仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

東西問わず変わらない文学研究者の特徴  ~ヤマザキマリ『イタリア家族 風林火山』~

世界的に『テルマエロマエ』で有名となったヤマザキマリ氏。古代ローマの風呂設計技術師・ルシウスが主人公のこの漫画について、時代考証の協力者は、作者の夫・ベッピーノ氏だということを思い出しました。

(ちなみに、著者はイタリア語以外にも欧米の言語が堪能なようで、様々な言語の文献にあたり、どうやら大学時代に学んだことも含めて『テルマエロマエ』の参考にしているそうです)

 

テルマエロマエ』の巻末のほうにクレジットされていたベッピーノ氏のほうに興味がわき、この盆休みに同じ著者のエッセイを読んでいたら、彼のことが簡潔に分かる作品があったので、紹介します。

 

 家族紹介のために、拡大画像をもう一度↓

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絵を学びに17歳でイタリアはフィレンツェの国立美術学院(大学の学士課程もあり、別媒体のインタビューによると、著者は通っていたらしい)に留学し、そのまま現地でアラサーまで画家をやっていた著者。本作は、日本でいうオシャレなザ・イタリアとはかけ離れた一家の息子・ベッピーノ(表紙中央の本を広げてメガネに手をかけている長身の男性)との結婚を機に、彼の父方・母方の両方の祖母、舅姑、そして小姑と共に、アルプス山脈の麓の北東イタリアのド田舎で、漫画を描きながら暮らすことになった著者の奮闘物語です。

 

 

ベッピーノ氏は、最初の話で登場します。これまた、(私の中だけかもしれませんが)「神経質で潔癖」で、ひと昔前の超真面目な「文学者」という感じです。なお、現地ではイギリス人に間違えられることもあるそう。

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(画像:本書p.4より)

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(画像:本書p.5より)

 

彼について、より詳しい紹介は、主にEpisodio4からの数話で展開。冒頭のほうで展開される、家の中でサッカーを見る著者たち家族の声がうるさいと言うベッピーノ氏。

やはり、神経質で几帳面そう…↓

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(画像:本書p.22より) 

 

もともとヤマザキマリ氏、表紙の左に三角ずわりしているお茶の水博士みたいな頭髪のアントニオ、右の緑のエプロンしている主婦のマルゲリータという夫婦とは、親しかったようで、その息子・ベッピーノが留学中に彼の部屋に通され、泊っていたそう。その部屋が、またすごかった。

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(画像:本書p.23より)

研究のために集めた考古学的な出土資料やら、専門誌の論文に載ってそうな地図やら、大学の講読でも使ってそうな古典作品の本やら…。私の知っている、中国文学や東アジア史の偉い教授の個人研究室を彷彿とさせる雰囲気です。

 

そして、数年後に実際のベッピーノ氏に会ってみた時がこちら↓

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(画像:本書p.24より)

椅子を引いて、ジェントルに対応するのは、父方の祖母・エリザベッタのしつけによるものだそうです。

 

それはさておき、一番下の2コマのベッピーノ氏のROMAに対する溢れんばかりの語りに、著者(くせ毛の黒い髪の毛の女性)は引き気味(実際、古代ローマのオタクだったおかげで、『テルマエロマエ』は描けるようになったそうですが)。

実は、文学研究者、いや分野が異なれど、研究者は自分の得意分野に話が及ぶと、「そこからせきを切ったようにおしゃべりが止まらなくなった」なんていうことは、よくあります。語りだしたら止まらなくなった、というのは実際に私もありまして、きっと、聞き手の人たちは、上のヤマザキマリ氏以上に、ドン引きしていたことでしょう(深く反省)。

 

その後、著者が日本に帰国すると、イタリアのベッピーノ氏から分厚い手紙が届き、開けると、古代ギリシャの女神像のコピー写真と熱烈なラブレターが…。驚くものの、ひとまず、電話をイタリアにかけると、何とベッピーノ氏は著者が帰国してから食事が喉を通らず、心臓は衰弱し、入院していたことが判明(その様子を彼の父・アントニオが著者のPCに送って来た)。「恋わずらい」で入院した彼に、「結婚前に相手を妊娠させてしまった男性の気持ち」を感じたヤマザキマリ氏は、しばらくしてベッピーノ氏に電話でプロポーズされ、承諾。

 

ここで、著者には心配があった。それは、著者がイタリア人の元カレ(ヒモ詩人)との間につくり、出産後はシングルマザーとして育てていた息子のデルス君(黒沢映画の北方民族の狩人に由来した名前)のこと。既に、ベッピーノ氏とデルス君、そしてアントニオの3人はイタリアでレゴを通じて親しくなっていたこともあり、思い切って息子のこと、それからイタリアでの貧しかった生活等、今までの苦労を彼に話した著者。そのすべてを受け入れ、ヤマザキマリ氏を妻にする決意をしたベッピーノ氏は、何とその時、21歳の大学生でした。

 

その時、既に35歳だった著者は、彼との歳の差に悶々としながらも、イタリアから送られてきた、次に会ったら渡したいものがあります、と告げるベッピーノ氏の言葉に胸をときめかせてイタリアへ到着する。彼に差し出された小さなケースを開けた結果が

こちら↓

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(画像:本書p.30より)

求婚するときに渡すものまでが、紀元前3世紀の古代ローマのカメオだと!?(ちなみに、私が個人的に好きな共和政ローマ時代)しかも、知り合いの考古学者の人から特別に譲ってもらったという…。身近に古代ローマの遺跡を発掘する考古学者がいるというのは、イタリアとはいえ大学生にして研究者のアカデミックな世界に出入りしていることが、よくわかるエピソードです。こういう、身近に〇〇の研究者がいるというのは、親族でない限り、(浅からず)学問の世界に身を置いている、ということではないかと判断できます。

 

ところで、気になるのはカメオのデザイン。ベッピーノ氏曰く、ローマ時代の狩人だそうです。なぜ、狩人にしたのかという理由は↓

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(画像:本書p.31より) 

 カメオのデザインに狩人を選んだ理由を聞いた著者は、感動しつつも、自分よりも14歳も「年下で細くて病弱で現役の大学生」との結婚に向かって、歩き始めるのですが、大きなハードルが待ち受けているのでした。果たして、それは何だったのか?続きは、本書をお読みください。

 

ハードルを越え、二人はベッピーノ氏の留学先・エジプトのイタリア大使館で結婚式を行います。

 

さて、本書を離れてからの話ですが、その後、ベッピーノ氏は比較文学の研究で博士号を取得しようと、ヨーロッパに戻ってからは、ポルトガルの大学に行ったり、次はアメリカのシカゴ大学に書類を送ってから移ったり…。それに合わせて、著者とデルス君も引っ越すこととなります。その途中のポルトガルでの生活中に『テルマエロマエ』は生まれたそうです。

 

 

その後の生活については、別媒体で、ヤマザキマリ氏は、飯の食えない比較文学という学問をやっている夫と、漫画家としてヒットした自分との間で溝ができ、アメリカに渡ってからは喧嘩が増えたということを明かしています。その時、ベッピーノ氏は30代前半。ここらへん、家族に人文科学系の研究者を抱えていると、「飯が食えない」とか、海外の研究機関からの招聘に応じて家族を連れて外国に移住するとか、割と起こりやすい問題かなと思われます。

 

本作とほかのエッセイを読むと、洋の東西を問わず、文学研究者の特徴は共通するものだと感じました。

エピソードには、文学研究者としての生活面でのギャグ漫画としては昇華できないであろう、苦労もあるかと。本書と合わせて、別媒体の著者のヤマザキマリ氏のインタビューを読むことで、文系研究者の現実を知ることができますので、文系分野で大学の研究職や教員志望の方は、いろいろ、探して読んでみてください。 

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