キョンシー映画などの作品に関する「ふんわり」した話~それと論考集や #吸血鬼 の関連作品も少し【'18.9.24、00:27に注釈追記】~
<本記事の内容>
- 1.はしがき
- 2.キョンシー映画(やドラマ)に関する「ふんわり」した話~一応、論考も挙げてみた~('18.9.24、0027追記)
- 3.最後に
- <関連するテーマの記事>
1.はしがき
話題は、昨夜の我がTwitterタイムンラインの提供でお送り致します。執筆管理人が「お勉強」で忙しいため、タイトルどおり「ふんわり」したお話になりますこと、ご寛恕ください。
さて、発端は何を隠そう、私がフォローしている方には、海外の映画やドラマがお好きな方々がいらっしゃり、特に最近はゾンビ映画やゾンビの出てくるドラマの話、ひしめきあっております。自分の研究対象の地域が中国であることを思い出しまして、
そういや、キョンシー映画って、ゾンビ映画のジャンルとは違うように感じますが、いかがでしょうか?
— 仲見満月👻&博柴のケン@関ティア53はD27 (@naka3_3dsuki) September 22, 2018
というツイートをしましたところ、複数の方からコメントを頂きました。
今回は、執筆管理人の仲見とフォロイー&フォロワーの方々が下さったコメントを簡単に取り上げつつ、話をしていきたいと思います。それに来月末は、”万聖節”、つまりハロウィンだしね!
2.キョンシー映画(やドラマ)に関する「ふんわり」した話~一応、論考も挙げてみた~('18.9.24、0027追記)
上記のツイートをした後、いちばん早くコメントを頂いたのが、吸血鬼の小説を書かれている方*1でした。その方によると、映画では
- 吸血鬼もの、カンフーものに入れると、何かはみ出すっぽい
- 現在はゾンビものが人気であり、そちらに入れることがある
そうです。
格闘ゲームの「ヴァンパイア」シリーズ(リザレクションはVR)には、「レイレイ」というキョンシーがモチーフのキャラクターが出てきます。また、キョンシーに噛みつかれる・かじられるとか、作品によっては、キョンシーの溶けた水に触れると、触れた生者もキョンシー化する描写は、吸血鬼との類似点といえるでしょう。
もともと、キョンシーは、中国の葬儀に関する論考を読んだところ、精神を司るほうの「たましい」が抜け、きちんと遺体が埋葬されなかったら、死者は子孫に悪霊の存在となるとされているとか。詳細は次の本に入っている諸々の論考をお読みください:
*1:サークル「バイロン本社」で、吸血鬼の小説ほか、同ジャンルの映画評論をお書きになっています。来月7日の即売会イベント「尼崎文学だらけ」にご出展予定とのこと。ご予定の合う場合、行かれてみてはいかがでしょうか:
また、BOOTH通販もあるそうです:
甘い茶と無糖茶の謎 in アジア~2018年の酷暑と海外で見た果実茶、果物の食べ方で考える~
<皆さんは果物、お好きですか?>
- 1.はしがき
- 2.甘い茶と無糖茶の謎 in アジア~2018年の酷暑と海外で見た果実茶、果物の食べ方で考える~
1.はしがき
今週のお題「#平成最後の夏」 ということで、何について書こうかと考えまして自分の研究してきたテーマと関係のある、アジアの生活文化や習慣の話をしようと思います。
私の周りで、中国や台湾に行った人は「ペットボトル入りのお茶に、甘いのと無糖のものが置いてあって、驚いた!」という人が昔から一定数、いました。今年は世界的な酷暑で、暑い地域の夏の過ごし方が注目され、日本にも一部、紹介されていたようで、私が伝え聞くに、どうも甘い茶と無糖茶の問題とも無関係ではないように感じました。
本日は、私が今まで近隣諸国を中心に、この夏、紹介された習慣に加え、海外に行った時、接した飲食文化から「どうして、アジアに甘い茶と無糖茶が存在するのか?」という謎に、ゆる~く迫る回です。多分に私がアジアに行って実際に見聞きしたもの、ネット上で目にしたものから、書いた記事です。「思いつきエッセイ」くらいのノリでお読みいただけたら、と思います。
(画像:柴犬すいか好きイラスト/無料イラストなら「イラストAC」、作者:kaka)
続きを読む大学院での生活と留学生たちの日本語の思い出~東アジア地域の場合~
思い出シリーズ。
院生時代は、部局のせいか、時代の波か、そこらへんは分かりませんが、学内でも留学生が比較的多いところにいました。日常的には、東アジア各地の出身学生と顔を合わせていた感じです。「旧暦で端午の節句、東アジアの七夕等 - 仲見満月の研究室」で書きましたように、「そろそろ、旧暦で単語の節句だな」とか、「今年は釈迦の誕生日を祝う花祭り、いつだったっけ?」とか、気にしていたような気がします。
様々な文化の交差点みたいなところにいましたが、大学院があるのは日本国内です。基本的にはどの先生も日本語で授業をされ、研究室や講座の雑務をするにも日本語で連絡をやり取りしていました。 今回は、そんな東アジア地域の留学生たちとの日本語の思い出を書いてみたいと思います。
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