ポケモンGOの前身・イングレスと地域アートから博物館や美術館の可能性を考える~藤田直哉「イングレスと地域アート 『饗宴のあと』についてのノート」~
<お時間に余裕のない時は、0-2からどうぞ!)
〈今回の記事の目次〉
- 〈今回の記事の目次〉
- 0.前置き
- 1.「イングレスと地域アート 『饗宴のあと』についてのノート」概要
- 2.イングレスと地域アートの「吸引力」
- 3.拡張現実を使った博物館・美術館の可能性を考える
- 4.最後に
0.前置き
0-1.ポケモンGO、始めました
ポケモンGOが日本で配信されて、明日で一週間が経ちます。連日、Twitterのタイムラインが、このゲームの話題で持ちきりになっておりましたが、少し、落ち着いてきた頃かなと思います。
こちらのプロフィールにも書いていますが、私は初代ポケットモンスターを発売直後、リアルタイムでプレイした世代でして、自分の中では、ほかのゲームやキャラクターよりも、ひときわ思い入れの強い作品となっております。
ちなみに、フシギバナをアイコンに使っているというのは、初代の緑版をゲームボーイポケットで初プレイした際、最初に選んだフシギダネを進化させ、エンディングまで連れて歩いたのがフシギバナだったからです。
さっそく、自分でプレイしてみたところ、今まで知らなかった「隠れた名所」らしき時計台、銅像などがポケモンストップになっておりまして、たどり着く度たび、口を開けて「へぇーと」とスマホの画面に小声で呟くという、挙動不審な様子を醸し出しておりました。また、大学院時代に授業でも出てきたほど、「その時、歴史が動いた!」というほどの舞台になっている建物が、強化したポケモンを戦わせるジムになっていることがありました。スマホで地図を確認すると、口を開けたヤドランがタワー状のジムのてっぺんに鎮座しており、徘徊による疲れがスーッと抜けたのを覚えています。
0-2.藤田直哉さんの「ノート」について
前置きが大変、長くなりました。ここからが本題です。
Twitterのタイムラインを見ていた数日前のこと。ポケモンGOのベースになるものを作ったと言われているイングレスと芸術の関係について、興味を「そそられる」ような話題が挙がっていました。
その中心になっていたのが、下のページです。
このページは、SF・文芸評論家の藤田直哉さんが、『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)の制作状態を報告するところから始まっています。が、本題はそちらではありません。進捗報告後、出て来るメインテーマは、
「イングレスと地域アート 『饗宴のあと』についてのノート」
です(以下、「ノート」)。内容は、私がまとめると、次のようになります。
1.「イングレスと地域アート 『饗宴のあと』についてのノート」概要
東京都庭園美術館で行われた「饗宴のあと アフター・ザ・シンポジウム」というイベントに招待された、藤田さん。このイベントは、スマホとGPSを使って提供される「拡張現実体験をさせてくれるアート作品」とのこと。来場者は自分のスマホにアプリをインストールして、画面操作で音声等を操作しつつ、スマホを持ったまま、イヤホンの音声に耳を傾けて、会場内を回ります。
(*詳しくは、下のリンクを参照ください)
そこでは、一種の「ラジオドラマ」が始まります。時代ごとに使い方を変えてこられた、現在の東京都庭園美術館の歴史的な「記憶」を(ストーリーのように?)、音声のみの「拡張現実」によって「上演」されるのです(なお、アプリは東京都庭園美術館以外では使えなかったそうです)。藤田さんによれば、「音声ガイドの進化版」であり、
建物や展示を用いて、それらの別種の見え方を提示してくる。このような性質を指し、ここでは「拡張現実」と呼ぶ。
とのことです。会場となった美術館は、時代ごとに皇族の住居、為政者の場所と役割が変わり、その様子を音声だけで伝えてきます。視覚が自由になり、「観客」である来場者は、強制的な「鑑賞」に誘われることになります。ここで、藤田さんは音声によって、「何か虚無的な場に、突然連れ出されたような気分」となる。それは、「異化」、すなわち「饗宴のあとに」の作品だからこそ、その種類の物の見方が起こったということだと。
「饗宴のあと」での体験をを出発点として、藤田さんはイングレスと地域アートが似ていると感じられる点、違っている点を挙げ、別種の背景により、イングレスと地域アートに「共通性が生まれていると考えるべきだろうか」と考えをめぐらします。
そして、「松戸市文化芸術振興会」での講演の共演者の森川嘉一郎さんに、講演の下見で松戸市内を案内してもらい、「街のなかの色々なものを紹介していただいた」時の経験が、イングレスのプレイ経験と似ていると筆者は指摘する。藤田さんによれば、地域アートの隆盛と番組「モヤモヤさまぁ~ず2」は、「同じ背景を持つのではないかと」いい、具体的には「ちょっと「面白い」ローカルな地域資源に、少し距離を置いた感じで笑いを込めて飛び込んでいくところ」だそうです(「イングレスでポータルになっているものも、なにかモヤモヤする感じのものが多い。微妙な絵とか、仏像とか。」とのこと)
つまり、「饗宴のあと」とイングレスは、「同時代の何かは共有しつつも、違っている」。藤田さんは、このテーマの議論(?)を、次のように結んで終えています。
ここでは、ハイカルチャーとサブカルチャーが、通底しながら、その存在意義を巡って、なんらかの違いを示そうとしている鍔迫り合いが起こっている。その火花が、ぼくにはどうも、面白いようなものに思われる。
以上が概要です。 私の視点から「ノート」をまとめ、ところどころ、端折っております。そして、大幅に引用しているところが多々あり、申し訳ございません(もし、意図していらっしゃることと異なる文脈となっていたり等しておりましたら、申しつけください。修正・訂正をさせて頂きます)。
どうして、私がこの「ノート」に心惹かれたかと言いますと、学生の時、建物や都市がそこで過ごす人間の行動を「記憶していた」と仮定して、そこに起こっている事象を明らかにするという、分野の研究会に参加し、研究者の方々のお話を聞いていたからです。こうした研究会ではツアーが開かれ、私は実際に街を歩いたことがあります。その都市の専門家に説明をお聞きしながら、現実の街並みを見ながら、参加者は都市の「記憶」にある街並みをイメージしました。この時、五感を使って、私が現実に見ている風景とは違ったものを頭の中に見出していました。それは、目で見る風景に対し、脳内では過去の景色を想像することによる「タイムスリップ」とでも言うべき、ものだと思います。
この体験は、「饗宴のあとに」に近いものだと思い、「ノート」に興味を持ったのです。つまり、このツアーは、街並みを博物館や美術館に見立て、そこに専門家の説明が加わることで、参加者の持ってた建物や景色へ見方とはまた異なった、新たな見方が与えられると考えられるのです。以上のような私の興味・関心の視点から、藤田さんの「ノート」をもとにして、まず、イングレスと地域アートが人々を引きつけるというのは、どういうことなのか、素人である私が脳みそを使って、考えます。次に、その答えをもとにして、拡張現実を使った博物館や美術館の可能性を考えてみたいと思います。
2.イングレスと地域アートの「吸引力」
2-1.イングレスとは?
先に申し上げますと、私はイングレスをプレイしたことがありません。身近にもイングレスをプレイしていた人がいないので、実際はどのようなものかは、正直、イメージするしかないのが正直なところです。「ノート」での記述をお借りする形で、説明させてください(それでも、よく理解できないところは、ポケモンGOのプレイで歩き回った経験をもとに、考えます。ご了承ください)。
このイングレスというゲームは、藤田さんの「ノート」によると、
イングレスとは、2013年末に運用が開始された、グーグルが提供している拡張現実ゲームである。(中略)
スマホに表示される、実際の地図をベースにした画面を見ながら、「ポータル」と呼ばれるローカルなランドスケープに実際に足を運んで、「ハック」したり、壊したり、陣取りゲームをするものと、とりあえずは説明する。
チームは2つあって、エンライテンドとレジスタンス。プレイヤーはいずれかのチームに所属し、自分のチームの陣を増やしていく。というのが、ゲームの目的だと思われます。
イングレスの「ポータル」には、「その地域の、マイナーなランドスケープを意識させられること」があり、先述の「微妙な絵とか、仏像とか。」がこれに含まれると、私には思われます。実は、この「ポータル」はプレイヤーの「申請」によって開発元に登録され続け、増えまて行きました。実は、その「ポータル」が、ポケモンGOのポケモンストップになっているのです(確かに、私が回ったポケモンストップにも、正体不明のオブジェや像がありました)。
2-2.イングレスと地域アート
設定は藤田さんの指摘では、イングレスと地域アートの共通点は、上記のような「その地域の、マイナーなランドスケープを意識させらられること」のほか、私最も気になるものとしては、「そこにあるものの「別種の見方」をさせること」があります。
・「そこにあるものの「別種の見方」をさせること」
イングレスだと「SFチックなゲーム的設定が上書きされ」、地域アートでは「固有の歴史などが掘り起こされることが多い」と藤田さんは述べておられます。
これは、おそらく、先に私が書いたポケモンGOでの体験でいう、歴史的名跡にジムが設置されたことで、プレイヤーにとってその場所(もの)は「ポケモンGOにおける設定が上書きされた」ところとなるということだと思います。ある場所が、城郭研究者にとっては研究対象人物について知るための「資料」であり、それがイングレスのプレイヤーにとっては敵陣営から奪い取りたい「ポータル」である、といったことなのだと。
こういった動機があって、人々は特定の場所、ものの位置する地点に集まってくるのでしょう。「設定」をプレーヤーに与えることで、また、その場所やものが「固有の歴史」などを持っていることにより、人々は「そこ」や「それ」にたどり着くのです。
2-3.小結
うまく、私の中で整理がつかず、読者の方々に伝わるか分かりませんが、ここで一度、小結にしたいと思います。
「饗宴のあとに」のように、拡張現実というものは、私たち人間に、特定の場所である「そこ」、あるいはものである「それ」に対して、五感を通じて「別種の見方」を与えます。その味方が芸術やゲームと結びつくことで「動機」が発生し、人間を「そこ」や「それ」に向かわせるのだとも考えられるのではないでしょうか。
そこに藤田さんの言う「ハイアートと、サブカルチャーを超える、「何か」が」あるとすれば、その「何か」とは、人々を特定の場所やものに向かわせるという「動機」を作りだす存在なのではないかと、私は考えました。そして、「吸引」されるようにやって来た人々が抱えるモヤモヤした感覚の根源は、正体不明のものに対する「なんだコレ?」という驚きや、「面白い」と感じる感情なのだと思います。イングレスにしても、地域アートにしても、そういった「動機」を生み出す=人々に対する「吸引力」を持っていると言えるでしょう。
3.拡張現実を使った博物館・美術館の可能性を考える
このモヤモヤした感じは、おそらく、ちょっとした好奇心の一種なのではないかと思います。人間が持つ面白いという感覚は、新たな存在に出会ったり、今までと違った見方をするようになったり、それまでと異なった要素が出てくることで発生することが多いと考えられます。
「饗宴のあとに」での音声のみにしても、イングレスやポケモンGOで使われているビジュアル的なものにしても、拡張現実は、場所やものに新しい「見方」を体験を通じて強く示すことで、我々に好奇心を抱かせて、そこやそこに向かわせるのでしょう。
さて、ここから、博物館や美術館が拡張現実を使って、人々を吸引させたらよいのか、少し、考えたいと思います。ずばり、来館者を増やすために拡張現実というものを、どう使ったらいいのか?というこいとについて、です。
ちょうど、現在進行形で行われている実践があります。それは、「始皇帝と大兵馬俑展」の「みんなで兵馬俑」というインスタグラムを使ったイベントです↓
特別展の一角に、兵馬俑坑の写真を壁に貼り、その前に兵馬俑の原寸大レプリカを並べて、再現。来館者は兵馬俑のレプリカと写真を撮影し、事前にインストールしておいたインスタグラムにその画像をハッシュタグ「#みんなで兵馬俑」を付けて投稿します。
GPS機能を使わないものの、会場の一角にセットを置くことで、来場者は、あたかも自分たちが実際に中国の兵馬俑坑に来て、戦士たちに囲まれているような感覚を体験できるのです。アナログな仕掛けを使ってはいますが、これも拡張現実の一種だと言えるでしょう。
実際、私もそのセットを見に行ったことがあります。スマホで写真撮影し、背景と兵馬俑と来場者が並んでも、違和感がないような構図設計がされているようでした。そのスケールを肌で感じるだけでも、なかなか、興奮するリアリティがあります。
さらにこの企画では、撮った写真を投稿し、インスタグラムを通じて公式サイトに画像を載せることで、「目指せ!公式サイトにも8000人の兵馬俑坑を実現しよう」という目標を設定。
今まで、日本の兵馬俑展では、ここまで大規模で本格的なセットを使った来館者向けの体験型企画はなかったように思います。また、今までの兵馬俑展では、順路に従い、並べられた兵や馬などの土人形の間を歩いて眺めるだけでした(コンセプトによるものが大きかったかもしれませんし、単に私が知らないだけかもしれませんが)。これに対し、「みんなで兵馬俑」のイベントは、それとは異なった「兵士たちと並んで写真を撮って、インスタグラムにアップし、公式サイトの目標にみんなでチャレンジする」という、新しい楽しみ方を提示するものでした。加えて、インスタグラムを通すことで、一種のコミュニティを形成する。面白そうだと思った人たちが、この特別展にやって来るようになるのです。
以上の点において、「みんなで兵馬俑」のイベントは、藤田さんが挙げたイングレスと地域アートの共通点を持ち、人々を会場に向かわせる力をもっていると思います。
詰まるところ、博物館や美術館が人を集めるには、拡張現実を使い、五感を通じてものの見方を変える「仕掛け」を準備し、会場へ人々を向かわせるための方法を捻り出すことも、一つの方法だということです。
4.最後に
3で紹介した大兵馬俑展は、いずれも国立の博物館や美術館で開催されています。NHKや朝日新聞がスポンサーであることから、資金を投入して、思い切った企画をできるという背景があったのかもしれません。昨今の博物館や美術館は、財政的に厳しいということを、よく聞きます。いかにスポンサーを引っ張ってきて、面白い企画やイベントを打ち出せるかが、来館者を集める鍵であるといえるでしょう。
また、日進月歩で向上しているスマートフォンの音声や画像解像度、様々な技術により、ひと昔前では実現しにくかった、「饗宴のあとに」のような音声のみを使って聴覚にうったえる拡張現実による体験を、新たに提供しやすくなったということが言えると思います。イングレスを開発したナイアンティックでなくとも、アイディア次第では「みんなで兵馬俑」のように、既存のインスタグラムやFacebook、Twitter等のSNSと別アプリを連動させた形で、人々を惹きつける面白い企画が出せるのではないでしょうか。
もし、私が博物館のキュレーターをするチャンスがあれば、協力企業を募り、拡張現実の技術を使って、「日常生活では気にとめないけれど、身近な家具や道具の歴史を眺めるタイムトリップ」というような企画展をやってみたいと思いました。
ちなみに、大学の授業で博物館実習に行ったとき、企画を立案してプレゼンするということは、十数年前にしました。それ以降、博物館や美術館で仕事をしたことがなく、今はただの素人です。世の中、私が書いたように簡単に企画実現ができないのが、現実ですよね…。
今回も、大変、長くなりました。文字カウントが6000字を超えており、大学の授業にたとえると、長い課題レポートのレベルです。ここまで、お付き合い下さり、ありがとうございました。
実は、これを書いている時点で、イングレスを使った地域のミュージアムに関する研究があるらしいという情報を得たので、また別の記事で触れたいと思っております。
(2016.7.30追記記事)
イングレスとポケモンGOのシステムについて、分かりやすい記事を見つけたので、参考までに、リンク貼っときます。