【メモ】魯迅の短編「兎と猫」と日本語のこと~ある呟きからの考察、弟の周作人のこと~
<日本の国語教科書でお馴染みの方>
1.はじめに
もう、2019年3月1日ですね。時が過ぎるのは、早いもので。さて、おととい2月27日の私のタイムラインには、少し気になるツイートが流れてきました。
そのツイートの内容は、こんな感じ。
- ツイート主のKさんが新宿のブックオフに来店する
- 「若くてチャラめのバイトの男性店員2人」が魯迅の作品本を置く棚について、話していた
- 男性店員Aは、魯迅は中国の人だけど、原著は日本語のものであり、翻訳じゃないと言う
- 男性店員Bは、Aの言葉を受けて「じゃあ日本文学の方っすね」と答える
- 2人の会話を聞いたKさんは、文化とは街角に花開くものだとか、考えた*1
Kさんのツイートの続き、およびそれに対する諸々のリプライは、魯迅の作品は全部原作が中国語であり、今の日本で出ているものは日本語に翻訳されたものだという内容のものが大方でした。気になったのは、Kさんの続きのツイートにあった一言です。それは、
です。
「藤野先生」という作品は、医学を志した魯迅が19世紀末ごろに来日し、仙台の医学専門学校に留学した時の体験がもとになっているとされます。作品の内容は、表題の日本人医師であり、作中では解剖学を教えていた藤野厳九郎教授との交流、そして日露戦争(1904年から1905年)に関する時事的幻灯画(スライド)を語り手が見たことで、文学に転向することを決めたことで、藤野先生に別れを告げ、仙台を離れた経緯がうかがえます。そのあたりの詳細は、
(【朗読 #ツイキャス 】魯迅『故郷/阿Q正伝』(光文社古典新訳文庫)とその他著作の紹介 - 仲見満月の研究室)
の「2.魯迅について」で詳しく書きました。そちらをご覧ください。
さて、先のツイートで提示された問題は「魯迅の原著作品には、日本語のものがあるのか?」ということ。今回は、そのあたりを掘り下げていきます。
2.魯迅の短編「兎と猫」と日本語のこと~ある呟きからの考察~
原著作品の全体については、私が勝手に「魯迅作品に最も詳しい専門家」と考えている中国文学者の藤井省三先生(以下、藤野先生と字面がややこしいので「省三先生」と呼称)*2
を訪問し、質問をしてみないと分からないかもしれません。
ただ、おぼろげな記憶を頼りに昨日、Kさんへ書いたリプライは、
たしか、魯迅の散文の一部は日本語のものがあったかと記憶しております(とても曖昧ですが)。もし、そういった作品、かつ日本留学中に関係するものであれば、店員さんが「分類、どっちだろう?」と言っていても、不思議ではないかもしれません。
(https://twitter.com/naka3_3dsuki/status/1101284814148132865)
というものでした。私の記憶でおぼろげだったのは、「魯迅の日本語レベルによっては、日本語で書いた作品なり、中国語の自著を日本語に翻訳した作品なり、どっちかはあるかもしれない」といったこと。
それで、曖昧な記憶のもとになった、手元の省三先生翻訳による魯迅作品の本を読み返しました:
この作品集には、「(同書に収録した)「兎と猫」は「あひるの悲劇」の姉妹篇とも言うべき童話風の作品で、魯迅自身による日本語訳を採用しました」(「訳者まえがき」、同書p.15)と書かれています。さらに収録作品の「兎と猫」の最初のページには、
※この作品は魯迅が自ら日本語に訳したものです。旧漢字を新漢字に、旧かなづかいを現代かなづかいに改めました。「ママ」と振りがながあるのは、魯迅の言葉づかいどおり、の意味です。
(同書、p.261)
と説明がありました。この説明によると、「「兎と猫」には中国語の原作と、魯迅がそれを自分で日本語に訳したバージョン(同書の収録作品)」の2つがあると推測されます。もう少し調べてみたところ、この「兎と猫」には中国語の原著があったようで、それは「青空文庫」で公開中の「図書カード:兎と猫」(井上紅梅訳)の存在から推定しました。
2つの日本語に翻訳された「兎と猫」作品冒頭を並べると、以下のようになりました。
自分の家の後に住んで居た三郎君の奥さんは、夏頃子供に見せるのだと云って、二匹の白い兎を買い込んだ。
(同書、p.261)
- 青空文庫の井上紅梅訳版:
わたしどもの裏庭の奥に住んでいる三太太(サンタイタイ)、夏のうち一対の白兎を買取り、彼の子供等の玩具(おもちゃ)にした。
光文社古典新訳文庫版は、現在の常用外漢字が混ざっているものの、2019年を生きる日本の読者にも読みやすい訳で、魯迅の日本語レベルの高さがうかがえます。一方、井上紅梅のほうは、 「一対の白兎を買取り、彼の子供等の玩具(おもちゃ)にした」という部分について少し訳がストレートだと感じられました。井上紅梅訳は、底本が昭和7(1932)年の改造社のもので、当時の日本語の雰囲気が伝わってきます。なお、話の舞台は中国と思わしき描写がありました。
ここまで調べたことを整理すると、
- 魯迅作品には、自ら日本語に訳した「兎と猫」があり、それは井上紅梅訳による日本語訳バージョンがあることから、原著は中国語のものと推測される
- よって「魯迅の原著作品には、日本語のものがあるのか?」の問いに対しては、「ほかの魯迅作品に原著が日本語のものがあるのかは不明だが、少なくとも、著者自身が中国語の原著→日本語に訳した「兎と猫」という作品は存在する」
ということになります。魯迅作品を 色々と探すと、原著が日本語のものが発見されるかもしれませんが、今のところ、調べた範囲で出てきていません。
最初のKさんのツイート内容に戻ると、店員さんたちが話していた作品が「兎と猫」が表題の本であれば、原著は中国語のものと推測され、もし原著が中華圏の魯迅本に収録されていれば、「兎と猫」が表題の本は「中国文学」の棚に分類されるのが適当でしょう。だいたい、本の分類は原著に使われている言語によってなされることが多いようですし。
ツイートの話題に挙がっていた「藤野先生」については、作品内の舞台は日本ではありますが、原著は中国語だと思われます。私は、そうした原著を竹内好氏、井上紅梅氏、それから省三先生が日本語に訳して、現代日本で広く読まれるようになったと考えました。
今回のツイートのように、実は翻訳された文学作品の区分は、けっこう難しいケースがあります。比較として不適当かもしれませんが、例えば、中国からの移民1世だと、
- フランスで仏語の作品を著すシャンサ:
- 米国において英語で作品を出しているイーユンリー:
の作品は、著書に使われている言語で分類されるべきなのか?題材によっては、中国の歴史的な物語も含まれており、難しく感じました。
3. 弟の周作人のこと
魯迅のほうに話を戻しましょう。ここでお伝えしたいのは、彼の弟で文学者の周作人 (1885-1967)のことです。
文学者としてみると、周作人が翻訳した作品は日本のもの(古典から近代まで幅広い)にとどまらず、ロシア・ポーランドの近代小説、ギリシャの古典と、国や地域が広大な様子。たしか、『アジア遊学』で周作人に関する連載が一時期、されていました。聞いたことのある話では、彼が夏目漱石や島崎藤村の作品を中国に広く翻訳紹介したのだとか。「周作人 - Wikipedia」によると、辛亥革命後に帰国し、中国の文学・教育のあり方をめぐって論戦を繰り広げ、兄の魯迅と私的に絶交しますが、その時期に兄の学問や教養について残した記録は、後世、貴重なものとなっているようです。周作人はその後、日中戦争から文化大革命のに至る激動の中国大陸で生き、1967年に没します。
周作人は、日本では一般的には兄の魯迅ほど知られていないと思います。しかし、私は、彼が近代中国の「文学革命」において重要な人物だと考え、また日本近代の文学作品を中国に伝えた翻訳者として知って頂きたく、今回、少し触れました。
4.最後に
ということで、今回は、魯迅の作品と日本語に関するメモ的な考察記事でした。 冒頭のツイートに出てくる魯迅の作品について、「原著に日本語のものがあるのでは?」とブックオフの店員さんが悩むくらいに、この中国近代文学の父親的な人物は日本で親しまれていると思われます。それは、彼が日本に留学したこと、国語の教科書に作品の「故郷」が採用されていることに加えて、中国を研究フィールドにしていた私の印象では、弟の周作人の業績も少なくなさそうです。かくいう私も、魯迅が好きな中国近代の作家の一人。当ブログでは、「【朗読 #ツイキャス 】魯迅『故郷/阿Q正伝』(光文社古典新訳文庫)とその他著作の紹介 」に続き、魯迅がテーマのものでは第2弾となりました。
最後に少し、日本語で読める魯迅を扱った本の宣伝です。
これから、魯迅の人生や思想について、知りたい方には新しい本が出ているようですので、リンクしときますね。出版社は、高校倫理の教科書を出しているところのようです。:
魯迅と日本の文学については、2015年に省三先生の次の本が出ました。ご参考まで:
おしまい。
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*1:詳細はこちら:https://twitter.com/kaitou_ryaku/status/1100745266552918018
*2:ちなみに、藤井省三先生の博士論文「 魯迅文学の形成と日中露三国の近代文化 」(1991|書誌詳細|国立国会図書館サーチ)は、一部をこちらで公開中です↓