【2017.5.14_0140追記:ニュース】歴史学の成果を伝える難しさ~「歴史の複雑さ伝える 「応仁の乱」がベストセラー 呉座勇一さん(歴史学者)」(東京新聞)~
<今回の内容>
- 1.はじめに
- 2.「歴史の複雑さ伝える 「応仁の乱」がベストセラー 呉座勇一さん(歴史学者)」の記事について
- 3.まとめ
- 4.参考記事「(文化の扉 歴史編)異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か」(朝日新聞、2017.5.14_0140追記)
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1.はじめに
5月8日の更新:「忍者もの」のフィクション作品と人文科学~「「トカゲ丸焼き」で毒薬配合…甲賀の「秘伝」忍術書見つかる」(ITmediaニュース/産経新聞)~ - 仲見満月の研究室に引き続き、日本史分野の話題を取り上げます。時代は、主に日本中世。
この時代の研究に取り組み、上梓した新書が異例のヒットを記録。その著者であり、国際日本文化研究センター助教として勤務する呉座勇一さんのインタビュー記事を通じて、歴史学研究の成果を世の中に伝えることの難しさを考えてみようと思います。
2.「歴史の複雑さ伝える 「応仁の乱」がベストセラー 呉座勇一さん(歴史学者)」の記事について
2-1.呉座さんの著書タイトル
まず、今回の記事の冒頭を中心に、記事の内容を見ていきましょう。
【土曜訪問】
歴史の複雑さ伝える 「応仁の乱」がベストセラー 呉座勇一さん(歴史学者)
思わぬヒットに本人も驚いている。呉座(ござ)勇一さん(36)の『応仁の乱』(中公新書)が、昨年十月の刊行から三十万部以上の売り上げを記録している。「難しいと言われます。だって、三十万人の読者なんて想定していないわけですから」
呉座さんは、2005年から2016年3月までの約10年間、学振PDや出身大学の東京大学大学院総合文化研究科学術研究員として勤務*1していました。そういうわけで、Twitter上では「一気にヒット作を出した元ポスドク」として、一部の人文系の研究者が話題西、羨望のまなざしを向けらていたようです。
その話題の著作が次の本です:
著書のタイトルについては、
応仁の乱は、室町幕府崩壊の引き金となった。有力大名・畠山氏の家督争いなどを発端に、細川勝元と山名宗全(そうぜん)を総帥とする大名間の勢力争いに発展。足利将軍家の跡継ぎ問題も絡み合い、混沌(こんとん)とした様相を呈しながら戦乱は十一年におよんだ。結果として幕府は弱体化し、日本は群雄割拠の戦国時代に突入する。
と説明されています。
俗に、「京都の人が”先の戦争”と言えば、応仁の乱を指す」という、あの「応仁の乱」です。学会や研究会があるとき、私のおぼろげな記憶では、京都の市バスに乗り、千本通から堀川通あたりまで、今出川通りを移動すると、車内アナウンスで、「室町時代の「応仁の乱」で西軍の山名宗全が陣をはったことから、西陣と呼ばれるようになった」と説明がされていたと思います。この乱によって、京都は荒廃し、その後の復興時の姿が今の京都のベースになっていると聞いたことがあります。そのくらい、日本史門外漢の私にも馴染みのある歴史上の出来事でした。
2-2.呉座さんが日本中世の研究を始めた契機と歴史観の多様さについて
そもそも、呉座さんが日本中世の研究を始めたことには、先の見えない時代である現代と通じるものを中世に感じたことがきっかけでした。東大の日本史専攻に進学した三年生の時、アメリカ同時多発テロが起き、呉座さんは、「冷戦が終わり、世界は平和に向かうんだという期待が一転して、先の見えない時代になってしまった」と気がつき、現在の世界情勢を「つかみどころのない南北朝から室町にかけての時代を専門に学ぼうと思った」そうです。
アメリカの同時多発テロと言えば、21世紀の最初の2001年9月に起こりました。実は、本ブログで何回か紹介しました岡崎匡史氏も、語学研修をオレゴン州立大学で終え、ロサンゼルスから日本へ帰国しようとした際、テロの影響を受けたことがあり、国際政治学の研究をしよう、と決意するきっかけになったよのことでした。世の中で起こった歴史的な事件が、大学生に研究の道を歩むきっかけをつくり、後に職業研究者となったことを思うと、私は非常に複雑です。
さて、呉座さんが卒論では選んだのは、武士の一揆でした。一揆=農民というイメージだった学部生の呉座さんには、武士も一揆をすることに面白さを感じ、研究に取り組みます。しかし、「階級闘争や経済基盤を重視するマルクス主義の影響を受けて」発展した戦後の歴史学の影響か、一部の研究者から不評であったようです。呉座さんは、「いまどき武士か、大事なのは民衆だと。でも、民衆の研究が偉くて、武士はそうでないというのはおかしい。研究対象の価値は平等のはずです」とインタビューで仰います。
マルクス主義歴史学は、私も少し、大学の授業で学びました。その歴史観は、「唯物史観」や「史的唯物論」とも言われ、次のようなものです。
歴史の発展の原動力は、社会的生産における物質的生産力とそれに照応する生産関係とからなる社会の経済的構造にあるとする立場。その上に政治・法律・宗教・哲学・芸術などの制度や社会的意識形態が上部構造として形成され、やがてその生産関係は生産力の発展にとって桎梏(しっこく)(束縛するもの)となり、新しい、より高度の生産関係に変わるとされる。
私の理解では、物の生産力のアップにともなって、政治をはじめとする諸制度やシステムも発展していき、歴史も発展していくんだよ、というものです。経済や階級闘争に関するマルクス主義によって立つ歴史観ということで、たしか、民衆の歴史の研究し、明らかにする方向で、日本の歴史学にも影響を与えたと思われます。冷戦の終焉によって、社会主義が「失敗」したという意識からか、マルクス主義歴史学はしぼんでいったようで、現在の日本の歴史学の元気のなさにつながているのでは?と私は認識しています。それでも、この思想の歴史観は、現在まで影響を与えているようです。
「貨幣経済の成長が中世に与えた影響は否定しない」呉座さんは、「民衆の闘いの歴史が貴いんだというのは一つの固定観念です。歴史家が百人いれば百通りの歴史観があっていい」と主張しています。
呉座さんの考えは、歴史学においてマルクス主義歴史学のような影響力を強く持った考えが以前よりも弱まってはいる現在の日本において、多様な歴史観を認めるという意味で、私も同意です。歴史的な出来事は、後述のように、様々な原因が複合的に重なり、その結果、起こっていることが多いでしょう。歴史学と一口に言っても、呉座さんのようにいわゆる政治史を研究する人、『武士の家計簿』の磯田道史さんのように大名家に仕える家臣の武家について研究する人、私のように日常生活と宗教信仰の関係を研究する人と、そのテーマはバラエティに富んでいます。様々な切り口で研究をすることで、その成果を出し合うことで、一つの事件の背景がクリアになってくることがあるのです。
2-3.以前の著書および歴史学の成果を伝える難しさ
「歴史家が百人いれば百通りの歴史観があっていい」と言う呉座さんは、自身のこれまで研究の成果を著書として出版してきました。
これまでの著書ではマルクス主義的な見方で歴史を叙述する「階級闘争史観」の弊害を一貫して訴えてきた。デビュー作『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『戦争の日本中世史』(新潮選書)では、革命のイメージが重ねられがちな一揆と下克上の歴史像の塗り替えにそれぞれ挑んだ。
インタビューで紹介されているのは、次の2冊です。
実は、呉座さんのご著書を読んだことがない私。「革命のイメージが重ねられがちな一揆と下剋上の歴史の塗り替えに挑んだ」ということで、生活文化の歴史に関心のある者としては、当時の人々にとっての一揆とその背景にあったものについて、知りたいです。
特に、「『一揆の原理』では中世の一揆を「今後の社会運動のあり方を考える上で貴重なヒント」として示してみせた」とのこと。大学院や研究者を取り巻く諸問題を本ブログで取り上げ、どう改善していったらよいのか、を考えても、具体的にとる行動が分からず悩んでいた私には、ヒントになるかもしれません。
歴史を現代に生かそうとする、つまり自身の研究成果をどうにか現在の日本に伝えようと試みる呉座さんは、政治家や実業家の動きについて、こう指摘してしました。
「政治家や経営者は大きな決断をするとき、戦国時代や幕末の歴史をよくたとえ話に出します。意外と、それは事実じゃないことが多い。フィクションで政治や企業の命運が左右されるのは恐ろしいことなので、歴史に学ぶのは本当はどういうことか、率先して示そうとしているんです」
歴史を参考にする際、そのエピソードが事実じゃなく、後世の伝説や創作で広まったストーリーであるのは、実はよく歴史学の研究者の間で注意を受けるポイントでもあります。
この東京新聞の冒頭で、呉座さんは、
本のヒットには「希望を持ちました」とも話す。「われわれが生きているのは複雑で混沌とした社会です。複雑なものを極度に単純化して分かったような気にさせる本ばかりが売れて、ちょっとなあと日頃から思っていました」
と言っておられました。おそらく、歴史上は複雑な事象が重なって起こった出来事について、極度に単純化した内容で紹介した自己啓発書やビジネス書が出版されているのでしょう。それらを読んだ政治家や実業家が、読んだ本の中の「厳密には事実ではない歴史の出来事」をもとに、仕事をしようとするのは、私も危険だと感じました。
「歴史に学ぶのは本当はどういうことか、率先して示そうとしている」呉座さんの仕事のひとつが、ヒットを飛ばした先述の『応仁の乱』の著作です。「応仁の乱」の起こった背景や原因等は、様々なことが重なったと指摘し、更に乱が起こった背景にある政治の混乱状態は、トランプ政権をめぐる現在の世界情勢とリンクしていると、次のように説明しています。
戦国時代までに成立した軍記物『応仁記』以降、応仁の乱の悪役とされてきたのは将軍足利義政の妻・日野富子だ。わが子を将軍の跡取りにしようと暗躍し、混乱を招いたと説明されてきた。呉座さんの著書では富子の記述は比較的少なく、大乱の収拾に力を割いた側面が強調される。
「人は分かりやすい説明を求めます。女性差別が今よりもずっと強かった時代なので、富子が悪役にされたのでしょう。でも、戦争が起こる原因は複数の要素が複雑に絡み合っているものです」
呉座さんは本の中で応仁の乱と第一次世界大戦との類似を指摘したが、現在ではトランプ政権誕生後の世界情勢とのつながりを感じている。
「将軍である義政の決定は、周囲には行き当たりばったりに見えた。その予測不可能性が混乱を生んだのは間違いありません。現代では同じように、トランプ政権の判断に日本はもちろん世界中が振り回されている」と見る。「応仁の乱は、そんな混迷の時代を生きるヒントになるのかもしれません」
確かに、足利義政の決定は、特に世継ぎの件を覆したほか、判断をくるくる変えたらしい、という話は日本史Bの授業でも聞いたことがありました。政治的な方針が度々変わる例では、中国の歴史では、北宋中期の神宗から末期の徽宗(芸才に溢れながら政治能力の評価が困難とされている皇帝)の新法・旧法の争いがあります。詳細は、この闘争のリンク先で確認して頂くとして、私が受けた予備校の世界史講義では、どちらかの政治グループのやり方に政治方針を決定し、安定性のある状況を保てず、政治的混乱を招いたことが、北宋滅亡に繋がったと説明されました。
終始一貫した政治方針を持ち、実行していく。呉座さんが「歴史上の失敗例が現代人の参考になる」という点について、私が学んだことは、筋を通し、安定した行動をとることだと考えました。「成功例は偶然ということもある。その点で応仁の乱は失敗の連続です。みんな見通しが外れ、行動は裏目に出る」 と呉座さんの研究成果から言えるなら、現代の我々は、周囲が予測できて安心感を与える活動をすればよい、のではないでしょうか。
3.まとめ
以上、『応仁の乱』の著者で、日本中世史を研究されている呉座勇一さんのインタビューを通じて、歴史学研究の成果を世の中に伝えることの難しさを考えました。私がこのインタビューで考え、気がついたことは、
- 現在の日本において、多様な歴史観を認め、様々な角度から研究を行うことで、一つの事件の背景がクリアになってくることがあること
- 政治家や実業家が、読んだ本の「厳密には事実ではない歴史の出来事」を参考にして、政治や企業を動かそうとするのは、危険だということ
- 「歴史上の失敗例が現代人の参考になる」という点については、筋を通し、周囲が予測できて安心感を与える活動をとるということをすればよいのではないか、ということ(そう単純ではなく、難しいでしょうが)
の3つでした。
2つ目に関しては、事実じゃなく、後世の伝説や創作で広まったストーリーや、極度に単純化した内容で紹介した自己啓発書やビジネス書が出版されることに、研究者は留意した上で、世の中の人たちに向け、研究成果を発信していく必要があるでしょう。
なぜ、歴史の出来事をもとに伝説や創作された話が後世に広まったのか?という背景も含めて分析し、著述していく必要がありそうです。それから、歴史学研究の成果を取り入れ、自己啓発書やビジネス書のように、簡潔に分かりやすく読まれるように執筆するには、どのような書き方をすればよいのか?工夫をすることで、呉座さんの『応仁の乱』のように、一般の人たちに読んでもらえる可能性が高くなるかもしれません。
これからの自分の研究について、呉座さんの指摘を意識して、論文を書いていこうと思いました。
4.参考記事「(文化の扉 歴史編)異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か」(朝日新聞、2017.5.14_0140追記)
応仁の乱について、足利義政の妻・日野富子の暗躍に関するイメージが強まった背景について、今月7日に書かれた記事が見つかりました。呉座さんの先の『応仁の乱』も、少し触れられています。本記事と合わせて、お読みいただけたらと思います:
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*1:2015年4月 - 2016年9月
国際日本文化研究センター 研究部 客員准教授の兼任あり:呉座 勇一 - 研究者 - researchmap