仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

文系オーバードクターの結婚について~栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい』:後編〜

naka3-3dsuki.hatenablog.com

↑前回の続きになります。アナキズム研究が専門の政治学研究者である文系オーバードクターの著者・栗原康氏は、東日本大震災直前に合コンが縁で、小学校で保健の先生をしている女性と出会い、交際するようになります。お互いアラサーと三十路で、女性は子どもが欲しく、結婚を前提に付き合いたいと告白しました。著者の結婚後は「主夫宣言」に女性は最初、同意して付き合い出したものの、周囲の反対にあうわ、「好きなことしかしませんよ、こいつは」という栗原氏の友人の言葉にピリピリするわ…。それに加え、デモ参加をする彼氏に、とうとう、「ほんとうにはたらく気がないの?」と問い詰めます。  

 

今回は、そんな2人の付き合いが危うくなってきた前編に引き続き、「もうすこし収入をあげたい」と答えた著者の自分なりの努力から話が始まります。順調とはいえない交際に、著者は大正時代に恋愛に生きた女性活動家・伊藤野枝の文章を引いて、結局は破談にしなってしまった彼女との結婚について考察しています。が、本記事では著者の恋愛から婚約、そして破談という事実を通じで、文系オーバードクターの結婚を考えるのが目的なので、伊藤野枝に関する著者の考察部分は割愛することにしました。その代わり、前編と同じか、それ以上に長い私の文句が入り、文系研究者が結婚するにはどうしたらいいのか?考えます。

 

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今回も、恋愛から結婚というナイーブな問題を扱いますので、心が弱っている方は読まないほうがいいかもしれません。それでも、読むぞ!という方のみ、進んでください。

〈今回の目次〉

3.婚約から破談~「豚小屋に火を放て」の章より~

 3-1.著者の就業活動と婚約

 とにかく、結婚を前提に交際していたので、その準備をすることになる。『ゼクシィ』を買って、式場の見学に行ったり、「ファミリーライフの訓練」と称して越谷レイクタウン(敷地面積が東京ドーム6個分!)の巨大ショッピングモールに連れいかれたり…。彼氏である著者はピカピカした商品に目がくらみ、トイレに逃げては、つらい!つらい!とのたまう。「たぶん会社勤めというのも、こういうものなのだろう。」と思う著者には、きっと恋人の趣味で連れていかれた越谷レイクタウン、合わなかったんでしょうね。理系クンこと、N島氏だって百貨店のキラキラ、ピカピカが(最初は)苦手だったといいますから、文系・理系関係なく、ショーウィンドウのきらめきに拒絶反応を起こす男性はいるんでしょう。

 

ちなみに、女性のほうにも、あの輝きが苦手な人はいます。それから、私の出入りしていた地学研究室のOGには、結晶抽出をテーマにしていたリアル尾頭姉さんがいて、その人は磨かれた宝石には興味がなく、原石の鉱物標本を眺めては悦に入る人だったそうです。アクセサリーについても、このOGは日ごろから実験作業の関係で身につける習慣がなく、身につけたら汗かきなので、蒸れてかゆくなる肌の人でした。そういうわけで、交際相手は毎年のクリスマスプレゼントに困っていたとのことでした。

つくづく、本社の著者も、このリアル尾頭姉さんのような女性と出会えていたら、縁談がうまくいったのではないかと邪推してしまいます。こういった私の院のOG姉さんたちには、その後、大学の専業非常勤(非常勤のかけ持ち)でも、任期付きポストでも、バリバリ、自分の力で稼ぎ、少しずつ、奨学金という名の学資ローンも返済されている方がいました。研究優先で特定の方面では奔放に見えますが、面倒見もよく、研究室のプロジェクトでは司令塔になれる人たちでした。個人差は大きいですが、優秀かつ生命力は強い半面、出会いがないと本人はしたくても結婚できない人もいます。頼れる姉さんたちなので、縁さえあれば、とは思いました。

 

 

話を著者のほうに戻しましょう。同時期、栗原氏は翌年の3月までかけて博士論文を執筆するのにいそしみ、論文を提出してしまいます。前編にも書きましたが、博士論文が審査を通過して、博士号がとれて初めて大学の専任講師のポストに応募できるのが、2000年代後半から現在までの文系研究者の就職業界では暗黙のルールでした。そうでなくとも、働く気があるのか?と彼女に詰め寄られていた著者にとって、博論の提出とは結婚するために必要な切符で「いわば婚活である」のでした。 

 

ここで再び登場の結婚情報誌『ゼクシィ』と参考に、栗原氏は、自身の当時の年収10万円の3分の一の3万円の婚約指輪を買うことにしました。彼女と一緒に「新宿の丸井」に行き、女性が選んだ指輪を買い、代わりに著者は時計を受け取った。きちんとしたプロポーズは、翌週、二人で行ったアミューズメントパークでなされることになるのですが、とりあえず本記事では、指輪と時計という、一種の「財産」の贈り合いがあった事実により、2人の間に「婚約」が成立したとみなします。

 

著者の「婚活」という結婚に向けた収入アップと就業の活動は続きますが、そういう努力をしても、必ずしも報われるとは限らないのでした。

 

 3-2.著者の更なる就業活動と婚約者とのすれ違い

 何というか、彼女を連れている時、出会う著者のご友人たちは、こうも著者と彼女の結婚を阻む存在なのか、と本章「豚小屋に火を放て」を読んでいて考えてしまう。ことは、「新宿の丸井」に行った帰り、ルノアールで休んでいた著者と彼女は、偶然、著者の友人に出くわす。「アメリカから遊びに来ていたSさんと、『現代思潮』元編集長のIさん」でした。友人2人を著者がお世話になっている人たちだと説明した後、Sさんが自己紹介でやらかした。

コペンハーゲンで監獄をともにしたSです。」いやいや。かの女のか顔がまたピクピクしている。

著者によると、Sさんと著者はコペンハーゲンで2009年にあったCOP15に対する抗議運動に参加して、予防拘束されたのだという。怪訝な顔をする彼女に、「悲しげな表情」をした著者。察したSさんは、これらの拘束は不当なものであり、犯罪歴もつかないし、警察から賠償金が支払われたくらいだから、とフォローしました。Sさんとしては、だから気にしないでいいよ、という意味のフォローだったと思うのですが、それならそれで、最初からデモに参加したこと自体、口にしないほうがよかったと思います。

著者よ、Sさんを含めた友人たちに自分が抗議行動で予防拘束されたことを彼女のいる席で言わないでくれ、と根回ししておけばよかったのでは?とも、私は感じました。

 

ただ、まあ、彼女にしてみれば、デモや集会、抗議行動に出ていた彼氏が、予防拘束までされていたことが分かり、心配は増えたものの、結婚前に分かってよかったとも考えられます。つまり、この彼女と著者は結婚するには、お互いの交友関係を含めて、相性が悪かったと言えます。

 

集会やデモ、抗議行動の件は、かなり彼女の心に刺さってい出来事だったようで、アミューズメントパークで著者が求婚すると、「二度とデモや集会にはいかないでください」と彼女に切り出されました。著者は、北海道でのデモやコペンハーゲンでのことがあって、彼女が怖くなったのだと「勘違い」したらしく、心配してくれたお礼を言ってしまった。

振りかえった本人は気がついているが、お礼は頓珍漢な答えだったと。きっと、堅実に就職して暮らしてきた彼女としては「堅実な生き方をすると、約束してよ!」という要求だったのかもしれません。そうだとすれば、どこまでも噛み合わないし、すれ違う2人の思いを見ているようで、歯がゆい。

 

 

プロポーズが終わり、著者は引き続き「もうすこし収入をあげようとおもって」非常勤講師の公募に10件近く応募する。年末には、博士論文が審査に落ちて書き直し!という一報が届く。毎日、就活の件で電話してくる彼女にぐったりしつつも、博士論文の審査結果を伝え、書き直して頑張ると言った著者。「かの女」は大激怒をし、次のような「説教」を実行する。

 ・社会人として、大人としてちゃんとすることで、初めて家庭や子どもを持てる。

 ・ちゃんとした大人とは、正社員で毎日つらいと思いながら耐えるづけること。

突き詰めると、「仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことしたやろうとしないのは、わがままな子どもが駄々をこねているようなものだ」。

 

当たり前だけど、研究者には厳しい一言です。ここで口喧嘩になり、「なにがたのしくて生きているんだ、と著者が尋ねる。女性は、「ショッピングにきまっているでしょう。」と言い切る。彼女にしてみれば、研究やデモといったお金のかからない著者の楽しみは、「貧乏くさくて気持ち悪い」んだそう。著者曰く、婚約者にとって、「わたしがショッピングにいっても、なにも買わないことがはずかしかったらしい」と。もっと、早い段階でお互いの金銭感覚、価値観を確かめていたら、こんなに衝突することはなかったんだろうと、読んでいて胸が痛くなりました。

 

だって、著者が「収入をあげようとおもって」した就職活動は、私や先輩方の通った道だったんです。お財布とにらめっこしながら、どこの証明写真がリーズナブルで見栄えよく撮ってくれる写真屋だとか、どこのメーカーの履歴書セットがコストパフォーマンスがいいとか、ネットの口コミを読み、Amazonで検索し、100円ショップに何回も通って、いかに少ない金額で就職活動をするか、必死に方法を考えるんですよ。それでも、非常勤講師の一件にも採用されない文系の博士生、オーバードクターは現在の日本には、何万人もいるんです。

 

彼女に「説教」され、詰め寄られ、ケチョンケチョンにされ、それでも著者は頑張ることにしました。

 

 3-2.婚約破談へ

「もうすこしがんばってみよう」。栗原氏は「アルバイトの就活」で、立て続けに落とされながらも、その年の2月に一つ採用が決まる。9月から週二回のアルバイトで、年収は10万円から50万円にアップしました。合わせて、博論の出版を申し出てくれていた出版社の社長にアポをとって、直接会って博論の出版ができないことを詫びた。ありがたいことに、その社長は「別のもので一冊かきかせんか」と提案して、これが後に評伝『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社)として刊行されることになる。

 

こういうわけで、就職活動というか仕事の獲得活動により、9月までに評伝を執筆し、その後はバイトをしながら博論を進めるという計画が立ったのです。ここで説明をすると、私の身近にも複数の出版社の偉い人と仲良くなり、その分野のテキストの編者で仕事をしたり、博士論文を出版してもらったりと、人脈を築いた上で出版業績を打ち立てていく先輩がいました。前編の著者略歴を見ると分かりますが、著者は数冊の本を出しています。色んなところに顔を出し、その上で気に入ってもらえる人間関係を築けないと、オーバードクターとはいえ、数冊も公開出版(街の新刊書店やオンライン書店で買えるような)本は出せません。単にコミュニケーション能力が高いだけでなく、癖のある「ヘンテコ」な人の多い学術出版の人と仲良くなれるのは、やはり、著者もそういう「ヘンテコ」な人といってもよいでしょう。何だかんだ言っても、コンスタントに数冊の本を出せるというのは、文系研究者にとってはスゴイことなんです!

 

評伝の仕事がとれて大喜びの栗原氏は、再び、彼女に電話をかけた。電話口の女性は、また激怒する。以下、2人のやり取りを簡単に纏めました。

 女性:アルバイトは仕事じゃないでしょ。教える仕事なら、高校教員にでもなれよ。

 著者:それだと、研究が続けられないんだ。

 女性:だったら、研究をやめろって言ってんだろ。

    私を愛しているなら、家庭が大事なら、そのくらいできるはずだ。

 著者:それは、できない。

 女性:甘えてんじゃない!だいたい、お前みたいなの甘やかして育てた…

以下、激しすぎる言葉のため、自粛致します(ご了承ください)。直接の引用ではありませんが、大方、上記のような口論めいたやり取りだったようです。そして、彼女、評伝の仕事が取れたことについて、触れていない…。自分の価値観を押しつけるだけの女性に、とうとう、著者は「ちゃんとはなすことをやめた」。

 

その年のゴールデンウィーク、女性からの連絡で求婚したアミューズメントパークに2人で行く。著者は婚約指輪を返された。時計は気に入っていたので、女性の了解のもと、返さなくてよくなった。お礼を言ったあと、2人は別れたのでした。「結婚できるといいですね」という著者の嫌味のもとに。

指輪が女性から返却されたことで、著者の婚約は「破談」となったのです。

 

これにて、著者の身の上話は終わります。

 

 

4.栗原氏の婚約破談から文系オーバードクターの結婚を考える

著者が小学校教員の女性と出会い、交際を経て婚約し、破談したところまで、見てきました。その間、間でポツポツと私見をはさんで、研究をしたい著者と堅実な彼女とでは、生き方や働くスタイル、何より価値観がかけ離れていたことを、私は言いました。しかも、こういった考え方は、長く付き合う中で、お互いが変化したり、許し合う過程で見えてきたりすることもあるかと思います。実際、著者たちは2年間、付き合っていたのですから。

 

恋愛→婚約→結婚。この流れにおいて、人は自分の役割を世間的なカップルの彼氏・彼女の役割に当てはめていきがちで、それを交際相手にも求めてしまいがちだそうです。その中で、自分は幸せになりたいけど、相手に尽くすことが苦しくなるというようなことを、伊藤野枝の「矛盾恋愛」という言葉を借りて、著者は説明しようと試みます。

 

本記事では、こむずかしく考えたくないので、世間一般にある月並みな言葉でいえば、この2人の間には縁がなかった、という一言で結論とします。仕方がなかったんです、求める生き方も、価値観も、異なっていたんですから。それでは、著者はどんな女性と出会っていたら、(可能性は低くとも)結婚に至っていたんでしょうか。ここから、オーバードクターの結婚について、本書の著者をもとに考えてみたいと思います。

 

まず、合コンのセッティングを頼むなら、同じ文系・理系のオーバードクター、もしくは博士生・修士生あたりを友人に呼んでほしいと伝えていたら、結婚までのプロセスにおける序盤としては、滑り出し好調だったと思います。少しでも大学院というアカデミックな世界を見ている人なら、何よりも研究をやりたい!という気持ちを理解しつつ、大学にポストを得る厳しさを認めた上で、どうやって収入を得て生活していくか?といった現実的で具体的な結婚後の生活を話し合うことが出来たかもしれません。中には、両親や兄弟、親戚にも研究者がいるという人もいるので、付き合っている段階で、周りに相談をしてみるのもいいと思います。

 

上記の大学院経験者のほか、中高教員志望者、あるいは既に教員になっている人も、交際相手の候補になるでしょう。こういった人たちは、他職からの転職者、臨時講師の経験者が一定数いて、経済的に不安定ながら、夢を追いかける生き方に理解を示してくれる人もいます。著者のような研究者の生き方や価値観に対し、理解はあったかもしれません。ですが逆に、その生き方をとる厳しさを知っているからこそ、経済的に不安定な人はお断り!な人もいるのも事実。難しいですが、そのあたりの生き方や価値観を話し合って確認しながら、付き合っていくしかないんじゃないでしょうか。

 

次に、実際の婚約→結婚について。この段階までくると、本人同士だけでなく、それぞれの両親や兄弟姉妹、祖父母、そして親戚を巻き込むことになってきます。経済的な理由や定職に就いていない(という意味で信頼できない)ことを理由に反対されるというなら、著者のようにアルバイトでも、仕事を取って来て自分で取り組むでもいので、婚約者のために努力できる姿勢を周囲に示すことが、説得への第一歩となるでしょう。

 

周囲が2人の結婚に賛成してくれているなら、それはそれで、結婚後の生活をどう維持していくか。年金や税金、健康保険はどうするのか?扶養はどうするのか?片方が経済的に支えられるのは、博士号取得までにするのか、それとも就職口がきまるまでにするのか?(文系研究者の場合、博士号取得に博士課程入学から十年かかったり、専業非常勤のまま40代になったりすることもザラなので、支えるほうは忍耐強さが必要)等、お互いの不安を払拭するためにも、住んでいる地域や国の行政制度や支援のあり方を調べ、利用できるものがあれば利用する。とにかく、想定内の範囲でいいので、2人で話し合い、可能なことは利用していくと、結婚後に精神的にも経済的にも、心のや体の負担は軽くなることがあります。

 

具体的なロールモデルに関して、女性側の例しかありませんが参考になりそうなリンクを貼っておきますね。

www.cwr.kyoto-u.ac.jp

女性研究者の生き方についての体験談が沢山のっています。独身、DINKS、子どものいる家庭等、ここに載っている女性の生き方は多様です。妊娠・出産、パートナーとの接し方等を含めて、自分の抱えている問題と突き合わせながら読むと、ヒントが得られるかもしれません。 実際、ここに書いてある事例には、私の周囲の研究者カップルにも実践している人たちがいます。

 

あとは、月並みなことで恐縮ですが、お互いに励まし合い、頑張ったことがあれば褒め合ってゆくことが、関係維持の力になると思います。著者の例では、アルバイトの採用と評伝の仕事獲得の時、「おお!やったじゃん!」と彼女が声をかけていたら、喧嘩別れせずに済んだかもしれません。ちょっとしたことでも、著者を肯定してあげていたら…。私の邪推は、止まりません。

 

 

5.最後に~著者の栗原康はどんなポジションを目指したらいいのか~

 前編からここまで、本書の著者・栗原康氏の身の上話を紹介し、文系オーバードクターの人たちが結婚するには、どうしたらいいのか?少し、考えてみました。最後に、余談として、栗原氏が文系研究者として「売れる」ため、どうしたらいいか?先輩研究者の例を出して、想像させて頂きます。

 

その先輩研究者とは、瀬地山角先生。東アジアを中心に、家庭におけるジェンダーの諸問題を研究してきた研究者であり、現在は東京大学大学院総合文化研究科教授として勤務されています*1。この先生は、博士論文をもとにした次のご著書↓

東アジアの家父長制―ジェンダーの比較社会学

東アジアの家父長制―ジェンダーの比較社会学

 

この本の中の「男とフェミニズム―あとがきにかえて―」のところで、院生のころの話を書いておられます。

 

院生のころ、この先生は働いていた彼女と共同生活をし、アルバイトや研究活動をしながら「主夫」をしていたとのこと。東京の高い家賃を働く彼女に払ってもらい、自分は残りの生活費を折半して暮らす。深夜まで連日勤務する彼女に対し、自分は家事分担の6~7割を担う。そんな生活に誇りに思い、また就職が見つかるまでの間に経済的な依存をすることは、「痛痒を感じてはいなかった」そうです。ところが、些細なことで彼女と別れることとなり、瀬地山先生は彼女に「出ていって」と言わました。「畳一畳分でも家賃を払っておくべきだったと後悔した」この先生は、経済的に自立出来ていなかったことに、負い目を感じていたと後に気づきます。

 

瀬地山先生にとて、自身の失恋と住居を失った経験が、間接的に博士研究のきっかけとなったそうです。『東アジアの家父長制』出版後、紆余曲折を経て研究を続ける傍ら、いくつかの本を書き、メディアでは独特のポジションを築いている文系研究者だと思います。見方によっては、売れている文系研究者ともいえるでしょう。

前編で書きいたように、栗原氏について、本書で語った数々の体験を含めて、古今の先達の文章を引いては自分の主張をしていて、読んでいると爆笑しつつも、スカッとする書き方のできる人だと思いました。独特の半生を持ち、筆が立ち、出版社の偉い人にも気に入られ、おまけにハンサムに生まれついたというなら、存分に持っているものを生かして、「元主夫教授」である瀬地山先生のようなポジションを目指せば、好きな研究で生きていけるのでは?という気がします(瀬地山先生には、失礼かもしれませんが)。

 

とにかく、一読者として、著者がんばれ!!という感想を述べて、本記事を閉めることに致します。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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