仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

映画『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』を見る~イタリア発!塩っぱく苦い研究者の犯罪コメディ:その1~

<研究が活きたのは捜査協力の時!>

1.はじめに

Twitterのフォロワーの皆さんが、タイムラインで「見たよ!リアルな話が多いかった」といったことを報告されていた映画がありました。最初に知った時は、公式サイトのリンクページのツイートが流れてきて、内容的に弊ブログに取り上げないでおくわけにいかない!行ける距離のところで公開されたら、見て感想を書かねば、と考えて数か月。一昨日の1日が「映画の日」で安く、公共交通機関を乗り継ぎ、見てきました。開始から、世間に「塩対応」されてきた研究者たちの犯罪コメディに、笑いが絶えません!

 

前置きはこのくらいにして、今回は映画『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』の紹介を、研究者目線での本記事と、娯楽映画として批評する回と、2回にわたって、させて頂きます。ネタバレ注意ですぞ!

 

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2.作品の概要~制作背景やストーリー~

制作背景には、映像作品を作って自分のキャリアを積み上げながら、アルバイトで生活をしてきたという、シドニー・シビリア監督が同じような立場の研究者たちに目を向けたことがあるようです。監督は、「高学歴ワーキングプアの研究者は、能力に見合ったポストに就けず、社会の端っこに追いやられているじゃないか!彼らが高い専門能力を使って犯罪の方面で活躍する作品を作ろう」と考えたようです。制作側が大学や研究機関の状況を把握して、観察や分析したことを映像に再現していると思われ、「よく、ここまで描き出したな!スゴイ!」と私は冒頭から魅入っていました。

 

さて、本作のメインタイトルは、日本語だと『いつだってやめられる』です。イタリア語では”Smetto quando voglio”、英語の翻訳タイトルは入場者特典のステッカーによると” I Can Quit Whenever I Want”であり、Google翻訳に入れると分かりますが、ほぼイタリア語からの直訳になっていました。「一体、何をやめるんだ?」と前編を見ながら、私には複数の意味が思い浮かびました。

 

今作は、そんなイタリア発という日本では珍しい、アカデミック犯罪コメディ・シリーズ第2作。シリーズは、2009年のギリシャで始まった欧州金融危機による不景気で、研究予算が打ち切られた神経生物学者のピエトロ・ズィンニ(上記画像の中央右で腕を組む男性)が、同じように失業後は不安定で不本意な仕事をしていた学者仲間を誘い、ギャング団を結成したところに、始まります。前作『いつだってやめられる 7人の危ない教授たち』で、「研究員ギャング」と呼ばれる彼らは、専門を生かして合法ドラッグの取引に手を染めますが、第1作の終わりに取引にともなう様々な罪状で、全員7人は逮捕されてしまいます。

 

第2作の本作では、警察の麻薬対策班の警察官パオラ・コレッティ(画像では、ズィンニの左側に立つ女性)に前科の帳消しを提示され新しいメンバーを加えて再結成した仲間たちと共に、30件+最後に追加1件の合法ドラッグの摘発に、警察の他の部局、世間には非公開捜査の実働部隊として動くことになります。31件目の摘発に取り組んでいた時、刑期を終えていないズィンニに外出許可を出していたことに目をつけたジャーナリストによって、コレッティはズィンニたちとの取引が暴かれてしまいました。コレッティらの担当部局がギャング団を見放すことに決めたせいで、ズィンニたちは敵対組織の実験現場で警察に見つかり、ドラッグ取引にともなう濡れ衣で逮捕されることとなりました。終盤、責任を問われたコレッティは職を追われます。再度服役するズィンニはその手続き中、ある物質の名前をメモに書いていたところ、31件目の捜査中に見つけた機械や、仲間の計算化学者アルベルト(画像では右から4人目のふくよかな黄色い上着の男性)の指摘から、実は犯罪集団が作っていたのは危険な神経ガスだと気づきます。

 

次回予告では、神経ガスを使った犯罪を阻止すべく、ズィンニたちは謎めいた敵とその陰謀に立ち向かうことが知らされます。ズィンニは、逮捕されていない仲間で、(おそらくカトリックの)教会法学者であり、弁護士を務めるヴィットリオ(画像の最も左のカバンを持つ男性)を呼んで、陰謀の阻止と刑務所からの合法的な脱出のため、奔走するようです。

 

シリーズの粗筋を紹介した後で、改めて『いつだってやめられる』の意味を考えると、様々に解釈できるではないでしょうか。例えば、どうせ不安定でやりたくない低賃金の仕事なんか、いつだってやめられるのだから、研究で培ったものを生かせて、誰かの役に立てる合法ドラッグの摘発を続けてもいい、と「研究員ギャング団」のメンバーが言っています。

 

最初、ズィンニたちは、ヴィットリオを通したコレッティとの契約書で、提示された30件の摘発が終われば、前科をチャラにされて服役を終えるはずでした。しかし、業績にハクの欲しかったコレッティは契約書を破棄し、追加した31件目を提示し、嫌がるズィンニに対して、仲間たちはこう言いました。

「お前は刑期を終えても家族が待っているから、自由になれれば、そりゃあ、嬉しいだろう。だが俺たちを待っているのは、不本意で不安定な仕事だ。研究者人生で、(ドラッグの摘発をしている)今が誰かの役に立っているようで、嬉しいんだ」

 

この言葉は、今作で最も皮肉めいていて、かつ研究の世界にいた人間には重いものでしょう。舞台のイタリアだけでなく、任期つきで不安定なポストに繰り返し就き、全国を転々とし、家族ともども疲れていくような、現在の日本の職業研究者にとっては、「研究を仕事に選んだ人間の幸せって何?」と、見てみぬふりをしてきた現実に疑問が提示されることになるでしょう。

ズィンニはズィンニで、パートナーで妊娠しているジュリアとは、自分の服役のせいで、別れの危機にありました。そもそも、合法ではあるもののグレーなドラッグの売買に、前作で彼が手を出したのは、ジュリアとの生活で「食器洗い機を買うお金を欲しい」と考えたからでした。愛する人との快適な生活に新たな家電を望む、ささやかなことであれ、失業博士たちは、厳しいこの時代、逮捕の結果をもたらすような、犯罪スレスレのことに手を出すことになってしまう。どこまでも、リアルで世知辛い作品でした。

 

 

3.研究者目線での見どころや感想 

よく見ると、ところどころ、現代では世界中のどこでの職業研究者にもあり得る労働問題が、ちょこちょこと、本作にはさまれています。ズィンニたちの研究が活きたのは犯罪、および摘発捜査でした。そういう意味で、諷刺的なブラックコメディの要素が多いといってよいでしょう。

 

例えば、大学内での限られた予算の取り合いの話。序盤では、情報を集めたり、実働的な摘発をしたりするための準備で、ギャング団はメカトロニクス工学が専門のルーチョ(画像の左から2人目)の案内で、彼がいた工学部の研究室に使えそうな機材や装備を取りに行くシーンがあります。ラボには、ルーチョが開発に関わった先端的なタイヤや、武器になりそうな物品が置いてありました。そのひとつのSFチックな「バズーカ」は作りかけのものであり、ルーチョ曰く、新しい研究開発の予算が学内の別学科の建物を新しくする予算に回されたせいで、開発がストップしたそうです。

…何だか、今の大学や大学院でもポツポツ聞く話で、私は凄まじい既視感に襲われました。その後の捜査や摘発では、「バズーカ」を使うことになるのですが、それがダミーの脅しレベルで、しかも敵に効かなかったのが何とも哀しかったです。

 

そもそも、ルーチョは研究費削減のせいで元いた大学を離れ、ナイジェリアのラゴスで武器の訪問販売をしていました。彼は実演販売中に建物からつまみ出されたところ、ズィンニとコレッティに「回収」され、イタリアに戻って来ました。元の所属先の大学には、セキュリティ上、機材や装備を取りに行ったことは、窃盗行為に当たり、罪状が増えないんでしょうか。また、彼らが追いかけていた敵対組織も、どこかの大学や研究所からクロマトグラフィー等の高価な実験機械を盗んできたような描写がありました。この敵対組織には、前作からズィンニたちと因縁のある工業学者の大学教授がいるとされています。

ルーチョにしても、敵対組織にしても、大学に在籍した人員であり、機材の盗難が発覚したら、元所属機関の不祥事にもなりかねません。実際、私がいた大学院の掲示ポスターには、犯罪や軍事的な事業への研究の転用、および提供や流出の注意を促すものがあって、ここらへんの話も、細かいですが実験系の研究者には妙なリアリティがあるところかもしれません。

 

ギャング団の捜査では、ところどころ、スマートドラッグの種類ごとに、化学式や経済学の図が出てきます。毎回、計算化学者のアルベルトが機材を使い、ズィンニと成分や効果を分析し、売買されているドラッグの種類を突き止めます。また、バルトロメオ(ズィンニの右側の革ジャンに赤インナーの人物)による動学マクロ経済学を使って、ホワイトボードに図を書いてメンバーで取引先を特定し、実働部隊が現場に強行する方法で摘発をしていました。

観客は、化学式が何を指しているのかが分かっていたり、その成分が人体にもたらす影響が予想できたり、はたまた、密売組織や薬剤の流れからお金の流れの指す理論の名前が分かったり。そういったところは、各分野の専門研究者が見ると、楽しさが増しそうでした。

 

なお、化学の実験機材や化学式のあたりは、私の相互フォロワーさんのやり取りのまとめにコメントがありますので、気になる方はご覧ください:

twitter.com

 

 

さて、本作には人文系の研究者たちも登場しています。ギャング団が使う研究室は、ローマの地下工事現場の担当者で、古典考古学者のアルトゥーロ(画像の右から3人目)の手引きで確保できました。アルトゥーロは、考古学的地図製作と古代ローマの都市計画が専門であり、仕事柄、フィールド屋には欠かせない乗り物が使えることから、実働面での中心人物でした。序盤で自身が運転していたワゴン車の大破後、どこで手に入れたのか、旧ナチスのマークが本体と付属ヘルメットに入った、黒塗りのジープ1台、およびサイドカー付きの原付きバイク2台は、終盤の31件目の捜査で大いに活躍しています。

 

中盤のカーチェイスでは、運転手アルトゥーロをはさんで、どの道を使って所要時間を短縮するか、喧々諤々の議論が展開されます。イタリア共和国の首都の古代ローマ帝国由来のどの街が最適か、そのあたりに詳しく、複数の言語に精通しているラテン碑銘学者のジョルジョ(右から2番目)に、解釈論的記号学者のマッティア(パオラの左側)が加わり、車内はにぎやか。切り替わったシーンでは、古代ローマ文化財が立ち並ぶ屋外エリアをワゴン車が走り回る様で、テンポがよく、大爆笑必至でした。

 

カーチェイスの場面は、塩野七生ローマ人の物語』シリーズや、漫画『テルマエ・ロマエ』を読むなどして、現在のローマ市内の道路網や遺跡の位置関係のビジュアルイメージが、地図として頭に入っている人は、存分に楽しめるでしょう。そうでなくても、走る途中で、古代ローマ時代の建築物や石膏像にワゴン車をぶつけ、壊したシーンで蒼白になる運転手の考古学者に対し、碑銘学者らが「帝政期の模倣品に当たるから、心配するな」とフォローを入れるところは、イタリア映画らしいコメディ。「一部の古代ローマの研究者にとっては気にしないだろうけど、物を扱う考古学者や、他分野の人文系研究者にとっては、それはそれで帝政期の貴重な文化財という意味で、一般人には世界遺産として、やっぱり重要だよ!」と、色々と追いつかないツッコミを入れつつ、私は笑ってしまった感じです。

 

日本人の視聴者に感覚的に分かりやすく説明すると、京都において、古くて自動車の通れて歴史のある小路に詳しい警官たちがパトカーで近道しながら、逃げ惑う犯罪者たちを追って、寺社や史跡の密集したエリアを猛スピードで走り回っているイメージです。百万遍あたりから東山二条あたりで曲がり切れず、寺院にパトカーがつっこんでしまい、世界遺産に選定されているような文化財の建築物を損壊してしまった…。喩えるにしても、日本で起きたら肝が冷えっぱなしの事態だな、という察しはつくのではないでしょうか。

 

このほか、服装指南役の文化人類学者や、話と準備した書類の長いヴィットリオ、解剖学者の知識を格闘技に使う用心棒のジュリオらも、なかなか、面白い人物です。が、ここでは書ききれないため、割愛いたします。

 

 

4.その1の終わりと続編について

さて、 映画『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』について、研究者目線でのレビューは、以上です。

 

次回は、本作を一般の観客として見た場合、私がどう感じたのか?その見どころとは、どういったところか?また、ギャング団の関係者について、作品内に描かれた社会のことを考えてみたいと思います:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

なお、日本語版の映像ソフトは現在、出ていないようです。イタリア語版のブルーレイは第2作まで出ているようですので、その2のほうで挙げさせて戴きます。ここでは、CDのほうをリンクしますので、ちょっと作品が気になる方は、聞いてみてはいかがでしょうか?輸入盤のようですので、オーディオ機器とCDの組み合わせにはご注意ください。

 

Smetto Quando Voglio-Masterclass

 

ということで、一旦、おしまい。

 

 

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