仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

教育と研究の業務分離の話ほか~「奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ」(東洋経済オンライン) ~

1.はじめに

大学教員は、大学の運営・経営や教育関連の業務で激務に追われている。研究に充てる時間が少なくなってきている。そういうような話を聞いて、私は院生時代から現在まで、けっこう長くなります。今年3月末に「ますだ記事」をもとに書いた記事では、大学の運営・経営や教育関連の業務で、「不毛な業務」をいかに大学教員から遠ざけるか、次の記事で考えました:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

その記事を書いた後、実は授業という教育に関する業務について、大学教員側にも技術的が高く、また学生に教えるのが楽しいと言った好みを持つ人たちがいて、どちらかというと研究よりも、授業技術を高めたり、学生に指導していたりすることに専念したい人も一定数、いるのではないかと。そのあたりのことを、いろいろと気にしておりました。

 

そして、授業の技術が高いこと、教えることに楽しみを見出した大学教員のいきいきとした姿は、授業を受ける学生にも様々な意味でよい影響を与えることを私は知っています。次のような経験を私はしました。

 

修士院生の頃、私は研究室のボス先生が担当していた一般教養の授業で、ティーチング・アシスタントをしておりました。毎週の授業のうち、3回に一回くらいの確率で、ボス先生が世界各地で撮っていた建物やオブジェをパワーポイント一枚一枚に入れていき、授業本番でボス先生の指示に合わせて、PCを操作し、プロジェクタを通じてスクリーンに映し出されるスライドを変えていきました。

 

芸術工学が専門ということで、デザインの話をスライドの写真の建物やオブジェに関して、話をされますが、ボス先生はゴシック建築に関する建物の特徴や設計方法の話の後、こういった小話をされたことがありました。

「実は、日本のゴシックのファッションや芸術に関する入門書を書いている編集スタジオの方に、このスライドの写真を何枚か、使わせてほしいと言われて、写真を売ったことがありました。今、この授業に出ている諸君の中で、ゴシックに興味のある人は、入門書のタイトルを教えるので、授業後に聞きに来てください。私に10円くらいは印税が入りますから」

結局、授業後に聞きに来たのは一人くらいでした。が、芸術工学の初心者であった私も、小話で興味を引かれたのは事実で、授業の技術はこういった「つかみ」があるかないか、によっても測れると思いました。もっと言えば、学生のやる気スイッチを入れ、自主的に当該授業の勉強をして、学力を上げる機会を受講生に与えられることが、教員としての教育的技量のポイントになるということです。

 

そういうことを突き詰めていくと、大学教員にとっても、学生にとっても、日本の大学にも「教育に専念する大学教員」と、「研究に専念する研究職員」とに、業務分離を進めていく大学があってもいい、ということになります。実は、最近、ネットで見かけた2016年6月の東洋経済オンラインの次のインタビュー記事の2ページ目に、同じようなことがかかれていました:

toyokeizai.net

 

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ」というタイトルのインタビュー記事は、奨学金問題から大学教育や貧困層の学力、さらには雇用の問題について、切り込んでいくものでした。その中で、2ページ目には、上記述べた教育と研究の業務分離について、具体的な話が出てきました。そういうことで、今回は、「教育と研究の業務分離」に関して、インタビュー記事の一部をもとに掘り下げたいと思います。

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2.教育と研究の業務分離の話~「奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ」(東洋経済オンライン) の2ページ目~

 

インタビュー記事は、前編・後編の後編に当たる記事のようです。インタビューのテーマについて、次の説明がありました。

将来への負担感を感じさせない給付型奨学金の必要性を強調する、NPO法人フローレンス代表理事駒崎弘樹氏。貧困層は「トンネリング」と呼ばれる視野狭窄状態に陥っていることが多く、未来への投資を行う経済合理性を期待するのは難しいことを、導入の主な根拠としている(前編:「給付型」奨学金が日本の貧困層には不可欠だ)。


しかし、同時に奨学金の問題は、それだけをみると本質を見失いがちだとも指摘する。硬直的な労働市場のあり方が、「大卒」を目指す人々のマインドに大きく影響しているし、高額の学費を受け取る大学が提供している、教育内容の問題も見逃すことはできない。インタビューの後編では、こうした奨学金に連関する問題点に迫った。

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ | 奨学金制度はどうあるべきか | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

本記事では、このインタビュー記事の2ページ目を引きながら、教育と研究の業務分離のことを掘り下げてみたいと思います。

 

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ
高すぎる大学の学費は、少子化も加速させる

関田 真也 :東洋経済オンライン編集部  2016年06月03日

 

――大学教育のクオリティが低いままで、給付型奨学金に予算を投入するのはいかがなものか、という意見も根強い。

今だと、すべての文系大学で「マクロ経済A」を教えているけど、中には教え方がすごく下手な人もいるのが現実ですよね。僕の大学では竹中平蔵先生が担当されていたので、それなりにわかりやすかったけど、違う学部だと教授が黄ばんだノートを見ながらぶつぶつ教壇で独り言を言っていたり……。そういう人は極端な話、研究だけしてもらえればいいと思います。

教えることに長けている先生の講義をビデオで撮って、インターネットで見られるようにすれば、それを基にディスカッションだけ大学でやるという形だってありえるかもしれない。そうすれば、教えるのが上手くない先生の人件費は減らせると思うんですよね。

――これまでの「大学」の形に縛られる必要はない、と。

これからの教育現場では、学びを促進することがうまい、ファシリテーター的な人が求められてくる。教壇で独り言をつぶやいているような教授の人件費を削減できれば、日本の大学が家計に与える負担は下げられるし、日本の少子化問題にもポジティブです。

 

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ | 奨学金制度はどうあるべきか | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

2ページ目の途中ですが、一旦、切ってコメントさせて頂きます。NPO法人フローレンス代表理事の駒崎氏が、上記の引用部分で、まず「マクロ経済A」の授業を例にして、極端に授業技術が低い大学教員がいることを指摘されています。「違う学部だと教授が黄ばんだノートを見ながらぶつぶつ教壇で独り言を言っていたり……。」という先生は、私の学部時代、東洋学の先生にもいらっしゃいました。講義室が30人程度の小さなところであり、内容自体は「群雄割拠の時代に、人々はどうやって戦争を逃げ回り、調理器具を調達して煮炊きし、また移動の多い時代の家具はどんなものだったか」というもので、生活密着型の話題でした。私には面白かったですが、他の学生は興味がなかったようで、半分は寝ていました。ブツブツとつぶやかれても最後列の席にまで声が届きますが、ただ、皮肉屋でリアリストな先生だったらしく、史実の登場人物に対する説明が非常に冷たく、来年度は受講生がゼロで未開講となりました。

 

「そういう人は極端な話、研究だけしてもらえればいいと思います。」と駒崎氏が仰ることは、先の東洋学の先生についても、寝ていた学生からすれば、「そうしてくれたほうがいいよね」と言われても仕方がないかもしれません…。

 

こういった「研究だけしてもらえればいい」タイプの大学教員について、研究職員として雇用できればベストですが、現状、人件費が少ない大学やら、日本の旧来の「大学教員は研究と教育が仕事としてセットになっている」という慣習のもとでは、大きく一気に雇用形態を変えるのは難しいでしょう。ならば、どういった手段をとればいいのか、駒崎氏の回答かを読むと、

教えることに長けている先生の講義をビデオで撮って、インターネットで見られるようにすれば、それを基にディスカッションだけ大学でやるという形だってありえるかもしれない。そうすれば、教えるのが上手くない先生の人件費は減らせると思うんですよね。

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ | 奨学金制度はどうあるべきか | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

という、一部の大学のサテライトキャンパスで一部、取り入れられていそうな案を出されました。「教えるのが上手くない先生の人件費は減らせると思うんですよね」というところは、一旦、横に置いておきまして、私の考えを言えば、教壇で独り言をつぶやいているような教授」でも、中には「学びを促進することがうまい、ファシリテーター的な人」はいると思うので、授業教材の使い方や授業スタイルの変更によって、一過性のシステムとして、駒崎さんの講義ビデオ+ディスカッション形式の授業はありだと思います。

 

あとは、「教えるのが上手くな」く、ファシリテーター的な部分も難しい、というご年配の先生方には、定年退職後は引退して頂き、そのポストを教育専任の若手向けポストに替えていって欲しいです。もしくは、若手研究者の雇用問題(続・博士卒のアカデミックポスト就職の現実~「ポスドク問題/「出口」対策が弱すぎる」(河北新報オンラインより)を起点に~ - 仲見満月の研究室参照)と結びつけるなら、次の日経新聞をお読みになった某理系の大学の先生が仰る「働かないじいちゃんを追い出して、若手にポストと研究費よこせ、という感想しかない。」ということでしょうか…?

www.nikkei.com

 

日本には、研究や教育の分野に予算を割り振ろうとする人が首脳にいなくて、そういった中で、限られた資金を使うとなれば、やはり現状、限られたパイの奪い合いは割けれられないでしょう。

 

 

3.日本の中等教育後期と職業訓練制度と貧困層のこと

続けて、インタビュー記事では少子化を軸に、大学費用と日本の中等教育後期(各種の高等学校や高等専門学校の3年次までの課程など)に話題が移りました。

 

少子化問題の元凶なのではないか

大学の問題は、学費の関係で貧困層にアクセスが閉じられているだけではありません。中間層にとっても、「子供をたくさん産もう」というインセンティブを減らす大きな要因になっている。そういう意味で、高い大学費用は少子化問題についても、とても罪深い存在なんですよね。

――それでも、「大卒」のシグナルがなければ、人生の選択肢は大きく変わってしまうという指摘もあります。

高卒者が非正規になる割合が高くて、貧困に陥りやすい可能性が高いのは事実。「大卒」というシグナリング効果はまだまだ大きくて、相対的に貧困から脱する可能性が高くなるから、その道を残したほうがいいというのが給付型奨学金の話なのですが……。本質的には商業高校とか工業高校の改革をしないと、ダメなんですよね。

ヨーロッパでは、高校が職業訓練校としての意味もあって、社会で通用する技能が学べるから、高卒でもなんらビハインドがない。日本でも、そうした技能に応じて給料も上がるなら、高卒であっても問題ないのですが、今の段階では、商業高校は偏差値の低い子が行くところ、みたいな状況になってしまっている。真のプロフェッショナル教育が行われていないという状況も問題です。

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ | 奨学金制度はどうあるべきか | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

駒崎氏が言っていますが、「高卒者が非正規になる割合が高くて、貧困に陥りやすい可能性が高いのは事実。「大卒」というシグナリング効果はまだまだ大きくて、相対的に貧困から脱する可能性が高くなる」のは、残念ながら、私も現実的にそうだと認めざるを得ません。現状として、私は、

貧困の連鎖を断ち切るためには、高卒で働く時期を挟んでも、様々なスキル記憶力や体力できるだけ若年のうち、大学に通って身に付ける。そして、大卒として働き出す、というのがベターだと考えてしましました。

【ニュース】「生活保護世帯 大学進学に給付金 厚労省検討」(毎日新聞) - 仲見満月の研究室

 

中等教育後期の課程に関して、駒崎氏が

本質的には商業高校とか工業高校の改革をしないと、ダメなんですよね。

ヨーロッパでは、高校が職業訓練校としての意味もあって、社会で通用する技能が学べるから、高卒でもなんらビハインドがない。

【ニュース】「生活保護世帯 大学進学に給付金 厚労省検討」(毎日新聞) - 仲見満月の研究室

とか、

日本でも、そうした技能に応じて給料も上がるなら、高卒であっても問題ないのですが、今の段階では、商業高校は偏差値の低い子が行くところ、みたいな状況になってしまっている。真のプロフェッショナル教育が行われていないという状況も問題です。

奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ | 奨学金制度はどうあるべきか | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準) 

と指摘されているのは、もう本当にそのままの話だと思います。自分が高校の生徒だった頃から、非常勤講師として教えに行っていた数年前まで、「今の段階では、商業高校は偏差値の低い子が行くところ、みたいな状況になってしまっている」のは変わっていませんでした。だから、私の学部時代の同期で、工業高校や商業高校の出身者で、工学系や経済学系の学部に入ってきている人たちは、補修に出て特別な試験を受けて大学受受験出願に必要な授業単位を手にしたり、予備校に行って勉強したりして、学校内で大学受験組に入れる資格を手にできるよう、努力していたと聞きました。

 

専門職大学の創設に関する私見~キャリアの多様性にける「学位」授与の重要性~ - なかみ・みづきの灰だらけ資料庫(書庫)で書いたように、専門職大学の設置に国が動いてきています。社会人の学び直しだけでなく、高卒で就職→大学で学んで新卒就職の人にとっても、スキルアップの機会がこれから増えることを願っています。

 

 

4.最後に

本記事では、東洋経済オンラインのインタビュー記事の2ページ目を取り上げて、前半は、「教育と研究の業務分離の話」、後半は「日本の中等教育後期と職業訓練制度と貧困層のこと」について、お話をさせて頂きました。

 

前半と後半のテーマを繋げて議論するとすれば、これからは、今までの高卒や大卒(または最近だと修士卒)で社会人となり、だいたいの節目の年齢で昇進試験を受け、または転職して、仕事のキャリアを積み上げていくといった、一種のモデルケースに、多様性が出てこないと、色んな意味で生きづらくなる人が増えてくると考えました。このモデルケースに縛られてしまうと、仕事のスキルアップのため、こういう教育機関に行って学びたくても、研究をしたくても、できなくてツライ、という人たちが増えてくるということです。

 

たまに、脱サラして、海外に留学されている方の日記ブログのコメントに、「いい年齢で、海外留学して、恥ずかしいと思わないのですか?」といった日本語の書き込みを見かけます。私が読んでいるブログの筆者の方々は、30代半ば~退職後の60代半ばの方と年齢に幅がありますが、こういったコメントを読むたびに「本人がスキルアップしたいと願うなら、何歳になってだっていいではないですか!」と叫びたくなります。

 

そういうわけで、大学や大学院も、前半で取り上げたように、質の良い教育を提供していく上で、教員と研究職員は分けていく方向の変化が求められてくるのではないでしょうか。

 

また、日本の実例ではありませんが、本日の更新で取り上げました、NFLのアメフト選手として現役引退を表明した、26歳のアーシェル氏のように、思い切って、元のキャリアの道に戻って、新たなことを研究していく:

naka3-3dsuki.hatenablog.com

そうしてきた人たちのバイオグラフィーを、弊ブログでかけていけたらとも考えております。おしまい。

 

 

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