仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

【'18.6.20_1330更新】三国志とアッティラを思うこの頃に~「モンゴルの岩壁に2千年前の銘文 「後漢書」と同じ内容」(朝日新聞)~

<中国の歴史に関するニュース>

  • 1.『三国志』とも繋がる?!後漢王朝と匈奴に関する発見
  • 2.「モンゴルの岩壁に2千年前の銘文 「後漢書」と同じ内容」(朝日新聞デジタル)を読む('18.6.20_1330更新)
    •  2-1.銘文はどこで見つかったのか?
    •  2-2.岩壁の碑文の内容について( '18.6.20_1330更新)
    •  2-3.その後の匈奴はどうなったのか?~フン族との関連~
  • 3.最後に

1.『三国志』とも繋がる?!後漢王朝と匈奴に関する発見

昨年末、WEBニュースを読んでいて、東洋学やっていた人間としては、おおっ!と感じたニュースがあったので、年明けとなりましたが、ご紹介したいと思います:

digital.asahi.com

見つかったのは、現在のモンゴル国の岩壁にある2000年前(!)の銘文。中国の歴代王朝によるオフィシャルな歴史書二十五史(数え方には、諸説あり)のひとつ『後漢書』の記述と一致する内容があったといいます。霊帝献帝といえば、小説『三国志演義』の読者やファンの方には、聞き覚えのある皇帝だと思いますが、この両皇帝が生きたのが後漢王朝の末期は、三国時代に突入する前の乱世が徐々に始まる時期に当たります。

 

実は、私が書いた卒論にも『後漢書』を引用したことがありました。それは、上層階級に関する文化的な記述の部分でした。詳しい内容は、当時の後漢の人たちからすれば、異民族に当たる「胡」という遊牧や騎馬の習慣を持つ人々の集団の人たちの服装や、仕草を上層階級の人たちが真似ている、というものでした(うろ覚え)。この「胡」とは、紀元前2世紀後半ごろ、前漢王朝で司馬遷が仕えていた武帝が将軍を派遣して戦い、前漢将軍の一人・李陵を捕まえてしまった匈奴も含まれていると思われます。邪推する私は、当時の後漢の人たちにとっての「胡」といえば、主に匈奴をに指していたのではいか、と。

 

ニュースに話を戻しますと、私が卒論で扱った内容の一つに関する『後漢書』の内容と、後漢王朝と匈奴の関係について、2017年内に新たな銘文の発見がモンゴルであったということです。これは、弊ブログでも取り上げたいと思い、本記事でご紹介することに致しました。

f:id:nakami_midsuki:20180104000458j:plain

(イメージ画像:今回の朝日新聞デジタルのニュース記事とは関係ありません)

続きを読む

2018年の新年ご挨拶

気がついたら、2018年が既にやって来ておりました。戌年!ということで、我が研究室の看板犬こと、「博柴」(はくしば)さんに、新年のご挨拶をお願いしました。

 

f:id:nakami_midsuki:20180101151805p:plain

 

2016年6月の開設より、引き続き、精進して参りたいと思っております。

 

弊ブログ群のこと、宜しくお願い申し上げます。

 

 

2018年元旦

 仲見満月(なかみ・みづき)

 

【ニュース】「電車で大学入試について話していたら見知らぬ人から手紙を貰った青年 → その内容に…」(ロケットニュース24)

<本記事の内容>

  • 1.はじめに 
  • 2.「電車で大学入試について話していたら見知らぬ人から手紙を貰った青年 → その内容に「一生このことを忘れない」と大感動!」(ロケットニュース24)のニュース
  • 3.最後に

1.はじめに 

周囲の人たちの仕事納めが続く、今日この頃。私は年賀状を書いておりました。年末に何か、ほっとするような、大学関係のニュースがないかと思い、今回はイギリスで起こった、大学入試に関する個人的に「ホッとした」出来事をお伝えしようと思います:

rocketnews24.com

 

f:id:nakami_midsuki:20171228185256j:plain

続きを読む
↓いいね!だったら、ポチッとお願いします。

にほんブログ村 大学生日記ブログ 博士課程大学院生へ
にほんブログ村