仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

ザーサイの国とキムチの国へ初めて行った時の話 ~東アジアとの関わり始めと人文科学系の効用~

〈今回の目次〉

1.近況報告と前書き

Twitterのほうで、いろいろと叫んでおりましたが、就活から研究、趣味までカバーしてくれていた、メインPCのアダプタの調子が悪化。ここ10日間ほど、右往左往しておりました。頂いたサブ機の様子見、動作の遅かったネットブックの処分とバックアップ、旧メイン機の修理検討で、PC関係にかかりきりです。もうしばらく、続きます。

 

並行して、過去を振り替えり、ここ数か月のことも含め、投稿したのが次の記事でした。

naka3-3dsuki.hatenablog.com

ずっと、チャンスあらば、中華圏で働こうとしている自分がいるということ。それは、なぜか?バラバラと、書いてきた自分の過去について、最近のツイートをもとに、まとめていきたいと思います。

 

 2.東アジアの各地に行くようになったきっかけ

具体的には、中学時代に中国華北地域へ、高校時代に韓国南東部へ、友好都市訪問団の一人として、それぞれ一週間ずつ、参加しました。自治体の募集要項が学校に来まして、家族に話をしたら「ぜひ、行ってきなさい!」と。

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(画像イメージ:左が中華料理のザーサイ、右が韓国を代表する漬物キムチ)

 

中国の滞在費は自治体から半分補助が出たものの、親の負担額は8~9万円。韓国のほうは、自治体から殆んど出たような記憶。今考えると、人間の子ども一人でも養うのに、経済的にあまり余裕はなかったと思います。実際、両親は仕事のし過ぎで、体を悪くしたことが数回ありました。また、自治体担当者が引率するとはいえ、海外に子どもを送り出すのは、不安だったでしょう。太っ腹で、チャレンジャーな両親でした。

 

 2-1.中学時代の中国の華北訪問

さて当時、、某週刊少年漫画誌でも翻案された人気作品の原作・中国の古典小説『封神演技』にハマっていた私。作品のモデルになった古代の文化遺産を見たいと、中国へ。

 

行った先は、華北地方。到着翌日、四大文明の一つを生んだ黄河の大きさを目にしました。日本で見ていた港湾や内海レベルの規模の川幅に、スケールが大きすぎて、感覚が追いつかない!覗き込むと、水の中は黄土色に濁って、そこが見えない。見たまま「本当に黄色の土の河なんだぁ」という感想を思春期の私は抱きました。

 

いちばん、衝撃的だったのは、自分の英語が通じない!ということ。中日に、友好都市の学校に訪問後、現地学校の生徒さんのお宅にホームステイさせて頂きました。そこのお宅の中学生の英語レベルが高すぎて、当時の私の貧弱な中学生英語では会話が成立しない…。筆談も、日本の漢字と意味が違うものばかりな上、中学生レベルの日本の漢文文法では役に立たない。下手すぎる英語と漢字による筆談に、折り紙を組み合わせてしのぎました。

ほかにも、帰国前日に行った万里の長城で訪問団の日本人の皆さんとはぐれ、また困る。長城は軍事施設だっただけに、標高のある連続した山にう築かれています。整備されているところも、とにかく、高所にあって日本人の中学生は、なかなか、進めない。そのうち、訪問団の方々とはぐれました。慌てつつ、私は現地の職員の人に「こういう緑の旗を持った人たちを知りませんか?」と英語で尋ねようとして、flagの単語がとっさに出てこず、初めての外国で迷子になりかけました(別の旅行団体の旗を指さして事なきを得ましたが)。

 

一週間ほどの体験は、「英語も必要だけど、中国語を勉強したほうがよさそうだ」ということを私に分からせるには十分でした。私は高校入学後、地元の語学教室に通い始め、後に「中国語の師匠」とも呼べる先生と出会ったのでした。

 

 2-2.高校時代の韓国南東部の訪問

高校に入学後、今度は韓国南東部を訪問する機会がありました。韓流ブームまただ中で、塾友の御家族にヨン様のグッズを買ってくることに。ちなみに、定期テストの期間に行くことになり、正直、気が気じゃなかったです…。

 

釜山に着いたとたん、初めて出会うハングルの看板や標識があふれる街に酔ってしまいました。一緒に来たのは、地元自治体の他校の生徒さんばかりで、みんな、背景は様々でしたが、年齢特有の苦悩を抱えておりました。毎晩、誰かの部屋に集まっては、当時としては割とシリアスなテーマを議論していたように思います。

 

訪問先は毎日異なり、釜山の街中のホテル、田舎の島にあるスポーツセンターの宿泊所など、様々。しかし、どの宿泊所も共通している点がありました。日本に近い住居の構造で、玄関に当たる入口に段差があり、段差の低いほうで靴をぬぎ、板張りの室内にあがる造りだったんです。日本で放送されていた韓国ドラマを見ている時は気が付きませんでしたが、現地に行って、宿泊室のドアを開けて靴を脱ぎ、一歩を板張りの段に踏み出したところで、やっと気が付きました。この板のゆか、足を組んで座ると痛めます。夜に集まる時は、みんなでベッドの上に腰を掛けて話すことになりました。

ちなみに、中学時代の中国華北でホームステイした現代中国の住宅は、土足で靴を履いたまま、室内に入る構造でした。

現代の住居について、韓国と日本、そして中国の違いは、10年以上経った後、意外な形で、しかも深く密接な形で研究に関わってくるにとになるのです。が、その話は、また別の機会に。

 

訪問した場所は、釜山とその周辺の学校。訪問先の一つには、城壁のあるところがありました。その地域は、豊臣秀吉朝鮮侵略、朝鮮軍と日本側の軍が激しく衝突した戦地で、日本の武将を計略を以って命をかけて一緒に沈んだ妓生の伝説の残る土地でした。ここの歴史は、釜山の歴史博物館の展示で豊臣秀吉の書状を通して確認することなったうえ、どういうわけか、院生になって浅からぬ関わりが出てくるのでした。

 

実は訪問時、中国文化にかぶれていた私は、うまく韓国の文化に適応できなかったように思います。そのあたりの葛藤に関しては、次の記事で書いているので、詳しくはこちらをご覧ください。

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

 

3.ザーサイとキムチの国へ行ってからの後日談

こうして、中学時代にザーサイの国こと中国、高校時代にキムチの国こと韓国を訪問したのですが、この2つの国へ行ったことが大学時代の東アジアの人やモノに関心を寄せ、研究していくことに繋がっていったのでした。 

 

10代で近隣の国々を肌感覚で体感し、見て聞いてきたことは、やはりインパクトが大きかったと思います。訪問した地域は僅かでしたが、日本と生活様式が近いと思い込んでいた中国や韓国の住居の差に気が付くには、十分でした。

 

 

それから、もう一つ。院生になって台湾に行ってから、韓国との共通点で気が付いたことで、日本以外の国で日本語の通じる人たちが、年配の方に沢山いることに不思議なものを感じました。「ああ、これが日本が植民地として韓国や台湾を支配していたという証なのだ」と。日本語では伝わらない、独特の感情が東アジア各地の人たちにはあるんだとうと考え、中国語、韓国語を勉強するようになりました。

 

あと、言語に関して、地域の言葉を学習しようとしたのには、また別の理由があってのこと。中国訪問の帰国前後に聞いていた塾の先生の話の影響が大きいです。

どういう話かというと、塾の先生曰く「英語が不得意すぎて、高校を中退しちゃった元教え子がいてね。元教え子のお母さんは『英語がだめなら、フランス語はどうだろう?』とフランス語を自分で学んで、旦那さんとお子さんたちを連れて、思い切ってフランスに仕事を見つけて移住しちゃったのね。その子はフランス語と相性がよかったようで、そのまま大学に進学して、フランスで働いて結婚して住んじゃったの。一家は今もフランスにいるけど、どの家庭もがその子の家みたいに、外国に移住できるわけじゃないから、日本で英語科目の成績が上がるように、勉強しましょう」と。

 

中国へ行って、英語も大切だけど高校で中国語を始めたのは、英語ができなくても、現地の言語が話せれば、何とか生きていけるようだ、という解釈を、塾の先生の話からしてしまったからでした。その解釈を教訓として、大学に入ってから韓国語も習いました。中国語と韓国語に力を入れた分だけ、英語を疎かにしてしまった私は、院生になってから、投稿論文の英語要旨の作成に苦労するようになります。

そういうわけで、中国語も韓国語も大切だけど、ある程度、英語もやっておかないと院生になってから困るということは、身をもって知ることになりました。

 

こういった経験は、ずいぶんと時間が経ってから、新たな物事をひねり出す土台になったり、ボーダーレスな人やモノの移動の激しい昨今に精神的なところで適応したり、役に立ってはいます。月並みですが、私のいた人文科学系は、まさにこういった人の文化的営みを深く掘り下げる分野でして、時間はかかるけれども、案外、現代社会を生きていくのに有益なんですよ。というのが、今回の結論でした。

今週に入って、今年のノーベル医学生理学賞に、大隅良典東京工業大栄誉教授が決まった話を聞き、ノーベル賞は人間の役に立つ意義を認めて表彰するということを聞きました。日本全体の大学の研究費を大幅に増やしてください!という先生方の主張もありまして、それらを念頭において、人文科学系学問の有益性を言ってってみました。

 

 

今回は、東アジアと私がかかわり始めた原体験を書きました。ここで、おしまいです。

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