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仲見満月の研究室

元人文学系、現・文理総合学系の「真っ白」博士が大学院とその周辺問題を考える

研究活動における院生の指導教員との付き合い方を考える~「ウィンDくんのぶっちゃけ大学トーク」から~

1.はじめに

研究関係の集まりに行ってきました。そろそろ、ブログ更新を再開致します。その第一回目は、院生が投稿論文を書いたり、学会発表をしたりする上で、指導教員の先生方とどのように付き合ったらよいのか?というテーマです。

 

先週、投稿した次の拙記事は、研究室の教授との付き合い方を変えてうまくいった話。教授を共同研究者に引きずり込む。 - かやのみ日記帳をもとに、卒論・修論という具体的なゴールのある研究課題を仕上げるため、指導教員の先生と学生がどのように付き合ったらよいのか?ということを考えました。

naka3-3dsuki.hatenablog.com

 

上記の記事「3.卒業研究でかやのみ日記帳の筆者が学んだこと」では、ご紹介した、かやのみさんが、「一度、自滅しかけた卒業研究について、原因を冷静に分析し、きちんと指導教員に自分の(勝手な)暴走を謝罪し、テーマを相談して決めるところから仕切り直し」、「プロジェクト管理のようにスケジュールを組み、頻繁な報告・相談によって」、その先生と信頼関係を築き、「指導教員を「共同研究者」に仕立てあげることができた」ことを指摘しました。

 

この課程の報告・連絡・相談について、かやのみさんは、教授の言ったことをメモしたり、録音したりして、拾っていくことが重要だというようなことを書かれていました。確かに、先生の言うことは、私が研究を進める上でも、ヒントになる有り難い言葉が多かったです。ただし、

ときどき、先生の言っていることに一貫性がなくなり、矛盾だらけになってくることがあります。

卒業論文・修士論文における学生の指導教員との付き合い方を考える~「かやのみ日記帳」のエントリ記事から~ - 仲見満月の研究室より)

 ということが実際、あります。かやのみさんが言うように、「ホウレンソウ」の頻度を上げることで、先生の言うことに一貫性が増すこともあります。が、一度に大勢の学生の研究を見ないといけない先生だって、特に50~60代になっていれば、一日に自分がしたことでさえ、あっさり、忘れていってしまうものです。そういうわけで、先生のいうことに矛盾が出てくる箇所があっても、仕方ありません。そういうわけで、前回の拙記事では、次のような文章を書きました。

指導教員の言ったことは、録音でもメモ書きでもとっておき、再生したり読み返したりするなかで、取捨選択していってください。時に、師匠の言動を半信半疑くらいに扱うことも、研究を進めていく上で求められます。詳しくは、後日、院生の研究活動における指導教員との付き合い方の記事で書く予定ですが、ひとまず、今回は先生の言うことを、すべて取り入れなくてもよい、くらいに覚えておいてください。

卒業論文・修士論文における学生の指導教員との付き合い方を考える~「かやのみ日記帳」のエントリ記事から~ - 仲見満月の研究室より)

 

半信半疑くらいに扱い、取捨選択していきましょう!ということだけ、書きました。特に、自分が今後、将来に研究者として歩んでいくための博士論文を書く研究活動では、一人立ちの予行演習的な意味合いがあるのです。つまり、博士課程の院生は、忠犬ハチ公のように、指導教員の指示に従わなくても、いいんです。

 

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では、どのようなスタンスで先生の言うことを聞けばようのでしょうか?

 

上記の引用箇所にある「後日」の記事として、本記事ではその理由、および博士院生の指導教員との付き合い方を、はてなブログ

www.wynned.com

の中の記事から考えていきたいと思います。

 

 

2.先生の言うことは、半信半疑くらいがちょうどいい?~「ウィンDくんのぶっちゃけ大学トーク」から~

ウィンDさん(「くん」を付けると呼びにくいため、さん付けに致します)は、プロフィールによると、「海外大学の博士課程に所属する大学院生ブロガー」だそうです。ウィンDさんのブログを拝読していると、大学院の公聴会や中間報告等で、あるある!という話題があり、懐かしい気持ちになるエントリ記事がポツポツ、ありました。

 

そのような数ある記事の中で、今回、取り上げるのは次の記事です↓

www.wynned.com

 

タイトルからして、「研究室のすべてを疑え!」との一文が入っています。正直、読んでいて、こちらが不安になってきました。とりあえず、気を取り直して内容を見ていきましょう。

 

 2-1.「すべて」といっても、具体的にどのように疑えばいいのか?

ウィンDさんは、何も「教授も、研究室の先輩方の人格から存在まで、全部を疑いなさい!」と言っているわけではありません。補足すると、今までの実績があり、それらの業績ひとつひとつが「信頼されてきた」から、その先生は教授や准教授、常勤講師、助教といったアカデミックポストに就き、また、信頼できると判断した先輩方を自分の研究室のメンバーとして、受け入れたのです。

 

それでは、具体的にどんなところを疑えばようのでしょうか?ウィンDさんは、こう言います。

論文に書かれていること、先輩が言うこと、教授が言うこと、間違えてる時けっこうあるよ。

(教授の言うことは信じちゃダメ!研究室ではすべてを疑え!【研究室生活】 - ウィンDくんのぶっちゃけ大学トークより)

つまり、先行する研究論文を含め、先達の「言うこと」を全面的に信じるな!ということ。

 

それは、なぜか?学術分野にもよりますが、研究って、日々、新しい史料が見つかったり、文献の新解釈が発表されたり、実験によって新たな発見があったり、今までその研究業界で一時的に「信頼されてきた」ことが、覆されることが頻繁にあるからです。インターネットによる情報伝達が発達した昨今とはいえ、新説や新発見が論文となり、その論文が特定分野の一つのジャーナルで掲載されたとしても、同分野の他のジャーナル、他国のジャーナル、そして研究業界全体に広く認知されるには時間がかかるんです。理系分野だと、実験の「再現性」をめぐって検証がなされることがあり、そんな感じで、余計に新発見や新説が研究業界に「定着」するのに時間がかかるということ。また、検証される途中で、捏造や不正が見つかり、「間違った情報」だということが分かることもあります。

 

さて、その情報をキャッチするには、どのような情報受信環境にいるか(情報機器の有無、情報を持ってくる人に会う頻度など)、新しい情報を受け入れられるか、といった細かな条件があります。私の院生時代の思い出には、ある特定の国から留学してきている院生の先輩方よりも、なぜか指導教員のボス先生のほうが、その国の最新の研究情報をキャッチしていることがあり、しばらく謎でした。よくよくお話を聞くと、その国の留学生の先輩方に比較し、論文データベースをチェックしたり、その国の研究業界の人とメールで情報をやり取りしたり、そういった情報受診環境にいたことが大きな理由でした。その国の先輩方は、生活費を稼ぐのにアルバイトをしたり、お子さんのお世話で疲れ得射たり、けっこう研究活動以外でも多忙な方が多く、なかなか最新の情報に触れる機会がなかったようです。

 

そんなボス先生ですが、私の在籍中、急激に五感の衰えが進んだとおっしゃるようになり、私が院を出ることには「新しい情報の論文やメールを読むのが、大変になってきたよ」と自覚されていました。最新の情報を得るにも、身体の衰えは関係しているようです。

 

そういうわけで、教授や先輩方の研究情報の更新スピードには個々人に差があります。このことを踏まえ、彼ら彼女ら先達の言うことを鵜呑みにし、学会の発表報告や公聴会に出ないほうがいいのです。何事も疑問に思い、最低限、自分で検証するということが、博士院生になると特に大切になってくるのです。

 

 2-2.発言者自身とその発言は切り離して、疑うのがポイント

ウィンDさんの言う疑い方で、ポイントとなるのは、

発言者の地位と発言の質は切り離して考えられるようになろう。

教授の言うことは信じちゃダメ!研究室ではすべてを疑え!【研究室生活】 - ウィンDくんのぶっちゃけ大学トークより)

ということ。発言した先生、そして先輩だって、人間です。人間だもの、情報を誤って記憶していることもあるし、いくつかの情報が混ざって訳が分からない状態になっていることだってあるでしょう。あるいは、立場や状況によって、情報の受け取り手の解釈の仕方が変わり、その過程で先達たちが誤って覚えちゃっていることだって、考えられます。

 

例えば、私は投稿論文を書いている途中で、先輩に当たる助教先生に「仲見さん、指導教員のアドバイスを全部、受け入れていたら、筋の通った論文なんて書けないよ。自分の言いたい結論が見えているなら、先生のアドバイスは書き手が取捨選択すること」と、言われたことがあります。その投稿論文は、文献の解釈をどのようにするか、というのが課題で、自分の解釈を補強するために使えそうな考え方や思想を探していたところ、助教先生に先のようなことを言われたのでした。私は指導教員の先生に、「それなら、『●●』の文献を当たったら、ヒントになる思想が見えるよ」とアドバイスを受けており、「本当にそうなんでしょうか?」と疑問に思っていたところでした。助教先生の一言を気にしつつ、翌日、私は『●●』を大学図書館で借りてきて、パラパラ捲り、指導教員の発言を検証したことがあります。結果、『●●』に関する解釈本を探したほうがよさそうだ、という次のステップを踏み、その解釈本で何とかその論文を書き上げることができたのです。

 

私の経験は、人文科学系の研究作業でした。これが、心理学や言語学、そして理系の実験をともなう分野だったら、先達の「仰せ」のとおりに作業を繰り返していても、自分の設定したテーマでは、予想通りの結果を得ることができないかもしれません。そんな場合、ウィンDさんは 

研究がうまくいかない時は何かを疑うしかない。

 

どの前提知識が間違っているのか、仮説のどの箇所に誤りが含まれているのか...など、一つ一つチェックして前に進んでいくしかない。

(教授の言うことは信じちゃダメ!研究室ではすべてを疑え!【研究室生活】 - ウィンDくんのぶっちゃけ大学トークより)

 というアドバイスをしています。チェックを繰り返し、「工夫」を重ねて試行錯誤して、やっと「正確な研究結果」が積み重なる。それが、ウィンDさんの言う「研究」だそうです。

 

なお、先達からのアドバイスをもらったら、その場ごとに疑うような発言をする必要はしないこと、とウィンDさん。なぜなら、先生や先輩には、アドバイスという「好意」を疑うような解釈をされることがあり、「面倒で性格の悪いやつだな(#^ω^)」と信頼関係が崩れる原因になるからです。

 

先達の発言に疑問が浮かんでも、口には出さず、頭の引き出しにしまうか、こっそり思い出してメモしておくか。そういうくらいがいいでしょう。

 

 2-3.ちょうどいいのは「半信半疑」くらい?

私個人としては、疑心暗鬼になっても、研究のモチベーションが下がると思います。逆に、先達に心酔し、すべて信じて自分の研究に取り入れてしまうと、重要な学会の報告、博論の公聴会の質疑応答で、他の研究者に疑問を呈され、取り返しのつかない状態になる危険があります。それでは、疑いの程度は、どのくらいがいいのでしょうか?

 

先の自分の経験談をもとにすると、「半信半疑」くらいがちょうどいい、と考えました。私が論文を書きあげるのに欲していた思考方法について、指導教員のアドバイスは「正鵠を射る」ほどではないけれど、その付近を射ていたということで、「当たらずとも遠からず」の的確さだったように思います。やはり、熟練した先達の言うことには、それなりの経験と知識に基づいた根拠があったんでしょう。

 

先生に言われたことをこなすだけの存在を、ウィンDさんは「奴隷」だと言っていますが、それって思考停止をする危険をはらんでいるかと。かといって、疑いすぎるのでは、検証ばかりで研究が進まないし、モチベーションが下がる。だから、先達のアドバイスは「半信半疑」くらいに受け止めましょう。

 

3.まとめ

 ウィンDさんのブログ記事をもとに、主に博士院生の研究活動における指導教員との付き合い方、具体的には、アドバイスをどう受け止めるか、ということを考えていました。まとめると、

 ・発言者自体を疑うのではなく、その発言内容のほうを発言者とは切り離して疑う

 ・疑いの程度は、ちょうど「半信半疑」くらいがよさそう

ということになります。「当たらずとも遠からず」のアドバイスをする先達。その経験を侮りすぎると、自分の研究には「損」なこともあるでしょう。

 

最後に、前回紹介した「かやのみ日記帳」、そして今回紹介した「 ウィンDくんのぶっちゃけ大学トーク」は、大学院での研究生活にとって、様々な参考になるエントリ記事が投稿されています。本記事を読まれた方、お二人のブログを訪問されてみては?と思います。書かれていることを生かすも何もしないのも、読者の方次第です。

 

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