仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

日常的に「異文化」と接するということ~自分の経験と大学院での日々~

(ここから2016.8.6の追記)

ここ一週間ほど、マレーシア旅行の日記を更新していました。院生時代の日記を引き続き、整理していたところ、自分がいた大学院の部局の当時がよくわかる日記が出てきました。日常的に、特に多かった中国や韓国の留学生と接していた時、私は何をして、何を考えていたのか。少し、読者の皆さんに知っていただきたいと思い、公開いたします。

 

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<以下、2011.5.25の記録>

先日、バスに乗っていたら、停留所案内アナウンスが日本語・英語に中国語と韓国語が増えていました。いや~驚いた!

 

私のいる大学院の部局は、いろんな国や地域から来ている人が集まっています。

圧倒的に多いのは大陸中国と韓国出身の留学生です。 

 

 

私の研究対象地域は中国です。先輩や同期には韓国出身の研究者も身近にいて、時々、研究対象地域の中国と身近な韓国への配慮の間で、疲れます、精神的に…。

 

授業で韓国の話が出たら、中国の儀礼や作法が話題になることも。韓国のことは韓国のこととして自分の中で位置付けたい私は、中国と韓国を結びつけて考えることに、どこか申し訳ない気持ちがあります。

 

それは高校時代、初めて韓国に行き、「中国の料理のほうが好きだもん!」などと頑なに韓国を拒否していたことがあったから。当時、中国語を習いたてで、青椒肉絲や餃子を通して中国に私が憧れていたのは事実でした。

 

今思うと、中国への憧れと切り離し、韓国の旅を楽しめればよかったんですが、それが出来ない年齢。かなり不器用な高校生だったと思います。

 

そういう経緯があってか、未だに韓国について語る時、中国のことを引き合いに出すと、妙な違和感を感じてしまうことがあります。

 

違和感を感じすぎて、思い詰めることが多い日々ですが、少しずつ、努力して慣れよう!そんな日を思って、毎日を生きよう!

 

 

*(ここから再び2016.8.6の追記)***********************

 

読み返してみると、当時の私は自分の中で「異文化」であった、中国と韓国という存在の間で、かなり苦しんでいたところがありました。

 

自分の生まれ育った日本も含めて、東アジアと一括してしまえば、気持ちが楽になったんでしょう。けれど、いかんせん、研究テーマが暮らしや歴史、建築といった複合的文化のようなところに位置していたため、不器用な私はうまく自分の中で処理できなかったんだと思います。

 

そのあたりの「割り切り」ができるようになり、だいぶ楽になったのは、博士課程に進んだころでした。不思議と時が経つにつれて、心の中の葛藤がなくなっていったんです。

 

ただ、こういった苦しみがあったからこそ、今は主な研究対象地域であった中国、そして身近だった朝鮮・韓国からは距離をとって、歴史や文化、暮らしに関することをブログで紹介できるようになったんだと思っています。

 

そもそも、私は思春期に出会った中国古典と中国大陸の人々、高校時代に始めた中国語、学部時代に出会った中国語圏出身(大陸はもちろん、台湾、東南アジアの華僑・華人の留学生)の友人たち、卒論のテーマに選んだ生活文化のこと等。中国という枠には収まらないチャイニーズの魅力に私は取り付かれいました。

 

そういうわけで、中国のほうに関心が高かったのは、仕方なったとも言えます。

 

学部生の頃までは、10年以上が経つんですが「熱は冷めるどころか、炎は燃え盛って焦がすばかり」と考え、「もし、機会がいただけるのなら、日本を飛び出し、中国語圏をあちこち、旅してまわりたい。そんな衝動にかられていました」と当時の日記に書いていました。

 

そして、

「書いていて恥ずかしいばかりですが、どうにか機会を作り、お金を自分で貯め、返済のない奨学金を探して、留学や研究員などの形で行きたいです。それで、中国語で喋り捲り、あれこれ挑戦してみたい。

 

大雑把な夢ですが、今、中国語検定3級に今度こそ合格できるように勉強しています。そして、もう一歩踏み込んで、HSK(中国語版TOEFL)の5級以上とりたい!道は遠いのか、近いのか、分かりませんが、今は自分のできる範囲で努力し、歩いていきたいと思っています」とも、日記に書いていました。

 

現実として、更に博士課程に進むと、中華圏だけでなく、韓国の方々に加え、更に生まれも育ちも大学学部まで中国にいたけど両親は韓国籍で大学院を韓国・日本のほうに選んだという人、朝鮮・韓国系ロシア人(おそらく近代に極東ロシアに移住した大韓帝国国民の子孫)など、国籍と出身とエスニシティが一致した人も、そうでない人も留学生におられました。そういう中で、私自身も徐々に精神的に成長して、今に至っているんだと思います。

 

 

これから先も、過去の苦しみを忘れないようにして、常に回顧しながら、執筆していきたいです。

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