仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

日本の一般社会で生活すると博士号所持を忘れていく?~「LOST DOCTOR~アイデンティティー喪失~」の話(『月刊ポスドク』’17年12月号)~

<皆さんのアイデンティティーはどこにありますか?>

1.薄れゆく博士の「博士号所持」の自己意識~はじめに~

昨日の弊ブログの更新記事を告知する私のツイートでは、

@naka3_3dsuki

【いずれ、自分が博士号持ちのことを忘れてしまう、日本の一般社会でのロスト・ドクター現象も書きたい】

naka3-3dsuki.hatenablog.com

2018年7月31日

https://twitter.com/naka3_3dsuki/status/1024212082936373248

ということを書いていました。

 

今回は、上記のツイートで共有したブログ記事に関連した話です。大学教員の「教授」や「助教」と共に、時に研究者の「敬称」として使われる学位、そして現在では研究職をゲットする免許や基礎資格的なものがあります。それが、「博士号」です*1

 

「博士(号)」を持つ人と聞けば、特定分野を一定水準まで極めた、何かの「学問の専門家」――。というのが、日本の一般的なイメージではないでしょうか。例えば、小学校で夏休みの現在、リスナーの「小さなお友達」から繰り出される電話質問に、こたえるNHKのラジオ番組「夏休み子ども科学電話相談」で、様々な視点で独特の説明をする各分野の研究者が、まさに一般的なこの学位所持者である「博士」でしょう。

 

「末は博士か、大臣か」の言葉にあるように、少なくとも20世紀半ばくらいまでは、博士号所持者が、日本において一般的に「学問の専門家」として認識され、その「博士たち」が就職する際もその学位が希少価値を持ち、「尊敬」されていたのではないか?と私は勝手に思っています。時が経つにつれ、文科省の前身省庁で「大学院重点化計画」が進められ、21世紀には博士号取得者が急激に増加しました。こうして博士号の希少価値が相対的に失われていき、少ないアカデミックポストをめぐって、求職者の間で熾烈な競争が起こるようになっていきます。また、一般的には上記のように尊敬される博士号取得者も、研究業界を除き、就職する時には多くの場所では「うちには高学歴すぎて、雇えない」という、乱暴にいえば「粗末な扱い」をされることも出てきています。

 

加えて、日本の一般社会で日常生活を送っていると、博士号は持っていても特に役には立たないように思います。初対面の人に自己紹介を求められても、私が大学院まで行っていたという事前情報がなければ、相手は修士卒以上の学歴を尋ねてくることは、滅多にありません。海外では、

  • アメリカの航空会社のフライトで博士号取得者だと名乗ると、客室乗務員の応対が(少し)丁寧になる
  • EU内の列車に乗車中の職務質問され、博士号表記の身分証を乗務員に見せると、身の安全を確保しやすいことがある
  • 南アジアの上層階級のお見合いでは、修士号以上の所持者が多いと差がつくらしい

といったことがあります。が、こういったことは、日本では少ないでしょう。

 

私も博士号所持者の一人ですが、このブログを始める前、就活を教育関係の業種でしていた時、「持っていると有利になるのは、一部の特殊な私立中高を除けば、博士号よりも修士号かも」と感じました。ブログを始めてからは、研究活動から離れている時間のほうが日常的に長かったこともあって、「あれ?自分は博士だったっけ?」と分からなくなることがあります。同人誌のタイトルを『なかみ博士の○○系ニュース』としているのも、実は、博士としての意識を薄くしていかない対策の一つです。

 

 

2.勤務先に博士号が「ないことにされてしまう」こともある?!~「LOST DOCTOR~アイデンティティー喪失~」(『月刊ポスドク』’17年12月号)~

私のように自分が覚えおく対策をする、あるいは論文を投稿するといった研究活動をすれば、研究の世界から離れて、在野でも博士だという意識はある程度、保てると思います。一方、研究関係のところで職員になったとしても、勤務先によっては、博士号所持者の事実を「ないことにされてしまう」ことがあると、最近、知りました。その具体的な話は、次の「がんばる研究者をまるっと応援するマガジン」の『月刊ポスドク』2017年12月号:

f:id:nakami_midsuki:20180731210359j:plain*2

に掲載されています。その記事のタイトルは、ストレートに「LOST DOCTOR~アイデンティティー喪失~」です。

 

「LOST DOCTOR~アイデンティティー喪失~」の主人公は、ある「関東の財団法人に研究員(パーマネント)として一度就職」した「B君」。書き手のtasogarenoumi(以下、タソガレ)さんが伝え聞いた話として、B君が研究員として同法人に勤務していた時のことが書かれています。

 

それまで、「順調にポスドク生活を北の大地で送っていた」B君は、本文で事情は明かされていませんが、先の財団法人に転職しました。研究職員を抱える財団法人は千差万別だそうですが、B君のポストは、「研究内容と自由時間には非常に制約」があり、働く人のイメージでは「(役所+会社+研究職)/3」だそうです。業務はそれほど辛くなく、そこそこの給与にアフターファイブが約束されていたものの、修士卒までの人なら、まずまずの職場だとタソガレさんは説明しています。

 

その一方で、B君の職場は「基本的に大学院レベルの科学的内容、科学的合理性に基づく判断は、問われない場面が多数であり、不完全燃焼の場面が甚だ多い」とのこと。博士号所持者には窮屈なところではないか、と私には感じられました。

 

さて、このような職場で、B君は記事のタイトルどおり、自分が博士号所持者であるのを「失う」体験をすることになりました。 事件の経緯について、簡単にまとめると、以下のようになります。

  1. B君は「博士の学位があることを前提に」同財団法人に採用された
  2. 1にも拘わらず、「(公募書類にその指定があったのに)」初出勤の日、「机の上に山のように積まれていた」(おそらくB君の)名刺に、「博士(Dr.)の肩書」がなかった
  3. どうして博士の肩書が名刺にないのかと、B君が上司に尋ねると、返ってきたのは「君の覚悟を試したい」という、意味不明な言葉だった
  4. 書き手は「会社では、個人よりも集団を大事にするが故、博士を名乗れなかったりということはよくあると聞く。洗礼か、はたまた誰かの凡ミスか」と補足をしている

勤務先で支給される名刺に「博士(Dr.)」がなかったのは、どうも、日本の一般社会で生きる人々には仕事上、「博士(号)」に重みを感じない現状と無関係ではない気がしました。一般の人たちが博士号に「重みを感じない」のは、日本では研究業界とそれ以外の業界を仕事のキャリアにおいて移動する人たちが少なくて、例えば、「博士号取得にかかる時間や、取得条件を満たす苦労が感覚的に分からない」といった事情がありそうです。

あるいは、漫画『博士の白衣女子攻略論

の主人公のように、同じ企業内でも、研究業界と密接な関係にある部署にやって来た、研究業界と接点の薄かった部署にいた事務系や総務系の人には、研究業界の習慣が分からないように、博士号に関する事情もよく分からないケースもあるのかもしれません。B君の名刺に「博士(Dr.)」がなかったことについては、書き手の勤務先の説明から、組織内の名刺作成担当者が「研究業界と接点の薄かった部署にいた事務系や総務系の人」で、仕事上、博士号のことが理解できていなかった可能性がありそうです。上司の意味不明なセリフは、そのあたりの担当者のミスをごまかすためだった気がしてなりません、私は…。

 

博士号の「重み」については、一般社会の日常では、日本よりも海外にいるほうが肌感覚で理解できることのほうが多いようです。先のアメリカ、EU、南アジアの例をはじめ、その重みは、他のアジア諸国においても、変わりません。 タソガレさんは、

 ある程度科学的(学術的ではない)な野外調査等、お金が絡む場面での博士の肩書は意外と大事だったりする。博士の価値が高い国外では特にそうだ。

(「LOST DOCTOR~アイデンティティー喪失~」(『月刊ポスドク』’17年12月号、p.8))

と前置きをした上で、名刺に「博士(Dr.)」がないままになったことで、起こった悲劇を紹介しています。

 

勤務開始から半年後、「東南アジア諸国との国際協力事業の場面」で、B君が博士号ホルダーか、否かが問題となったことがありました。当時、所属組織の大勢の人が「B君は博士である」ことを忘却の彼方に飛ばしていたそうです。「周りにとっては博士の肩書が重要でなかったため」に、書き手は、「そもそも」B君の名刺に彼が博士号所持者である情報が載せられなかったことを指摘します。詰まるところ、

名刺を作成した人の凡ミスだったことが発覚したのである(半年後)。洗礼であれば少しは浅かったろうに。

(同上、p.8)

 

はい、この国際協力事業で発覚した「LOST DOCTOR」を根拠に、B君の同僚の大半にには、博士号の重要性が理解できていなかったことから、彼らは研究業界と接点の薄い部署に長くいたのではないか、と私は考えました。こうしたB君の職場から推測できることは、研究職員は少ないことと、同僚の大半を

  • もとから研究業界と接点が少なかった人
  • 院卒者で、多少は研究の世界から離れて久しいせいで博士号の重みを忘れてしまった人

が占めていたことです。

 

B君に起こった博士号所持を「ないことにされてしまう」悲劇を通じて、私が得た教訓は、「勤務先支給の名刺に、博士の肩書がない場合、博士号所持者は自分で肩書を書き足す」ということです。そうでもしないと、一般社会で過ごす限り、B君の職場や、私のような研究業界から物理的に離れている人間は、自分でさえ、博士号取得者であることを忘れてしまう危険があります。周囲に指摘されるとか、覚えておいてもらうとか、そういうことがない日本では、博士号を持つ人達が自分の博士学位を忘れ、やがて「LOST DOCTOR」状態に陥っても、何ら不思議ではないのです。

 

 

3.最後に

「LOST DOCTOR~アイデンティティー喪失~」の記事には、B君の体験を通じて、法人で研究職を得たいと考える人向けに、

  1. 書類選考や面接試験の前後に、求人元に確認しておくべきこと
  2. 1の連絡でやり取りしたメールは残しておくこと
  3. 自分のための研究をやりにくい職場は、職業研究者のキャリアの通過点と割り切って、密かに転職活動の準備をすること

といったことも書いてありました。この記事の掲載号は、現在、売り切れ状態にあるようです。気になる方は、『月刊ポスドク』を取り扱っている「TwiFULL Press通販部 」に問い合わせてみても、よいのではないしょうか。

 

日本の一般社会で暮らす博士号所持者の皆さん、本記事の内容を胸に、どうかロスト・ドクター状態にならないよう、お気をつけてお過ごしください。私も自己意識が薄れないように、頑張ります。

 

おしまい。

 

 

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*1:免許や基礎的な資格としての博士号については、次の記事で詳細をお読みください:

naka3-3dsuki.themedia.jpの「2.「教員免許なしの博士号取得者が学校教員に採用される話」に関する2つのモーメントと、更に補足の話」

*2:『月刊ポスドク』は、nanaya_sacさんが出しておられる研究者向けの情報同人誌です。詳しくは、「【告知】2017年の夏コミ新刊『月刊ポスドク 2017年8月号』に寄稿しました~主に『月刊ポスドク』紹介~」や、「けっこう「 #博士学生はどう生きる? 不安な将来向け書籍・雑誌続々」出ています( #朝日新聞 デジタル) 」をご覧ください。この号は売り切れのようですが、バックナンバーの一部やグッズは、次の通販ページで買えるようです:

twifullpress.booth.pm

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