仲見満月の研究室

元人文系のなかみ博士が研究業界の問題を考えたり、本や映画のレビューをしたりするブログ

見えにくい、籍を失ったオーバードクターの存在~九州大の箱崎キャンパスで起きた事件から~

<本記事のもくじ>

1.はじめに

今月の7日、九州大学箱崎キャンパスで火災が起き、同大学の元大学院生の男性(46歳)が遺体で発見されました。捜査が進むにつれて、敬老の日の直前には、

  • 憲法の研究をし、博士課程を2010年に退学後、雇止めや経済的な困窮に遭い、家賃を払えなくなった状況に陥ったなか、この男性が出身大学院である同大院の研究室を夜間に利用継続をしていたこと
  • どうやら大学当局は「ポスドク」として男性を思い込んで施設利用を「黙認」していたが、新キャンパスへの移転にともない、退去の告知を出すにあたり身元を調査したところ、男性が既に同大学の籍を失っていたことが判明した
  • 退去の告知後、男性は灯油を事前に購入して建物に持ち込み、室内からテープで扉等の隙間を埋め、放火して亡くなったとみらえること

といったことが、分かったきたそうです。以上の情報は「九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署|【西日本新聞】」をもとに、まとめました。この事件が起きた背後には、男性の送って来た人生と貧困、日本の人文・社会学系の職業研究者の養成や高等教育機関の仕組み、キャリアといった様々な問題が絡んでいると思われます。私は西日本新聞の記事や、それに対するSNSのタイムライン上で「彼はわたしだったかもしれない」という、沢山の方の声を目にして、しばらく落ち込んでおりました。

 

亡くなられた方に、心よりお悔み申し上げます。

 

男性の送って来た人生と貧困、職業研究者の養成にかかってくる経済的な負担の問題から、今回の事件を読まれていらっしゃる方は、みわよしこさんがおられ、そのあたりのことを数字の詳しい資料を入れながら、次の記事を執筆されています:

九大箱崎キャンパス放火・自殺事件~「貧困」という切り口から見えてくるもの(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース

(2018.9.17(月)、3:02付、Yahoo!ニュース)

 

日本のアカデミックな世界の抱える問題から見たこの事件については、主に経済的な問題において、みわさんが詳しく触れられたいらっしゃいますので。上記の記事に譲ります。思うところあり、本記事では院卒者のキャリアという視点からで、タイトルに入れました「籍を失ったオーバードクターの存在」の問題について、少しお話をさせて頂きます。博士課程の在籍年限を過ぎた後、一般社会からは見えにくい問題を取り上げました。

 

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2.籍を失ったオーバードクターの存在

 まず、オーバードクターとはどんな人たちを指すのか、最初にお話をいたします。

 

日本の研究者養成を目的とした大学院の博士課程では、その制度上、多くのところは基本在籍年数が3年間であり、在籍年数を伸ばしても最大6年間となっていると思われます(仲見満月が出会った研究者の人たちの話より)。このあたりの話は、以前に「大学院に行きたいと思ったら知るべき「初歩」のこと~大学院の進学システムと就活~ - 仲見満月の研究室」の「大学・大学院生の在籍可能年数と文系院生の「博士課程満期取得退学」」で書きました。大学の学部から大学院の修士課程、博士課程を経て、博士号取得までのシステムを詳しく書いています。長いですが、オーバードクターの説明のため、ここに引用しますね。図については、元記事に移動してご確認ください。

 

大学・大学院生の在籍可能年数 と学位

基本的に、学部生は4年間のうちに卒業論文を書いて学士号、修士課程は2年間で修士論文を書いて修士号、博士課程は3年間の間にジャーナルの審査を通過して掲載された査読論文をまとめて博士論文として書いて博士号を取得します。上記「〇〇号」は、一般的にはまとめて「学位」と呼ばれるもので、特定の教育課程をおさめた結果を示す資格です。

 

上の図には、学部なら「最大8年」というように、主な各教育課程の一般的な在籍可能な年数が示されています。妻財の在籍可能年数は、各課程の基本在学年数の2倍の年数が想定されています。例えば留学、病気やケガ、実家や親族の介護等の理由や事情で休学したり、大学・大学院に出てこれなくなって留年したりしても、復帰後に在籍して授業に出席し、卒論の提出や卒業試験合格等の特定要件を満たせば、学部なら「卒業」、大学院なら「修了」できる制度となっています。

 

俗に、「卒業論文は参加賞、修士論文は努力賞」と呼ばれるように、各教育課程の卒業・修了要件の最低水準に達していれば、卒業・修了さできると言う噂がありました(あくまで、噂です)。そのくらい、修士号までは最低限努力して書けば、学位が取得できるという世の中になってきているようです。

 

ただし、大学院博士課程だけは例外です。卒論は参加賞、修論は努力賞というのに対し、「博士論文はスタート免許」。つまり、博士論文を書いて取得した博士号は、研究者として歩き始めるための最低限必要な資格という位置づけなのです。博士論文をまとめるには、基本的に各分野の審査つきジャーナルに投稿し、審査に合格して査読が通り、掲載が決定した「査読論文」を一定数(分野や研究室、先生の基準によって数はさまざま)持っておいて、それを元に筋が通る構成にリライトして、一冊の本に仕上げます。

 

文系院生の博士号取得と「博士課程満期取得退学
この「査読論文」を得る、いわゆる投稿論文を査読に通過させるのは、至難の技。特に、人文科学系のジャーナルは分野大手クラスの学会発行のものでも、年一回発行のところが目立つ上、文系学問は論文一本書くのにかかる時間が理系に比較して長くなりがちです。すなわり、最低一年に一本の査読論文を通し、計3本で博士論文をまとめ、審査に通過して博士号を取得するというのが、現在の私の周りの人文科学系博士課程の人たちの共通目標でした。

 

しかし、大抵、年一本ずつ査読論文を通すのは、できないことのほうが多い。コメントを付けて、リジェクト(掲載不可)を受け、リライトして投稿しても再度リジェクト。これを繰り返すことのほうが、少なくないでしょう。だから、院生は年一回発行のジャーナルだけでなく、もっと発行ペースの多いジャーナルに投稿していくことになります。投稿論文の審査にも時間がかかるので、それを見越して研究していたら、博士課程の最大在籍可能年数の6年間は、あっという間に来ます。

 

この6年間を終えて博士号が取れなかった人は、「博士課程を修了するのに必要な授業単位は全部取りました」という手続きを取り、「博士課程満期(もしくは単位)取得退学」という肩書を得て、博士課程を「退学」します(つまり、ここから先の彼らの呼び名がオーバードクター)。この手続きから3年以内に博士論文を書き、審査を得て合格すると「課程博士」、3年を過ぎて審査に合格すると「論文博士」というように、違う呼び方の博士号を得ることになります。

大学院に行きたいと思ったら知るべき「初歩」のこと~大学院の進学システムと就活~ - 仲見満月の研究室

 

引用部分の終盤にある下線部のところに、特にご注意ください。最大6年間の博士課程在籍期間を終え、「博士課程満期(もしくは単位)取得退学」という肩書を得たからといって、日本には、博士論文の審査に合格しなければ、博士号は取得できないシステムがあるのです。その6年間を過ぎた人について、弊ブログの関連記事では、オーバードクターと呼んでおります。

 

オーバードクターの人たちは、今回の事件で亡くなった男性のように、2つ以上の大学や専門学校等で非常勤講師として働いたり、運送会社や工事現場、コンビニや飲食店などでアルバイトをしたりして、生活費を稼ぎながら、学術論文をジャーナルに載せて続け、博士論文の審査の準備をし、博士号の取得を目指しておられる方々が少なくありません。

(私の院生時代の先輩も含む)そうした方々のなかには、博士論文を書くため、実験室や、論文や史料(資料)を閲覧・貸し出しのできる図書館、集めた先行研究の論文集や記録ノートなどを保管・管理できる書棚と作業用の机といった、「研究の継続に必要な施設」を必要とする人がいます。彼らの中には、お金を大学や大学院に払い、必要な施設を使えるようにするため、「研修員」や「(〇〇)研究員」といった肩書のもらえる研究活動を支援する制度に申し込み、その資格を得ている人もいました。実際、私の近所の研究室にも、研修員の人がいました。

(得られる権利は、次の記事で紹介した「無給」のポスドクや博士研究員に近いところがあります:「「無給」ポスドクや博士研究員とその周辺システムの「ふわっ」とした話~主に人文・社会系の場合~ - 仲見満月の研究室」)

 

なかには、様々な理由で研究継続のためのお金を支払えず、大学や大学院の「研修員」等の更新ができずに、支援制度を利用できなくなる人がいるでしょう。生きていくため、自宅の光熱費、最低限の食費、家賃を払うほうを優先してくと、支援制度に出せるお金は底をつく可能性は出てきます。本来は利用する権利はお金の支払いがないけれども、研究施設を継続利用している人も、いるのかもしれません。私が邪推しますに、おそらく、今回の事件で亡くなった方も、そんなオーバードクターの一人だったのではないでしょうか。

 

そういったオーバードクターの苦しい事情を汲んでいる人には、おそらく、施設の利用を提供する側の大学側にもいるのではないでしょうか。施設管理や防犯等の面では、とても問題があると、当局の人たちは感じてはいらっしゃるでしょう。それでも、事情を察して「研修員」や「ポスドク」の扱いにして、施設利用を「黙認」している現場の方々も...。

行政の福祉制度を紹介することや、研究者向けの支援制度を調べて対象者に知らせること等により、生活を保障し、亡くなった男性のような立場のオーバードクターの人たちが研究できるようにするのが、理想的でしょう。しかし、昨今の大学や大学院は、事務系の職員、大学教員、ポスドク、それから院生たちまで、自分の研究や仕事でオーバーワーク気味で、時間も人出も余裕はないところが多いのです。経済的にも他者を支援できる余裕は、よほどのことがない限り、ないと考えられます。苦しい事情を察することはできても、人間関係が難しいこともあるでしょう。

 

そのあたりに、事件の「闇」を指摘するツイートをみかけました。ご指摘はごもっともだと思います。私には何ができたのかは分かりませんが、院生や研究者の方向けのブログを運営している者としては、悔しく、やりきれない思いを持ちました。そういう気持ちで、本記事を書いています。

 

私に今、できることは、こうやって情報を発信するくらいしか、思いつきませんでした…。

 

 

3.むすび~関連記事もあります~

今回の九州大学箱崎キャンパスで起こった事件については、取り上げたオーバードクター問題のほかにも、院卒者のキャリアを含めて、様々な問題が背景にあるでしょう。このブログを書いている者として、亡くなった方のように、苦しさを抱えている何ができるのか。 現時点では、もっと、こうした研究機関で起きている問題を周知しつつ、大学院に行った人にも、職業研究者以外の道で働きつつ、研究を続けられる方法を広げていく必要性を改めて感じました。

 

最後に、弊ブログ記事より、「こういう生き方もあるんだ」とか、「海外はこうなっているらしい」といった、テーマの記事をリンクさせて頂きます。

 

そのほか、衣食住、アカでミックポスト就活などについては、所定のキーワードを当ブログ右サイドバーにある検索窓に入れて、お探しください。

 

<キャリアのこと、在野・独立研究者として生きること>

【2017.4.23_0050更新:目次】「人生カタログ」~様々な大学院と院卒者の多様な生き方~ - 仲見満月の研究室

【2017.4.23_0055更新:目次】文系院生の就活事情とキャリアを考える - 仲見満月の研究室

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好奇心充足の観点で社会人の「院進」を考える~Kaori Isomura「32歳で大学院生になった。…」(ハフポストより)~ - 仲見満月の研究室

#ツイキャス のラジオ【#なかみ博士 の気になる500のこと】~第4回「独立・在野の研究者」~ - 仲見満月の研究室(2018.9.18の23時59分までの公開)

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アカハラを含む大学や大学院の構成員の健康・メンタルへルス問題>

「アカハラ」からどう身を守る?学生・院生のためのメンタルヘルス対策 - メンヘラ.jp

ストレス解消の「無心ウォーキング」記事掲載のお知らせ+α補足 - 仲見満月の研究室

【2018.3.25_1810更新:目次】アカデミック・ハラスメント(アカハラ)に関する記事まとめ(外部記事含む) - 仲見満月の研究室

 

<海外の研究者の事情が分かる映画>

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