ブラック研究室が準備する人材への指摘と私の体験~日野瑛太郎 「ブラック研究室という闇」(『脱社畜ブログ』より)~
1.はじめに
年末から引き続き、数年前の「過去の記録」の整理をすべく、いろいろと読んでは振り返っていました。昨年12月にメンヘラ.jpさんに掲載された次の記事
(以下、「アカハラ対策記事」)のほかにも、アカデミック・ハラスメント*1に関するはてなブログの記事を「お気に入り」していて、それに関する言及をしていたメモが見つかりました。私自身、メモの存在を忘れており、思い出そうと読み返していると、身の毛のよだつ内容でした。
残念なことに、「お気に入り」に入れた以降、まだ2016年までにもブラック研究室は存在し続けており、私が上記のアカハラ対策の記事を執筆することになっていたからです。その上、本記事のタイトルにも入れたことに関して、「お気に入り」にした記事は、ブラック研究室がブラック企業への人材を準備する機能を持つ可能性を悪い点として言及していました。
〈本記事の内容〉
2.日野瑛太郎「ブラック研究室という闇」の紹介
「お気に入り」していたのは、日野瑛太郎氏の「ブラック研究室という闇」という記事です↓
この記事は、『脱社畜ブログ』に約2年半前に投稿されたものでした。「ブラック研究室という闇」の内容を整理すると、
ブラック企業大賞2013 ノミネート企業8社とノミネート内容
http://blackcorpaward.blogspot.jp/p/blog-page_12.htm(ブラック研究室という闇 - 脱社畜ブログより引用)
2. 「大学にもブラック企業類似の問題があるということを思い出した」ので、
書くことにした。
3.ブラック研究室では、労働に従事することを学生が強いられ、朝から晩まで
研究室にいることを強制され、泊まり込みあり、土日もろくに休めず、教員
からアカハラを受けることも、しばしば。ブラック企業も顔負けの環境かつ、
研究室内の学生の研究活動には労働基準法は適用されない。そもそも、学生は賃金をもらうどころか、学費を払っている側
(ブラック研究室という闇 - 脱社畜ブログより引用)
だが、「学生を無料の若い労働力程度にしか思っていないんじゃないか、という
ような教授方」もいらっしゃり、転職できるぶブラック企業に対し、学位を餌に
劣悪な環境に耐えなければいけないという「ブラック研究室は、ある意味では
ブラック企業より厄介だとも言える」。
4.もっとも、
実験系や生物系などでは、研究室にいる時間が長時間に及ぶことはある意味やむをえない場合もある
(ブラック研究室という闇 - 脱社畜ブログより引用)
ので、よほどの覚悟が学生にれば、それはそれでよい。だが、日本の研究の
現場では、純粋に研究に関する活動と言えるのか分からない、雑用を課せら
れることがある。そのような研究に関係のないブラックな労働が、学生に課せ
られるのは、到底許されることではない。
5.日野氏は
ブラック研究室が、ブラック企業で働くことの準備段階として機能してしまっているという可能性も、場合によってはあるのではないか
(ブラック研究室という闇 - 脱社畜ブログより引用)
ということを指摘している。実際に日野氏は、学生時代にブラックな研究室に
所属経験のある人が就職し、毎夜ごと残業続きにも拘わらず、
・研究室の時と違い、土日が結構休めて、お金がもらえる!
と言って、嬉しそうに働いている人を何度か見たことがあるそう。
6.これから研究室に所属する学生には、慎重に研究室を決めて欲しい。配属の
前には一度見学した上で、大学教員だけでなく、そこにいる学部生や院生にも
じっくり話を聞くこと。ネガ・ポジの両方の情報を集めてから決めること。
7.日野氏流のブラック研究室回避術として、
ちなみに、研究室がブラック研究室かどうかを見抜くために、結構使える指標がある。その研究室の学部生が、修士課程に進学したあと同じ研究室への配属を希望する割合を測定するのだ。「院では違う研究室」という行動をとる学生ばかりのところは、正直危ない。
(ブラック研究室という闇 - 脱社畜ブログより引用)
という方法をとればよい。
ということになります。文系大学院の研究室には触れられていませんが、私が本記事冒頭でリンクを貼った「アカハラ対策記事」の中に書いた、アカハラの発生しやすい理系の実験系研究室の環境とほぼ同じことが指摘されていると分かります。
3.2017年1月に「ブラック研究室という闇」を読み返して思うこと
3-1.ブラック企業にノミネートされた東北大学
私が「ブラック研究室という闇」を読み返して、まず、身の毛がよだったのが、この記事の冒頭の2013年のブラック企業ノミネートに、東北大学が入っていたこと。私の「アカハラ対策記事」の「1-2.「アカハラ」の意味、および学生の自殺が黙殺・隠蔽された背景」では、
筆者が読んだ限りでは、アカハラが背後にあったと思われる学生の自殺のニュースが、あまり有名でない雑誌のWeb記事、研究者生向けの自己啓発書等にポツポツと出ていることがありました。冒頭の日大ほか、国立大では旧帝大[4]、私立大では関東の有名な学校法人の名前を目にしたことがあります。(http://menhera.jp/1591より引用)
と書き、その大手マスコミでは報道されにくいものの、アカハラが背景にあったと思われる旧帝大とは、[4]の注に引いたように、東北大学でした*2「ブラック研究室という闇」冒頭の「ブラック企業大賞2013 ノミネート企業8社とノミネート内容」のリンク先に行くと、院生のほかにも、上司に当たる教員からの叱責等により、
2007年12月、東北大学薬学部助手の男性(当時24歳)が「新しい駒を探して下さい」との遺書を遺し、研究室から投身自殺した。
という出来事があったようです。東北大学では、院生だけでなく、研究に携わる職員もアカハラで自殺していたことがあった、それでもアカハラ対策がされなかったことに、衝撃を受けました。
3-2.私も「ブラック研究室」にいた?~2017年1月に振り返る~
それ以上に、ショックだったのは、「ブラック研究室という闇」の後半で指摘された、ブラック研究室がブラック企業で働く人材の準備機能をもっていることでした。その理由は、この記事に例として登場する筆者・日野氏のブラック研究室出身の知り合いの言葉は、私が院生時代、研究室の仕事と自分の研究とで板挟みになり、苦しんだ気持ちと重なるところがあったからです。
少し、自分語りをしますと、私のいた研究室では時々、ボス先生の研究会や学会の論文集の編集業務があり、その業務について、ボス先生の研究室(私のいたところ)やボス先生の後輩先生のいる各他大学の研究室と分担して、作業を進めることが何回か、ありました。携わった論文集の出版には、理系寄りの分野(人文系のテーマでもある)ながら「テーマに緊急性がない」と科研の出版助成枠に幾度も申請しては却下され、雑用係の私は凹みまくったこともありました。
出版助成金に頼るほか、研究会は年度によって活動費がカツカツなこともあり、論文編集業務に携わる院生にアルバイト代を出すことができなかったのです(大変失礼なことを承知で申し上げますが、報酬は、先生方のポケットマネーで、2Lペットボトルの飲み物、それから一食分をおごっていただく程度でした)。また、編集業務の「お手伝い」として、出版された論文集の後ろのほうに、映画のクレジット並に少し私たち院生の名前が載ることはあっても、あくまで、編纂者や著者の先生方の業績になるのです。
何冊かの論文集の編集雑務をしましたが、うちは人に業務を均等に振り分け、采配できる、人を動かすのが上手な先輩院生がいたから、まだ、使われる立場の私は仕事がしやすかったのかもしれません。それでも、プロジェクトマネージメントが機能していなくて、「最終的に何年何月までには、最後の索引づくりを終えよう」というような、明確なゴールを末端の我々院生に示してくれなかった元締めの先生に、私は常にイライラさせられっぱなしでした。ボス先生に聞いても、私の聞き方が悪かったのかもしれませんが、教えてもらえなかったのです。それでなくても、学術書の刊行までのスケジュールは、ルーズなところがあると言われていたので、しょうがなかったのかもしれません。
経済的な面では、親の仕送りと自分のアルバイト代が、研究以外の活動期間の生活に消えていき、その活動の評価として給与が得られないというのは、未熟すぎる私の心を荒ませるには、そう時間がかかりませんでした。
(ちなみに、この頃も食事の買い出しついてに「無心ウォーキング」してました)
こうした論文集の編集雑務と並行して、私たち院生は各自の投稿論文を書いて、指導教員を捕まえて、コメント付けや添削をして頂き、推敲を重ねてジャーナルに提出していたんです。だから、ジャーナルの審査に完全に落ちると、そのストレスと雑務の疲労とのダブルパンチで、引きこもりたくなることもありました。
3-3. 当時のメモを晒して振り返ってみた
2013年7月に投稿された「ブラック研究室という闇」について、いよいよ、当時、自分が読んで書いたメモを晒すことに致しました。
抽象的ですが、書きますね。人文系の話。
余裕を持って、作業を進めていたはず!
なのに、人生はどうしようもなく切羽詰まる瞬間があるんですね…。仕事チームの仲間の1人が熱中症やらで体調崩したり、
血縁者にご不幸があって帰省しないといけなかったり。そういう時、
「忙しい時、抜けてしまって申し訳ありません…」と言われると、
こちらも本当に気の毒で仕方がなくて、どうしようもありません…。残った数少ないメンバーは気が立ってしまい、些細なことで
言い合いになったり、気持ちの行き違いができたり、
そういうことで衝突してしまって、人間関係が簡単に裂けてしまう…。一度、衝突してしまったら、うわべは治っているように見えても、
深いところでは後々まで響く形でヒビが入っている人間関係だって
あるんです。「お気に入り」した記事ですけど、そういうところを「ブラック研究室」というならば、これ以上、増えてほしくないです!
お願いですから、先生方も、院生同士も、お互いに労りあって下さい。
「ありがとう!」「ごめんなさい」「お疲れ様!助かるよ」
こういった声かけで、現場が救われる時だってあるんです!
トゲトゲした気持ちが丸くなっていくんです!「それって、精神論で乗り切ろうとしていませんか?」とか、いろいろ、
ご指摘を受けるかもしれません。一時的しのぎの対処法かもしれません。日本の大学の研究室が抱える構造的な問題とか、指摘することは
いくらでもできる。けれど、まずは声掛けから、労りあうところから、始めませんか?
長々と、見苦しい文章、失礼いたしました。
(当時の自分のメモ文章、そのまま引用)
認めたくはないですけれど、やっぱり、私のいた研究室も、先生方の研究会や学会の関係仕事が来ると、ブラック化していたんだと思います。一度ではなく、二度も三度も。こういうメモをしていたのは微かな記憶ではありましたが、当時から、大学院生の労働問題に自分が直面していて、精神的に耐えきれなくて、こういう文章を書いたんだと思います。そして、当時の私は、自分の研究室だけがブラック化していたのではなく、おそらく、日本各地の大学にポツポツとこうしたところがあったと、どこかで気が付いていたんじゃないでしょうか。
電通の過労問題を社会に大きく報道するきっかけになった高橋まつりさん。彼女ほどではなかったでしょうけれど、私の心もベキベキと、研究会や学会の関係の仕事で折れました。「ブラック研究室という闇」の日野氏の「純粋な研究活動」ほどでなくても、私が院生時代にしていた論文集の雑務は、少しは自分の研究に関係はしていたでしょうし、刊行された本を見返してみれば、これからの研究のベースになりそうなヒントがありそうでした。そうであっても、当時の私にとてはメインの研究テーマと多少なりとも離れた分野の雑務であること、そして、雑務ではあっても仕事として評価されず、その労働の対価として賃金が支払われない上、自分の身と銭を捧げなければならないところに、納得がいっていなかったように思います。
論文集の編集業務ほか、こうした雑務に対する納得のいかない不満、自分が博士論文に向けて進めている研究の固まらない状況、およびその研究を社会に還元させるビジョンのなさ等が重なったまま、周囲の方々に支えられ、博士論文を書き上げて学位を頂き、大学院を出ました。
それから数年経ってみて、はてなブログを開設し、Twitterを初めて、様々な方々と交流をしてから、少なくとも自分の研究を社会に還元させるビジョンを見出すことはできそうだと、分かってきました。それと同時に、ブラック化せざるを得ない現代の日本の大学の研究室を避け、そして、自分のように心を折らないで済む方法を見つけ、発信したいと思いました。その一つが、本記事の冒頭にリンクした「アカハラ」からどう身を守る?学生・院生のためのメンタルヘルス対策 – メンヘラ.jpの執筆および投稿です。
4.最後に
大学院を出て 、「さあ、就職活動するぞ!」という準備に入った私は、当初、社会にあるお役所や公的機関にしても、民間企業にしても、教育機関にしても、研究室以上にハードで厳しいところばかりだと認識し、「研究中心の独特な大学社会にいた私は、ハードな社会でやっていけるのだろうか?」と不安だらけでした。
そういう私に対し、同居人や先に就職していた学部や修士時代の同期たちは
「勤務先によっては、むしろ、大学院の研究室よりもマイルドなところはあると思うよ。ハードな研究室にいたなら、社会人として働き始めてから、むしろ楽だと感じるんじゃない?」
というようなことを言っていました。勤務形態や業種にもよるでしょうが、私が教育関係機関でフリーターをしていたところは、きちんと基準どおりの給与が出ていましたし、仕事の年間スケジュールを上司が提示し、それに合わせてどういう内容で生徒に指導をしていくか目標を立て、業務達成後、私はその目標に対しての評価を出してもらうこともできました。褒めて頂いたのは、嬉しかったです。院生時代よりも、ホワイト寄りかな、とは振り返って感じます。
そういうわけで、私もひょっとすると、日野氏が指摘したように、ブラック研究室で生産されたブラック企業に向けた人材になっていたのかもしれません。もし、この記事を読んだ現役大学院生の方がおられたら、自分の所属研究室について客観的に見てみてください。ブラック企業向けの人材になっていませんか?と意識して。
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