「やっぱり知りたい!バタイユ」講座・第二回までのレポートとその周辺の話
- 1.バタイユとの出会いと今回の講座受講の経緯
- 2.第一回の内容と感想(2017.1.28(土)開催)
- 3.第二回の内容と感想(2017.2.19(日)開催)
- 4.この講座の周辺の話~バタイユについて学ぼう!~
- 5.最後に
1.バタイユとの出会いと今回の講座受講の経緯
フランスの国立・公立図書館の職員をしながら、様々な分野で文筆活動を繰り広げ、特に「エロス」に関する著作で日本では知られている人物。それが、ジョルジュ・バタイユです。私が初めてバタイユを知ったのは、学部の教養科目の文化人類学系の授業で、担当教授が『エロティシズム』を引用していた講義レジュメでした。『エロティシズム』を通じて民族誌を読み解く、というような内容だったかと記憶しております。
それから10年近くが経とうとしていた最近、自分の研究について、コミュニティ・居場所を通じてみた民衆と宗教の関係をもとに、論文を書こうとした際、「どうやら、西洋の思想をベースにしないと、論の展開が難しそうだ」ということに気がつきました。ちょうど、京都アカデメイアさんやGACCOHさんのフォロワーになってイベントに出たり、そこで出会った方々、院生時代の恩師のすすめで、ドイツの近現代思想を齧ろうとしていました*1。
その中で、「もう少し、自分の研究と結びつきそうな考えの人物はいないのだろうか?」と思っていたところ、Twitterに流れてきたのが、横田祐美子さんがナビゲーターをされる次の連続講座でした↓
GACCOHさんの該当ページを眺めながら、「フランスの近代哲学や思想とは、あまり馴染みがなかったけど、学部の時に知ったバタイユは、気になるかも」と、割と軽い子心持ちでした。このような個人的な研究事情により、申し込んで第一回目、続く第二回目の講座に出てみたのです。
本記事では、私が受講した時のレジュメやノートのメモ書き、Twitterのツイートをもとに、講座の内容と感想をまとめてレポートさせて頂きます。
(画像出典:www.gaccoh.jp )
2.第一回の内容と感想(2017.1.28(土)開催)
さっそく、第一回を受講しました。メインテーマは、「内的体験とは何か?」ということ。最初の回の大雑把な内容は、
- バタイユって、どんな経歴の人?
- 色んな著作を書いた人で、主な著作群は4種類に分けられます
- バタイユの思想や哲学の影響を受けた人は、どんな人がいて、どう評価したか?
- 「内的体験」について語るため、他の哲学者や思想家たちの著作、バタイユ自身の著作を引用して、考えをまとめるとこうなります
1について:
19世紀末に生まれ、1960年代初めに亡くなる。フランス国立古文書学校を出た後、パリ国会図書館に勤務し、雑誌『ドキュマン』で考古学や美学の論文を執筆・編集したり、秘密結社やそのカモフラージュ(?)的存在の社会学研究会を創設したり、現在も発刊されている書評誌『クリティック』という重要な雑誌を創刊したりしたそうです。
色んな雑誌の中で、様々な学術分野の文章を執筆。横田さん曰く、バタイユは一つの言葉について、様々な著作で、異なる考えを書いているように見える人物とのこと。
2について:
横田さんの分類では、
①小説・文学(処女小説『眼球譚』や『マダム・エドワルダ』等)
②美学・美術(『ドキュマン』掲載論考、『エロスの涙』等)
③無神学大全
(『内的体験』『有罪者』『ニーチェについて』の三部作、
実は『非-知の未完了の大系』までの五作だった)
④呪われた部分
(『呪われた部分』『エロティシズムの歴史』『至高性』の三作
+関連する『宗教の倫理』『エロティシズム』の二作)
3について:
フランス文学者の生田耕や澁澤龍彦、三島由紀夫によると「死とエロティシズムの思想家」と受けとめられ、対立していたサルトルには「新しい神秘家」、フーコーやデリダ、ジャン・リュック・ナンシーらには彼らの思想に影響を与える書き手であったとのこと。ちなみに、私が入門書を読むのに挫折したメルロ=ポンティは、バタイユの飲み友達ポジションだったようです。
こんな感じで、フランスの現代思想はバタイユ抜きには、語れないようです。
4について:
私は、横田さんの説明と板書を追いかけながら、「内的体験って、何だろう?」と考えながら聞いていました。今、手元にあるレジュメやノートを見ながら、記事を書いているのですが、私の文章力ではうまく説明できません(ごめんなさい)。ただ、一つ言えるのは、「内的体験」とは「企て」というものと対立するものであること。そして、「推論的思考」を嫌がったバタイユは、一つの言葉について様々な言い方を繰り返し、例えば『ドキュマン』では、「不定形」を指す「アンフォルム」という言葉を用いて、意味づけについて語っていたということが分かりました。
3.第二回の内容と感想(2017.2.19(日)開催)
ここからは、Twitterの引用で内容と感想を振り返ります。
やっぱり知りたい!バタイユの講座、19日に行ってきた。ヘーゲルの弁証法に関する思想と、フランスへの導入を経て、バタイユがどう展開したのか。行く先は、服を脱がせるように、思考を裸にするギリギリまでもっていくことだと、最後にまとめられました。なかなか、大変な人をされている横田さん。
@naka3_3dsuki 聴衆の質問や感想を組み込つつ、次回予告や翻訳仕事の近況報告(?)をされました。 個人的には、祭りに関する「禁止」と「審判」の考えを、私の研究に取り入れられないかな?と考えました。思想に則って、文学作品や記録から、古い時代の人々の信仰を明らかにしたいところ。
— 仲見満月@経歴「真っ白」博士 (@naka3_3dsuki) 2017年2月19日
一つ目のツイートの「大変な人」とはバタイユのことです。「大変な人をされている」=バタイユという大変扱いにくい人物の研究をされている、という意味で、ツイートしました。
なお、ヘーゲルの思想をフランスへ紹介する重要な働きをしたのが、コジェーヴだそうです。高等教育機関で、コジェーヴがヘーゲルについて講義した時、サルトル、メルロ=ポンティ、そしてバタイユが出席していたそうです。
講義を受けたの後、バタイユはコジェーヴが解釈したヘーゲルの「否定性」に対して、示したとされるバタイユの考えは、横田さんによると、プラスの意味での「「使い道のない否定性」=非-知」ということだそう。
@naka3_3dsuki ところ。バタイユの考えは、講座を聞く限り、言葉ひとつであっても定義が安定しないようなので、ここらへんは、横田さんにご研究を頑張って頂き、その論文を引用して、早く書きたい!そういうわけで、横田さんのこれからの研究が楽しみです。楽しみです!(エコー)
第二回までの講義を聞いていて、分かりにくいとされるバタイユの思想を聴衆がビジュアル的にキャッチできるところまで、簡潔に整理されているな、と思いました。
第二回の講義がひととおり終わった後、受講者からの質問が出ました。私は、第一回で聞いていた、作家の嶽本のばら氏が、バタイユの処女小説『眼球譚』をゴシック・ロリータの専門書の読書案内に出していた情報が気になり、出典元を質問。講座の内容とは(あまり)関係なさそうなこの質問に、横田さんは丁寧に答えて下さいました。
それから、個人的な感想で「行く先は、服を脱がせるように、思考を裸にするギリギリまでもっていくこと」は、結局、バタイユの「エロス」とも繋がってくるようですね。と、私が言ったところ、どうやら、第三回で取り上げる内容と関連しているとのことでした。
続く第三回、楽しみにしております。
4.この講座の周辺の話~バタイユについて学ぼう!~
さて、バタイユの思想について、今までクローズアップされてきた「エロス」だけでなく、「内的経験」をキーワードにして、横田さんはこの連続講座を展開されています。受講にあたり、自分でもバタイユのことを勉強しようと思い立ち、本を探してみました。今回は、2冊ほどピックアップしました。
1冊目は、GACCOHの今回の講座ページにも挙がっていた『バタイユ入門』です。バタイユの人生とその思想、および日本での受容や研究のされ方について、まったくの初心者がページを進めても、頭に入りやすいような構成になっています。横田さん曰く、バタイユの処女小説に衝撃を受け、次に手に取った入門書だったと仰っていました。
導入部分は、本書の著者とバタイユの出会いに始まります。次に、いつ・どのような人たちによって日本でバタイユが受容され、彼の思想が研究の「調理台にのせてはいけない」とされていた時代があり、その「停滞」の時代を経て、1980年代以降のバタイユ研究史を簡潔に紹介しています。
バタイユの生い立ちとその思想展開については、「ベルエポック」という科学的な進展の時代と、梅毒を患っていたために湾曲した身体に威圧感のある父親、その父親に絶望して鬱状態が続いて自殺をしてた母親という、穏やかとは言えない家庭環境が、彼のその後の人生や考えのベースに、どのように影響していったのか、丁寧に書き出されています。
オンライン書店で検索したところ、紙書籍と電子書籍の2種類があり、ロングセラーとして長く読まれていることが窺えました。現在、私は図書館で借りてきて、読んでいます。19世紀のフランスの歴史を思い出しつつ、本書だけでは理解が難しいところは、高校世界史の参考書を見たり、ネットで事項を調べたりして、読み進めています。文章自体は平易なのですが、知識が足りないところがあり、貸出期間を延長しようと考えております。
2冊目は、フランス文学者・文筆家の中条省平訳の光文社古典新訳文庫版の『マダム・エドワルダ/目玉の話』です。思想を知るにも、まずは文学の代表作から攻めよう!ということで「恵んでくださいリスト」のセレクトに入れ、物乞いをしました。すると、横田さんが注文して下さり、23日に到着しました。横田さん、ありがとうございました!改めて、ここでお礼申し上げます。
表題作の前者は、短中編くらいの長さではありますが、バタイユの小説作品中、最高傑作とされています。この「マダム・エドワルダ」の執筆は、先述の「無神学大全」の第二作までを並行して行っていた時期と重なっていたそうで、バタイユの思想の神髄が注ぎ込まれていると言われることがあるそう。マダム・エドワルダは作品に登場する娼婦であり、バタイユが言及してきたエロティシズムが本作の主題とのこと。
もう一つの表題作は、「目玉の話」。実は、こちらを読んでみたくて、本書を選んだのです。同名の作品は、バタイユの処女小説に当たる1928年の「初稿」があり、その日本語版は『眼球譚』のタイトルを付けられ、フランス文学者の生田耕作によって翻訳されました*2。
それに対し、本書は円熟期のバタイユが「初稿」を徹底的に改稿した1947年の「新版」を底本として、翻訳されています。物語は、「球体への異様な嗜好を持つ」少年少女の変態行為が語られるというもの。初稿と新版とも、物語の大筋は同じものの、文章は別物といっていいほど、大きく違うようです。本書の翻訳者は新版を底本としており、その理由は作品の「完成度」を評価してとのこと。
冒頭は、語り手の独白に始まり、そこには孤独、不安と性的な気持ちの吐露が見え、書き手の障害の主題を要約していると、翻訳者が指摘しています。
下ネタで申し訳ありませんが、「目玉の話」に登場する球体のものについては、生田訳では「眼球・玉子・睾丸」と訳されていますが、フランス語では”oeuf, oeil, couille”(「ウフ、ウユ、クユ」と発音)と韻が踏まれています。この点を踏まえ、本書ではこれらの球体のものを「目玉・玉子・金玉」と、「タマ」の音で韻を踏むように日本語訳をしたとのこと。なかなか、翻訳者はやる!
(なお、 ”couille”はフランス語においても、一般的に口に出すのが憚られるワードだそうです)
以上、本書「解説」をもとにして、作品紹介をまとめました。
本書にまつわる話:
講座ナビゲーターの横田さんは10代の頃、先の嶽本のばら氏の読書案内に、『眼球譚』が紹介されており、幻想文学の書棚にあったその本を購入。読んだところ、その内容に衝撃を受けた横田さんは、書き手のバタイユに興味が移っていったと話しておられました。そのお話を聞いて、私には(おそらく横田さんが読まれたであろう初稿の)刺激は受け止められないかもしれない、とビビりました。そういうわけで、まずは光文社版の「目玉の話」のほうをセレクトし、リストに入れたところ、研究のきっかけとなった作品をぜひ!ということで、横田さんが贈ってくださったようです。
2冊、読むのに時間はかかっておりますが、興味深いバタイユの考えを少しでも「ハシっ」と抓めたら、と思っております。
5.最後に
研究対象としては、面白いけれど大変そうなバタイユの思想ですが、講座の様子では、横田さんはイキイキとされています。留学先のフランスと日本を往復されつつ、研究活動をされているそうで、体力と気力ともに溢れていないと出来ないかと感じました。
なかなか、国をまたぎ、連続講座を持ち、バタイユで論文を書いてと、ご多忙そうですが、ご活躍、応援しております。
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後半に、立命館大学大学院の取り組みで、横田さんの簡単なご紹介をしました。