映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』人物編 ~学術と芸術と商業と~
<人物編の内容>
- 1.はじめに
- 2.「メットガラ」とは何か?および2015年の企画「鏡の中の中国」
- 3.2015年のメットガラ「鏡の中の中国」での挑戦~人物篇~
- <その他の参考ページ>
- <続編:メットガラ準備編>(2017.5.19_1200更新)
- <関連記事>
1.はじめに
学芸員。美術館や博物館といったミュージアムに勤務している専門職員の方々で、日本の事情について、今まで3回に分けて紹介や、なり方を説明してきました:
日本国内のことは少し、分かった。それでは、海外のミュージアムの学芸員は、どのような仕事をしているんだろうか、と調べておりました。ちょうど、アメリカの美術館の運営資金集めに関する面白い取り組み、特別な企画展の裏側を追ったドキュメンタリー映画が公開中とのこと。公共交通機関を乗り継いで、見てきました:
(画像:本作フライヤー)
本作は、ニューヨークのメトロポリタン美術館(以下、メット)の服飾部門が毎年一回開く、寄付金集めのパーティーを含む大型イベント「メットガラ」の2015年の開催について、準備期間から当日、後日のスタッフの仕事風景をカメラにおさめた、スタッフたちの奮闘記です。一般人が見ることのできない、特別展で展示品を借りてきたり、共同開催したアジア美術部門、取材に訪れた記者たちとのやり取りにスタッフがまいったり、イベントの裏側をしっかり映しています。
2015年のテーマは、「鏡の中の中国」ということで、歴史的に重要な中国の衣裳、欧米のファッションデザイナーたちのデザインしたドレス、共産党政権が成立後の制服を展示。テーマが王朝時代から毛沢東時代と広く、かつ現在まで政治的に複雑な背景を持つ企画だったようで、あちこちで演出の仕方ひとつに協議を重ねるシーンが見られました。
本作を見ていると、メットのキュレーターと日本の学芸員は、似ているようでいて、異なる存在だということが分かりました。そういうけで、メットガラに関する記事では、基本的にメットのほうはキュレーター、日本のミュージアムのほうについては、学芸員と呼び分けるとことに致します。
本記事では、メットガラの準備期間中、表と裏に立って実質的な指揮をとったキュレーターのアンドリュー・ボルトン、彼をバックアップし、メットの理事、かつファッション誌の米版『ヴォーグ』編集長のアナ・ウィンター、芸術監督としてオファーされたウォン・カーワイの3人について、取り上げます。メットガラ準備の段階における、彼らの戦いと努力を通じて、美術館のあり方について少し考えてみたいと思います。
なお、映画『メットガラ』は、ファッションを芸術としたいというキュレーターの目的や、中国についてファッションを通じて、新たなものを見出そうとする試みが行われており、それ故、現場でスタッフ同士の話し合いが重ねられました。そちらの詳細については、本記事の続編として、別記事として「メットガラ準備編」の執筆を予定しております。
映画館の暗闇でとったメモをもとに、本記事と続編を書いております。分からなかったところは、本作のパンフレットでチェックし、注釈に入れたサイト等で確認しおりますが、曖昧なところもあるかと存じます。適宜、気がついたところは、修正していきますので、ご了承ください。
2.「メットガラ」とは何か?および2015年の企画「鏡の中の中国」
メトロポリタン美術館で、毎年5月の第1月曜日に開催される、世界最大のファッションの祭典(大きなイベントを”ガラ”と呼ぶ)です。出席者を出迎えるのは、メットのエントランス階段に敷かれた「レッドカーペット」であることから、メットガラは「ファッション界のアカデミー賞」と表現する人もいるんだとか。
この大がかりなイベントは、同時にチャリティーイベントにもなっています。メットガラのパーティーは一席2万5000ドル(2017年5月17日の時点で約280万円)ほど。招待されたセレブは、やブランドの関係者たちにより、高額な席にもかかわらず、600席がすぐ満席になります。この時の寄付金が、メット服飾部門の一年分の運営資金となります。
メットガラの中心となる服飾部門を実質的に引っ張るのが、キュレーターのアンドリュー・ボルトン。メットガラのパーティーをバックアップを行い、この採点が世界から注目されるほどに成長させたのが、映画『プラダを着た悪魔』の鬼編集長・ミランダのモデルとされる、メット理事であり、『ヴォーグ』編集長のアナ・ウィンターでした。本作では、2015年5月のメットガラに向け、アジア美術部門との共同企画「東洋と西洋の終わりなき対話」をテーマに、中国の過去から毛沢東時代をファッションで回顧する「鏡の中の中国」展の開催を決定。芸術監督には、映画を通じて中国を西洋に伝えてきたウォン・カーウァイ を迎え、本格的にプロジェクトが始動することになりました。
3.2015年のメットガラ「鏡の中の中国」での挑戦~人物篇~
3-1.アンドリュー・ボルトン
先の本作フライヤーの画像で、ドレスをまとったマネキンの足元に跪き、展示を直しているのが、本作の実質的な主人公であり、メットの服飾部門キュレーターのアンドリュー・ボルトン(以下、ボルトン)です。モノクロ画像の姿もなかなか、いいものですが、作中のボルトンのほうが、私はスタイリッシュだと思います。服飾部門の担当者だけあって、キマッてますね。
(画像の出典:メトロポリタン美術館キュレーター Andrew Bolton (アンドリュー・ボルトン) インタビュー | THE FASHION POST [ザ・ファッションポスト])
ボルトンは1966年生まれ、イギリス・ランカシャー州出身*1。イースト・アングリア大学で人類学と芸術を学び、卒業後にヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に就職します。作中では、音楽のパンクに親しみ、それがファッションへに興味を持つきっかけとなったようなシーンがありました。
メットの服飾部門の元主任のハロルド・コーダ*2誘いを契機に、2002年、17歳から憧れだったメトロポリタン美術館に就職し、ニューヨークで働き始めます。2011年、ファッションデザイナーの回顧展「アレキサンダー・マックイーン/野生の美」を始め、数々の人気の展覧会を手がけてきました*3。
作中では、「鏡の中の中国」展に向けた準備で、パリのイヴ・サンローラン財団で中国コレクションの衣裳チェックに自ら出向く。メットでのスタッフたちとの会議、アメリカや中国での記者会見では、表に立って説明をする。出張先の北京での中国人記者からの質問に、上手に切り返す*4。
開催まで一ヶ月を切ってから、展示に使う照明やパネルの到着が一週間程度、遅くなってしまい、イライラしつつも、「鏡の中の中国」展は通常の企画展の3倍の規模だと気づき、反省したことをカメラに向かって話す。そして、メットガラ前夜には、先のフライヤー画像のとおり、展示品のチェックと調整を行い、当日は最初の挨拶を壇上で堂々と行う。
自ら最前線で仕事に取組み、困った記者の質問には切り返す手腕を持ち、デキる人だと思ったら企画の規模を大きくしすぎて、クタクタになってしまう。それが、作中のボルトンを見ていた私の正直な感想でした。「ファッションは芸術である」と信じ、キュレーターとして走り回っている姿は、時に水を得た魚のように、いきいきしています。
ボルトンの仕事は、日本のミュージアムにいる学芸員が、人出が足りないという意味でメットガラとは違いますが、どんな仕事でもこなす姿から「雑芸員」と少し重なります。そのくらい、八面六臂にボルトンは色んな事をしていました。しかし、より大きな視野で見ると、様々な局面で状況を把握し、必要なら対話を丁寧に重ね、きちんと情報をくみ取って指示を出そうとする様は、軍の指揮権を握る、戦場の司令官さながらでした。
本作全体の印象としては、メットガラの主催者(として動いているの)が、アナ・ウィンターに主役を完全にとられているくらい、影が薄くなっていました。これは日本尾の学芸員が展示室に出てこず、裏方で動いているのと同じような感じです。ボルトンはキュレーターだけに、華やかなところは運営資金集めにセレブを招待したり、テーブルや席の配置を決めたりする実務仕事担当の『ヴォーグ』スタッフにインパクトを持っていかれましたが、しようがないのかもしれません。
今まで13冊の著書があるボルトンは、「鏡の中の中国」展においても、筆頭として図録執筆を担当しています。アマゾンで検索したところ、こちらが「鏡の中の中国」展の実際のカタログのようでした:
China: Through the Looking Glass
英語が苦手な私は、読んでみたいものの、なかなか手の出ない本です…。
3-2.アナ・ウィンター
ボルトンのバックアップ役であり、メットガラではパートナーである、メトロポリタン美術館の理事を務める人物です。主な仕事として有名なのは、世界的なファッション誌の『ヴォーグ』アメリカ版の編集長としての手腕(あるファッションデザイナーに、「企業体」と表現される)、セレブに対するコネクションを生かして、毎年、メットガラの主催者として多額の寄付金を集め、メット服飾部門の資金調達を行ってきました。過去、その資金でメット内に「アナ・ウィンター コスチュームセンター」を設立。
(画像:本作フライヤー)
1947年生まれ、イギリスのロンドン出身。高校中退後、日本では紅茶や雑貨で有名なハロッズのトレーニング・プログラムに入学。1970年に『Harper's & Queen』誌のアシススタントとしてファッションの世界に入り、数々のファッション誌のに携わり、現在に至ります。
ファッションの地位向上を胸に、時に妥協を許さず、時にスタッフの助けに耳を傾けて対応する姿は、まさに仕事人。その姿は、作中で威圧的と評され、彼女の元アシスタントの著作の中で、アナ・ウィンターがモデルとされた映画『プラダを着た悪魔』の鬼編集長そのままと言えそうです。
彼女は『ヴォーグ』軍団を率いており、 メットガラに関わるスタッフたちが打ち合わせでは、メット関内を文字どおり、「軍隊が行進する」統率力を持つほどで、私はそのシーンに思わず笑ってしまいました。キャリアウーマンの彼女は、世間でも注目を集める人物であり、先の『プラダを着た悪魔』をネタにされることがあるようです。作中、取材メディアに鬼編集長のモデルとされる気持ちを尋ねられると、何の形であれ、ファッションが注目されるきっかけになったことはよいことだ、と回答。やはり、アナ・ウィンター氏、つ、強い!
映画の中のあるデザイナーは、彼女の仕事について、ハイカルチャーと大衆文化を融合させるところに魅力があると評価されていました。メットでは、セレブを招き、テーマに合った衣裳を着こなしてもらうことで、メットガラによって全世界の 注目が美術館の評価に繋がることを、アナ・ウィンターは狙っているとのこと。
さて、作中の後半、2015年5月のメットガラでは、『ヴォーグ』の部下がちょっとした困りごとに遭遇していました。招待するセレブの一人であり、主役の歌手リアーナの側の出席人数が多く、出席の調整が難しくなっていたのです。スタッフによると、リアーナはいつも付き人を多く引きつれており、ガラの会場に全員連れてこられると、定員におさまらない問題があるのです。
リアーナにはメットガラで歌ってもらうことを考えていた『ヴォーグ』側は、欠席になりかけていた歌姫にどうしても出席してほしい。調整役のヒントによって、部下はボスのアナ・ウィンターに対し、リアーナへの出席依頼メールを入れてもらうよう、連絡をします。メットで仕事が終わった様子のアナ・ウィンターは、館内のベンチに腰を掛け、手持ちのモバイルでメールを打ち始めました。その結果か、メットガラ「鏡の中の中国」主役のリアーナは無事、黄色のドレスを身にまとい出席。当日、レッドカーペットの上でカメラのフラッシュを浴び、米版『ヴォーグ』の表紙を飾ったのでした。
アナ・ウィンターの仕事は、まだあります。出席者のテーブル順や席位置の調整に加え、パーティーで使う食器やテーブルクロスの合わせ、それからメットのレッドカーペット脇に置くオブジェまで、仕事仲間のデザイナーたちを自宅に招き、話し合います。オブジェに大きな二体のドラゴンを使用するという案には、「手垢のついた中国のイメージ」だとして指摘されボツとし、代わりに竹垣を置くことにしました。テーブルウェアの打ち合わせに自宅を使うところを見ると、広い家があれば、仕事の打ち合わせで、わざわざ、外にスペースを借りなくてもよいので、便利だと私は気がつきました。
加えて、ビー・シャファーだと思われる娘に、チャイナモチーフの赤いドレスを着せ、ガラ当日に連れてきていました。とても似合っていて、セクシーでしたね。
書きだすと、アナ・ウィンターの仕事能力と厳しさ、センスの高さは、彼女が目指すファッションをより高いところへ持っていく、という目標にそそがれており、メットガラの開催でさえ、その手段とする意識は、仕事人として理想の人と言ってもよいのではないでしょうか。ファッションの仕事について、作中でアナ・ウィンターが語るところでは、商業的だったり、アートだったり、両方の力が必要です、とのこと。まさに、彼女は両方の力を最大限に駆使して、メットの限界に挑戦し、ボルトンをバックアップしているのです。
3-3.ウォン・カーウァイ(王家衛)
ボルトン、アナ・ウィンターと並んで、私が本作のメットガラで外せないと考えたのが、「鏡の中の中国」展の芸術監督として招かれたウォン・カーウァイ(王家衛)です。
(画像出典:INTERVIEW|ウォン・カーウァイ監督)
1958年、上海で生まれ、5歳の時に香港に移住。大学でグラフィックデザインを学んだあと、脚本家として香港映画界に入り、1994年に監督した『恋する惑星』で世界的に注目を集めたとされます。『ブエノスアイレス』(1997年)、『花様年華』(2000年)等の代表作があるそうです。
実は、私、ウォン・カーウァイ監督の作品を耳にすれども、香港映画作品は見ないまま、生きてきてしまいました…。『恋する惑星』から見ようと思います:
そんな私が唯一、見たことのあるウォン・カーウァイ監督の作品は、ハリウッド進出作品とされる こちらです:
おそらく、香港作品と通じると思うのですが、セリフが洒脱であり、使う色は少ないようでいて、印象に残る使い方をするのが、 ウォン・カーウァイ監督の特徴でしょうか。そういえば、彼は作中で展示の配置相談について、多くを見せすぎると何も見ないことと同じになる、ということを言っていました。
作中では、西洋世界の人々に中国のイメージを広く伝えるきっかけを作った人物として、メットガラの会議に名前が挙がります。ジャン・ポール・ゴルチエの指摘では、デザイナーたちは映画の中の中国から影響を受け、服飾に取り込んだとのこと。そこで、デザイナーたちの見てきた映画を会場で上映するアイディアが出され、ウォン・カーウァイの手にゆだねられたのでした。
実は、芸術監督に彼が選ばれたのには、映画上映だけではない、もっと広い意味での「仕事」を見込まれていたのではないかと、推測しております。それは、これまでの長い歴史を持つ中国とそれを取り巻く芸術・歴史・政治的な背景を熟知しており、そのあたりのアドバイザーとしての役割です。
例えば、北京に出張するボルトンに同行した際、歴史的な衣裳や美術品と一緒に、毛沢東時代の人民服を展示したい、とアメリカ側の意見が出ており、ボルトンがどうするか、ウォン・カーウァイに相談するシーンがありました。ウォン・カーウァイは、やんわりと、設置方法では、多くを見せすぎると何も見ないことと同じになることを告げ、それでいて「断固反対」しています。作中には、ウォン・カーウァイが英語で言葉は少ないながら、歴史的な背景を説明しており、詳しく知りたい方はご覧になって頂くと分かります。
3-4.2015年のメットガラ「鏡の中の中国」での挑戦~人物篇~まとめ
戦場の司令官さながら、表に裏に、現場で支持を出しながら、スタッフたちと仕事を行うアンドリュー・ボルトン。メットガラでは、ボルトンの相方であり、世界的ファッション誌の米版『ヴォーグ』の編集長として編集部のスタッフを使って、己の理想のため、メットガラを主催者として引っ張る仕事人・アナ・ウィンター。香港映画で独特の作品を作って西洋のファッションデザイナーに「中国」のイメージを伝え、中国の歴史的背景を踏まえたアドバイスを送ることもある、芸術監督のウォン・カーウァイ。
三者三様、2015年のメットガラ「鏡の中の中国」を成功させるべく、動く姿が作中で描かれていました。「東洋と西洋の終わりなき対話」をテーマとしていたメットガラの裏側を映画で見たことで、展覧会のつくり手である欧米側と、展示の対象とされる中国側との間にあるカルチャー的なギャップをどう繋ぐか。学術的な信頼性を保持しつつ、芸術としてファッションをどう演出し、どう商業な意味で資金を獲得するか。そのままでは、日本のミュージアムに持ち込めないでしょうが、3人の具体的な仕事の開示は、私にとって非常に示唆に富んだものでした。
余談ですが、もう一つの要素として、今回の映画を見ていて気がついたのは、この三人とも英国の英語(クイーンズイングリッシュ)が話される地域の出身でした。キュレーターのボルトンにとって、2人は話す言葉の上で地域的な癖があり、仕事上、たのもしいと同時に、安心できる場面があったかもしれません。
ボルトンが言うように、「鏡の中の中国」展は通常の企画の3倍の規模であり、様々な困難に直面しました。それだけ、トップ2人はスタッフたちと協議をしたり、協力者に案を押し通したりする場面がありましたが、その戦いは本記事の続編で見ていく予定でおります。
結果として、2015年のメットガラでは、運営資金として1250万ドル(約1億4000万円)の寄付金を獲得。この特別展は、計80万人の来場者を迎え、メトロポリタン美術館史上、歴代5位を記録しました。成功と呼んで差し支えないと、私は思います。
ちなみに、今年2017年のメットガラは、5月1日開催で、日本の「コムデギャルソンの川久保玲の作品を集めた「Rei Kawakubo / Comme des Garçons: Art of the In-Between 」」だったそうです:
もし、ニューヨークに行く機会がありましたら、メットの川久保玲の特別展に行かれてはいかがでしょうか。
本作のDVDが出たようです。振り返ってみてはいかがでしょうか:
<その他の参考ページ>
セレブが究極のおしゃれを競うアートな夜 メットガラ|WOMAN SMART|NIKKEI STYLE
【インタビュー】「メットガラ」の仕掛け人が語るアナ・ウィンターとの仕事、川久保玲の偉大さ | Fashionsnap.com
<続編:メットガラ準備編>(2017.5.19_1200更新)
<関連記事>
*1:『Elle (エル)』最新号は水着特集!Hailey Baldwin (ヘイリー・ボールドウィン) や Bella Hadid (ベラ・ハディド) らが登場 | THE FASHION POST [ザ・ファッションポスト]
*2:「鏡の中の中国」展の後に主任を退いています。2017年5月現在、メット服飾部門ではボルトンが主任を務めています。
*3:評判の映画「メットガラ ドレスをまとった美術館」、ファッション展のドキュメンタリー - 朝日新聞デジタル&w
*4:映画の中では、中国人記者の「過去の衣裳ばかり飾って、現在の衣裳を展示しない」という発言には、「中国には、グオ・ペイらファッションデザイナーがおり、彼女達は中国の伝統的な意匠を取り入れている。発展途上の現在の中国ファッションにとって、歴史の振り返りはノスタルジーではなく、前へ進むためのものである」と反論する場面がありました。(仲見のうろ覚え。今後、確認のために本作を再度見に行けたら、行きたいです。