仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

学会発表や論文執筆は8割の力で!残り2割は「アフターケア」に回そう~年末、特に研究活動に取り組む方へ~

更新が滞ってしまい、申し訳ございませんでした。前倒しで、年明けの新刊同人誌の準備や、院生時代の講座関係・学会等の忘年会、年賀状の執筆・投函などで、忙しく、科集中を引き起こし、22日あたりから本日まで、体調を崩しておりました。

 

集まりや買い物で、街に出かけると、クリスマス、それから来年のお正月を迎える準備、それ関連のPOPカードや看板が出ていて、いまいち、それに乗り切れていない、自分の存在に気がつきました。正直なところ、私自身、それらの派生イベント+来年の各同人イベントの準備のほうに力を入れすぎて、「休みたいけど、休みたくない」状況になっておりました。要は、自分で自分のコントロールが出来なくなっていたんです。

 

振り返ってみると、そういった状況は院生時代からありました。各学会での発表から、修論、博論の執筆と提出まで、「隠れ発達障害」の過集中的な傾向が出てしまっていたと思います。小心者で、常に不安だった私は、とにかく手を動かし続けることで、安心しようとしていたところがありました。開始早々、9割程度の力で走り出し、次第に疲れていきつつ、途中、休みをはさみつつも、2週間~1ヶ月くらいかけて、ほぼ85~90%の力を、頭と身体を使って、最優先すべき研究活動に注いでいたのでしょう。

 

そんなことをしていたら、入れてる力はともかく、精神的には摩耗していくことになり、身体は動いていものの、スライドや論文原稿に誤字・脱字が増えていったり、挿入する画像の順序を間違えたり、当然、ミスが増えていきます。酷い時では、研究室のPCに頭をぶつけて、深夜に目覚めたら、ずっとアルファベットの「b」が打ち込まれ続けていた!なんてこともありました。

 

最近も、こういった「ほぼ9割の力で何にでも取り組む」うち、過集中状態が長引き、食事や入浴、睡眠、それから服薬について、規則正しいリズムで行えなくなっていたのです。その結果、身体の調子を悪くして、神経の鈍痛が増していました。それは、手の指先まで来て、PCでのタイピングにも影響したほどです。

 

 

反省点として、気が付いたことは、できたら8割の力で取り組み、余力の2割で「アフターケア」をしよう、ということでした。

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時期的には、明日25日がクリスマスであり、その日の夕方には、クリスマス商品が20パーセント引き以上で売られるようになるのかもしれません。

 

同じように、学会発表の準備から当日のプレゼン、論文執筆から提出までは、80%の力で駆け抜け、20%程度は余力を残しておいた方が、まず、その人の健康にはよいと主ピ増した。加えて、「アフターケア」として、例えば、道具の後片付けや、学会発表で受けた質疑応答への受け答え、および論文提出先の担当者とのメールでの連絡やり取りを性格にこなすため、最低2割の力は残しておくと、スムーズにいきやすくなるのでは、ないでしょうか。

 

この「アフターケア」に関して、今夏に学術論文を書いて提出し、秋にアセプト決定後に修正作業をするにあたって、特に、実感したことがありました。それは、提出後に余力を残しておいたほうが、提出後に学会の担当事務局から確認連絡が来るまでの間、心身を休めるにしても、疲労からの回復が早くなる可能性が考えられます。疲労から回復が早くなることで、使える力も余力20%+何割ということになり、担当者との連絡のやり取りも、正確かつスピーディーになるメリットがあるのではないでしょうか。

 

余力を残すことは、疲労によって体調を作業途中、あるいは作業後に崩し、その後の研究活動がストップするという、健康面でも重要だと思われます。特に、この年末年始をはさんで、年明けの学会発表や、学位論文の提出を控え、準備や執筆・仕上げに取り組む予定の方にとっては、健康面で不調をきたさないためにも、8割ぐらいの出力がいいかと思われます。

 

寒暖差の激しい昨今、また先月から本格的にインフルエンザの流行が始まっているようです。特に、年末年始にスライド準備や論文執筆の予定を入れている方は、心身の出力と疲労回復について、十分にご注意の上、すすめて行ってください。目安は、出力80%、余力20パーセントです。

 

おしまい。

 

 

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ブロトピ:読書に関するこんな記事

学術書や学位論文などの「あとがき」や「謝辞」から分かること(’18.2.22、02:54追記)

<今回の内容>

  • 1.はじめに
  • 2.「あとがき」や「謝辞」から分かること
    •  2-1.著者である研究者の「人間性」が垣間見える
    •  2-2.分野ごとの研究者の歩んできたキャリア情報が読み取れる
  • 3.最後に
  • 4.(’18.2.22_0254追記)エンタメ的論文の読み方の本

1.はじめに

先週末、Twitterを眺めていると、研究者の方々の間で、新書に謝辞があるものは信頼してもよい、とか、入門書だからこそ、註釈の付け方を学部生が学ぶためにつけてほしい、といった議論がありました。前者の話に関しては、本を出すのにお世話になった編集者や、校正を担当した院生へのお礼を述べることは、著者がその著作に責任を負っている証左になり、一定の信用を置いてよい基準になる、といった見方をしている方が、ツイートなさっておられました。私も、おおむね、それぞれの要望や見方には、賛成しています。

 

また、わざわざ、「謝辞」という項目を設けなくても、「あとがき」の中に、お世話になったお礼の言葉を入れておられる方は多いです。商業出版だけでなく、卒論から博論まで、謝辞を入れられる方は、多いようです。そこで、本記事では研究者の著作の「あとがき」や「謝辞」から、何が分かるのか?私の独断と偏見のもと、少しまとめてみようと思います。

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並木陽『 #斜陽の国のルスダン 』を読む~この小説で知った中世グルジアとその周辺+聖ゲオルギウスと国旗の話~

<今回の内容> 

  • 1.はじめに
  • 2.『 斜陽の国のルスダン 』の歴史的背景
  • 3.物語のあらすじ
  • 4.個人的な感想
  • 5.余談:ギオルギの名前について~聖ゲオルギウスとグルジア現国旗のこと~

1.はじめに

11月半ば、ちょうど、一ヶ月前に読了した歴史小説がありました。Twitterで粗筋と歴史的背景、個人的な感想を連続して呟きました。ちょうど、2月に出す予定の同人誌で扱うテーマと近い地域が舞台だったこともあり、レビューを収録しようか?別冊付録を用意して、南カフカスコーカサス)の紹介をする本にレビューを収録しようか?といったことを考えておりました。

 

しかし、より多くの方に本書のことを知って頂くには、公開記事で書くのが最もいいという結論に至り、今回、レビューすることに致しました:

 

 

2.『 斜陽の国のルスダン 』の歴史的背景

この『 斜陽の国のルスダン 』のお話が展開する地域は、グルジア。下に示した地図画像(上方が北)では、現在のトルコが位置する小アジア半島の東の付け根、それとロシアにはさまれた、南コーカサス地方の西南に位置する国で、赤色の枠で囲った範囲です。本書のあとがきで、著者の説明にもあったように、現在は国際的な国名として、「ジョージア」と2010年代半ばに変え、日本政府も「ジョージア」と呼んでいるそうです。しかし、歴史的にはグルジアと呼称されていた期間が長く、私も著者にならって、グルジアと呼ぶことに致します。

 

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さて、物語は、グルジアの13世紀が舞台。歴史的な背景を少し調べたところ、まず、ポイントとして、主要人物の一人・女王ルスダンの二代前の王で、彼女の母親に当たるタマル(タマラ)女王の時代が中世のバグラティオニ朝グルジアの最盛期だったことが、ストーリーに影を大きく落としています。タマル (グルジア女王) - Wikipediaによれば、父王ギオルギ3世の、娘であり、父王によって共同統治者とされ、若年のころから国の政治に関わり、ギオルギ3世の没後、単独でグルジア史上初の女王に即位します。

 

王配としては、最初の夫、ロシア人アンドレイ・ボゴリュブスキー大公の息子ユーリー(ギオルギ)を迎えますが、この夫の謀反を事前に知り、抑えこみ鎮圧した後、離縁。次の夫には、オセット人(本書作中では将軍だった)ダヴィト・ソスランと結婚。ソスランとの間に、息子ゲオルク(のちのゲオルク4世、本書作中のギオルギ光輝王)、そして娘のルスダンで本書の主人公をもうけます。

 

反発する者を抑え込む政治的手腕に加え、対外政策にも積極的なタマル女王は、積極的に遠征を行い、現在のアゼルバイジャンを版図におさめ、更にトルコ領エルズルムを配下に加え、南カフカスを統一したといってもよい領域にグルジアを広げました。更に、

タマル (グルジア女王) - Wikipediaの「軍事・外交」によると、

1204年、イタリアのヴェネチア商人の策謀によって第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領し、東ローマ帝国が没落した際には、タマルは皇帝一族が現トルコ領内に建てた亡命政権トレビゾンド帝国の建国を援助している。

(タマル (グルジア女王) - Wikipedia)

そうです。トレビゾンド帝国の初代皇帝について解説したアレクシオス1世 (トレビゾンド皇帝) - Wikipediaによれば、その母親はグルジア王女のルスダンとされています。タマル女王の親族が東ローマ帝国(後継の国はビザンツ帝国とも呼ばれる)に嫁いでいた縁もあったのでしょう。この女王は、トレビゾンド帝国の建国後も、少なくない力を及ぼしていたようです。

 

文化的にもタマル女王の時代は、黄金期に当たるとされます。ショタ・ルスタヴェリの残した有名な長編叙事詩『豹皮の騎士』は、この女王に捧げられたとされています。その死後、タマル女王はキリスト正教会の聖人に列せられ、現在のグルジアの「50ラリ紙幣に肖像が使用されている」とWikipediaには、記されています。

 

さて、本書2つ目のポイントは、この中世グルジア最盛期のタマル女王が崩御した後、物語がルスダンの兄で、タマル女王と共同統治の経験もあったという、ギオルギ王の時代に始まることです。母親の女王が最盛期だったということは、次世代からは国が傾いていくのは必然的なことでした。外敵の遠征者との戦いで斃れた兄王を継ぎ、作中で即位したルスダン女王の時代には、まさにグルジアは斜陽を迎え、また兄王の庶子と彼女の息子という、2人の「ダヴィド」が「外敵の遠征者」を後ろ盾に、後継者争いをするといった、内政にも問題を抱えることとなりました。

 

こうした最盛期のタマル女王の後、兄ギオルギ王の残した「外敵の遠征者」への対処と、後継者問題を抱えた、ある意味、「重い荷物」をルスダン女王は、自分の時代にどうにかしていかなければ、なりませんでした。物語は、そのルスダンについて、王女時代から亡くなる寸前までを、駆け足で見ていく作品だと私は認識しました。

 

それでは、物語の紹介と個人的に感じたことを、書いていきます。

 

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