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仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』メットガラ準備編 ~学術と芸術と商業と~

<メットガラ準備編の内容>

4.前回の人物編および2015年メットガラ「鏡の中の中国」について

 本記事は、次のドキュメンタリー映画『メットガラ』人物篇の記事の続編です:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

「メットガラ」とは、ニューヨークのメトロポリタン美術館(以下、メット)の服飾部門が毎年5月の第1月曜日、セレブやファッションブランドの関係者等を招待して、運営費を集める目的のチャリティーのパーティーを含む大型イベント(”ガラ”)を取り上げ、準備期間から当日、後日のスタッフの仕事風景をカメラにおさめております。

 

本作では、2015年5月のメットガラに向け、アジア美術部門との共同企画「東洋と西洋の終わりなき対話」をテーマに、中国の過去から毛沢東時代をファッションで回顧する「鏡の中の中国」展の開催を決定します。前回の人物編では、服飾部門を実質的に引っ張るキュレーターのアンドリュー・ボルトン(以下、ボルトン)、メットガラの主催者であり、米版『ヴォーグ』編集部の部下を従えて招待客のセレクトや席順、テーブルウェアからセレブに出席メールまで送る仕事人・アナ・ウィンター、そして映画を通じて中国を西洋に伝えてきた芸術監督のウォン・カーウァイの3人の仕事を紹介しました。

 

本記事では、3人とスタッフたちの仕事であるメットガラの準備中に起こったことを記述しながら、学術的な知見をおさえた上で、ファッションを芸術として捉え、テーマである「東洋と西洋の終わりなき対話」を中国の衣裳展示を通じて実現しようとした難しさを考えてみようと思います。

 

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(画像:本作フライヤー)

 

 

5. 2015年のメットガラ「鏡の中の中国」での戦い~メットガラ準備編~

 5-1.美術館の地下に追いやられた服飾部門の戦い

本作の序盤で、ボルトンが語るところでは、メットに彼が着任したばかりのころ、前近代の文化財、絵画作品といった、いわゆる美術品をミュージアムに展示すべきである、といった考えの職員が多くいました。当時の時代的な影響か、服飾部門はメットの地下にあります。

 

アナ・ウィンターがこの美術館の理事となり、「アナ・ウィンター コスチュームセンター」を設立し、メットガラに力を入れ、美術館の評判上昇に服飾部門が貢献しようとしているのも、こうしたメット。いや、ミュージアム業界におけるファッションの地位の低さと関係しているように思われます。

 

実際に、今作の「鏡の中の中国」展では、メットガラの出席者にボルトンが挨拶まわりをしていた中で、展示室にいた老紳士が「服飾部門は地下に追いやられてかわいそう」と言うシーンがあります。ボルトンはにこやかに返事をするのですが、それほどまでに、外から見ても服飾部門の扱いはひどいようです。

 

メットガラの後、「鏡の中の中国」展は行列ができるほど、来客が計80万人だったそうです。メットの来客数歴再記録の中でも、第5位になるほどの盛況ぶりでした。その後、ボルトンは服飾部門を統括するキュレーターとなります。果たして、服飾部門の地位がアップしたのか、私はまだ知りません。 

 

 5-2.衣裳の扱いとミュージアム

本作の序盤から終盤まで、衣裳を箱から、また保管してある倉庫で取り出すシーンが複数あります。例えば、メットが何処から借りてきたか不明ですが、放送しにくるまれて大きな箱に入れられて運ばれてきた中国風の服。あるいは、イヴ・サンローラン財団の中国コレクションの数々の服が保管されている衣裳倉庫と思わしき室内空間が出てきました。

 

中国風の服を箱から取り出す時は、フタを取り、包装紙をゆっくり剥がすようして開き、衣裳が見えてきたら、首まわり・両肩・両脇・裾などをスタッフ数人で各々、担当場所を両手でつまみ、息を合わせてゆっくりと持ち上げます。そうやって箱の上に浮かせながら、横の大きな白い台に、衣裳が仰向けになるよう、中国風の衣裳をのせるのです。

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 (画像:セレブが究極のおしゃれを競うアートな夜 メットガラ|WOMAN SMART|NIKKEI STYLE)

 

ボルトンが、イヴ・サンローラン財団にある中国コレクションを見せてもらいに訪れた場所。そこは、大学図書館の書庫の電気式書架のような仕組みの真っ白なクローゼット、そして壁も白い倉庫のような保管室でした。ここに入った時、ボルトンはスーツの上から、薄布で透ける素材のフェイスカバーのようなファスナー付き白衣を着ていました。財団のスタッフも、全員、保管室では透ける薄布の白衣をつけ、空調の管理された室内で、クローゼットを開き、ハンガーにかかったカバー付き衣裳を取り出します。

 

これら貴重とされている衣裳の取り扱いは、ミュージアムの他の美術品や文化財といった収蔵品と変わらないものでした。保管のされ方自体、私が学部時代に学芸員課程の授業で見学したことのある博物館の収蔵庫そのまま、といったものでした。

 

メットガラの映画で映し出された、衣裳の準備に見える扱いは、ファッションをアートや文化の「作品」や「遺産」として、物理的かつ五感で感じられる形で、私に提示してくれたシーンでした。ファッションの地位を上げることを目的としているスタッフの人たちが、熱く語る以上に、「もう、衣裳を含めたファッションは、ミュージアムに管理される価値を持つ存在なのか!」と認識せざるを得なかったです。

 

もし、本作を通じて、ドレスやアクセサリー、スーツなどの服飾品に対して、芸術品や文化財としての意識を持つ人が増えたとします。そうなれば、ミュージアム業界におけるファッションの地位は上昇して、わざわざ、「ファッションの地位をアートや文化遺産にする」と言い続けることはなくなるのかもしれません。

(あるいは、揺り戻しで、ファッションを気軽に楽しめるような方向へ流れが生じる可能性はあり得ます。) 

  

 5-3.共同開催するアジア美術部門の注意と中国側とのやり取り~打ち合わせや取材自体が「東洋と西洋の対話」~

今回の「鏡の中の中国」展は、「東洋と西洋の終わりなき対話」をテーマとしていました。メット内のアジア美術部門との共同開催の形をとる一方、中国人ファッションデザイナーのグオ・ペイの協力をはじめ、中国側のメディアから取材を受けるなど、現在の中国の人々もやり取りをするシーンがありました。興味深かったのは、内外の協力者たちとの話し合い自体が、「東洋と西洋の対話」をとなっていたことです。

 

まず、持ち上がったのが、内部の協力者であるアジア美術部門のスタッフとの意見の数から見える危惧でした。この部門の主任キュレーターのマイク・ハーンは、新たなことにチャレンジしようとするボルトンに対し、アジアの歴史・文化・政治的な背景を知っているからこそ、要所要所で注意をし、見解を述べます。

 

例えば、「鏡の中の中国」展では、あまりにも展示を幻想的な東洋のイメージに合わせ、そちらの要素に振りすぎた演出にしたら、そのイメージだけがひとりあるきをしてしまう恐れがあること。人によっては、この展覧会には、外部の人に植民地時代のことや、人種差別を想起させる可能性があるというのです。

 

別のシーンでは、中国の美術シーンを背景ではなく、対話相手としてほしいと、ハーンが不満をもらします。衣裳や映像に美術品が埋もれてしまうことを危うんだ一言でした。

 

また別の場面では、この展示企画によって、過去の固定された中国のイメージを覆そうと意気込むボルトンに対し、他のスタッフから注意が入ります。「あまりにも展示のインパクトが大きいと、美術への関心を失いかねない」と。この一言には、目の前の物体の印象が強烈すぎて、展示のキャプションが頭に入らないどころか、嫌悪感や驚嘆の感情で、美術への関心が押し流されてしまう、ということでしょうか?私は、なかなか難しい問題だと感じました。

 

これらの危惧に対し、ボルトン側はアジア美術部門のスタッフと協議を重ね、説明し、また不満には中国の美術品が衣服や映像と調和するよう、並べる位置を工夫します。また、不安があることについては、香港出身で中国を取り巻くカルチャーバックグラウンドを熟知しているウォン・カーウァイに助言をもらいつつ、対応していました。

 

 

さて、中国の人たちとのやり取りについても、メットガラのスタッフたちは「対話」を持つことになります。『ヴォーグ』との共同記者会見を北京で行った後、ボルトンらは中国で現地の記者に取材を受けました。

 

「鏡の中の中国」展について、中国人記者は「歴史に重点を置き、過去の衣裳ばかり飾って、現代の衣裳を展示しないように思います。現在の中国の姿と展示のイメージを重ねてしまう人もいるのではないでしょうか」というようなことを言いました。

ボルトンはその質問にこう切り返します。「現在の中国にはグオ・ペイら、歴史的な意匠をドレスに入れるデザイナーがいます。また、発展途上の今の中国ファッションにとって、過去を振り返ることはノスタルジーではなく、未来へ進むための原動力になると考えています」

 

中国人記者の質問は、アジア美術部門のハーンが注意した、現在の中国に関する政治的な部分において、外部の人にマイナス面でのイメージをさせてしまう問題と重なってくるでしょう。それに対するボルトンの返答は、前へ進むための力を得るため、歴史を見つめることが必要だと、ポジティブな内容でした。この明るい方向での発言は、人文科学で古典作品を扱う私のような人々が考えることと共通しています。私などは、今を生きるために過去をに学ぶというところで思考が止まっていました。過去を未来へ繋げるためと言い切るボルトンに、私は目から鱗状態で見入っていました。

 

 

「鏡の中の中国」展のけん引役であるボルトンは、このように内外の人々のやり取りを通じて、「東洋と西洋の対話」を準備段階で繰り返していました。キュレーターという、過去のものを研究で扱う職業でありながら、メットガラのスタッフたちと新しいことに挑戦する行動や発言は、私に様々な考えをもたらしてくれたように思いました。

 

 

6.メットガラ準備編のまとめ

今回は、メットガラの準備過程にスポットを当てて、お送りしました。服飾部門を中心に、ファッションを芸術として捉え、その地位を上げようとするスタッフの戦いと、衣裳の扱いから見たファッション作品の物理的現状、そして「鏡の中の中国」展におけるメットの内外の人たちとのやり取りを通じた「東洋と西洋との対話」という名の奮闘の様子を書いてきました。 

 

人物編では、アナ・ウィンターよりも影が薄い印象だったアンドリュー・ボルトンです。が、今回の準備編を書くうち、現場の司令官として、いろいろなことを考えながら、大きな特別展(本人曰く、通常展の3倍の規模)を動かしていたことに気づき、その存在の大きさに気がつきました。

 

2015年のメットガラのテーマに引きつけて考えると、ボルトンアナ・ウィンターのトップツーはイギリス出身者で、芸術監督のウォン・カーウァイや協力したファションデザイナーのグオ・ペイはいずれも中華圏の出身者です。彼らは、中国が「近代」に目覚めるきかけとなったアヘン戦争に深くかかわった地域の出身者たちということで、私は何とも複雑な思いがこみ上げてくるのを感じます。

一方で、こうも考えられるのではないか、と思いました。かつて、歴史的にぶつり合い、支配・被支配の関係だった地域の人々の子孫たが苦悩しながら、「東洋と西洋の終わりなき対話」を重ね、ファッションを通じて新しい未来を作りだそうと共同したのが、「鏡の中の中国」展であったのではないかと。

(もっとも、その対話は、先人たちの無数の争いと傷の上に成り立っていることは、存じ上げております)

 

メットガラとは、先人が袖を通した衣服が、その背景にある政治や文化の積み重ね、経済的な活動をひっくるめて、先人たちの営みを知り、我々が未来へ進む道を示す存在だということを教えてくれました。それを助けるのが、ボルトンらキュレーターをはじめとするスタッフたちの仕事だったのでしょう。

 

 

7.最後に

2回にわたって、映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』のレビューをお届けしました。人物篇とメットガラ準備編の内容は、いずれも私が映画館の暗闇の中で、視聴しながら取り続けたメモがもとになっています。手帳2冊を使い切ってしまうほど、濃くて、面白いドキュメンタリーでした。時間があれば、もう一回くらい、見に行きたいと考えています。

 

そうそう、この作品では展示室にBGMが流され、デザイナーたちにインスピレーションを与えた映画の上映がされていたそうです。本作のサウンドトラックがAmazon.co.jpで取扱いがありました。映画を見た後、音楽で展示を振り返るのもいいかもしれません↓

 

映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』についてのレビュー、これにてお終いです。ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

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