仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

冬と花火と中国の呪術的なこと~夏花火の日本で異文化を叫ぶ~

テレビやタウン誌で、とうとう、花火大会の特集が組まれる時期となりました。とある番組によれば、世界中の花火が中国にある工場で作られているそうです。いわば中国は、世界のありとあらゆる花火の技術が集まっているとのこと。

 

この話を聞いて、ふと、中国の花火に関する以下の論文があったことを思い出しました。というわけで、今回は中国の花火のことを少しだけ、取り上げたいと思います。

ci.nii.ac.jp

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(イメージ画像:香港の花火屋にて)

 

 この論文「元宵節の花火」は、「灯籠とともに旧事時の元宵節の夜を飾った仕掛け花火について、それが作りだす場面がどのようなものであったかということを、清・乾隆年間の小説『岐路灯』によってみてみる。」という内容になっています。

論題に入っている元宵節とは、中国の旧正月、つまり春節の最終日に当たる日です。毎年、世界の中華圏の街の通りに赤い灯籠(日本でいう「提灯」も含む)が、並べて吊り下げられ、正月の最終日にふさわしい幻想的な美しさを醸し出しております。そして、言うまでもなく、春節は中国では基本的に冬に当たります。

 

筆者の古勝正義氏は、季節的なことについて中国の花火を次のように言っています。

 冬季の、しかも新年の祭りにあげられる中国の花火は、基本的に夏花火である日本の花火とは、おのずから性格を異にしている。

具体的には、

一言でいうと、 中国の花火が追求するものは、にぎやかさであり、吉祥・祝賀の気分である。そして、視覚的な側面からいうと、日本の花火が空中に完全・精緻な球形を表現する打ち上げ花火を主体とするのにたいして、中国の花火は仕掛けをふんだんに使って複雑多彩な場面を作りだすことを主眼とする。

 以上のような意味で、古勝氏によれば、中国の花火は「図像学的な関心に十分こたえうる性格をもったものといえる」のですが、花火の性質上、短い時間の間にパッと燃えて、パッと「幻のように消えてしまう」せいで、古い時代の実物資料の残存を期待できない。そのため、清・乾隆年間の小説『岐路灯』に出てくる記述から、当時の花火の様相を明らかにしようではないか、というのがこの論文の主旨です。

 

続きが気になる方は、古勝氏の論文を上にはった論文情報から、掲載雑誌の『北九州大学国語学部紀要 』の該当号を大学図書館等を通じ、コピーを入手して読んで頂きたいと思います。

 

 

私がしたい話は、この論文で言及されている、冬花火が中国の行事において持つ呪術的な意味です。例えば、中国の旧暦における年末年始の一連の行事では、大晦日(”除夕”)が呪術性を持ち、正月が儀式性の強いものであるという指摘があります。それに対し、元宵節は娯楽性が強いものの、先行する大晦日や正月の呪術性・儀式性の機能性格を残しているそうです。実際、先の『岐路灯』の花火の場面では、天下の安寧を祈願するもの、五穀豊穣を求めるもの、子孫繁栄を希求するものがあって、筆者によれば吉祥類としてまとめられるそうです。

 

ちなみに、この元宵節には中国各地で火にまつわる厄除けの行事があるらしいです。元宵節の花火にはこうした厄除け的な意味合いもあったんではないか、と私は(学術的な根拠もなく)踏んでいます。あと、春節に鳴らされる爆竹には、祝いの意味があり、逆に大晦日の爆竹には大きな音を使って一年の邪気を払うといったような呪術的意味合いがあるらしいです(諸説あり)。

 

話を現代に戻すと、上のイメージ画像にあるように、中華圏の花火には運気アップを願うような文言が書いてあるんですね。こういう花火を春節に燃やすことで「今年一年は、ハッピーになるんだ!」と人々は祈りを天に届けて成就しようとしているのかもしれません。

 

ところで、私は、日本の夏花火に関して浅学にして、ほとんど、その歴史を知りません(中国の特定時代しか研究してこなかったのです…)これを機に、江戸期の日本の年中行事のムックを見つけてきたので、少し、日本の花火文化を勉強しようと思いました。

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