仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

3月初旬の研究者とその周辺の「認識」に関する私のツイートまとめ~アカポス就職難・博士号の有無・行動の許容範囲ほか~

 0.はじめに

今月25日、アカデミックポストの就職難について、次の記事を書きました。

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

その内容を書くうちに、3月初めごろ、アカポスゲットのしにくさ、博士号の有無による研究者の評価、そして研究者=変人らしいという世間的なイメージについて、ダラダラとツイートしたことを思い出しました。掘り起こして読み返したところ、私の思い込みと偏見が凄まじい箇所がありました。が、一部の大学院や人々については、「そんなに外れてもいない」と冷静に捉え、後生に何かしら有益になればと思い、まとめることに致しました。

 

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まとめたツイートは、2017年3月6日の午前5時台の連続投稿の一部です。誤字・脱字を訂正を除いて、ツイート時のまま、残しました。読者にとって分かりにくいと感じた箇所については、読んだ本の説明やこのブログの今までの記事のリンクを貼り、コメントを加えました。

なお、本まとめをするにあたり、情報をこちらにバックアップし、移行するという意味でツイートは削除させて頂きました。ご了承ください。

 

それでは、ツイートまとめにうつります。以下、特に出典の明示のない引用部分は、すべて2017年3月6日の私のツイートです。 

 

 

<今回の目次>

 1.アカデミックポストの就職難

高学歴で食べられなくなるのは、就職という将来の見立てが甘い人がいる、と言い(われ)ます。それは、アカポスのゲット方法や決まり方の情報が少ないからということが、多いと思います。少ない情報で、覚悟したとしても、ライフステージを上がるごとに、状況が急速に悪くなったと分かっても、軌道修正不可なの。

— 仲見満月@経歴「真っ白」博士 (@naka3_3dsuki) 2017年3月6日

 

周囲にアカポスの厳しい現状が分からない人が多いと、「自分が院に行きたいなら、行けばいいんじゃない?」と、安易に(大学)院に進めちゃうことも…。

「漫画家になりたい」、「歌手になりたい」と子が言えば、止める親もいるでしょう。アカポスはそれ以上になれないと思われます。今は、副業の漫画家、歌い手や地下アイドルなど、兼業がしやすいかもしれません(やってる人たちは、疲れて大変そうですが)。

 

ここらへんの例については、大学講師が原作者の次のエッセイ漫画に詳しく、載っています。原作者のこづか先生の講義からして、文系っぽい授業風景が広がっていました。こづか先生が研究者を目指すことになった話が、そっくりそのまま、本書の後半に出てきます。

 

研究者という生き物にご興味のある方は、理系の「流動研究員」ライフを取り上げた

『研究者マンガ「ハカセといふ生物(いきもの)』(技術評論社、2012年)と合わせて、読まれてみて下さい。

 

 

2.業績評価の基準が特に文系は曖昧なこと・博士号の有無の現実

研究者もそうです。ただ、在野研究者は大学勤めや国公立の研究所、美術・博物・図書館等の職業研究者の一部の人たちに、叩かれることはあります。

 

漫画や歌い手の場合、作品の売り上げやDL数、動画の再生数値によって、作り手や歌い手の実力を計りやすいです。

けれど、研究者はそうじゃない。業績のカウントでさえ、特に文系は、著書が単著か共著か、新書は業績にならないと言われるけど選書は?など、業績に入れられる著作の種類の基準さえ、曖昧です。

研究者の業績の基準が曖昧ならば、そこに無意識の偏見が入れば、評価する側の人たちの間でも、見方が分かれるでしょう。そういう基準さえ曖昧なため、在野研究者で査読数が多くても、職業研究者の人たちには軽くみられることがあるんだと思います。

だから、学位というのは、大切なんです。一応はね。博士号を取得した人たちの実力は、下がってきているとは言いますけどね。

 

悲しいかな、悔しいかな、本当に曖昧なんです。投稿論文については、研究機関の定期刊行物である「紀要」に載った論文は、審査があったとしても、昨今は基本的に査読論文としての業績にカウントされないそうです。このあたりについては、ジャーナルと院生をめぐるお金の話~掲載料のこと~ - 仲見満月の研究室をご参照ください。

 

業績評価について、文系は特に「著書が単著か共著か、新書は業績にならないと言われるけど選書は?など、業績に入れられる著作の種類の基準」は、私の院生時代の先輩やポスドクの方々も、出版された博士論文について「Worksなのか、論文なのか、分からない」と仰っておられました。新書については「【2016.12.2追記】Why academic books are very expensive ?~研究成果としての学術書の出版とその問題~ - 仲見満月の研究室」では、「2.研究者が学術書を出版する意義およびその出版形態のこと」で、

以上、ボス先生や先輩方との会話を思い出し、学術書には付きまとう出版背景と意義をまとめました。その次に、新米研究者が新書を出すことが出来たら、研究者として次のステップへ進めたことになるそうです。新書は、専門的な内容を簡潔にまとめたスタイルの書籍。一般向けに自分の研究成果を分かり易く書けるという、この新書を出せて、やっと、研究者として一人前なんだそうです。少なくとも、商業的な売り上げが見込める、新書出版の話が来たら、一人前と言えるようです。

(【2016.12.2追記】Why academic books are very expensive ?~研究成果としての学術書の出版とその問題~ - 仲見満月の研究室)

ということを書きました。が、新書は基本的には研究業績としては、現在、認められない傾向にあるようです。 

 

基準が曖昧ということもあり、大学・大学院、国立・公立の研究所等の勤務する職業研究者の一部には、日本全国規模のジャーナルに載った査読論文を何本も持ち、カチッとした単著を書いている在野研究者に対して、どうしても軽くみてしまう人たちはいるでしょう。最近の人文科学系においては、博士号持ちの人が増えたこともあるためか、修士号取得の身で就職後、学会大会や講演会で発表報告をし、査読論文を増やす等の研究活動をしていても、「果たして、修士号しか持っていない人を研究者と言ってよいのか?」という、話がTwitterの片隅で呟かれることもあるようです。

 

現実として、博士号は在野で研究をすることになっても、今は持っておいた方が学術的な議論をする際、目上の研究者と対等に議論をしやすくなるのではないでしょうか。

 

 

3.一般人の「研究者=変人」の認識、および研究者の行動の許容範囲について

それから、会社員の人で、研究やってる人の場合、助成金を申請して通っても、会社の副業規定との兼ね合いが面倒くさいらしいです。白い目で見る人たちは、います。それはたぶん、研究者は変人だという偏見もあるんでしょう。

例えば、会社辞めてまで、研究するために大学院に入学した人に対し、会社に合わなかった変人だから、大学に戻ったんでしょう?ということを、某知恵袋や某質問箱などのサイトで、見たことがあります。書き込み者には、退職したその同僚に嫉妬、やっかみもあるでしょう。が、まんざら、否定できない。

直前のツイート内容は、Twitterや某知恵袋や質問箱の片隅ポでツポツ、見かけました。日本の総人口は約1億2000万、一方の世界は70億に達しようとするわけで、たくさん地球に人間が住んでいたら、特定の社会の特定の組織からすると、変わった行動をとっているように見える人は、数人程度は出てくるでしょう。本ブログで言う「ヘンテコな人」です。ちなみに、私は高校まで「自分は非常に変わっている人間だ」と自覚していたのですが、大学・大学院には自分より、よい意味で「ヘンテコな人」が多数いたので、逆に「普通」がよく分からなくなりました。ツイートまとめに戻ります。

 

大学院に来た人たちにも、いろいろ、いますから、社会人的なマナーや慣習に精通し、場面ごとに適切と言われるおられます。ただし、そうでない人も多いのは事実かと。

一見、外から見れば理由の分からない言動は、本人のなかでは筋にのっとった意味のある行動だったとします。研究者仲間なら、許容範囲。

パンツ下着姿で、男性が数式をキャンパス内の駐車場で解いていたら?大学にもよりますが、この男性が数学の教授なら、注意で終わりそう。これが、その男性の勤務している会社ビルの駐車場だったら?男性が管理職でも厳重注意なり、停職なり、重い処分が出るでしょうね。極端な例ですが、そういう違い。

直前の「パンツ下着姿で、男性が数式をキャンパス内の駐車場で解いていたら?」というのは、次の数学者へのインタビューを取り上げた記事に出てきます↓

naka3-3dsuki.hatenablog.com

数学者の数式事件はテンプレート化しているレベルで、私も所属していた大学院で耳にしたことがあります。その他、うちの研究室のボス先生は前任の大学にいた時、生物学専攻の学生が、自分で芋虫を飼育し、そのサナギから出てきた蝶をキャンパス内に放し、びっくりさせらたことがあったそうです。どうやら蝶は、その大学のある地方では見かけることが少なくなった種類の蝶であり、放った学生は、人を驚かして楽しむ方に研究技術を使ったという意味で、変わった人物だったようです。

ボス先生は、意図的にこうした変人たちをキャンパス内に囲い込むことで、一般社会を驚かせないようにするのが大学の社会的役割である、と仰っておられました。個人的には、一理あると思います。

 

 

4.まとめ:研究者とその周辺の「見られ方」とアカポスの得にくさ~高校生の進路選択の段階で知らせたいこと~

だから、そういった研究者の見られ方も、アカポスの得にくさも、全部、肌感覚で理解した上で、研究者になるなら情報を得ないといけないんです。そこまでしないと、覚悟は真の意味で不可能かと。よほど、両親が職業研究者だとか、職業研究者の一族に生まれたとかでない限り、肌感覚では理解できないかと考えております。

世の中には、分野はそれぞれ違えど、先祖代々、大学教授や研究職員ばかりの家に生を受ける人がいまして、そういう人なら、少し年上の従兄弟、兄弟姉妹が職業研究者を目指すことがあります。時代が下るにつれて、「やっぱり、就職しにくい!」という情報が一族の中で共有されることもあるようです(学会の先輩研究者より)。職業研究者になれないことが分かった一族の人には、小中高の学校教員、アナウンサーや公務員といった、比較的堅い職業に就いている人がいるそうです。

 

つけ加えるなら、非正規の多いアカポスのこと。単なる助教という名前のポストでも、ここ数年内に設置されたもの、なら、暗黙のうち3~5年で雇い止めはあり得ます。そうじゃない助教職は、2000年代の半ばに設置された、古いポストの模様。今は食えても、将来、食えないポストは増えるかも。

将来的には、単なる教授という名のポストでさえ、数年で雇い止めになる可能性もあるでは?そうでなくても、非常勤講師は不安定な雇用状態です。今は食えても、食えなくなることまで、予想して動かないといけない。そんなことを、職業研究者を考える人には、現実的な危機感を持って欲しい。

そういうことも含めて、高校のキャリア教育はしないといけないところまで、来ていると思う。それは、各々の他の職業についても、同様だと思うよ。

前半の「食えないポストが増えるかも」というのは、続・博士卒のアカデミックポスト就職の現実~「ポスドク問題/「出口」対策が弱すぎる」(河北新報オンラインより)を起点に~ - 仲見満月の研究室で書いたように、既に現実としてあります。そのうち、アカデミックポスト自体が任期付き・非正規が当たり前の時代が到来…しないことを祈るしかありません。

 

こういった情報は、学部生より下の人たち。少なくとも、高校生の進路指導で伝えたほうがよいと思いました。食える・食えないという生活がかかった見方だけで職業を選んではいけないでしょう。しかし、冒頭に書いたように、少ない情報のまま、職業研究者を目指した場合、生活が成り立たないことになっては、本末転倒です。また、社会人をしながら、在野で研究活動をするにしても、それはそれで、やりにくい事情があります。

 

先の未来は見えないことだらけ。ですが、少しでも研究者とその周辺のことをお伝えすることで、研究をしたいと希望する次世代の人たちの「研究しづらさ」を減らすことができたら、私には幸いなことです。

 

今回は、ここで終わります。 

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