仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

【2017.6.2_2103リンク切れ確認】大学運営と学究の場について~「私大再編、国立傘下で」(日本経済新聞より)~

 

<本記事の内容>

1.はじめに

4月22日の本日の日経新聞に、大学・大学院のあり方に関する気になる記事が出ていました。

私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻 :日本経済新聞

www.nikkei.com

(*電子版の無料会員登録で読みました)

 

今回は、このニュース記事で報じられた日本の大学・大学院再編から見た大学運営の問題と、それによって研究者はどこに学究の場を求めたらいいのか、少し考えてみたいと思います。

 

 

2.「私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻」(日経新聞より)と大学運営

日経新聞のニュース記事について、まず見ていきましょう。

 

一読した感想としては、私大再編という方針の名のもとに、日本全体の大学について、国公私立まるごと大再編をしていくのかな、と。Twitter上には、私大や国立大を淘汰していくのが、隠れた目的では?という指摘がありました。ごもっとも。おそらく、経済財政諮問会議の開かれた意図として、それはあるでしょう。日経新聞のニュース記事に、しっかり、書いてありました。

間議員の提言は、教育の質を高めて地方創生やイノベーションを担う人材を育てると同時に、大学を淘汰・再編して有望な研究開発に資金を回す狙いがある。

(私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻 :日本経済新聞)

そもそも、大学に関することなのに、「経済財政諮問会議」で話し合うのって、問題ではないでしょうか。文科省の大学所轄の職員を入れたり、せめて国立大学法人の協会のトップを呼んだり、そういうことはしなかったのでしょうか。それとも、私の調査不足で、実際には呼ばれていたんでしょうか?

 

さて、まず私が憂慮しているのは、私学助成のこと。今までは大学の規模に応じて額が決まっていました。それが、教育の成果に対して額が決まるようになるという方針に変わるのです。

従来は教職員数や学生数で配分を決めている私学助成も、教育の成果に見合った額を出す仕組みに転換。大学が自主的に資金を集められるように、土地などの形で寄付を受けやすくする制度作りも促す。

(私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻 :日本経済新聞)

 

教育の成果って、どうやって評価するんでしょうか?
今までは、確保した学生数とか、学生の活動で受賞しましたとか、目に見える数字や受賞の重さではかれていた部分がありました。あと、大学院だと指導した学部生や院生の研究成果として、こういう発見がありました、とかです。
果たして、こういう目に見える成果って、競走形式の助成をすることで、維持できるんでしょうか?

 

ある程度、今まで安定して運営されてきた私大においては、せっかく、博士課程の院生の経済的支援を行える余裕があったのに、それが不安定になってしまわないか。

 

日経新聞のニュース記事が伝えるところでは、今回の方針において、

これらの取り組みで経営改善が進まない場合は、大学同士の再編も強く押し進めていく考えだ。

 

 現在は1つの国立大学法人が1つの大学を運営するが、傘下に複数の大学を抱えられる「アンブレラ法人」に移行することを認める。国立大学法人法を改正し、制度改革を可能にする。将来は国立大を持ち株会社のようにして私立大を傘下に入れる統合も視野に入れる。分野や地域ごとに大学を集約する狙いだ。

(私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻 :日本経済新聞)

ということが目論まれているようです。「アンブレラ法人」って、何なんでしょうか?

 

再編のメリットが少ない場合は、円滑に閉鎖するために教員や学生、習得した単位を引き継ぐ方法も検討する。

(私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻 :日本経済新聞)

とも書いてあります。日本の現状として、大学・大学院の運営・経営、それから教育業務に携わる立場の大学教職員と、研究を行う教職員は兼務している方々が多いでしょう。


重くのしかかる雑務に、現場の大学教員が追われ、競争的資金に採用されても、研究ができない。原因は、大学・大学院に大きな資金を出しているのが、日本では文科省トップということで、少々極端ですが「文科省を解体しては?」という私見とそれに至るまでの経緯は、次の拙ブログ記事に書きました↓

naka3-3dsuki.hatenablog.com
経営・運営、教育、研究の部門を大学・大学院ごとに分けようしても、現場は雑務だけで疲弊しているため、対応は非常に困難でしょう。何をするにも、現場に余裕がないと、対応できないのが現状でしょう。

ここまで、大学の再編と淘汰をしないといけないという政府側の気持ちは、ニュース記事の続きを読むと、具体的な数字が出てきていて、確かに、気持ちは分からないでもないです。

 2000年以降、少子化にもかかわらず四年制大学は2割(130校)増えた。乱立による経営悪化で10年以降に10校以上が閉校・募集停止している。「文科省はいい事例をつまみ食いするだけで全体像を見せない」(経済官僚)との声も高まった。教育基盤の劣化は研究力低下などで長期的に国の成長減速にもつながるため、踏み込んだ措置が必要と判断した。

(私大再編、国立傘下で 地方で定員割れ深刻 :日本経済新聞)

文科省が全体像を見せない。この経済官僚の指摘は、間違ってはいないと思います。そもそも、文科省は扱う範囲が広すぎて、大学・大学院に関する政策だけでも、全体像を示せないほど小回りがきかなくなってきているのでは?とも危機感を持ちました。

 

日経新聞の伝えるところでは、現状の課題は多く、大学同士の中の人たちの連携にとどまる程度になりそうなことが予想されています。他にも、初等教育機関の小学校あたりに関する方針で、気になることは出ていますが、今回は割愛させて頂きます。


話を大学・大学院再編と淘汰の話に戻します。個人的な意見としては、特に職業訓練としての教育は、政府の別の場所で検討されている専門職大学に丸投げしてもいいと思っています。そのあたり、詳しくは、次の拙記事をご参照下さい。

gray-naka3-3dsuki.hatenablog.jp


日本の今の状態として、大学・大学院に資金的・時間的な余裕がない。若手研究者は、アカデミック・ポストに就けない、就けても任期付きで不安定ということは、今までに拙ブログでお伝えしてきました。

ならば思いきって、今の大学・大学院の外にも学究の場を作っていくことをしてみては、いかがでしょうか?

 

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3.現在進行形で進む民間の学究場所

このブログでは、今まで在野研究者のことを扱ってきました。合わせて、ブログのテーマとして、主に文系分野のことに焦点を当て、最近では、「人文学は役に立つのか?」というテーマについて、幾つか記事を書きました。次の拙記事は、その一連の流れの最新のものです↓

naka3-3dsuki.hatenablog.com


「続・人文の「価値」を「正面から問うこと」の一連の議論について」は、Twitter上での対話をまとめたtogetterまとめを紹介しています:

togetter.com

 

このtogetterまとめでは、芝尾幸一郎さんより以下のような内容のコメントを頂きました。
 ・人文学を「大学」が担わなくてもいいのではないか?
 ・"吉見 俊哉の「大学とはなにか」では、学知を大学ではなくアカデミーが担っていた歴史を紹介している。人文知の歴史の中で、大学がそれを担ってきた時間よりも大学以外がそれを担ってきた時間の方が長いのではないかな?"
 ・"大学自体も、今のような施設を持ち、国境に縛られなくてもかまわないのではないかな?"
 ・吉見俊哉の本にあるヨーロッパの初期の大学のように、「大学は学生や教師の組合団体・互助組織であり、建物を持つわけではなく教師団は自由に移動できる存在」だったから、その形に戻ってもいいのでは?

 

芝尾さんがご紹介されたのは、こちらの本ですね:

 

実は、既に私の管見の限り、「場所を借り、そこに講師を呼び、受講者が講義や講座、読書会を行う」タイプの大学のような場は存在します。お世話になっている京都アカデメイアさん、京都出町柳GACCOHさん、それからKUNILABOさんほか、探すといっぱいありました。こうした民間の講座が開かれる場所では、若手研究者が講師に呼ばれるケースも増えており、連続講座が実施されている場所があります:

「やっぱり知りたい!バタイユ」講座・第二回までのレポートとその周辺の話 - 仲見満月の研究室


こらからの国の大学・大学院に関する政策や方針を聞いていると、生計を立てるという意味での職業研究者を目指す人たちは、減っていくでしょう。今は、ある意味で過渡期にあり、これら研究機関に所属する院生や非常勤講師の人たちが、民間の講座で活動し、教育歴をつけ、何とか研究職を目指すという面があります。

この過渡期を経た後、私は人文学をはじめ、副業をしている人が、民間の講座の講師や受講者として、今までの研究機関とは異なった場所で、学究をしていく時代が本格的に来るのではないか、とも考えています。悲観的ではなく、ポシティブに捉えて、研究したい人が勉強会を開き、自主ゼミで発表して、研究の成果を勉強会の機関誌(紙とweb)に載せる方向に向かうと。そこでは、現在の研究機関では生まれなかった発想の知見が生まれ、育っていく可能性があるとイメージしました。

 

一定の学術的な水準を保つためには、これまでの大学・大学院等の研究機関による職業研究者の維持も大切です。しかし、その一方で研究機関とは異なったところに、学究の場を自分たちで作っていくことが、より進んでいきますよう、私は希望しております。

 


4.まとめ

専門の職業訓練をする場所、今までの大学・大学院、それから民間の学究場所。もっと、学び、研究する場所は、多様になっていくことで、人の生き方も多様になっていけばよいのではないでしょうか?私はそのように考えております。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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