ゼミ生は #Metoo としてもいい「ハラスメント」とその背景~「結婚相手探しを卒論指導条件に 弘前大教員、学生へ文書」(北海道新聞ほか)~
<今回の内容>
- 1.はじめに
- 2.弘前大学で発覚し元男性教員によるゼミ生へのハラスメント案件
- 3.男性教員が卒論指導の条件を提示した動機に関して~問題の背景~
- 4.最後に
1.はじめに
もっと、「異なる言い聞かせ方があったのではないんでしょうか?」。そう、私が言いたくなるニュースを本日、Twitterで見かけました:
より詳しいニュース記事は、河北新報にも挙がってました:
今の時期、卒論や修論のことで頭がいっぱい!真摯で必死に執筆している学生たちにとって、将来を左右するのに加えて、それ以上にショックなニュースだと感じました。また、河北新報を読むと、問題の男性教員が女子学生に対して、セクハラともとれる行動に出ていたことも伺えました。その行動は、昨今、セクシュアル・ハラスメントを中心に、告発が相次いでいる"Metoo"に繋がるもので、"Ustoo"と表現できるものではないかと感じ、今回、取り上げることに致しました。
今月は、国立大の非正規教職員をめぐるニュースをまとめようとしていました。が、上記の事情により、今回は様々なハラスメントの要素を抱えている弘前大学の元人文社会科学部の元男性教員が起こした問題について、取り上げさせて頂きます。
続きを読む
学会発表や論文執筆は8割の力で!残り2割は「アフターケア」に回そう~年末、特に研究活動に取り組む方へ~
更新が滞ってしまい、申し訳ございませんでした。前倒しで、年明けの新刊同人誌の準備や、院生時代の講座関係・学会等の忘年会、年賀状の執筆・投函などで、忙しく、科集中を引き起こし、22日あたりから本日まで、体調を崩しておりました。
集まりや買い物で、街に出かけると、クリスマス、それから来年のお正月を迎える準備、それ関連のPOPカードや看板が出ていて、いまいち、それに乗り切れていない、自分の存在に気がつきました。正直なところ、私自身、それらの派生イベント+来年の各同人イベントの準備のほうに力を入れすぎて、「休みたいけど、休みたくない」状況になっておりました。要は、自分で自分のコントロールが出来なくなっていたんです。
振り返ってみると、そういった状況は院生時代からありました。各学会での発表から、修論、博論の執筆と提出まで、「隠れ発達障害」の過集中的な傾向が出てしまっていたと思います。小心者で、常に不安だった私は、とにかく手を動かし続けることで、安心しようとしていたところがありました。開始早々、9割程度の力で走り出し、次第に疲れていきつつ、途中、休みをはさみつつも、2週間~1ヶ月くらいかけて、ほぼ85~90%の力を、頭と身体を使って、最優先すべき研究活動に注いでいたのでしょう。
そんなことをしていたら、入れてる力はともかく、精神的には摩耗していくことになり、身体は動いていものの、スライドや論文原稿に誤字・脱字が増えていったり、挿入する画像の順序を間違えたり、当然、ミスが増えていきます。酷い時では、研究室のPCに頭をぶつけて、深夜に目覚めたら、ずっとアルファベットの「b」が打ち込まれ続けていた!なんてこともありました。
最近も、こういった「ほぼ9割の力で何にでも取り組む」うち、過集中状態が長引き、食事や入浴、睡眠、それから服薬について、規則正しいリズムで行えなくなっていたのです。その結果、身体の調子を悪くして、神経の鈍痛が増していました。それは、手の指先まで来て、PCでのタイピングにも影響したほどです。
反省点として、気が付いたことは、できたら8割の力で取り組み、余力の2割で「アフターケア」をしよう、ということでした。
時期的には、明日25日がクリスマスであり、その日の夕方には、クリスマス商品が20パーセント引き以上で売られるようになるのかもしれません。
同じように、学会発表の準備から当日のプレゼン、論文執筆から提出までは、80%の力で駆け抜け、20%程度は余力を残しておいた方が、まず、その人の健康にはよいと主ピ増した。加えて、「アフターケア」として、例えば、道具の後片付けや、学会発表で受けた質疑応答への受け答え、および論文提出先の担当者とのメールでの連絡やり取りを性格にこなすため、最低2割の力は残しておくと、スムーズにいきやすくなるのでは、ないでしょうか。
この「アフターケア」に関して、今夏に学術論文を書いて提出し、秋にアセプト決定後に修正作業をするにあたって、特に、実感したことがありました。それは、提出後に余力を残しておいたほうが、提出後に学会の担当事務局から確認連絡が来るまでの間、心身を休めるにしても、疲労からの回復が早くなる可能性が考えられます。疲労から回復が早くなることで、使える力も余力20%+何割ということになり、担当者との連絡のやり取りも、正確かつスピーディーになるメリットがあるのではないでしょうか。
余力を残すことは、疲労によって体調を作業途中、あるいは作業後に崩し、その後の研究活動がストップするという、健康面でも重要だと思われます。特に、この年末年始をはさんで、年明けの学会発表や、学位論文の提出を控え、準備や執筆・仕上げに取り組む予定の方にとっては、健康面で不調をきたさないためにも、8割ぐらいの出力がいいかと思われます。
寒暖差の激しい昨今、また先月から本格的にインフルエンザの流行が始まっているようです。特に、年末年始にスライド準備や論文執筆の予定を入れている方は、心身の出力と疲労回復について、十分にご注意の上、すすめて行ってください。目安は、出力80%、余力20パーセントです。
おしまい。
学術書や学位論文などの「あとがき」や「謝辞」から分かること(’18.2.22、02:54追記)
<今回の内容>
- 1.はじめに
- 2.「あとがき」や「謝辞」から分かること
- 2-1.著者である研究者の「人間性」が垣間見える
- 2-2.分野ごとの研究者の歩んできたキャリア情報が読み取れる
- 3.最後に
- 4.(’18.2.22_0254追記)エンタメ的論文の読み方の本
1.はじめに
先週末、Twitterを眺めていると、研究者の方々の間で、新書に謝辞があるものは信頼してもよい、とか、入門書だからこそ、註釈の付け方を学部生が学ぶためにつけてほしい、といった議論がありました。前者の話に関しては、本を出すのにお世話になった編集者や、校正を担当した院生へのお礼を述べることは、著者がその著作に責任を負っている証左になり、一定の信用を置いてよい基準になる、といった見方をしている方が、ツイートなさっておられました。私も、おおむね、それぞれの要望や見方には、賛成しています。
また、わざわざ、「謝辞」という項目を設けなくても、「あとがき」の中に、お世話になったお礼の言葉を入れておられる方は多いです。商業出版だけでなく、卒論から博論まで、謝辞を入れられる方は、多いようです。そこで、本記事では研究者の著作の「あとがき」や「謝辞」から、何が分かるのか?私の独断と偏見のもと、少しまとめてみようと思います。
続きを読む