仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

北村紗衣『「名作」と友達になる 学校では教えてくれないシェイクスピア』で学ぶ

1、はじめに

奈倉有里『ロシア文学の教室』(文春新書)を機に、世界の名作文学を学びたいと考えた私は、英国の舞台芸術史が専門で、批評家でもある北村紗衣先生の本で、シェイクスピアのことを気軽に学びたいと思い、次の本を購入しました。

 

 

本書は、東京都内の男子高校生が夏の5日間に、北村先生からシェイクスピアの集中授業を受ける形式で進みます。本記事では、簡単に本書の内容に触れ、感想やコメントを寄せたいと思います。

 

 

2、北村紗衣『「名作」と友達になる 学校では教えてくれないシェイクスピア』の内容紹介

 2ー1、序

本書は、英語の歴史から、様々な舞台の用語や劇場の構造まで、英国の演劇史をシェイクスピアを通じて学べるようになっています。また、シェイクスピアのことを全く知らなくても、四大悲劇である『ハムレット』、『マクベス』、『リア王』、『オセロー』や、喜劇、史劇の分類とその内容という基礎的な所から知ることができて、助かります。

 

数あるシェイクスピアの戯曲の中で、著者が講義に来た男子高校生たちに教えるのは、  

 ・『ロミオとジュリエット

 ・『オセロー』

の2つ。

 

 2ー2、『ロミオとジュリエット』について

ロミオとジュリエット』については、主演2人の家同士の抗争である教皇党と皇帝党の争いが背景にあることを、シェイクスピアがそれほど意識していなかったと解説されていて、驚きました。また、本作が上演されていた当時、舞台に立つのは男性ばかりのオールメイルだったことが明かされています。17世紀に、舞台には女役には女性を当てる勅令が出てからしばらく、オールメイルはなくなります。

 

男子高校生たちは、1996年のディカプリオ主演の映画『ロミオ+ジュリエット』を見せられます。現代風に翻案されたロミジュリ等のシェイクスピアの作品は、時代を超えて、上演されていることを著者は講義。その後、3つのグループに分けられた受講生たちは、ダンスの有無を含めて、ロミジュリの劇を演出するプランを練ってくる課題を出されました。三者三様の演出が出されましたが、それぞれに的確なアドバイスをしていく北村紗衣先生でした。

 

ロミジュリの終盤、シェイクスピアの劇が覇権コンテンツになったのか、その歴史を教えます。それは、連合王国となった英国でナショナリズムが高まった時、英語が世界で支配的な言語になったのに加えて、輸出できるものとして「シェイクスピアの劇があるじゃないか!」と英国人たちが広めたからだそうです。やがて、大英帝国の植民地では、各地で現地人たちによるロミジュリが上演されるようになりました。そのように広まったシェイクスピアの劇は、日本でも年間、複数の演目が上演されるほど、シェイクスピアが人気となっています。

 

 2ー3、批評のこと

『オセロー』については、演じる俳優の人種的な背景を歴史的に解説したり、翻案した2000年の映画『オー』についても鑑賞して受講生と北村先生との間で議論したりしましたが、長くなるので割愛します。

 

その後に続くのは、批評の話です。批評で鍵となるのは、「解釈」と「価値づけ」だと先生は言います。解釈とは「この作品は何を表現しているのか」、というようなことを問うもの。価値づけとは、ある作品の価値について、プラスかマイナスか、その証拠を挙げて分析すること、とのことです。

 

「感動した」なら、なんで感動したのか書かなくてはいけません。作品中の台詞とか描写を挙げて、言いたいことを書く。けなす場合は、「けなしていいですし、けなすのは大事です。価値づけとはいいところだけでなけダメなところも冷静に判断するものなので、褒めるのもけなすのも同様に大事」なことです。

 

書き出しは、どういう作品なのか、読んだだけで分かるように書くこと。あらすじが間違っていたり、作品のカギになることに言及していなかったりするような内容は、ダメです。ネタバレはしてもいいんですが、あらすじだけで終わってはダメで、その後に分析しながら、どういう作品なのか分かるような描写を織り交ぜていくといいと言います。

 

最初は、こつこつ分かりやすく書くことを心得て頑張ること。あらすじや背景については、正確さを心がけるようにする、と。「たとえば、これは何年に起こったどういう事件が背景である、とかは書く前に調べて」おくほうがいいと思われます。シェイクスピア劇なんかだと設定がやたら曖昧であり、そういうことがわざとぼかされていたりするわけで、どこまで調べて書くかは難しいけれど、明らかに事件ベースの時は、多少はチェックしておいたほうがいいです。

 

ただし、思ったことは全部、書かないよつにすることが大事です。何か一つ切り口を見つけることが大切。時間の経過とか、水が出てくる謎とか、なぜこの映画はショットの長いものなのか、とか。切り口を一個見つけ、それに沿って書いていきましょう、とのこと。

 

主に、2人の受講生が書いた映画『オー』および『ロミオ+ジュリエット』の批評について、先生がコメントを寄せ、具体的な改善点を挙げて、批評の話は終わります。

 

 2ー4、「出版と読者」

続くのは、「出版と読者」の話です。17世紀のイングランドでは、フォリオという縦30センチの大きさの本で、戯曲の本を出版することがありました。シェイクスピアの友達のベン・ジョンソンが、自分で監修した全集としてフォリオを初めて出しました。戯曲が立派なフォリオ版の全集として出版されたのは画期的でした。イングランド演劇がきちんとした評価の対象となる文学作品なんだという印象を広めることに貢献。その影響で、シェイクスピアや後輩たちもフォリオの作品を出すことになったと考えられます。

 

シェイクスピアの全集版は、4回、刊行され、36本の戯曲が入ったファースト・フォリオは、750部ほど出たと言われています。セカンド・フォリオは同じ内容ですが、サード・フォリオにはシェイクスピア作か怪しいものを含めて7作が追加されました。サード・フォリオは1666年のロンドン大火で焼失。あまり残っていません。フォース・フォリオはサード・フォリオと同じ戯曲が入っています。

 

その後、シェイクスピアの全集が安価で刊行されたり、ヴィクトリア朝の時に性的な表現への規制がかかった関係で『家庭のためのシェイクスピア』が出たり。その中でも、フォリオ版の戯曲は価値あるものとして高値で取引され、1冊10億円になることも!北村先生の博士課程の研究によれば、イギリスからニュージーランドに渡った移民の子孫が、イギリスの牧師の祖父母夫妻が校訂したシェイクスピアフォリオを持っていたそうです。

 

最後に、時代ごとの観客のことが講義されて、5日間の男子高校生に対するシェイクスピアの授業は終わりを迎えました。

 

 

3、感想やコメント

読んでいて心に引っかかったのは、批評に関することでした。ここのはてなブログやnote等で、本のレビュー記事を公開している身として、自分のやっていることは正しいことなのか?東洋学歴史系コースで史料批判は習ったものの、文学の批評をきちんと学んだことのなかった私には、本書の批評箇所は、大変な学びになりました。

 

それと、批評の周辺についても知ることができ、よかったです。北村先生のおっしゃることで気になったのは、批判はコミュニケーションであるということ。そこには経済的機能と社会的機能とがあります。

 

経済的機能とは、作品に関する商業的な活動のことであり、グッズを売るとか聖地巡礼をするみたいに、お金に関わることです。社会的機能とは、作品の内容やそれをとりまく状況に関する政治的な主張をみんなで話し合って政治活動するというようなこと。二次創作について、著作権規制を厳格化させないように運動する、みたいなファン活動はけっこう英語圏では見かけるんだとか。

 

オタク的な活動をしている私にとって、批評活動は同志であるファンとコミュニティを形成したり、二次創作活動の幅を政治的に確保したり。そうしたことをするための基盤になることだと分かりました。

 

 

4、おわりに

以上、北村紗衣先生と男子高校生たちのシェイクスピアをめぐる5日日間の授業内容を、駆け足で見てきました。シェイクスピアは学があるとか、しっかりした歴史的背景の上に緻密な骨子を持つ戯曲を書いていたとか、勝手に想像していた身としては、本書によってそのイメージを砕かれ、驚きと共に新たな知識を獲得できたと思います。

 

全体的に、会話体で進む内容でしたので、読みやすかったのも理解しやすくて、よかったです。本書をぜひ、手に取られてはいかがでしょうか?

 

おしまい!

 

 

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