【2017.4.29_1330追記】続・死後の人文学者の蔵書問題~「「先生の学問体系失った」 桑原武夫氏蔵書、無断廃棄」(京都新聞)を中心に~
<今回の目次>
- 1.続報がありました~はしがき~
- 2.「「先生の学問体系失った」 桑原武夫氏蔵書、無断廃棄」(京都新聞)の内容と無断廃棄の問題を考える
- 3. 続・死後の人文学者の蔵書問題を考える
- 4.むすび
- 5.関連するtogetterまとめ(2017.4.28_2335追記)
- 6.続編のお知らせ
- <関連記事>
1.続報がありました~はしがき~
昨日は、桑原武夫の蔵書を京都市図書館の関係職員が廃棄してしまった問題について書きました↓
反響が大きく、また昨日27日の拙記事内容で憶測の部分が多々あり、引き続き、調べていたところ、京都新聞提供のニュース記事に、詳細な続報がありました:
Yahoo!ニュースに提供された記事をたどり、提供元の京都新聞のサイトに同じニュース記事がありました。
「先生の学問体系失った」 桑原武夫氏蔵書、無断廃棄 : 京都新聞
本記事では、桑原武夫蔵書の無断廃棄について、最初に、京都新聞の続報ニュース記事を中心に、蔵書が廃棄された詳しい経緯をたどります。その上で、私が追加でネットで調べて分かった、
- 遺族の要請で寄贈本が全て返還された岡山県高梁市のケース
- 学者遺族から寄贈を受けた大学の図書館に「○○先生文庫」のコレクションが形成された実例(立命館大学の加藤周一文庫)
- 学者の所蔵書(本人の書き込みありの蔵書+著書)コレクションを自治体が記念館内で管理・一般公開している実例(山口県周防大島町・宮本常一記念館を含む周防大島文化交流センター)
の3つの例について、取り上げて検討致します。
2.「「先生の学問体系失った」 桑原武夫氏蔵書、無断廃棄」(京都新聞)の内容と無断廃棄の問題を考える
2-1.京都新聞の続報ニュース記事の内容(2017.4.29_1330追記)
最初に、京都新聞の続報ニュース記事を見ていき来ましょう。幾たびも申し上げておりますが、記録のために京都新聞の続報ニュース記事より、全文転載を致しますこと、ごめんください。:
「先生の学問体系失った」 桑原武夫氏蔵書、無断廃棄 : 京都新聞
「先生の学問体系失った」 桑原武夫氏蔵書、無断廃棄
京都大人文科学研究所を拠点とした「新京都学派」を代表するフランス文学者、桑原武夫氏の遺族が京都市に寄贈した同氏の蔵書1万421冊を2015年、当時、市右京中央図書館副館長だった女性職員(57)が無断で廃棄していた問題で、桑原氏の関係者らは「なぜ」と驚きの声を挙げた。
遺族の1人は「役立ててもらおうと市に預けたのに、なぜそんなことになったのか分からない。残念です」と言葉少なに話した。
人文研では現在、遺族から桑原氏のノートや手紙を預かって、整理している最中という。高木博志所長は、「ノートや手紙、蔵書を分析することで桑原先生の学問全体の体系が分かるはずだった。失われたことは非常に問題だ」と指摘した。
蔵書は市国際交流会館(左京区)の開館に合わせ、1988年に遺族が寄贈し、一般公開されていた。2008年、右京中央図書館の開館に合わせて移管されてからは開架されていなかった。翌年には、保存場所がないとして向島図書館に移され、15年に担当の職員から「置き場所がなく処分したい」と女性職員に相談があり、了承したという。蔵書は段ボール約400箱に詰められ、市教委職員が古紙回収に出した。
廃棄した理由について女性職員は市教委の調べに対し、「寄贈図書が、もともと図書館にある蔵書と重なっている」「市民からの問い合わせはほとんどなく、あったとしても目録で対応できる」と説明したという。
職員は生涯学部の担当部長で図書館運営の責任者だったが、27日付で減給6カ月(10分の1)の懲戒処分を受け、課長補佐級に降任した。
市の要綱では、一般的な寄贈書の管理運用は、市教委に一任されている。ただ桑原氏の蔵書は、保存を前提に市に寄託されており、他の寄贈書とは取り扱いが異なっていたという。
京大教育学研究科の福井祐介講師(図書館情報学)は「碩(せき)学の桑原氏の資料群だからこそ貴重なもの。同じ本があるから処分したというなら、一般図書の方を整理するという選択肢もあったはず」と話す。蔵書には、和漢籍や海外の文献など手に入りにくい貴重な本も含まれていたという。
右京中央図書館には、現在も「桑原武夫コーナー」として、桑原氏が生前に使用していた机や椅子、直筆のノートなど20点が置かれている。
【 2017年04月28日 08時56分 】
続報ニュース記事を読んでいて、さすが地元の新聞社だなと気がついたのは、昨日の全国紙やNHKの報道では、「市立図書館」となっていた記述が、きちんと「市右京中央図書館」となっていたことです。京都市に市立図書館がなく、「京都市○○図書館」という名称である経緯は、前回の拙記事の「3ー1.京都市の自治体図書館について市立図書館がない理由」に詳述したので、そちらをお読みください。
さて、まず桑原武夫の出身大学かつ勤務先だった京都大学の人文科学研究所(以下、京大人文研)*1は、「遺族から桑原氏のノートや手紙を預かって、整理している最中という」ことで、きちんと関係者が対応なさっているようです。京大人文研の高木博志所長は、「「ノートや手紙、蔵書を分析することで桑原先生の学問全体の体系が分かるはずだった。失われたことは非常に問題だ」」と仰っておられ、私は同意です。本棚を見せることは、持ち主の思考体系や好みの傾向といった頭や心の中を見せることになり、恥ずかしい一方で、研究者の蔵書の場合、後学にとっては研究資料として非常に重要なものとなり得ます。
繰り返しになりますが、桑原武夫の蔵書は、(京都市)の「市国際交流会館(左京区)の開館に合わせ、1988年に遺族が寄贈し、一般公開」後、「2008年、右京中央図書館の開館に合わせて移管されてからは開架され」ず、翌年の2009年には「保存場所がないとして向島図書館に移され、15年に担当の職員から「置き場所がなく処分したい」と女性職員に相談があり、了承したという」ことです。蔵書にって、やはり、2008年の右京中央図書館への移管後、2010年代前半にかけて、京都市各図書館が閉館・改修となり、蔵書をまとめて保管する場所が確保できなくなってしまったことが、不運としか言えません…。
Twitter上で見かけたコメントでは、処分の仕方について、古書店へまとめて引き取ってもらえば、よいのでは?というものがありました。桑原武夫の蔵書ということで、欲しい研究者や研究機関が買い取って、適切な保存・管理をしてもらえたかもしれない、と私は邪推しました。ただ、続報ニュース記事が伝えるように、古書店へ売却するわけにもいかない事情があったのです↓
市の要綱では、一般的な寄贈書の管理運用は、市教委に一任されている。ただ桑原氏の蔵書は、保存を前提に市に寄託されており、他の寄贈書とは取り扱いが異なっていたという。
という扱いでした。こうした他の寄贈書とは異なる特殊な取扱いに加え、前回の記事で書いたように、京都市市国際交流会館の記念室での一般公開の経緯が根っこにあり、それが市図書館の蔵書として正式に目録登録がされずに記録上の管理を外れてしまったことに繋がって、 今回の廃棄に繋がってしまったと言えそうです。
2015年12月あたりに、「蔵書は段ボール約400箱に詰められ、市教委職員が古紙回収に出した」ということですから、古紙回収の途中で桑原武夫の蔵書だと気がつかれ、どこかが阻止に入って引き受けていない限り、処分されて失われてしまったのが実際でしょう。
桑原武夫の蔵書を管理していたのは、続報ニュース記事によると、京都市教育委員会でした。前回の記事で「3ー1.京都市の自治体図書館について市立図書館がない理由」に詳述したように、京都市図書館は「財団法人京都市社会教育振興財団」が京都市から予算を受け取り、財団の職員が業務に当たる形で運営されています。この京都新聞の記事には「保存場所がないとして向島図書館に移され、15年に担当の職員」とあり、この担当の職員が、財団か京都市か、どちらか一方の職員であるかは、私には分かりません。この担当の職員から相談を受けた市右京中央図書館副館長だった女性職員は、
廃棄した理由について女性職員は市教委の調べに対し、「寄贈図書が、もともと図書館にある蔵書と重なっている」「市民からの問い合わせはほとんどなく、あったとしても目録で対応できる」と説明したという。
ということです。一度、遺族に相談すれば違った結果になっていたのかもしれませんが、限られた予算の中で多忙に働く図書館職員の方々の現状を思うと、遺族に相談するという余裕がなかったのかもしれません。また、京都市各図書館が閉館・改修をしていることから、市図書館に蔵書を受け入れるキャパシティがなかったことも、廃棄の原因の一つでしょう。
「寄贈図書が、もともと図書館にある蔵書と重なっている」ことに対し、続報でコメントを求めらた、京大教育学研究科の福井祐介講師(図書館情報学)は
「碩(せき)学の桑原氏の資料群だからこそ貴重なもの。同じ本があるから処分したというなら、一般図書の方を整理するという選択肢もあったはず」と話す。
とお答えになっています。ただ、一般書を整理する選択肢を取るには、蔵書に請求番号のラベルを貼って市図書館の蔵書検索システムに登録し、その作業に一冊当たり、業者委託で100円かかる(フォロワーさんによるRT情報)として廃棄分1万冊で合計100万円かかります。
(2017.4.29_1330追記)
関連togetterまとめの「業者」の方の話では、ラベル貼りや検索システムの登録作業に実際は1冊数百円かかるそうです:
【京都市、桑原武夫の蔵書1万冊を廃棄 → 何が悪いの?】 - Togetterまとめ
管理準備作業にかかる時間とお金を踏まえ、京都市が特殊な寄贈書として引き受けていなければ、もっと事態は変わっていたのでしょうか。「蔵書には、和漢籍や海外の文献など手に入りにくい貴重な本も含まれていた」とはいえ、図書館の仕事現場の事情も様々な方に知ったうえで、人文学者の死後の蔵書問題は考えていくべきだと私は思いました。
2-2.続々報「桑原氏蔵書を6年間放置、確認せず廃棄 京都市」 (2017.4.29_0135追記)
京都新聞が続々報として、次のニュース記事をアップしていました:
新情報が確認できた続々報の後半部分のみ、転載致します。
桑原氏蔵書を6年間放置、確認せず廃棄 京都市
(前半略)2008年、京都に関する資料を収集する役割を備える右京中央図書館が開館した際に移動させた。同図書館では、遺品などを展示する桑原武夫コーナーに蔵書の目録も置き、「希望者は閲覧できる」としていた。
しかし実際には、09年に蔵書を向島図書館2階に移動し、段ボール箱約400箱に入れたまま整理せず、不用本と一緒に置いていた、という。
15年、同図書館2階を改修した際、箱の中身を知らない市教委職員が「廃棄したい」と当時の右京中央図書館副館長(57)に相談。副館長は、寄贈書であることを知りながらそれを伝えず、処分を許可した。最終責任者である市教委施設運営課長は、中身を確認せず、他の不用本とともに廃棄を決め、蔵書は古紙回収に出された。
市図書館では年間約10万冊を廃棄している。主に、痛んだ本や紙が劣化した本、冊数が多い本が対象で、廃棄は副館長が判断し、施設運営課長が最終決定する規則だが、実質は副館長に任されていたという。
図書の取り扱いについて、京都府立図書館(左京区)では、すべて書架に入れて保存し、原則的には廃棄しないが、紙の劣化などで貸し出しに耐えられない本を廃棄する時は、複数の管理職や館長が協議して決めるという。同館は「本の価値を最終責任者の館長が判断しないまま廃棄することはあり得ない」と話す。
市教委や右京中央図書館には同日、この問題について50件以上の苦情が殺到した。市教委は「保管の仕方が悪かったと言われても仕方ない」としている。
【 2017年04月28日 23時00分 】
(桑原氏蔵書を6年間放置、確認せず廃棄 京都市 : 京都新聞、下線部は、仲見満月による)
下線部が4月28日23時の続々報で、今回の無断廃棄の問題で、新たに出てきた情報です。「廃棄は副館長が判断し、施設運営課長が最終決定する規則だが、実質は副館長に任されていた」という部分を読むと、副館長は蔵書の持つ背景や特殊な事情よりも、スペースを空けることを優先してしまった可能性、それから規則に沿った廃棄手順を踏まずに副館長の判断で廃棄が決定されていた実情が見えてきます。続々報の前半には、「市教委は「保管場所がなかったから」としているが、市の図書管理のずさんさが明らかになった」の一文があり、私もそのとおりだと思います。
時々、京都市図書館を運営する財団や、市の他の財団の臨時職員の求人をハローワークのサイト、求人情報サイトで見かけますが、中には月給15万円未満の職もありました。他の自治体でも同じことが言えると思いますが、質の高い行政サービスを市民が受けるためには、それに見合う適切な金額の報酬を職員の方々に支払い、モチベーションを上げてげてもらう必要があると考えました。きっと、今回の桑原武夫の蔵書の無断廃棄についても、副館長に適切な額の給与が支払われていたら、蔵書の廃棄は即断されなかったかもしれません。
(給与に関係なく、きちんと規則に則った仕事と蔵書に対する適切な判断は、もちろん、図書館職員の職務としては、当たり前だったでしょうけれど…)
3. 続・死後の人文学者の蔵書問題を考える
前回の記事の「4.人文学者の死後の蔵書はどうすべきか結びに替えて」において、人文学者が遺した膨大な蔵書問題について、どう対処すべきか、という解決策は、いくつか提示いたしました。本記事では、追加で調べて分かった実例を紹介しつつ、この問題の対策を検討していきます。
3-1.遺族の要請で寄贈本が全て返還された岡山県高梁市のケース
2017年3月、山陽新聞が提供したYahoo!ニュースの報道記事です:
提供元の山陽新聞の記事を探しましたが、ないようでした。Yahoo!ニュースは時間が経つと、記事が消えます。長くなりますが、記録目的、ここに全文転載させて頂きます。
寄贈本1万6千冊を10年間放置 岡山・高梁市教委、遺族要請で全て返還
山陽新聞デジタル 3/5(日) 8:30配信
岡山県高梁市の市教委に2006年に贈られた「万葉集」や備中松山藩の儒学者山田方谷に関する郷土資料などの書籍約1万6千冊が10年間にわたり放置され、寄贈者の要請を受けて市教委が昨年3月に返還していたことが、山陽新聞社による市への情報公開請求で分かった。寄贈したのは高野山大(和歌山県)名誉教授だった故藤森賢一さん=同市出身=の遺族で「利用されず残念」としている。
藤森さんは高梁高などで国語を教えた後、同大文学部教授を務めた。大学勤務の傍ら専門家を招いた国文学や医学などの無料講座を市内で開いた。05年に75歳で亡くなった後、遺族が「源氏物語」「チェーホフ全集」といった古典、国文学、外国文学のほか、絶版になった哲学や仏教の専門書など計1万6435冊を寄贈した。
市教委によると、通常、蔵書登録した寄贈本はおおむね1カ月以内に貸し出す。藤森さんの書籍は当時、約7万冊を収蔵していた高梁中央図書館の蔵書として登録したが、スペース不足で西に約8キロ離れた旧成羽高体育館に保管。貸出時に取りに行く人員が割けないことなどから蔵書検索の対象から除外していたという。
新図書館開館(2月)に伴う蔵書整理で、夏目漱石や内田百けんの全集、所蔵していない備中松山藩、山田方谷の関連資料などを除き大半の廃棄を決定。これを知った遺族が全ての返還を求め、現在は藤森さんの市内の実家に置いている。藤森さんの弟、日出雄さん(78)=大阪府枚方市=は「兄が心血を注ぎ集めた本ばかり。市民のために役立ててほしいと思ったが残念でならない」と話す。
山陽学園大の菱川廣光特任教授(図書館学)は「寄贈本の取り扱いは図書館に一任されるのが原則だが、蔵書として受け入れた以上は速やかに利用者に公開するべきだ」と指摘。高梁市教委社会教育課は「職員数や書庫の制約で活用できず、遺族、利用者に申し訳ない。今後は寄贈本の取り扱い基準を明確化するなどして、きちんと対応したい」としている。
最終更新:3/5(日) 8:30
(寄贈本1万6千冊を10年間放置 岡山・高梁市教委、遺族要請で全て返還 (山陽新聞デジタル) - Yahoo!ニュース)
この岡山県高梁市の場合は、同市の高校の元国語教員で、「高野山大(和歌山県)名誉教授だった」故藤森氏の「市教委に2006年に贈られた「万葉集」や備中松山藩の儒学者山田方谷に関する郷土資料などの書籍約1万6千冊が10年間にわたり放置され」ており、遺族の要請で返還された、ということです。活用されなかったのは、遺族の方にとっては残念だと思いますが、桑原武夫の蔵書のように無断廃棄されずに返還されて、木寄贈本そのものが失われなくて済みました。
同市教委によると、「通常、蔵書登録した寄贈本はおおむね1カ月以内に貸し出すそうで、藤森氏の寄贈書は、
当時、約7万冊を収蔵していた高梁中央図書館の蔵書として登録したが、スペース不足で西に約8キロ離れた旧成羽高体育館に保管。貸出時に取りに行く人員が割けないことなどから蔵書検索の対象から除外していたという。
新図書館開館(2月)に伴う蔵書整理で、夏目漱石や内田百けんの全集、所蔵していない備中松山藩、山田方谷の関連資料などを除き大半の廃棄を決定。これを知った遺族が全ての返還を求め、現在は藤森さんの市内の実家に置いている。藤森さんの弟、日出雄さん(78)=大阪府枚方市=は「兄が心血を注ぎ集めた本ばかり。市民のために役立ててほしいと思ったが残念でならない」と話す。
(寄贈本1万6千冊を10年間放置 岡山・高梁市教委、遺族要請で全て返還 (山陽新聞デジタル) - Yahoo!ニュース)
ということで、保管スペースの不足、かつ「貸出時に取りに行く人員が割けないことなどから蔵書検索の対象から除外していたという」ところは、私が先の桑原武夫の蔵書無断廃棄の問題で触れたとおりです。山陽新聞の続きには、
高梁市教委社会教育課は「職員数や書庫の制約で活用できず、遺族、利用者に申し訳ない。今後は寄贈本の取り扱い基準を明確化するなどして、きちんと対応したい」としている。
(寄贈本1万6千冊を10年間放置 岡山・高梁市教委、遺族要請で全て返還 (山陽新聞デジタル) - Yahoo!ニュース)
とあり、やはり市の図書館のほうにスペース的な制約があったことが窺えます。 遺族が寄贈書の廃棄決定の情報をキャッチし、返還を求められる状況だったから、まだ寄贈本が失われず、藤森氏の実家に置かれることになりました。藤森氏の弟さんは、「市民のために役に立ててほしいと思った」と仰ってます。私が気になったことは、1万冊を超える量の本をさばく余裕が高梁市図書館になかったことを、寄贈元の遺族が事前に知っておく必要があることです。
山陽学園大の菱川廣光特任教授(図書館学)のコメントで、速やかに公開できるのが理想です。そのためにも、最初に、寄贈する側のほうと引き受ける自治体の担当部署とで、きちんと話し合って、寄贈側は引き受ける側のキャパシティを把握しておくことが最低限、必要でしょう。その後、自治体のほうに引き受ける余裕がないようなら、寄贈側は別の団体を探して交渉する。極端な話、一族の中から私のように「本の虫」を探して、蔵書の整理から管理まで引き受けてくれる人間を育て、保管場所や管理費用を出しあうということをしてもいいと思います。
引き受けてくれる団体を探すにあたり、生前の持ち主の研究業績を理解し、そのあたりを管理できる研究職員や図書館職員がおり、かつ卒業生に出資してくれそうな民間企業の社長が大勢出ている大学等が候補として検討すると、いいかもしれません。次に紹介するのは、上記条件を備えた私立大学の実例です。
3-2.立命館大学図書館のコレクションの実例
先の京都新聞のニュース記事の関連情報で出てきたのが、立命館大学に関する話題でした。ネット検索で調べたところ、立命館大学図書館には、「立命館文庫 | 特別コレクション |」があり、同文庫のトップページの説明には「本学教職員・大学院生・学生及び校友の著作(訳本を含む)、図書資料を集めたもの」とあります。私の関わりのある東洋学分野で、代表的なコレクションは、漢字学者の白川静同大学名誉教授の文庫です:
白川静文庫 | 特別コレクション | 立命館大学図書館|立命館大学
白川静文庫のトップページには、
白川3部作として知られる『字統』『字訓』『字通』をはじめ、中国古代文字学に関する図書、逐次刊行物(中国書を含む)、漢籍や雑誌の抜刷、手稿等、17,692冊にもおよぶ貴重な資料が収められています。
とあり、その中身はトップページの目録のリンクで確認できるようです。白川静名誉教授は、同大学出身者であり、同大学文学部中国文学専攻の教授として勤務し、上記の字に関する著作を含む甲骨文字や金文(平たく言うと、中国の西集時代等の金属器に刻まれた文字) の解釈を中心に、古代中国の人々の暮らしや思想の分野で大きな功績のあった学者です。白川静の亡くなる一年前の2005年、が立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所が開設され、研究事業が引き継がれているようです。
ここ数年に整備された文庫には、次の加藤周一文庫があるようです:
この文庫のトップページによると、
本学図書館は、2011年2月、加藤周一氏のご遺族より、御自宅に所蔵されていた厖大な蔵書と遺稿・ノート類の寄贈を受けた。これは同氏が、本学の国際関係学部の客員教授や国際平和ミュージアムの初代館長を務められるなど、本学とゆかりが深かったことから、ご遺族のご意向により実現したものである。本学では、これを衣笠図書館に収め、「加藤周一文庫」として独立させることとした。近い将来には、本学関係者のみならず、一般市民にも一定の範囲内で公開する予定で、現在、その整理作業を進めている。
とのことで、構成は「書籍や雑誌など約20,000冊を数える」蔵書、および加藤周一の「推定では10,000点を超える」遺稿・ノート類の主に2種。医学博士で開業医をし、日本敗戦直後に原爆調査団の一員として広島に赴いて原爆の被害を実際に見聞した加藤周一は、学生時代から文学にも関心を寄せ、フランス留学を経て、評論家の道を歩み始めます。 同大学では「国際関係学部の客員教授や国際平和ミュージアムの初代館長」として勤務し、縁が深かったのでしょう。遺族の寄贈を受け、京都の衣笠キャンパスの図書館に受け入れた後、この文庫に独立させたことが窺えます。将来的に、一部の一般公開を目指して、整理作業が進んでいるようです。
ところで、これらを含むコレクションを持っている同大学の衣笠キャンパスの衣笠図書館は、2010年代の半ば、一度、閉館しました。その後、新たに建設されて2015年に完成し、2016年4月に開館した平井嘉一郎記念図書館 に書棚、蔵書やPC、貸借機能が移されました。この記念図書館は、同大学出身者でニチコンの実質的な創業者・平井嘉一郎 の遺志を引き継がれた妻の平井信子氏の寄付によって、整備・建設されたとのこと*2。
記念図書館が新設され、古い衣笠図書館から蔵書の引っ越しをする際、私は先の各文庫が移されるか、少し心配をしつつ、ネットで立命館大学図書館のことを調べていました。実際は、きちんと文庫のコレクションを含め、引っ越しがされたようで安心しました。これも、実業家の卒業生かつ生前から理解のある人物が大学の関係者に存在し、きちんと生前に「出身大学のために遺産を寄付してほしい」と指示を出せる人がいたことが大きいと思われます。
加えて、立命館大学では寄贈書の持ち主を評価し、研究する研究職員や、文庫コレクションを管理するノウハウや図書館職員を置くことができるほど、資金を投入できる人が大学の運営側にいた事も考えられます。
資金を提供する実業家がおり、そのお金を研究資料を管理・維持するために然るべき場所に投入できると判断がでいる運営者がいて、かつ現場に管理・維持する方法や訓練を積んだ職員がいるのは、何も立命館大学だけではないでしょう。もし、人文学者が亡くなり、その蔵書の寄贈先を探す際は、故人の縁が深く、また卒業生に学術研究に理解があって資金提供してくれそうな人と、管理・維持する人材のいる大学に連絡を入れるのも、一つの方法だと思います。
ただし、その大学に勤務していた教授クラスの人文学者が退職するから本を寄贈すると大学図書館に言っても、前回のはてなブックマークコメントによる情報では、原則として大学図書館のほうは、引き受けてくれないようです。蔵書の持ち主、および遺族は、寄贈をする時、持ち主の研究や仕事の業績が社会的にどう評価されているかを冷静に見極め、寄贈先を探したほうが賢明でしょう*3
3-3.山口県周防大島町・宮本常一記念館含む周防大島文化交流センターの場合
3つ目の例は、「旅の巨人」と言われ、日本だけでなく、アジアやアフリカの各地を歩き回って調査を行った民俗学者・宮本常一の出身地・山口県周防大島町にある宮本常一記念館です。1960年に『忘れられた日本人』を刊行し一躍脚光を浴びた、宮本常一の経歴と業績については、別の拙記事大学の在野で研究する者たちへの指南書 ~荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために』:後編~ - 仲見満月の研究室の「3ー1.マルチな平凡社社員出身の谷川健一の場合」の紹介段落をご参照頂くとして、ここでは記念館を含む施設について、紹介させて頂きます。
さて、この記念館は、周防大島町の運営する文化施設・周防大島文化交流センター内に設けられています。「周防大島文化交流センター■施設案内■」を見ると、中央の中庭をはさんで、左側が展示コーナーや資料閲覧質等があり、右側の大部分が図書室となっています。過去、私は研究関係で民俗資料を求め、このセンターに足を運んだことがありまして、センター左半分が宮本常一記念館、右側がおそらく周防大島町立東和図書館だったと記憶しております。
記念館の入口側は、周防大島の民俗資料や宮本常一の活動を伝えるパネルの展示スぺ-スとなっており、奥の資料閲覧室に「宮本常一の著書や蔵書約2万冊がおさめられています」とのこと。私が行った時には気が付かなかったのですが、サイトを見ると、
○書籍収蔵庫
宮本常一の著書や蔵書約2万冊がおさめられています。宮本が執筆したほぼすべてにあたる初出誌・単行本をはじめ、アチックミューゼアム(日本常民文化研究所)の出版物、柳田國男の初版単行本、歴史学・民俗学・人類学・農林業・漁業・塩業・観光文化・美術に関する書籍のほか、全国の市町村誌、多数の雑誌・民俗調査報告書・紀要類などを収蔵しています。(一部を宮本常一データベースで公開中)
とあって、書庫というか白壁の蔵を丸ごと記念館内に移築しており、その中に蔵書を納めていると思わしき画像があり、そのインパクトに度肝を抜かれました。
資料閲覧質には、蔵書の中で実際に宮本常一が読んで線を引いたり、文字を書き込んだりした書籍が詰まった本棚があり、閲覧席で自由に読むことができたと思います。私が行って読んだ平凡社の東洋文庫だったか(うろ覚え)の蔵書には、鉛筆で持ち主が書きこんだ文字がありました。この記念館では、定期的に市民講座を開催したり、ボランティアを募って宮本常一の手書きのフィールドノートをテキスト化して刊行したり、宮本常一の研究の整理のできる人を育てつつ、文字通り周防大島の文化を発信する交流センターとして、様々なイベントを開催しているようでした。
このセンター、そして周防大島町には経済力があるのか、人出があるのかは私には分かりませんが、訪問した時、きちんと学芸員資格を持つ職員を配置(その後に異動したかは不明)して記念館の中身を管理・維持しつつ、刊行したフィールドノートや調査の写真集を販売しているのが、印象的でした。はっきり言うと、「宮本常一とその人が研究した周防大島の歴史・文化・民俗等をここから発信し、後世に伝えていく」というモチベ―ションが、感じられるんです。先の岡山県高梁市と比較して、「郷土の偉人」の遺したものについて、発信したり、伝承していくところに、自治体のやる気を持っていることが訪問者の私にも、感じられました。
熱意だけでなく、きちんと宮本常一の初学者が読めるような、著作の入門冊子も造られていて、買った私の理解を助けてくれました。やる気が空回りせず、精度の高い本が販売されているところにも、私は好感を持ちました*4。
今回の桑原武夫の蔵書を無断廃棄した京都市、故藤森賢一氏の寄贈本を10年間放置していた岡山県高梁市のケースを踏まえると、自治体に寄贈先として、保管・管理する経済力や人出、空間的な余裕が十分でない場合は、寄贈したい側が自治体に問い合わせて、難しいようなら私は避けるべきだと考えていました。しかし、宮本常一記念館のように、亡くなった学者の蔵書を引き受けた後、適切に寄贈書を整理・保管・管理し、また、その資料を引き継げ、故人の業績を発信・伝承できるところにリソースが割ける自治体であれば、寄贈先の選択肢として検討する価値は十分あるでしょう。
寄贈先に自治体を選ぶ時に気をつけるべきことは、先のリソースに加えて、大学の時と同じく、蔵書の持ち主の社会的な評価が十分に認めてもらえること、それから、 蔵書を引き受ける図書館等の施設において蔵書の管理・保管を続けられるよう、その自治体が方針を変更しないことです。よく知られていない学芸員の話 その2:学芸員の仕事となり方について~美術館を中心として~ で書いたように、公務員は数年ごとに部署を移動する仕組みになっています。そこで、寄贈書を引き受けた施設の担当者が他の部署へ移動したとしても、次の担当者に寄贈の管理・保管について業務を引き継げ、なおかつ、その価値を理解し、寄贈書の引っ越しがあっても蔵書の把握ができるシステムを維持できるよう、寄贈本を管理・保管する方針を自治体が維持し続けることが重要となってきくるのではないでしょうか。
4.むすび
前回と同じように、冗長な書き方になってしまい、読みにくくて申し訳ございませんでした。人文学者の死後の蔵書問題について、本記事で実例を出しながら検討した寄贈先を選ぶ時のポイントを挙げます。なお、蔵書目録を作って置くことは、この前段階として必要なこと添えさせて頂きます(私も細々、やってます)。
- 寄贈側は、蔵書の持ち主の研究や仕事について、社会的な評価をドライに見極めること。
- 縁のある大学や自治体に問い合わせをして、蔵書量と内容を伝え、相手側に引き受けられるキャパシティがあるか、見極めること。
- 相手側の状態を見極める際のポイントは、寄贈本を引き受けた後、大量の本を管理・保管・維持する経済力・人出・空間にリソースを割いてもらえること。
- 大学等の研究機関や学術団体の選択ポイントは、卒業生やパトロン等の関係者に、学術・研究に対する理解があって、その方面に資金を提供する人物画いること。加えて、その機関や団体の運営側に寄贈書を含む研究資料や図書の管理・保管・維持に適切なリソースを割くように判断ができる人物画いること。
- 自治体を選択する際のポイントは、寄贈書を引き受けた施設の担当者が他の部署へ移動したとしても、次の担当者に寄贈の管理・保管について業務を引き継げ、なおかつ、その価値を理解し、寄贈書の引っ越しがあっても蔵書の把握ができるシステムを維持できるよう、寄贈本を管理・保管する方針を自治体が維持し続けること。
この6つです。
6つのことをやって、それでも引受先が見つからず、それでも蔵書を維持したい場合、次の手段をご検討下さい。
ひとつは、遺族の中から蔵書の面倒を見てくれる「本の虫」を見つけて管理者として育て、一族でバックアップしながら、蔵書を維持する方法。
もうひとつは、弟子や勤務先、所属学会等の人たちに連絡して、分けて持っていってもらうことでしょうか。故人の業績と蔵書の学術的価値を理解してくれる方々に、遺族が頼んで連絡を広く回してもらい、取りに来てもらう。もしくは、送料を送り手か受け手が負担して、引き取ってもらうようにする方法。
以上、二つです。そもそも、故人の人文学者の蔵書問題が発生するのは、日本全国の図書館等の施設に、資金・人出・スペースの余裕がないことが原因なのです。そういうわけで、世の実業家の皆さま、図書館等の施設へのご理解と資金提供をよろしくお願い致します。
日本全国の図書館関係者の皆さま、余裕があれば、今時の手段としてクラウドファンディングで資金提供を呼びかけ、蔵書の維持に繋げてはいかがでしょうか。公共図書館の場合、自治体からの予算が限界なら、別府市の「湯~園地計画」のように、クラウドファンディングで外部に資金の提供を呼びかけては、いかがでしょう?:
最近では、SNSのマストドンの開発のように、月額で支援を依頼できるクラウドファンディングもあるようですので、可能なようなら、是非ご検討下さいませ。
長ったらしくなりましたが、本記事はここでお終いです。お読みいただき、ありがとうございました。
5.関連するtogetterまとめ(2017.4.28_2335追記)
桑原武夫蔵書の無断廃棄について、togetterまとめを見つけましたので、リンクを貼っておきます:
6.続編のお知らせ
<関連記事>
*1:しつこいけれど、映画「君の名は。」ヒロイン・宮水三葉の父親・俊樹(旧姓・溝口)が結婚前、民俗学者として所属していたK大学の研究機関のモデルだと思われる場所。詳しくは、こちら:
*2:平井嘉一郎記念図書館の建設と開館について|平井嘉一郎記念図書館|立命館大学
*3:正直なところ、立命館大学側は、白川静や加藤周一ほか、社会的に高い業績を持っていると評価された学者や人物だから、寄贈を引き受けて、きちんと管理・維持していると、私は個人的に感じております。
*4:たまたま、私が手に取った資料が、私の理解を助ける意味で、分かりやすかったものかもしれません。個人的な印象や意見であることを、おことわり致します。悪しからず。