【2017.7.14_1505_冒頭追記】院生の頃に目にした「ハラスメント」を当時の周りの大学教員に尋ねるという「愚行」を阻止された話
*本記事では、登場する方々について、個人の特定を防止する観点から、非常にぼかした表現をしたり、事実と一部異なる表現をしたりしているところがあります。どうか、ご理解ください。
先週くらいに博論の副査になって頂いた染田先生(仮名)とお茶をしてきました。ボス先生と同い年の方で、既に大学を退職されています。
染田先生は、私がいた研究室、社会人博士院生MさんのいたV研究室ほか、いくつかの研究室の集まった組織「講座」に属し、自分の研究室を持っていた先生です。今も論文発表をコンスタントにされておられるようで、学会出席の折、私の住んでいる地方にいらっしゃるということで、お会いすることになったのです。
社会人博士院生のMさんが、指導教員であるV先生から、他の院生から見ると「アカハラ」を受けていたことは、以前に次の記事で書きました:
V先生がMさんに対して、当たりが強いことは染田研究室の同期も気がついていたようで、V研究室のゼミに出席していた人には、V先生の言動に戸惑っていた人もいたようです。
そんなV先生のMさんに対する言動。私にはハラスメントのように映っていたのですが、当時、同僚だった染田先生はどのように捉えていらっしゃったのでしょうか?と私は愚かなことを思いついてしまったのです。そして、私お会いした時に「アカデミック・ハラスメントが報告されたら、先生方はどうされているんですか?」と遠回しに言葉を出しつつ、尋ねようとしました。
当時、教授職の染田先生によれば、部局会議に出席されると、時々、セクハラやアカハラがあったという報告が上がるそうです。そこで調査委員会が立ち上げられ、相談室や人権委員会等からの報告を受け、「書籍『ハラスメントの事件対応の手引き』の読書メモ」と関連情報まとめ - 仲見満月の研究室の「2-3.教員学生のアカハラ」の名古屋大、鳥取大のように時間をかけ、セクハラやアカハラの事実についての調べの報告を委員会が行うそうです。その後の部局会議で、教授たちの挙手によって、セクハラやアカハラ認定を行うことがあるそうです。そこから、大学全体のより上の統括組織へ報告を上げることがケース次第ではあるんだとか。
染田先生個人としては、調査委員会の報告があっても、グレーなケースが多いということで、大学教員の投票でセクハラやアカハラ挙手を行って、その有無を決めることについては、自分が男性ということもあって、証拠が不十分だと感じることもあったらしく、抵抗感が強いとのことでした。また、訴えてきた学生や教員は、証拠自体を集めるのが非常に困難らしい、ということも仰っておられました。
話は私が在籍していた頃の大学院部局の話になり、「ああ、君が博士課程にいたころ、相田さん(仮名)が部局の人権委員を2年くらいやっていたよね。ただでさえ少ない女性の先生だからか、セクハラやアカハラを扱う委員を務めることになったんだと思うよ」と突然、思い出したように、染田先生は言われました。相田先生は当時、助教の職位にあった方で、私の修士課程入学と同時に、うちの「講座」に着任された女性の先生でした。私が在籍中には、ずっと助教のままで、学部生のゼミは持っておられたようですが、院生の所属するタイプの研究室は持っておられませんでした。
「そうなんですか、女性の先生にそういった委員が回ってくることが最近は多いんでしょうか?」と私が問い返すと、「そうみたいだね。たしか、相田さんが人権委員をやっていた時期は、セクハラも、アカハラも、報告がなかったみたいだね」と染田先生はお答えになりました。
(染田先生、それは当時、Mさんが相談した部署から、部局内で権力のあるV先生に相談内容が漏れ伝わることを恐れて、ひたすら、耐え忍んでおられたからなんですよ。下手に動くと、着任して部局内で立場の弱い相田先生が孤立する恐れも、考慮されて…)
当時、私や同期の若手院生が動こうとしたところ、「あなたたちも、博士号取得にリーチがかかっているんだから、下手なことはしなさんな!」とMさんに言われ、ひるんでしまい、何も私たちはできなかった。そのような色んな院生の間であったけど、できなかたことを今も後悔して、引きずっていた私がV先生について、口を開きかけたところ、何かを察したのか、染田先生は手で私を遮って、「学内のセクハラやアカハラって、対処するのが大変だと思うけれど、河野太郎っていう政治家が動いているらしいじゃないかい?君たちが研究職に就ける頃には、もっと日本の大学がいい方向に変わっているといいよね」と一気に言葉を吐き出した後、紅茶を飲み干されました。
この後、自分の近況を報告して、染田先生とは別れました。結局、私は染田先生のアクションによって、当時のアカハラについてのことを聞くことができずに終わりました…。
帰りの電車に乗りながら、私が邪推したところでは、染田先生はおそらく、V先生の
Mさんに対する当たりのきつさには気づいておられたのではないでしょうか。ただ、V先生は、部局会議でのハラスメント報告がなかったこと、それから、指導教員による学生の放置および指導の放棄・拒否によるアカハラ - 仲見満月の研究室の「2-3,指導対象の院生が持ってきた休学許可願への捺印拒否」でも書いたように、V先生が部局内で力を持っておられたことを考慮されて、Mさんが相田先生や私たちのことを考えて耐え忍ばれたように、下手に動けなかったのかもしれません。
そして、Mさんの指導教員がP先生に交代した後、大学院を出た後の私が「愚かにも」当時のことを「蒸し返そうとした」ことについて、染田先生なりにお考えがあって、阻止なさったのだと思いました。
過去を振り返るのは、未来を生きるため、何ができるか。染田先生とのお話で私が気がついたのは、本ブログで何度もお伝えしてきましたが、 次の記事のように、とにかくハラスメントの証拠をしっかり集めることが第一歩だと再認識しました:
それから、次の記事の終盤で示したように、集めた証拠を握りつぶされないように用心しながら、「所属先の「大学教職員就業規則」や「ハラスメントに関連する通則」等を読んで、法律の専門家にアドバイスをもらいながら、申し立てを行って、大学側に処分をさせるのが、とりあえず、有効な手段」だということを、改めて思いました。
今回の「蒸し返し」というアホな方向ではなく、過去の事例を分析するならば、どうすればハラスメントの起こる「風通しの悪い」大学の「体質」やシステムを変えていけるのか。そのような方向で、これからは、本ブログを運営していこうと決めました。
おしまい。