仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

理系女性の人生カタログ~内田麻理香『理系なお姉さんは苦手ですか?』後編①:学校教員ほか~

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上の前編から引き続いて、後編①の本記事では、SF好きが高じて学校教員をしつつ、SF書評ライターとして連載を持ち、さらに科学を楽しむカフェの運営まで携わるといった、アクティブな活動をしている理系女性を紹介したいと思います。

 

3.#07教育とSFと理系男子へのやまない愛:軽部鈴子(仮名)さん

 3-1.軽部鈴子さんの略歴

神奈川県横浜市出身。自由な校風の県立横浜緑が丘高に通い、SFに浸る生活を送りながら、マルチなことをやってのける芸風を身につける。一浪して、東京理科大学理工学部に入学し、教職課程を履修しつつ(この大学、夏目漱石『坊ちゃん』の主人公が通っていた学校のモデルだったらしい)、応用生物科学を専攻する。大学卒業後、就職氷河期に直面。教員採用試験を受験するも二回落ちた後、そのときに講師をしていた学校でそのまま採用される。学校外では、SFを通じたイベントを介して専門誌で書評ライターをし、一方、現役の「ハカセ」を招く「カフェサイファイティーク」の運営にも関わる。三足、四足の「わらじ」を履く傍らで育児をもこなす、多忙な先生。 

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 3-2. SF好きな軽部さんの今と10代

現在、中高一貫校の高校のほうで生物を教えている軽部鈴子さん。スケジュールを見せてもらった著者は、3時起床という時間に驚きます。どうやら、娘さんを寝かしつける時に軽部さん自身も寝てしまい、早起きしてから長い電車通勤の途中に仕事を片付けるという、お子さんに合わせた生活リズムをとった結果のようです。


そもそも、軽部さんが理系を選んだのは、SFが好きだったからでした。小学生時代に萩尾望都諸星大二郎のSF作品を読み、ドラマの『時をかける少女』の続編小説が人気だった時で、自然とSFに触れる機会が多かったようです。その後、中学・高校は、理科と国語が好きという状態がずっと続く…。ちなみに、この記事を書いている私は、中学までは理科が好きだった(特に天文学系)ものの、高校に入って生物や物理、化学に分かれてから(地学は選択肢になかった)嫌いになってしまいました。軽部さんを羨ましいと思います。

 

さて、軽部さんが高校で図書委員をしていた時、卒業生で童話作家の工学系出身者・佐藤さとるが講演会でやってきます。佐藤さとるは、自分の書いているシリーズのコロボックルについて、その理系的な考えに立ち、話をします。曰く、代謝が低いはずのコロボックルは食べ続けないといけないから、コロボックルのように小さな人間はいるわけがない!と。この非常にロジカルな考えはシリーズのファンタジーとは馴染まないはずなのに、軽部さんは佐藤さとるの考えを面白いと思い、理系に進むしかないと考えました。

 

このファンタジーという幻想の世界と、理論に立脚した科学的なSFのどちらをも受け入れ、共存させるというのは、人によって、かなり難しいと思われます。無意識の中の感覚的な部分を以って、作品を楽しむ素養があるか、ないか。詰まるところ、合うか、合わないかの問題になってくるので、受け入れられない人は受け入れられないのでしょう。理科分野の話で言うと、本書でインタビューを受けた理系女性には、前編の加藤牧菜さんのように、物理の熱量の計算や力学の問題文にある「ただし、〇〇は考えないものとする」という、仮定を前提する部分に対し、気持ち悪いと感じてしまい、生物学系に進んだとという人もいました。このファンタジーとSFのどちらも楽しめるという感覚は、仮定を前提とする物理学も、実態のある生き物を観察できる生物学のどちらも、許容できるという感覚と同様なのではないでしょうか。

 

 3-3.SF研での活動と微生物を相手にした大学時代

SF好きで、ファンタジーと科学的な理屈との両方を受け入れることのできた軽部さん。進学先は、SF研究会のある大学に入ろうと決意し、SF研の有無を高校時代から調べました。そして、合格した中で最も偏差値の高い、東京理科大学理工学部に入学し、応用生物科学を専攻して、微生物を扱うことになります。

 

希望どおり、SF研に入った彼女を待っていたのは、部室がなく、いつも学食の一角に陣取っての活動でした。一応、大学前の書店は、SF研の卒業生の作家・大場惑の作品がPOPで宣伝されていたようですが、本を読まない理系の大学生からすると、SF研は異質な存在だった模様。ちなみに、前に本ブログで取り上げた大学のミステリー研究会のような文芸系サークル、漫画やアニメ、映画などを扱うメディア系サークル、ゼミに近い活動を行う学術系のサークルには、部室は確保できているものの、メンバー数が100人近いところもあるため、定例会では学内の教室を借りて行うところもあります。私が学部生の頃にいたメディア系サークルは、部室はあるけれどメンバー多くて教室を借りて定例会で活動し、院生時代に出入りしていた「げん〇けん」のようなサークルは、軽部さんのSF研と同じく、食堂や談話室に陣取って定例会をしていました。

 

サークル活動の一方で、軽部さんは教職課程を取っていた上、東京理科大学はカリキュラムがしっかり組まれていたため、真面目に勉強しないと留年する危険があったそうです。さらに、研究室に配属されて「バチルス属細菌のアミノ酸生産能力について」というテーマを扱います。何だか、食べ物に関係したテーマのようですが、つまり発酵系。「十何時間培養して移して…」という菌に合わせた生活で、まとまった空き時間にはカラオケに行くといったリズムで、今の育児に応用できているんだとか。あと、生物系な上に発酵系のためか女子が多く、みんな集まってよく飲んでいたそうで、まさに『もやしもん』の世界そのままだったそうです。

 

個人的な話で恐縮ですが、私の親類にも生物系や医学系出身の人がおりまして、彼らに聞いたところ、菌の培養や実験結果を待っている間に、夕食の買い物やバイトに行っていたそうです。やはり、こういった分野の人たちは、菌に合わせた生活になるようです。

 

 

SF研も、教職免許も、普段の授業とその予習・復習もすると、彼女の学生生活は、非常に多忙だったではないかと、心配になってきました。私自身、勉強や研究に加え、教職を学部時代に取っていて、サークルもバイトもしており、3年次にオーバーワークで潰れました。文系学部にいて、カリキュラムの自由度が高く、どれにも力を入れようと欲張った結果です。一方、理系学部や文系学部の理系に近い専攻は、実験や調査のスケジュールに則ってカリキュラムが組まれていることがあり、私のいた文系学部とは違った意味で、多忙になりやすいと思われます。必修の実習や実験の授業でガチガチに固まった時間割の少ない隙間に、軽部さんが教職の授業やSF研の予定を詰めていったとすると、彼女は時間のやり繰りやメリハリのあるスケジュールを組める能力のあった人、またはその力を高められた人なのかもしれません。

 

 3-4.女子校で教員をするということ

大学卒業後、ちょうど軽部さんは就職氷河期にぶつかってしまいました。講師として理科を教えながら、教員採用試験に挑戦します。しかし、就職を得るのは難しく、教員採用試験の一次には受かるけど、二次には落ちるということが2回。そのとき、講師先の学校に採用され、現在は女子校に勤務されています。今の職場を選んだのには理由があるようで、大学に入った時から女子教育のほうに何となく、意識が向いていたそうです。その意識は、自分自身が何者なのか、という哲学的な問いでもあり、生物に興味をっていたこととも通じていると彼女は分析します。

 

女子校で理科を教える形で、科学に携わっているというのは、やりがいがある仕事とのこと。女子校の生徒にとっては、女性の教員は身近なロールモデル、つまり、自分の将来像として影響を持ちうる存在といえるでしょう。もし、女性の先生全員が必ず結婚や出産で退職してしまったら、生徒たちは、女性の生き方にそういった画一的なビジョンしか見出せなくなってしまいます。生徒にとって、身近な存在である教員の生き方に多様性があれば、それだけ、生徒達には見える進路の選択肢が幅広くなるとと言えます。そのようなわけで、女子校で軽部さんが理科を教えつつ、他にも複数の仕事を並行して続ける姿は、女子生徒たちの将来のビジョンを広げるきっかけになるんじゃないでしょうか。

 

 

また、女子校での科学に対する興味について、著者の内田氏が質問をすると、軽部さんは「特に数学や理科は自分では理解できないだろうと頭から決めつけてしまう」という傾向があるそうです。そういった苦手意識のある生徒に理科を教える際、軽部さんは、まず「オタク的な話題」を出すことで、食いついてくる一定数の生徒を作ります。苦手意識を持つ生徒がいる一方で、「理系っぽい」女子というのも一定数おり、しかもかなり能力の高い子もいるそうで、軽部さんによると、「非科学的」ながら「「理系」というくくりは、ある気がします」とのこと。

そして、理科に苦手意識を持っている人の中にも、理系な人はいると指摘しています。それは、文系として卒業しても、システムエンジニアになって才能が開花する人のことであり、こういった人は「女子文化」に違和感を覚えることがあるので、自分がそうであるなら、理系であることを疑ってみてもよい、と軽部さんは言います。

 

軽部さんの言う、理系に苦手意識を持っている人の中にも、理系な人はいる、という指摘は、本記事の「3-2. SF好きな軽部さんの今と10代」の終わりで私が指摘したことと通じているのではないかと思います。例えば理系分野でも、物理学のような仮定(や抽象的なこと)を対象とする分野が苦手でも、生物学のよう実際に観察や接触が可能な(具体的な存在である)生き物を相手にする分野においてなら、タイミングによって、頭角を現す人もいるということです。

 

うまく言葉で表現することができませんが、文系分野でも似たようなことはあると思われます。例えば、物理学に相当するものとして、文系だと、抽象的な事象を対象とする哲学や美学、および目に見えない事象を文字に置き換えるような言語学。生物学に相当するものとしては、文系では、具体的な事象を対象とする法律学歴史学民俗学文化人類学、地理学等の分野が相当するではないかと、私は考えています。

 

このように区分するのには理由があります。数学の人と哲学の人がお互いの学問分野について話をすると、非常に話が通じると聞いたのです。同じように、植物学や動物学等の人たちと歴史学文化人類学の人が話をすると、やはり話が通じるところがあるのです。共通の話題があるのか、それとも学問的な感覚が合うのか。原因はよくわかりません。しかし、私には学問を区分しようとした場合、理系と文系の区分のほかに、理系と文系を横断する大きな区分線が前者とは別に存在しているように思われるのです。

もし、将来の進路に悩んだら、理系と文系の区分線とは別の、上に示した理系と文系を横断する大きな区分線を引いてみて、自分の向き・不向きな分野を判断してみるのもありでしょう。

 

 3-5.SF書評ライターとして

 いくつもの顔を持つ軽部さんは、1時間半の通勤時間を使って別のお仕事をなさっています。それが、SFの書評ライター。SF研での活動でイベントにスタッフとして関っているうちに、少しずつ、軽部さんに書評の依頼が来るようになりました。先輩の伝手、SF研時代の会報誌で執筆した経験をしていたこともあり、前編の時の加藤さんもそうでしたが、やはり、人脈は仕事に繋がります。

 

具体的に軽部さんが担当しているのは、SFマガジン早川書房)の連載で、ライトノベルのSF書評。90年代は「SF冬の時代」だったそうで、見た目にSFと分かる本が減っていき、書評をする本を集めるのに苦労したと言います。とにかく、SF作家とは自ら名乗らない、けれどサイエンスっぽい本を探しては読み、何とか記事を書いていたそうです。その後、2000年代に『涼宮ハルヒシリーズ』(角川書店)がヒットしたことで、SFが回復していく流れになっていった、と軽部さんは見ています。あとが続くように『とある科学の超電磁砲』(アスキー・メディアワークス)といったSF作品が増えてきて、ついに本選びに困らないところまでに来ました。SFは復権したといっても、よいと私は思いました。

 

 

ふと、「SF冬の時代」、書評する本に困り、他ジャンルの本からSF要素を見つけてライターをしていたエピソードを読んでいて、私が思い出したことがあります。それは、この軽部さんの行動が「ジュブナイル」という小説のジャンルが形成された経緯と似ている点です。「

ジュブナイル」とは「少年期」という意味をもつ単語であり、現在の日本では、主に(青)少年期の読者を対象とした小説の一ジャンルを指します。きっかけは、アメリカで1920年代に始まった、当時はあまりに少なかった中高生の年代向けの読み物を提供するための「ヤングアダルト(YA)・サービス」であした。とにかく、青年期の読者向けの書籍を司書が探し、作成した書籍選定リストには、成人向けだけど何とかティーン・エイジャーが読めそうだと判断されたSF作品も含まれていたのです。この部分が、軽部さんが書評本を探す経緯と似ている、という印象を持ちました。

その後、このYA・サービスを日本図書館協会が引き継ぎ、また日本において後にライトノベルと呼ばれるSFを含む『角川スニーカー文庫』等の小説レーベルがYA書籍だと認識された事情と相まった結果、SF的要素を含む「ジュブナイル」がジャンルとして成立します。

(参考:大橋 崇行『ライトノベルから見た少女/少年小説史 現代日本の物語文化を見直すために』第2章の「ジュブナイル」、笠間書院、2014年:レビュー記事はこちら

 

 小説ジャンル成立の歴史から見れば、軽部さんの上のような行動は、小説にSF的な新しいジャンルを生むことになるのかもしれません。

 

 3-6.理系ハカセとの交流を楽しむカフェ「カフェサイファイティーク」

学校教員、SF書評ライターに加えて、軽部さんが取り組んでいるのは、「カフェサイファイティーク」(カフェサイ)の活動です。白衣にメガネ姿の理系ハカセとの会話を楽しむこのイベントカフェでは、何と世界征服を目指しているとか。軽部さんによると「理系男性を愛でる会です」とのこと。喋るのが苦手な理系男性のハカセには、人間が演じる「メイドロボ」がサポートし、この理系男性が話す理系話を聞くというのがコンセプトであり、ハカセと近距離で話せたり、遠くから双眼鏡で眺めて楽しんだりと、選ぶ席の種類によって料金体系も異なるそうです。理系女性もやって来て、専門の話をしたり、愚痴をこぼしたり、それぞれの楽しみ方をするそうです。

 

著者が指摘するように、カフェサイは理系男性の魅力を引き出す活動だと思います。また、話し手のハカセと聞き手の距離を上手にコントロールする仕組みもあるので、両者が楽しくコミュニケーションできる場だと感じました。私も、機会があれば、参加してみたいと思います。

 

 

 3-7.インタビューのまとめ

最後に質問「理系女性のイメージとは?」への軽部さんの答えは次の2点でした。

 ・仲間を見つけると、結束すること。

 ・マイペースであり、世間の基準とは異なるマイものさしを持っていること。

そして、SFが彼女に教えたことは、「1つ飛躍したところの科学」と実際の科学の違いを楽しむこと。これは、インタビュー冒頭の佐藤さとるの講演会で、ファンタジーと科学に基づくSFを同時に受け入れられるという点に通じていると思います。

 

学校教員の仕事にSF書評ライター、さらにカフェサイの運営まで、忙しすぎる軽部さん、さすがに自覚はあるようです。こうした活動を支えているのは、育児をベースにした生活リズムを前提に予定を組みやすくし、さらに周囲に活動を報告することでサポートを受けられているという点も大きいようです。

  

 3-8.最後に

今回は、前回の加藤さん以上に、たくさんの「わらじ」を履き、充実した毎日を送っている学校教員・軽部鈴子さんを取り上げました。インタビューを読み、私なりにかみ砕き、途中に新たな情報を載せて検討したところ、いつも長いブログ記事が更にながくなってしまいました。申し訳ございません。

前編の加藤さんが理系と文系の境界に立つことを目指し、それを実践していたのに対し、今回の軽部さんは異なる「わらじ」を履いてはいても、その「わらじ」はすべて理系、あるいは科学という範囲におさまっているというイメージを抱きました。しかし、それぞれのあり方は軽部さんの中では種類の違うものの、受け入れて、共存させることができています。その共存させられるところが、軽部さんの強みなのかもしれません(佐藤さとるが、ファンタジーを書きつつも、科学的な考え方でコロボックルについて語るのと同じように)。

 

(*後編①、終わり。後編②に続く)

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