No: 891012/無料イラストなら「イラストAC」より)

 

 

6. 文化論の視点で借金玉『発達障害 の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』を読む

 第2章 全ての会社は「部族」である【人間関係】

この第2章は、民間企業やお役所、大学院など関係なく、仕事をスムーズに運ぶための人間関係を円滑にするライフハックが紹介されているところです。著者は、職場(の人集団)を「トライブ(部族)」とみなし、その中で生きていくための具体的な処世術の方法を提示。その解説文は文化人類学民俗学的な示唆に富むようで面白かったので、取り上げることに致しました。

 

  ・「Hack10 「人間関係の価値基盤「見えない通貨」」(p.108あたり)、「Hack11 部族の三大通貨①褒め上げ」、「Hack13 部族の三大通貨③挨拶など」

本章の序盤で、まずは人と人の「感情」的なものの取引を「見えない通貨」のやり取りと表現するのは、分かりやすく喩えられています。

 

たとえば、仕事で上司や先輩に報告書の体裁や、メールの送り方を教えてもらった時。その行為の対価として、新入社員は「お礼」を言います。あとは、「○○さんおご指導、とても分かりやすくて助かりました」と褒めるといったことです。この対価によって自分よりも上の立場の人たちをよい気分にさせれば、仕事を円滑にする情報やヒントをもらえる機会が増えることがあります。つまり、新入社員が「お礼」や「褒めること」を「見えない通過」として行為によって支払うことは、結果として利益が発生する、と。

 

たとえ、その指導が上司や先輩にとって義務であっても、やはり「お礼」を言われるというのは嬉しい人が多いでしょう。少なくとも私はそうです。過去に、うっかりお礼を言い忘れてしまい、関係がこじれてしまった経験がある私としては、「お礼」等の定型コミュ二ケーションによる「見えない通貨」のやり取りは、大切だと本書を読んで気づきました。

 

「見えない通貨」の取引について、当たり前だと認識し、無意識に「お礼」や「褒めること」を言ったり、やったりしている。そんな人は、この世に多く存在する一方、著者のように、ある程度の酸いも苦いも味わわないと、気づけない人もいるんじゃないでしょうか。また、「見えない通貨」のやり取りが当たり前の人たちにとって、借金玉さんのように、そのことに気づけない人の存在は見えにくいと思われます。本書はそういった「見えにくい人」の存在をも見えやすくしてくれるものでしょう。なので、定型発達の人も読んだ方が、たぶん、いいでしょう。

 

  ・「Hack12 部族の三大通貨②面子」)

面子の話について、借金玉さんは、「●ボス猿にボコボコにされないために」のところで、 

 僕が勤務していた金融機関では、自分の部署の関係者全員に話を通して仕事の協力を依頼するときに、
 ・誰から順番に話を通していくか
 ・誰の意見を最も尊重するか
 ということが極めて重要な概念でした。その場のパワーバランスに配慮して、「顔を立てる」という支払いをしなければ物事が円滑に進まないわけです。(中略)

 

 面子を立てるとは、部族の掟に從い「私はあなたに経緯を払い、顔を立てるべき相手と認識しています」という表明をすることです。あなたは見えない通貨で対価を支払い、相手に協力を依頼したわけです。

(本書p.119~120)

と言っています。日本の職場であれば、一般的に中間管理職の係長、課長や部長には分かりやすく、分かりにくい平担当者にも、暗黙ではありますが、観察すると序列が存在する、と。うっかり、間の人にお伺いするのを飛ばして、顔を立てないと何が起こるか。「よくわからないエラいおじさんが話に介入してきてシッチャカメッチャカに」なる経験をすることになります。著者の説明によると、あれは、「俺の面子を潰しやがって」と怒っているのです。「俺に支払いがなかったぞ」と怒っている」(本書p.120)ということ。「面子を立てる」という概念は、反社会組織から公務員まで実に幅広く流通している通過であり、暗黙のものであることが少なくありません。 

 

ちなみに、お隣の中国は十数年くらい前には、話を通すために手土産を持っていき、そこで事業への協力を仰ぐことによって、「面子を立てる」ことになっていたこともあったようです*1

この挨拶+「協力を仰ぐこと」は、日本のケースでは本書によると「部族の三大通貨」の「面子を立てる」にどちらも入ります。十数年前の中国では「目に見える通貨」として手土産が加えることで、事業がスムーズ通っていたらしい、と。2010年代の後半の現在、「目に見える通貨」はどうなったかは分かりません*2

 

個人的なイメージとして、ビジネスやプライベートな人間関係において、日本以上に中国のほうが面子を重要視するイメージがあります*3

  ・「Hack14 部族の祭礼「飲み会」は喋らず乗り切れ」

冒頭から、職場の飲み会が大嫌いと宣うとは、借金玉さんの率直な気持ちが出ているところですね。酒とはアルコール。後で詳しく書きますが、お酒は「酩酊を楽しむ」ものであり、著者がいうように、アルコールを「信頼関係で結ばれた間柄でもない人間が集まって摂取するなんて、マトモなこととは思えません。酩酊を楽しむにはリラックスしたセッティングが一番重要ですし、その意味で言えば「職場の飲み会」なんて楽しいわけがない」ということになります。

 

それでは、何ゆえ、職場には飲み会があるのでしょうか。それは、「コミュニケーションの儀礼は習慣として完全に社会に根付いて」いる(本書p.128)からです。第2章の冒頭において、著者は職場を一種の部族と喩え、飲み会とはその部族の祭礼といっています。その祭礼で、「アルコールを摂取するということは多かれ少なかれ抑制を失」い、「その状態でコミュニケーションをとるというのは人生の飲酒運転」で、「危険がたくさん」あります。特に、「歓迎会」とは「要するに、新入りに酒を飲ませて本性を見定め、全員で値踏みする会 」(本書p.128)の意味合いが強いということ。それでもって「飲み会」は職場=「部族ごとにルールがまったく違」い、「ルールを飲み込むまで迂闊に動」かないほうがよい(本書p.128)と、借金玉さんは警告します。

 

著者は「飲み会」を祭礼、つまり「儀礼」の一種だ捉え、その重要性を本章で説きました。儀礼に関しては、20世紀前半のヨーロッパで活動した文化人類学民俗学研究者のファン・ヘネップが著した『通過儀礼』という本があります。

 

通過儀礼』の第1章「儀礼の分類」には、儀礼の目的や意味合いを説明したところがあります。それによると、個人の一生には、誕生・成人・結婚・子の誕生といった節目があって、その節名に「集団から集団への移行」において「ある特殊な行為」がある、と。その節目を通過するたびにステータスの変化し、その連続が「生きる」という事実そのもの」から来ると、と。その節目にある儀礼や儀式の目的とは、「個人をある特定のステータスから別の、やはり特定のステータスへと通過させること」です。飲み会のうち、たとえば歓迎会とは、新人が新採用された職場=「部族」という集団に入り、新たなステータスになるための儀礼・儀式といえるでしょう。

 

一方、「部族」(職場)から見れば、新採用の人を自分たちの集団に迎えて組み入れる「統合儀礼」の意味合いがあると考えられます。『通過儀礼』の第3章「個人と集団」では、外部から来た「異人」と村などの集団がどう付き合うかについて、説明されていました。説明の冒頭には、

  • 人は異人を「一方では大した手続きをふまずに殺したり、強奪したり、傷めつけたり」する
  • 「他方では異人を強い人とみなして畏れ、大事に扱い、利用し、あるいは彼に祟られぬよう、呪術=宗教的なまじないなどを行ったりする」

と。

 

職場の歓迎会は、おそらく2つ目のほうの意味合いが認められ、新入りを「異人」として「大事に扱い、利用」するなかで、職場=「部族」なる集団が新人=「異邦人」を歓迎会を通じ、自分たちの集団に統合する儀礼的な側面があると私は考えます。『通過儀礼』第3章の続きには、アフリカの人集団の例を挙げて「統合儀礼」が記述されていました。それによると、最初に、やって来た異人たちが来訪の目的を村に対して明らかにする準備段階がある。次に、贈り物の交換や村人からの食糧の提供、宿泊の用意などが出てきます。その次の第三段階くらいに統合儀礼があって、正式な入村、共餐をすること、互いに握手を交わすこと等がなされます。

 

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(画像:握手イラスト - No: 1135774/無料イラストなら「イラストAC」より)

 

第三段階に挙がっている「共餐」は、互恵的なものだとされ、共餐なしの食物の交換だけのこともあるんだとか。食物を介した「統合儀礼」とは、まさに職場の新人歓迎会がそれでしょう。飲み食い以外では、歓迎会の出し物で、新人が衣装をまとい、話題のアイドルの振り付けで歌とダンスをこなすのも、食物等の代わり「異人」が「部族」へ「見えない贈り物」とみなせます。歌舞という「見えない贈り物」を差し出すことは、「僕はあなたの部族の一員になりたいです」とアピールしていることになるのです。

 

こういった背景には、先述のように「異人」たる新人を迎えて「大事に扱い、利用」できるか、職場の人たちが判断する隠れた目的が潜み、歓迎会での値踏みが終われば、新人のその後の扱いが決定されるのです。歓迎会のほかにも、忘年会、新年会等の飲み会も、職場にとっては節目に当たる「部族」の「儀礼」として見ると、受け入れた新人や中堅、ベテランのメンバーを「値踏み」し、集団の持つカルチャーを問い、ステータスを変えていく暗黙的な指標の側面があるではないでしょうか。

 

飲み会には、新人や若手にとって、ほかにも気を付けるべきことが本書には挙がっています。たとえば、

  • 他人に喋らせとく
  • 無礼講はない
  • 自分の独演会にしてはいけない

の3つ。著者は、参加する度に疲労するくらいが飲み会は安心できる、と言っています。たしかに、飲み会に部族のメンバーを「値踏み」する意味合いを認めれば、著者の指摘には納得がいきます。もし、「自分が気分のよい飲み会は、少し注意したほうがよいぞ」と。

 

読者の私はこのあたり、どうなのか?というと、ライフハック書編でも書いたように、余興は積極的に参加しますが、上の3つが特性によってコミュニケーションに難があり、飲み会は苦手です。それで苦痛になってしまい、たくさんの人がいる飲み会を控えているようになりました。それで、少なくない不利益を得ている自覚はあり、ある意味、自業自得で仕方ないと認識しています。ちなみに、私とその周りの様子では、研究業界にも「部族の祭礼」として飲み会は、存在しています。

 

なお、ここで参考にしたファン・へネップ『通過儀礼』は、次の岩波文庫版を参照しました。主に人間社会の通過儀礼が対象の本ですが、地球規模の四季によるサイクルを個人の人生にたとえ、年中行事的なものも通過儀礼としてとらえています↓

 

 同書は、幅広い意味での儀礼を体型的にまとめた研究として読めて、面白いです。

 

 

 第4章 厄介な友、「薬・酒」とどう付き合うか【依存】

本書の中で、私が読んでいて最も著者の知識から来る分析が冴え、秀逸で面白かったのが、次の部分でした。 

 

  ・「Hack25 飲んでいい酒、飲んではいけない酒」

 ライフハック編において、私が簡単に記した感想は以下の通りです。

 

第4章の後半の飲酒とその文化の話は、私には秀逸でした。酒は酩酊物質と海外ではみなされ、酒がドラッグ等と同列に捉えられている実情と、それを囲む「文化」に関する考察が主軸になっています。その文化性が失われ、飲酒行為がアルコール中毒を引き起こした時、当事者が「壊れて失われるもの」に至る説明は、「文化論」として分析が細かく、読み物として楽しめました。特に、著者と学生時代からの文学仲間の体験談に、飲酒の文化を見出してまとめる第4章の閉め方には、注目です!このあたりは別記事の文化論編で詳しく触れたいところ。ライフハックとしてみると、著者の指摘は、お酒が好きな人にとって、「呑まれない」上手な酒との付き合い方を教えてくれるでしょう。

研究者向けライフハック書として #借金玉『 #発達障害 の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』を読む - 仲見満月の研究室

 

 Hack25の中でも、酒や薬物を囲むものを含めた文化の重要性を説いているのは、特に「飲酒から「文化的な側面」失われ始めたら危ない」(p.208以降)です。借金玉さん曰く、一般的にアルコールを含む

あらゆる酩酊物質を楽しむには「セッティング」が重要とされています。これは日本ではあまり馴染みのない文化ですが、アルコール以外の酩酊物質が合法の国では非常にメジャーな概念です。日本では、お酒以外の酩酊物質が禁じられており、また「酒」というのはあまりにも日常に溶け込んでいるものですので、酩酊物質といかに付き合うかという文化があまり育たなかったのかもしれません。(本書p.208~209)

とのこと。私の知る限り、酒に酔い、トラブルを起こす人に対して、社会的にひどく軽蔑される傾向は、ヨーロッパをはじめとする地域にあるように思います。

 

さて、著者のいう飲酒の「文化的側面」とは、一体、どのようなものなのでしょか?ポイントは、「誰と、どんな理由で、そんな場所で、どのように飲むか」(p.209)です。

 

たとば、「3万円のフルコースに合わせてワインを飲む」というのも、飲酒を囲む文化のひとつのあり方です。また、第4章の終わりには、実例として「2000円でベロベロになるまで飲める居酒屋」で、著者が作家を目指す友人と近況報告をしたり、純文学の話題で話を盛り上げたりする体験談がありました。そのカルチャーは、酒を囲む人たちにとって「自分なりのささかやかな文化を見つけ出し、その文脈で飲酒を行う」ことであり、借金玉さんには「この上なく大事なもの」と説きます。もちろん、一緒に飲み食いして話し、それを楽しむ人間関係も含めて。

 

文化のある飲酒に対して、「酔うためにアルコールを飲めればいい」とか、「仕事に追い立てられて焦燥感に駆られながら明け方に流し込むお酒」には、文化はない。そう言い切る著者はまた、貧困により文化の欠損は加速し、それによって人はアルコール依存症に近づいてしまうことを警告しています。そして、いったん、酒やドラッグの中毒になると自力での回復は困難であり、医療機関の協力ををすすめることも、著者はしています。酩酊物質の依存になった人は、健康も、人間関係も、壊してしまう。物理的に、他者を傷つけることもあります。

 

ところで、借金玉さんと同じく、文化的な存在の重要性には、ナイチンゲールも気づいていたようです。彼女は、クリミア戦争で戦地に派遣された際、出身階級が低く、識字率の低い兵士たちに対して、教育を施す学校とともに、音楽や演劇、ラグビーやサッカーを楽しむことを教えるシステムを整備しました。戦地スクタリのイギリス陸軍病院でのこの実践は、教育の機会と娯楽が兵士たちに与えられたことにより、イギリス兵は飲んだくれの、手に負えない乱暴者という、それまで悪い評判は消えたそうです。伝記『戦場に命の光 ナイチンゲール』(新装版、村岡花子/丹地陽子講談社 火の鳥伝記文庫)は、そのようにナイチンゲールの功績を伝えます*4

 

音楽や演劇、スポーツといった文化的なものの楽しみを教えることは、無秩序さや暴力的な言動といった、様々な破壊に繋がる人の行為を防止することができる。ナイチンゲールは、そのことに気づいてたと私は考えます。彼女は近代医療の仕組みを整えるとともに、文化的なものの価値に目を向けたことにおいても、先駆者ではないでしょうか。同様に、お酒を囲む上での文化的なものの重要性を説く本書の著者は、慧眼を持っていると考えられます。

 

以上、飲酒の文化的な側面に対する著者の気づきについて、感想とコメントでした。

 

 

 第5章 僕が「うつの底」から抜け出した方法【生存】

本章は終盤に位置し、「うつの底」を通り越した後、それでも生きづらくて、死にたくなる当事者が、どうやって生き抜いていくか?そのことに対する答えが出てきます。Hack31の最初の「死に覚えて生きていく」(p.255)がそれです。ゲームでは、「一回じゃまずクリアできないが、失敗を繰り返して攻略」していくことが前提のものがあって、たとえば、「スーパーマリオ」がそんなシステムだと。スーパーファミコン直撃世代の著者と同様、同名ソフトをプレイした私も、最初のほうは雑魚キャラで「普通なら何となく回避できるだろう」クリボーに激突してはゲームオーバーになっていました。そうやって「死んで」から、スタート画面の次のセーブデータ一覧に戻り、ゲームにリトライする日々でした。

 

普通なら何となく回避できそうな雑魚キャラに衝突し、失態をしてしまう。借金玉さんは、そのことを「発達障害の「空気が読めない」と言われる状態、「社会的文脈が見えない」みたいな」ものであると言います。そいった経験はまた、「しばしば、「みんなが何となく回避できるドツボに落ちる」みたいなこと」だと(以上、本書p.256)。そこから話は、人生における「死に覚えて生きていく」ことが、ゲームの「マリオカート」に喩えられて進んでいきます。かいつまむと、人生において「社会的文脈が見えない」というのは、マリオカートでバナナの皮を踏んでしまい、スリップしてしまうようなものである、と。読者の私は、発達障害を抱えていると、この「社会的バナナの皮」とは、見えないで踏んでしまえば、ときに車ごとサーキット途中の溝や池に転落してしまい、命を落としてしまう危険な存在の比喩だと捉えました。

 

マリオカート的な人生でスリップを重ねた著者は、本書で「社会的バナナの皮」を避ける技術を伝授しました。その「社会的バナナの皮」を通じてもうひとつ、最終章まで読んだ私が気づいたもうひとつのことは、発達障害者とは、そうじゃない人たちが作る社会からすれば、「内なる異邦人」みたいな存在なんじゃないか?ということです*5

 

「内なる異邦人」たる当事者が、ドツボたる「社会的バナナの皮」を踏まないようにするには、「我は『内なる異邦人』」たる自意識のもと、発達障害者でない人たちがつくる各「部族の掟」等の文化を観察し、知ること。時に、著者のような案内人を絵て、教えを求めて学ぶこと。そして、できそうな範囲で順応を試してみること。職場の飲み会がその一つです。

 

以上のようなことがあって、今回、『すごい仕事術』の本について、文化論の視点でレビューしてみました。

 

 

7.最後に('18.12.23、16時台にnote出張編のリンク追加)

だいたいの本記事の締めくくりは、前項の「第5章 僕が「うつの底」から抜け出した方法【生存】」で行いました。そこで本項では、「第2章 全ての会社は「部族」である【人間関係】」に出てくる言葉で、主に同章のライフハックを「茶番」とすることについて、市少し掘り下げてみようと思います。

 

第2章の職場で上司や同僚たちとうまくやっていくため、挨拶や雑談、それから飲み会に心を砕き、努力することについて、著者は「茶番」、つまり「ばかげた振る舞い」*6ともいっています。

 

職場でのこうした習慣については、昨今だと、会社の役員の方には窮屈だったり、面倒で苦痛を感じたりして、やり方やあり方が大きく違う場所もあるとか(部族ごとにルールが違うところ)。そうはいっても、まだまだ、こうした文化を大切に考えている場所は少なくないでしょう。実際、借金玉さんは、職場での人間関係を円滑にする挨拶や雑談の習慣について、茶番だと思ってしまう人にメッセージを書いています。巻末の解説担当者・熊代亨さんも、「挨拶や飲み会などを茶番として軽蔑する人も、こなせるようになっておくに越したことはありません」と言って、処世術としての重要性を説きました。

 

ちなみに、飲み会で気を回すのが特性上、苦痛である私は、ここらへんの儀礼的な意味合いについて、院生時代に様々な文献を読み、本記事の第2章の「飲み会」の考察で申し上げたことに行き着きました。同様の文脈において、挨拶や雑談の重要性にも納得。ただ、それが特性上、自分には不可能な場合に不利益を得ることがあります。そのあたり、ほかのところでカバーするとか、割り切るとか、するしかない気がしています。

 

それでも、生きづらいのが世の常です。そういう時には、発達障害(とその傾向)のある人について、暮らす社会において「内なる異邦人」であると、自身やその周りの人を捉えてみたら、いかがでしょうか。物の捉え方や見方が異なるのが当事者であり、そのあり方は、異なる生活形態・文化圏からやって来た人である、と。

 

ときどき、「社会的バナナの皮」を踏んづけてしまっても、次は踏んで転ばないよう、お互いに「やっていきましょう!」と。

 

おしまい。

 

=('18.12.23、16時台にnote出張編のリンク追加↓)===============

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*1:主に日系企業と中国の取引先の話だったかと。そのほか、2000年代の日中ビジネスの習慣は、次の本に詳しいです: 

 

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