【2017.5.13_0210追記】高等教育に対する利益の見方についての一考察~財政制度等審議会と『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』から~
<今回の内容>
- 1.はじめに
- 2.『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の社会主義国家に見える高等教育とそれに対する利益の見方の違い(2017.5.11_2336追記)
- 3.まとめ
- 4.参考記事:「アフリカから学ぶべき日本の教育無償化のダメな議論」(note.mu、2017.5.13_0210追記)
1.はじめに
いつもお読みいただき、ありがとうございます。今日は、こんなニュースを見つけました:
Business | 2017年 05月 10日 18:26 JST
高等教育は「個人利益」 財務省、公費での無償化に慎重姿勢
[東京 10日 ロイター] - 財務省は10日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会で、高等教育の無償化案に関する論点を示した。高等教育が生涯賃金の上昇という「個人の私的利益」につながることから、公費負担拡大による無償化には懐疑的だ。
分科会は今月中に意見書を取りまとめ、政府が6月に策定する経済財政運営の基本指針に反映させたい考え。
高等教育の完全無償化には約3.1兆円が必要とされる。同日の分科会では、自民党の一部で浮上した「教育国債」について否定的な意見が多く出た。若手議員らが提案する「こども保険」についての議論はなかったという。
高卒者と大学・大学院卒者では「生涯所得が6000─7000万円異なる」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)ことから、財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけた。
その上で、「国民的合意が得られる私費・公費負担の組み合わせ」がどうあるべきか、さらなる議論が必要とした。
委員からは、高等教育を個人的利益とする考えに賛同する声が出た一方、「高等教育の結果、優良な納税者が生まれ、結果的に社会の利益になる」との指摘もあった。
(梅川崇)
今月10日に開かれた上記ニュースの財政制度等審議会では、「高等教育の無償化案に関する論点」について、「高等教育が生涯賃金の上昇という「個人の私的利益」につながることから、公費負担拡大による無償化には懐疑的だ」として、「委員からは、高等教育を個人的利益とする考えに賛同する声が出た一方」、「高等教育の結果、優良な納税者が生まれ、結果的に社会の利益になる」との指摘もあったとのことです。
この財政制度審議会のポイントは、日本における高等教育を「個人の私的利益」と見るか、「社会の利益になる」と考えるか、というところでしょうか。高等教育を利益を生む手段と考えたとき、そこにはやはり、国内の貧富の差の拡大が懸念されている。私はそのように考えました。
2.『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の社会主義国家に見える高等教育とそれに対する利益の見方の違い(2017.5.11_2336追記)
資本主義をとる日本に暮らしている私は、今回のロイター通信のニュースを読んだとき、以前、手にとった次の本を思い出しました:
本書は、このブログで著書や関係者を取り上げたことのある米原万里が、日本共産党の党員であった父親の仕事の都合で、東西冷戦下でソ連の実質上の衛生国家となっていたチェコのプラハにあるソビエト学校に通っていた時の体験が元になっています。
ストーリーを説明します。1960年代初頭のチェコはプラハ。ソビエト学校へやってきた日本人のマリ(後のロシア語通訳者・米原万里)は、リッツァ、アーニャ、ヤースナの三人三様、かけがえのない友人たちと中学時代を過ごす。宿題のない夏休み、林間学校で溢れんばかりのロシア語でしゃべり、世界文学全集の恋愛ロマンスばかり読みあさり、どこの国でも思春期は同じ。
30年後、マリは3人に会いに行く旅の途中、思いもよらない中央ヨーロッパ、東ヨーロッパの「哀しみ」に触れてしまう。それは、マリが思春期には知る由もなかったものの、中高の社会科歴史分野、世界史の現代パートで出てくる、「プラハの春」やハンガリー暴動等に対するソ連の介入によって、各国のコミュニストであったリッツァたちクラスメイトの各家庭が影響を受け、亡命や他国への脱出の形で、友人たちの人生に多大な影響を与える結果となっていたのです。
詳しい内容は皆さん各自で読んで頂くとして、私が幾度か読み返していて、今回のニュースと関連したことで気がついたのは、まず、冷戦終結までの社会主義国家における高等教育のあり方でした。例として、コミュニストの父親を持ち、ソビエト学校に通っていたギリシャ系のリッツァの話を挙げましょう。
彼女の父親はチェコで大学教員をしていましたが、プラハの春前後、東側陣営の他国での自由化の動きに対し、ソ連軍が介入してくることに意義を申し立ててました。その後に父親は西側へ亡命することになりましたが、娘のリッツァはチェコに残り、苦手だった勉強に向き合い、プラハのカレル大学医学部に進学します。
彼女の一家をよく思わないマリヤ・アンドレアスが党組織に訴えて行動により、リッツァは学業だけは続けらるようになったものの、寮にいられなくなり、奨学金も打ち切りになったそうです。それでもどうにか医者になったリッツァは、移住先のドイツで医者となり、30年ぶりに再会した米原万里にカレル大学の医学部時代の話をしました。
「大変は大変だったけど、苦労したのは学問のほう。経済的には、そんなに困らなかった。だって授業は無料のままだもの。こちらに来て分かったけれど、医学部の授業料は、目が飛び出るほど高くて、これじゃ、金持ちしかいけないわ。私みたいなたいして頭の良くない貧乏人があれだけ本格的な教育を受けられたのは、社会主義体制のおかげかもしれない。生活費だって安かったし、気分的にもとても楽だった。
(『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、「リッツァの夢見た青空」。下線部は仲見満月によるもの)
下線部の部分は、移住先の(西)ドイツのことだと思われます。リッツァが語るように、当時のチェコは社会主義国家であり、カレル大学医学部も授業料は無料だったのでしょう。政治的な批判で西側に脱出した父親のわずかな送金によりながらも、「本格的な教育を受けられたのは、社会主義体制のおかげかもしれない」というのは事実だったと思われます。2010年代後半の世界で、ほぼ無償で医学教育を受けられる大学を持つ国は、私の知る限り、キューバだけです。
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(2017.5.11_2336追記)
フォロワーのAKIYAMAさんから、情報を頂き、日本の大学の医学部ではいくつか、授業料の免除や補助などの制度を色々と教えていただきました。恥ずかしながら、自治医科大や防衛医大のこと等、忘れていたことがいくつかあり、教えて頂いたことと思い出したことについて、追記させて頂きます。
例:平成29年度「広島県医師育成奨学金」の奨学生を募集します。 - 広島県ホームページ、尾道市医師確保奨学金 - 尾道市ホームページ
(都市部の病院でも、こういった奨学金を出しているところはちょくちょくあるとのこと)
…「特定地域や特定施設への勤務を条件に、医学部生に対して同等以上の奨学金を出している所は多くあり、国公立医学部に関しては意外と経済的ハードルは高く」とのことでした。AKIYAMAさん、情報を下さって、ありがとうございました。
上記のようなことを教えて頂いて、私も思い出したことがあり、追記します↓
- 防衛医大は「大学校」ということで、入学=採用試験であり、入学すると公務員扱いで、給与が支給される*1
- 自治医科大では、「全寮制で、入学金や修学資金は必要」はない代わりに、貸与された資金については、「一定期間出身都道府県の指定する医療機関で勤務すると還元が免除され」る (*2
学力選抜による入試突破、それから上記の就学金援助の採用枠が狭く、ますます、競争が激化してきているようです。以上、追記でした。
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加えて、本書の中には直接は出てきませんが、米原万里の他の著作では、チェコ時代の暮らしを思い出す中で、社会主義圏における独特の文化を指摘していました。例えば、バレーやダンス、スケート等の競技、絵画や音楽の分野で、誰かが受賞したとします。その場合、受賞者だけでなく、周囲の人たちも自分たちのことのように喜んでいたそうです。つまり、業績が認められたのは個人であっても、その栄誉はみんなのものであるという文化があっったとのこと。
それがソ連崩壊後、資本主義が旧東側諸国に入ってくる中で、個人個人が競い合う方向に人々の意識が変わり、非常に残念でならないと米原万里は嘆いていたように思います。
社会主義体制の国々の多くが崩壊した世界となって、今は30年近く経ちます。私が社会主義や資本主義といった物事を理解する前に、ソ連は崩壊し、旧東側諸国は社会主義から新しい体制へ変わっていました。中国も改革開放を初めて、だいぶ時間が経過しています。なので、私は社会主義と言われても、冷戦の頃の話を聞いても、本や歴史上の出来事という感覚であり、肌感覚で理解することはできません。そして、その思想にだいぶ距離をとっている状態です。
ただ、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』のリッツァのカレル大学医学部時代の経済的に助かったという話と、業績が認められたのは個人であっても、その栄誉はみんなのものであると喜ぶ話に共通するのは、「社会主義体制下における教育とその成果は個人の利益だけでなく、社会のものでもある」という考え方が背景にあったのではないか、ということです。
個人の功績は、私たちの利益でもある、と素直に喜べる。日本には「他人の不幸は蜜の味」という慣用句がありますが、一部には事業で成功者した人をたたいたり、引きずり下そうとする人がいます。経済体制だけでなく、歴史や地域的な違いもあるでしょう。けれど、「個人の功績は、私たちの利益でもある」と認識できる文化には、少し羨ましい気持ちを感じました。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を通じて気づいたのは、高等教育を手段とした場合、「誰の利益となり得るか」ということを考える際は、話し合う人たちのいる文化や歴史等の認識について、自覚的になるべきことも重要だということでした。
3.まとめ
今回の高等教育の無償化について、財政制度等審議会において、「財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけ」られました。今後の更なる議論を考慮すると、本記事の第2項の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』に関する話を踏まえて、貧富の差を拡大しないことを念頭に置きます。その上で、日本における高等教育を受けた人たちが優れた業績を上げたと仮定して、どの程度、その業績を社会の利益と見なすには、どういう方針をとっていくべきか、我々の歴史や文化的等のバックグラウンドも含めて、考えていく必要がありそうです。
つまり、高等教育に対する国の予算の使い方において、民の不満を可能な限り取り除き、社会の利益をアップするには、どのような国家財政の方針をとるべきか、ということです。このあたりの話については。次の
の中で、戦後日本の財政でとられた方針について、欧米諸国のデータと比較しつつ、歴史的・文化的、そして政治的な背景を踏まえた話がありました。今回のニュース記事と合わせ、国民の満足度をアップさせつつ、高等教育に資する方法を財政上のやり方を考える時のヒントがあるかもしれません。
なお、高等教育の無償化案については、「財政審 教育の質で私大補助金判断「無償化なら改革必要」」(毎日新聞2017年5月10日 21時27分)のニュースでは、
財務省は各大学への補助金決定で、人材育成の成果など新たな指標を用いることを提案。質の高い教育を提供する大学に予算を重点配分し、魅力不足で定員割れを起こしている大学などは淘汰(とうた)されるべきだとの考えを示した。(中略)
安倍晋三首相は大学を含めた教育無償化を憲法改正の優先項目に挙げたが、私大は約4割超が定員割れの状態。政府内では「無償化するなら私大改革が不可欠」(経済官庁幹部)との声が強い。
と報道されており、【2017.4.26_1400追記】大学運営と学究の場について~「私大再編、国立傘下で」(日本経済新聞より)~ - 仲見満月の研究室でも紹介したように、どうしても予算を出す部分があれば財政を締めることをセットにして、経済官庁の幹部は考えていることが窺えます。
正直、むやみな大学の無償化については、私個人は否定的な見方を持っています。専門職大学の創設に関する私見~キャリアの多様性にける「学位」授与の重要性~ - なかみ・みづきの灰だらけ資料庫(書庫)で書いたように、誰もが大学・大学院での教育に適合しているわけではありません。大学が無償化されたからといって、自分のそこそこできるもの=ある程度の適正に気づかず、むやみに大学に進学するのは、進学した本人にとっても、教える側にとっても不幸でしかありません。
そういうわけで、むやみな大学の無償ではなく、例えば専門職大学をどう展開していき、どう予算を割り振っていくか?という問題とセットで、大学の無償化を話し合っていくこともすべきだと思っております。
ただし、「財務省は各大学への補助金決定で、人材育成の成果など新たな指標を用いる」という案については、「各大学のライフはゼロに近づいてるから、やめてください!」と主張して、本記事を終わりに致します。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
4.参考記事:「アフリカから学ぶべき日本の教育無償化のダメな議論」(note.mu、2017.5.13_0210追記)
本記事の高等教育の無償化について、システム的に先を行くアフリカ諸国の例を踏まえて、考察がなされています。