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仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

文系オーバードクターの結婚について~栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい』:前編〜

レビュー 文系 オーバードクター 博士 生き方 院卒者 恋愛 結婚

〈今回の目次〉

0.はじめに

大学院生にとって、就職と合わせて、人によっては人生(の序盤)で大きな節目となるのが、結婚だと思われます。特に、不景気が続き、性別を問わず非正規雇用の拡大等、安定した雇用状態と収入を得ることが難しい昨今において、経済的なに安定した職に就いた人を結婚相手に望む傾向は、強まっていると思われます。

 

こうした世知辛い現在、就職が困難な文系大学院の博士課程の基本在籍年限3年を超えた、いわゆる文系オーバードクターの人たちは、一度、タイミングを失うと、結婚しづらい現実があります。正直に言うと、これも性別に関係なくあります。

 

今回は、そんな博士号取得前と思われる非常勤講師・栗原康氏の「評論」を読み、彼の恋愛と「婚活」、そして破談を中心に取り上げ、文系オーバードクターの結婚について、少し、考えてみようと思います↓ 

 

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というわけで、非常にデリケートな問題を扱います。心痛甚だしい部分、読んでいてしんどい箇所もあるかとい思います。それでもよい、心の準備ができたという方のみ、先へ進んで本記事をお読み下さい。

 

なお、今回も内容が濃いので、前編と後編にわたってお送り致します。

 

1.著者・栗原康および本書の概要について

非常にポップながら、過激な言葉の表紙が目を引く本書。「あとがき」によると、本書はジャンルとしては評論集になるそうですが、読者としてはオンライン書店のレビューにもあるように、エッセイとしたほうが妥当だと思われます。

 

 1-1.著者の経歴と経済状況

著者の栗原康氏の経歴を簡単にまとめると、次のとおりになります。

 

〈栗原康の略歴〉*本書カバー+オンライン記事より

1979年、埼玉県生まれ。 早稲田大学大学院政治学研究科・博士後期課程満期退学*1アナキズム研究を専門とし、東北芸術工科大学非常勤講師を勤める。本書の他の著書に、『G8サミット体制とはなにか』(以文社)『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社、2014年に第5回「いける本大賞」を受賞)、『学生に賃金を』(新評論)『現代暴力論  「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)がある。

 

本記事の要となる経済的な状況を書くと、

 ・「大学の奨学金で635万円の借金をせおっている」(2014~2015年)

 ・ 実家に住み、両親の年金に寄生して生活している。

  ある日、世帯主の親御さんの年金から、子である栗原康氏の年金年額17万円が役所担当者によって差し引かれてしまったことがある

 ・本書刊行3カ月前の2015年1月は年収80万円になった

とった懐の具合いだったとのこと。文系の博士生とオーバードクターは、非常勤講師として数校をかけ持ちしたり、中高の学校で非常勤講師をしたりする(本記事の執筆者も経験済み)ほか、塾講師・家庭教師・大学の非常勤職員(本記事の執筆者も経験)等のアルバイトで生活を維持しつつ、よくて年収130万円くらいで節約生活を送りつつ、研究を続けております。私の先輩に当たるリアル尾頭お姉さんたちによると、理系の博士生やオーバードクターも、大体、似たような職種で生活を保ち、研究活動をしているとのこと。

つまり、栗原康氏のような経済状況は、文系・理系関係なく、博士生やオーバードクターには、よくある状況ということになります。

 

著者の専門は、政治学の中のアナキズム、つまりアナーキズム。「デジタル大辞泉」によると、

一切の政治的、社会的権力を否定して、個人の完全な自由と独立を望む考え方。プルードンバクーニンなどがその代表的な思想家。無政府主義。アナ。*2

 ということで、ちょっと著者には政治活動家っぽい印象を私は抱きました。実際、本書のところどころで、デモに参加している時のことが書かれています。ヤバいな、著者のやっていることは!と私は感じました。

 

 1-2.本書の概要

他の著書タイトルを見ていると、いろいろと尖っているイメージが先行してします。その逆を行くのが、本書の内容。よくて年収80万円、学資による借金635万円を抱え、それでも好きな研究をし、仲間に誘われてデモに参加したり、旅行に行ったりする著者が、「働かざる者、食うべからず」な世の中に対してタイトルどおり、まっ正直な願望を突きつけております。

 

さて、ここから概要になります。栗原康氏は、自分の身の回りで起こった東日本大震災での体験、被災後に自分を受け入れてくれた友人とその実家での助け合い、企業勤めで疲弊した友人がリフレッシュで誘ってくれた川下りといた体験を入口に、古今の先達の文章を引用しては、「人の迷惑なんて、気にするな!好きなことをやって、生きるのがいちばんだ!」と主張。その自己中心っぷりは、呆れるのを通り越して、爽快さを読者に連れてくる。いっそ、清々しい。欲望をここまで躊躇なく、言い切る気持ちよさを味えるなら、本書の価格1800円ほどは惜しくないかもしれません。

 

関心してしまったのは、「豚の足でもなめやがれ」の章のところ。著者が非常勤で通っている山形の東北芸術工科大学で受け持つ授業と合わせて、この大学で著者は就活に関する講義も頼まれます。大学の職員から、好きなことをやって、生きていくことを体現していると学生に示して欲しい、という依頼。それは、厳しい芸術の道で食べていく力強さを学生が養うには、 ロールモデルとして、著者のような生き方も必要なのでは?と不思議と納得してしまいました。というか、芸術家として生きるには、著者以上の図太さがないとやっていけないんでしょうね。

 

何かとしがらみが多く、世知辛い現代日本を生き抜くには、日々の疲れに喘ぐ人々が心の健康を保つため、著者のような型破りな主張をする人も需要はあると思います。こういった観点から、研究者というより、文筆家と芸能人として、栗原康氏は生きていけばいいのではないでしょうか。理由はこちら↓

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本書の著者略歴のある著者近影。なるほど、本書のオンライン書評にあるように、「イケメン」な顔で、こちらの別の著書を紹介するオンライン記事の写真、および本書内にあるひょろっとした体形を表す描写から、身体はスレンダーだということが分かります。このように、今どき流行りの抜群のルックスを持っている著者だが、恋愛はできても、結婚までたどり着くのは今のところ、難しいようです。

 

ここから、本記事の本題である著者の恋愛と「婚活」、そして婚約から破談までを見ていきたいと思います。

 

 

2.栗原康の出会いと恋愛~「豚小屋に火を放て」の章より~

 2-1.出会いと交際開始

著者・栗原康氏が出会いを得るのは、基本的には合コンのようです。ある日、友人が設定した東京でのコンパにて、2011年2月、著者は同郷の女性と出会った。すぐに仲良くなった2人は、デートの約束をします。映画を見るという、ベタなデートを。

 

 

本章の冒頭を読んでいて、文系研究者なのに、合コンあるの…?と疑問がわきました。すみません、私の周辺の文系院生は男女関係なく、殆ど合コンと縁がなかった為、非常に驚いております。ただし、先述の尾頭お姉さん方の理系のほうでは、理系・文系のオーバードクター同士で合コンをセッティングし、医学・保健学系の女子博士生とインド哲学専門のポスドク男性たちで盛り上がった、という話は聞きました。著者と同郷の女性のように、カップル成立までいったのか?詳細は聞けませんでしたが、女性陣と男性陣の掛け合いで、話は盛り上がったようです。

 

先に書いておくと、「恋愛する相手が欲しい」、「生涯を支え合う人生の伴侶が欲しい」といった院生が出会いの場を求めるのなら、本書の著者のように、合コンでも何でもいいので、積極的に動いたほうがいいと思います。例えば、「同じ年代の人で信頼できる人がいたら、紹介してください」と宣言したリアル尾頭ヒロミ姉さんには、偉い先生からお見合いの話が来たこともあったようです。

できるなら、学外や職場の外の人と付き合ったほうが、ベターです。実際、研究室にこもりがちな院生は、学内、広くて学会関係に出会いを求める傾向があるようです*3交際相手との関係が悪い方向に拗れると、マイナスの影響が周囲の人間関係にも影響することがあります。研究室内で修羅場が発生すると、メンバー同士の信頼関係が壊れ、研究室全体のプロジェクトがとん挫する!なんて事態も、私の周辺では現実にありました。

 

栗原氏のほうに話を戻しましょう。デートのすぐ後、関東を東日本大震災が直撃。友人・知人と生死を確かめたくても、連絡がつかない!かの女性とは地元にいたこともあり、つながった。著者からの電話で緊張のほどけたという女性は、翌日、東武動物公園の駅に著者を呼び、紙袋を渡した。中を見ると、カメの形をしたメロンパンだった。震災の中、食べるものがないのに、女性はこの「カメロンパン」焼いてきてくれたのでした。その素朴さに惚れてしまった著者(カメロンパンが表紙に載るほどだった?)。一旦、避難先の愛知に逃げた彼は地元に帰還後、正式にこの女性と付き合いだします。

 

 

 2-2.「主夫宣言」と不安の多い交際

当時32歳の栗原氏に、この女性は次のように言ったそうです。

 ・結婚を前提に付き合いたい。

 ・自分はもう30歳だから、子どもうむことを考えたい。

彼女の申し出に対し、著者は素直にこう書いている。

わたしは子どものことなんて考えたこともなかったが、とりあえずそうしましょうと答えた。

彼女のほうからしたら、体力面で妊娠・出産が気になる頃でしょう。小学校の保健教員をしている女性としては、学校業務に差しさわりのないよう、産休をとらないといけないでしょう。そのあたりの職場に対する懸念は、昨今、新聞各社(のオンライン版)でも取り上げられる会社員の産休のタイミング、産休に入った社員の穴をどうやって補って業務を回していくか、とった経営体制の変更に伴うところにも、関わってくると思います。以上、既婚女性の一般企業に勤め、出産した同級生から聞いたお話です。

 

さて、栗原氏は当時、次のような経済状態でした。

 ・ほとんど収入なし、大学院を出た後の非常勤講師の仕事は半期で週一回。

 ・大学院時代の借金は600万円以上(おそらく先述の学資ローン)。

就職活動に関しては、「1-1.著者の経歴と経済状況」にあるように、博士課程は満期退学(博士課程に必要な授業単位は取得済みで、在籍年数を越した人がなる状態)となっていて、博士号がない。現在の大学教員への就職条件として、政治学を含む文系学部・大学院では、最低限の切符として、博士号がいる状況。当時の著者では、「収入一千万円」以上の大学の専任講師なんて「なれるみこみなんてどこにも」なかった(そして、当時から博士学位を持っていても、実力とコネに加えて、それ以上に運がなければ、就職できなかった)。

 

打算的な部分がはたらいたらしい栗原氏は、どこまでも正直。そして、相手の女性が、世間では安定した職業だと見なされるものだったことが、その女性個人の現実的な結婚に対する考え方を早い段階できちんと聞いておく、という行動を著者にとらせなかったのかもしれない。

だからそんな人間が結婚だとか、子どもだとかを考えるのであれば、相手はよほどの金持ちか、公務員くらいだろうとおもっていた。さいわい、かの女は公務員だし、扶養に入れてもらえば、いまの収入でもなんとかやっていける。子どもがうまれたらうまれたで、わたしが子育てをすることもできるし、両親のたすけをかりれば、いまの仕事くらいはつづけていけるだろう、そんなはなしをすると、かの女もそうしましょうとこたえた。しかし、かの女からすれば、この時点でそんな生活はいやだったのかもしれない。 

上記引用部分の真ん中は、著者による結婚の「主夫宣言」ですね。しかも、私の周りの大学の男性教員に関して言えば、現実的な選択だと思われます。 

私がお世話になった先生方には、少なからず、「兼業主夫」のフリーター男性研究者がいました。奥さんたちの扶養に入り、ポスドクや非常勤講師、塾講師をしながら、子育てしていた先生も、ちらちら、構内で見かけます。

年齢の話をすると、文系大学院の基本的な最短3年で博士課程を終えて博士号を取ると、現役生で27~28歳になっています。女性にしてみたら、妊娠・出産が気にかかる年頃で、実際、学部卒の就職組の出産ラッシュはこの年齢でした。院生の親御さんによっては「うちの息子や娘、ずっと大学院で研究ばかりしていたけれど、結婚できるのかしら?」と気が気じゃないほど、子は歳を食っているわけです。という感じで、カップルによっては片方、もしくは両方が院生の時に入籍してしまうケースがあります。私のいた大学院の偉い先生方も男女問わず、学生結婚の先生がいて、「子連れでアメリカに留学しました」というママさん教授には、敬服。

 

ちなみに、在野研究者の評伝『これからのエリック・ホッファーのために』(荒木優太、東京書籍、2016年)に出て来る男性には、妻に食べさせてもらっていた野村隈畔(哲学)、原田大六(考古学)の2人がいます。特に、たまたま同姓だった女性教員の原田イトノと結婚し、妻に食わせてもらっていた原田大六は、妻の理解があった上、本人の死後にイトノが退職金で夫の発掘した遺跡の報告書を自費出版していたところを鑑みると、実質、妻は原田の協力者だったのかもしれない。

 

そういうわけで、栗原氏の主夫戦略は現実的だとは言えますが、雲行きは怪しくなっていった。よくある話で、相手の女性の家族に「定職についてないやつなんて男じゃない」と反対された、彼女が呟く。さらに女性の同僚との飲み会では「30歳をこえて夢追い人みたいなことはやめましょうよ。現実を見つめてください」と言われた。

当然と言えば、当然ですね。これは、女性研究者も一緒です。昨今は、定職に就いていない女性は、結婚相手として対象外にしている男性や家もあるらしいです。

 

そんなこんなで、周りに彼氏を否定された女性は、さぞや不安になったでしょう。ここで、著者が堂々と俺は研究で生きていくんだ!と言っていたら、交際相手も少しは不安感が和らいだんでしょう。けれど、本人曰く「わたしは本がよみたい、本をかきたいと答えた」とのこと。そして、ヘラヘラと笑ってみせたという…。

 

失礼ながら、「不安にさせちゃ、だめじゃん!この著者」と思いました。性別関係なく、人によっては、どっしりと交際相手には構えてもらうことで自分が安心できる人もいるでしょう。おそらく、この小学校教員の彼女もそういう面はあったんじゃないかと思いますが、肝心のところでヘラヘラしてしまった。これじゃ、彼女も不安、その同僚も更に不安になると思います。

 

 

今度は、彼女が著者の友人たちに会うことがあった。交際数か月して、北海道旅行に出かけた2人は、札幌である集会に参加し、そこに合流して飲むこととなった。これが、マズかった。集会では、罵声を聞いて女性が不安になる。その後の飲み会では、著者の友人の一人(元小学校教員)のNさんが、

 ・はやく著者を扶養に入れなさい。

 ・著者のような男は、やる、やると言っても口だけで好きなことしかやる気がない。

 ・子どもができても、著者は働かない。

栗原氏もさすがに「まずい」と言うが、「でも、さすがによくわかっている」とも。だめだ、著者と友人たち、彼女の望む一般的な人間の感覚が分かっていない。研究者という「ヘンテコな人」というより、仕事をしないで政治集会に参加している「ヤバい人」として、彼はこの女性に認定されてしまったのではなかろうか?

 

――こんな彼氏と付き合っていて、本当に大丈夫なのだろうか。——

 

彼女の心の声が聞こえてきそうです。「ほんとうにはたらく気がないの」と聞かれたっ著者は、「もうすこし収入をあげたい」と答えたのでした。

 

以降、栗原氏は結婚に向けて、自分なりに努力を始めたのでした。

 

(*前編終わり。後編へつづく)

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